命にかえても
噴水の絶え間ない水音が柱廊に囲まれた中庭から聞こえてくる。ギルに手を引かれて、シャナイアは月光が射しこむその小さなバラ園に入っていった。
「まあ、ここにはさっき来なかったわ。」
「だろうと思った。きっと、空中庭園の方へ案内されたんじゃないかとね。」
シャナイアは首をめぐらして、白や淡い色の花びらばかりで彩られているバラ園を眺め回した。風の影響を受けにくい小さな中庭ということもあってか、灯りは低い柱にランタンをかけたような蝋燭灯がポツポツと立っているだけ。
「綺麗だわ、綺麗・・・とても。ここにはたいした照明はないけれど、この自然さがきっといいのね。もしかして、それで私を?」
「ああ。君は女性だから、興味もあるだろうと思ったんだ。それに、派手な大庭園よりも、奥ゆかしいここの方が君に似合いそうだったから。」
「口が上手ね。憎らしいくらい。」
「考えて喋っちゃいないよ。」
ギルのそばを離れたシャナイアは、水音がかすかに聞き取れる噴水の方へ向かった。その少しあとからギルもついて歩いた。
「本当はどんな色をしているのかしら。昼間ならもっと美しいでしょうに。」
「だが、この方が神秘的だ。月明かりに照らされた花々。ほら、あの白バラをごらん。散りばめられた雫が光り輝いて、ともすれば妖艶な美しさでさえある。」
「ほんと、うっとりしちゃう。あ、ねえ見て!」
噴水を見つけたシャナイアは、そばのフェンスから伸びている蔓バラが噴水の縁にまで這っているのを見て、嬉しそうに近づいて行った。そこで上品に足をそろえて縁に腰をおろしたシャナイアは、小動物を見つめるようなほほ笑みを浮かべて手元のバラに見惚れている。
「ねえ、ほら。来て。」
ところがギルは一歩も動かず、ただ恍惚とした顔で佇んだままだ。
月光で輝く水面を背後に、青白い光の中で、淡いバラに囲まれている亜麻色の髪の美女・・・まさしく艶やかな美しさ・・・ああ、すごくいい。
シャナイアは首をかしげた。
「・・・ギル?」
「ああ、いや・・・あまりにも綺麗で。そこにそうしていると、君はまるで愛と美の女神だ。」
そんなセリフが、意図せずギルの口をついた。
彼の言葉としては珍しくもなかったが、いつになく真剣な表情と口調で、そんなセリフを恥ずかし気もなく言ってくるとは。シャナイアもさすがにドキッとした。いつもなら調子のいい笑顔と声で口にするようなことなのに。
「あ、あら、ありふれた口説き文句。でもいいわ、それでも。」
シャナイアは少しはにかんだ顔で、フフ・・・と笑った。
それがさらに、ギルの目にはたまらなく可愛く映った。理性が飛ぶかと思ったほどだ。
「シャナイアッ。」
不意に名前を叫ばれたシャナイアは、反射的にギルの目を見上げる。すると驚いている間に手を引かれて立ち上がり、彼のもう片手が腰に絡みついて、手を握られた方の腕は自然に背中へ回されていた。
シャナイアは人形のように固まってしまった。なのに鼓動はドキドキとうるさく、たちまち体も火照りだしたが、こんなに大胆に抱きすくめられては腕を動かすこともできず、最初声も上がらなかった。
「え・・・な、なに?」
「君は必ず俺が守る。何があろうとも守ってみせる。だから・・・」
「だ、だから?」
「身代わりになってくれ。」
「・・・・・・は?」
「いや、その・・・実は・・・。」
ギルは理性を保つことに気をとられていたこともあり、続いて単刀直入に説明してしまった。
つまり、勝負に負けて引き受けたのだと。
夜風がすうっと吹き抜けていくあいだ、シャナイアの顔がみるみるムッとしたものになる。
「何よそれ、信じらんない!」
シャナイアは強引に身をよじって、居心地の悪くなったギルの抱擁から逃れると、大股でさきさき歩き出した。それを、ギルもどうにか取り繕おうと慌てて追いかける。
「だから私を誘ったのね、嘘つき!私を落として、そして言うこときかせるために、軽はずみにあんな・・・!」
「違う!それは違うぞ!」
「もう、知らない!」
「シャナイア、誤解だ、待ってくれ。」
ファライアは首をひねっていた。それから振り返って、窓越しに再び兄を手招く。
「いらしてお兄様。様子がおかしくなりましたわ。」
ディオマルクもまたソファーから立ち上がって、再度バルコニーに出た。そして、そこから下をのぞいて、慌てふためいている情けのない男を確認。
「おや・・・それは困ったな。結局、余が参らねばならぬのか。」
シャナイアは、ちょうどその二人が眺め下ろしている方へと、真っ直ぐに進んでいる。ギルが懸命に腕をつかみ取ろうとするのを荒っぽく振りほどきながら。
「どこも行きやしないわよ、一人で歩きたいの、先に戻って!」
「シャナイア!」
ギルはめげずに、また彼女の腕をとった。今度はそのまま勢い任せにたぐり寄せる。そのあまりの力強さには敵わず、シャナイアはギルの腕の中で子供のように暴れだした。
「放して!放してったら、もうっ!あなたなんて ―― っ 」
突然、頭に手を回されたかと思うと、唇で口を塞がれた。
生温くて、心地よくて、甘い・・・。
え、キスされたの・・・!?
シャナイアは混乱して、すっかり無抵抗になってしまった。なのに、腰に絡みついた逞しい腕は、長い接吻の間に次第に力を増して、少し萎え始めた体をぐいぐいと締め付けていく。シャナイアは驚いて目を瞬いたが、その情熱的な抱擁に不覚にもとろけてしまい、心を宥めすかされてしまった。
それでもギルは腕を解こうとしなかった。まだ足りなくて・・・だから、彼女の滑らかな肩とくびれた腰をいつまでも強く抱き締めているまま、神に誓った。
「俺が守る・・・命に代えても。」




