追憶
ミーアの質問攻めにも、ひたすらだんまりを決め込んでじっとしているうち、レッドの意識は、その執拗な攻撃が止んだことにも気付かず、別のところへ傾いていた。この町へ入るのを決めてからというもの、彼はとにかくこんな調子を繰り返していた。
「・・・ごめんな。」と、彼は胸中で呟いた。
その言葉は、イヴ・フォレストという、今彼の脳裏に浮かんでいる一人の修道女に向けられたものだ。
熱を出した・・・というのは嘘ではないが、二人の出会いからその後は、もう少しドラマチックなものだった。レッドは、イデュオンの森である植物の毒に侵されてしまい、そのまま凄まじい気分の悪さに意識を失ったところを、彼女に介抱されたのである。
その苦い思い出のせいで、レッドはまた込み上げてきたやり場のない切なさを振り払うかのように、体を仰向けにしようとした。
だが、そこでハッとした。背後でミーアが眠っていることを、つい忘れていたのだ。
それ以上体を動かさないようにして、よくよく耳を澄ましてみる・・・と、風がカタカタと窓を揺すっている音のほかに、規則正しい寝息を聞き取ることができた。熟睡しているらしい・・・とレッドは思い、慎重に少しだけ体を起こした。それから、そうっとミーアの寝顔を覗き込む。緩みきった頬にポカンと口を開けて、今度は一向に起きる様子もなく眠りこけている愛らしい寝顔を確認した。
自然と笑みが零れてしまう。ミーアは知らないが、その寝顔がレッドの一番のお気に入りなのだ。そしてそれは、いくらか安堵の笑みに変わった。そんな締まりのない顔で眠れているのは、もう熱にうなされることもなく楽になったという証拠。先ほどまで病人であるのも忘れてしきりに口を動かしていたのだから、それは確かなのだろう。
レッドはしばらく、目を細くしたままミーアを見つめていた。
すると、ふと考えてしまった・・・子供か・・・と。
アイアスとして生きていく以上、自分は生涯 独身を貫くだろう。そう考えているレッドだったが、あたたかい家庭に憧れる気持ちが、胸の片隅に何となく夢見るようにあるにはある。これまでの人生のおよそ半分は、その中で育った。親がいて子供がいて、裕福ではなかったが家族愛だけは満たされていた。親の立場からでも、それをもう一度実感したい。
こんな状況では、その気持ちがつい強くなってしまう。そのせいで、そっと動いた右手がまたミーアの背中に回りかけていた・・・ところが。
「レッド、俺だ。入るぞ。」
突然、ドア越しにリューイの声。
リューイは、人の返事も待たずにドアを押し開け、部屋に入ろうとしてくる。
マズい、これはけっこう恥ずかしい。柄にもなく添い寝など。
そう思うも、結局 焦っている間に、この場をまともに見られる羽目になってしまった。反射的にベッドから下りるくらいはできたが、せっかく寝付いたミーアのことを思うとそうもいかなかったのである。リューイの気配はどうも読めない・・・こういう気を抜いている時など尚更だと、レッドは改めて痛感した。
「へえ・・・。」と、リューイはひやかすつもりもなく言った。
「いや、これは・・・ミーアが・・・だな。」
「分かってるよ。」
きまり悪そうな表情を浮かべているレッドに、リューイは一言だけ答えた。
レドリー・カーフェイという男は、初対面で傍から見る分にはその精悍な顔が近寄り難さを感じさせ、気性の荒い冷たい印象を与えがちになるが、ひとたびこの男を知れば、誰もがそれが全くの誤解であったことに気付く。そして、彼の態度や言葉が、自然とそのことを分からせているのだということに、当の本人は気付いていない。
そして、この時にはもうリューイはとっくに理解していた。
リューイは音をたてずに歩み寄った。
「それで、具合はどうなんだ。」
「かなり良くなってる。あの若いの、腕がいいのは確かなようだ。おかげで元気なもんだ。」
レッドは片足ずつそっとベッドから下りると、向き直って、上掛けをきちんと掛け直してやった。その隣では、リューイもまた、ミーアの愛らしさに見惚れて顔をほころばせている。
「眠っている時は天使のようなんだがな。」
そう言うレッドを横目に見ながら、リューイは何か言いたげにニヤニヤしている。
「なんだよ。」
「いや別に。」と、リューイは答えただけだったが、レッドにはそうは聞こえなかった。
「おやじさんが、美味い珈琲を入れてやるから下りてこいってさ。本当はラスキーラってのを勧められたんだけど・・・それなに。」
高いアルコール度数で知られる、帝都エルファラム産の蒸留酒。
「昨日飲んだのより、即効頭がいかれそうになるヤツさ。おやじも好きだからな、相手が欲しいんだろう。」
レッドは、無造作に横に置いていた汗まみれの寝間着を拾い上げた。
二人は静かにドアを閉めて、突き当たりの階段を下りていった。