休める場所へ ー 1
下半身が濁流に浸かっている状態でシャナイアをつかまえたまま、ギルはずり落ちてしまわないよう必死に堪え続けていた。川辺に群生している樹木の枝葉や幹に支えられて、どうにか留まることだけはできている。岸はすぐ目の前に見えている。なのに・・・這い上がることができない。すぐそこにあるのに、感覚ではほど遠い陸地。シャナイアを抱いている体勢のまま強張った体で、ただ息をすることしかできないからだ。
ギルは途方に暮れるのを通り越して、絶望しかけていた。腕にはひどい傷を負い、衰弱しきった体で、情けの無いことに精魂尽き果てた自分には、気を失っているシャナイアをこれ以上持ち上げることはできない。もう日も暮れてきた。このまま夜を迎えれば体温までみるみる奪われ、夜が明ける前に死に至るだろう。
そもそも・・・彼女は今もまだ生きているのか。
川に浸かっているせいで温もりを感じられないギルは、生きていることを確信したくて無理に首を動かした。シャナイアの顔は死人のように青ざめているし、呼吸できているのかも分からない。
我にかえったギルは、気力を奮い起こして岸を見た。そして突然、気配に気づいた。
なにやら黒い生き物が真っ直ぐに近づいて来るのである。氾濫した川辺の岩場や茂みを越えてこっちへ向かってくる。
間もなく、ギルの胸に泣きそうなほどの喜びと希望がわきあがった。そのおかげで体を動かせることに気づいたギル。何もせずじっとしているあいだに、奪われる一方だと諦めていた体力が少し回復してくれていたようだ。すると喜びは羞恥と自身に対する怒りに変わった。これまで満足に守ってやることもできず、さらに弱気になるとは、なんてざまだ・・・約束しただろ。
「シャナイア・・・あとで好きなだけ殴れ。」
やがて迎えたその生き物は、やはり間違いなかった。キースだ。
キースはギルの上着の襟をくわえて強く引っ張った。助けようとしてくれている。ギルはつかんでいるシャナイアの腰を全力で持ち上げ、身振りで指示を与えてみることに。
「キース・・・俺でなく・・・・シャナイアを支えてて、くれ・・・間違っても噛むな、よ。」
御意・・・というようにキースは的確に従った。シャナイアの腰のあたりの着衣をくわえると、下手に動くことなくその状態をしっかりと維持してくれたのである。ヒョウは木登りもできるほど身軽で、獲物を木の上へ引っ張り上げられるほど顎の力が強いという。
そうとう我慢して自力で這い上がったギルは、続いてシャナイアを引き上げることにも成功した。それから疲労も忘れるほど夢中でその体を抱き上げて岸へと連れていき、祈る思いで無事かどうかをみた。
ああ・・・ギルは思わず空をあおいで神に感謝せずにはいられなかった。意識が無いものの心拍も脈もあり、呼吸もしている。
確かに生きていることが実感できると、ギルは倒れるように地面に横になった。そして、もう少し歩けるようになるまで、そのまましばらく休憩をとった。
不意に、キースがくるりと体の向きを変えた。それを見たギルは、あわてて呼び止めた。自分たちのことを知らせに戻ろうとしてくれたのだと分かったからだ。正直ありがたいが、命の危機にさらされていようと今は甘えるわけにはいかない。ここがどこなのかも、いつ敵と遭遇するかも分からないのに、余計な手間をとらせるわけには。
ダメだ・・・と伝える時、リューイはどうしてるのだろうかと考えながらも、ギルは今度は単純に首を振ってみせた。するとキースは向き直り、その場に伏せた。今度も上手く伝わったようだ。
そして、どうにか動き続けられそうだと思えるようになった時、ギルは気力を振り絞って立ち上がった。気絶しているシャナイアを腕の痛みに耐えてしっかりと抱き上げ、キースを連れて、今夜横になることのできる場所を求め歩きだした。
夕暮れになり、また強い雨が降り出して、それが濁流の汚れを落としてはくれた。だが、冷えた体に更に追い討ちをかけてくる。疲労も激しく、何度も倒れそうになりながらも、ギルは、早く落ち着いてシャナイアの意識が戻るようどうにかしたい、休ませてやりたいという思いに駆られるあまり、立ち止まることすらなく、ひたすら歩き続けた。
しばらく彷徨っていると、霞む視界の向こうに、小屋らしきものが見えてきた。明かりはついておらず、この森で働く者たちの臨時の宿泊施設のようだ。昨日の雨のせいで今日は仕事ができなかったのだろう。そう推測しながら、ギルは助かったとばかりに気合いを入れ直した。幸いたどりついたそこで、煉瓦でできた小屋が迎えてくれた。小屋の前には井戸がある。
ギルは戸口を壊して侵入した。簡易ベッドと小さな暖炉がある。小屋の隅にはシーツが二枚干されている。それに燃料の束が三つと、棚にはタオルまでじゅうぶんにそろっていることが、一目で確認できた。
ギルはシャナイアをそっと床に下ろすと、水浸しの靴を脱いで、天井から吊られているランプを点けた。そして早速、その薄暗い明かりの中で暖炉に火を起こした。そうしている間も体に貼りついて気持ちが悪かった着衣は、それからいっきに脱いで物干し竿にかけ、バスタオルを引っ張り出してきて手早く体と髪を拭き終えたあと、それをそのまま腰に巻いた。
テキパキとそれらを済ませると、ギルはシャナイアを振り返って深々とため息をついた。
ぐっしょり濡れそぼったままでは、風邪をひかせてしまう・・・。




