レッドの弱点
レッドは、両腕を組んで椅子に腰掛けていた。彼のすぐ目の前には、まだ少しだるそうな寝顔を浮かべているミーアがいる。レッドは、おぼろげな蝋燭の明かりに照らし出されているその寝顔をじっと見守りながら、考えこんでいた。
男である自分には、女性なら当たり前のようにしてやれる配慮もできないのかもしれない。母親や侍女たちならすぐに気付くことも分からず、気を利かせてやることが・・・。まだこんなに幼い少女を預かるということを、あまりにも安易に考えていた。このまますぐに連れて帰るべきだろうか・・・と。
レッドは音をたてずにゆっくりと腰を上げ、ミーアの額から乾いた手拭いをつかみ取った。そして、ふと気になった。上掛けに手を伸ばして、そうっと捲り上げてみる。すると案の定、ミーアはひどい寝汗をかいていて、着衣がじっとりと素肌に貼り付いている。レッドは、起こしてしまうかもしれないと悩んだものの、適当に着替えをさせるよう言われていたこともあって放っておけず、やがて手際よく済ませるために、そばに必要なものを準備し始めた。
気を引き締めたレッドは、ミーアの着衣のボタンをそろそろと外していった。そして胸の前を引き開けて、その幼い華奢な背中を抱き起こし、ワンピースになっている汗まみれの寝間着を脱がせた。彼は、母親や侍女たちならもっと上手くすることができるのだろうと痛感しつつ、自分もここまでは起こさずにできたことにほっと息をついた。そして、極力動かなくても取ることができるよう用意していたタオルで、ミーアの体の汗をよく注意しながら丁寧に拭い始めた・・・つもりだった。
レッドは、苦い表情を浮かべた。
ぼんやり目を覚ましたミーアが、寝ぼけ眼をやおら向けてきたからだ。
「悪い・・・。」
ミーアは無言でのろのろと首を振った。
「まだ辛いか。」
ミーアはまた、ただ首を横に動かしてみせた。
レッドは、ミーアの額に手を当ててみた。一見近寄り難い精悍な顔がほころびる。
「だいぶよくなったな。気分はどうだ。」
レッドは再び手を動かして、ミーアの汗を拭き取りながら言った。
「夢を見てたの・・・。」
「そうか・・・邪魔して悪かったな。」
レッドはミーアの背中に着替えを回してやり、袖に腕を通すよう促した。
「本でね、見たことのある景色の中に・・・本でしか知らない場所にいたの。緑の草の絨毯がどこまでも広がってる場所とか、砂の山ばっかりがある所。でも、大きな夕日がすごく綺麗でね・・・。」
そこまで語ると、ミーアはその記憶の絵を見つめながらうっとりとため息をついて、レッドの瞳を見上げた。
「そんな所にも行ける?」
レッドは返事に躊躇した。今、ミーアが回復したら、すぐに引き返そうかと悩んでいたところなのである。
だが結局は、この少女が見たこともないような ——ミーアが寝ている時くらいにしか見せない —— 優しい笑みで応えていた。
「ああ・・・どこへでも。」
たちまち、ミーアの顔一杯に、嬉しそうなとびきりの笑顔が広がった。
それを見つめているレッドは、いよいよ自身に呆れ返った。その笑顔も泣き顔も、そしてすがるような瞳も、何もかもが自身にとって弱点であると認めさせられたからだ。
レッドがボタンを留めてやり、肌触りのいい寝間着に着替え終えたミーアは、おとなしくまた横になった。
レッドは肩の線まで上掛けをきちんと引き上げてやり、「起こしておいてなんだけど、よく休め。」と微笑して、ミーアの小さな頭を撫でた。
「ねえ、レッド。」
「ん?」
「なんで私ミナなの?」
「その名前じゃ不満か。」
「そうじゃなくて、嘘つかなくたっていいじゃない。どうせ分かりっこないもん。」
「お前を追って来ている使いの者がいるとしたら?」と、レッドは答えた。「名前と背格好が一致すれば、すぐに行方の見当がついちまうだろうが。」
もっとも、特徴のあるこの二人ならば、それは姑息な手段に過ぎないとレッドも分かっていた。だが、聞き込みをするなら二人組という言葉を使うだろうと思われたために、リューイが加わった今、名を偽っておいた方がより効果的だと彼は考えたのである。
「とにかく、名前は伏せておいた方が無難だ。」
「ふうん・・・あれ。」
「なに。」
「レッドって、私に帰って欲しいんじゃないの?」
「へえ、少しは気にしてくれてるわけか。」
「だって・・・。」
そんないつになく悪びれた素振りのミーアに、また思わずやられてしまったレッド。そうだと言って帰るよう促すどころか、取るに足りないことのように微笑みかけている自分に気付いた。
「あんまり喋りすぎると、また熱が上がるぞ。」
ミーアも素直に目を閉じた・・・とレッドが思ったのも束の間、その三秒後にはパッと瞼を上げ、どういうつもりか愛嬌たっぷりにわざと甘えた声で・・・。
「ねえ。」
レッドはやれやれと思うと同時に、何かせがまれるに違いないと悟った。
「今度は何だ。」
「添い寝して。」
「なに赤ん坊みたいなこと言ってんだ。」
「私にはミルクがお似合いなんでしょ。」
「とにかく止めておけ。俺の汗と男臭さは体に毒だぞ。」
何だかんだと聞いてくれないその態度に、ミーアはぷいとそっぽを向いてすねてしまった。
「嫌ならいいよ。」
沈黙が続いた。
実のところ、ミーアは期待を込めて辛抱強く待っていた。
そうとも知らず、一方のレッドは、この間どうにも落ち着かなくて仕方がなかった。彼はどうしたって、ミーアに対して心を鬼にするということができないのである。そして、背中を向けているミーアが上掛けをぎゅっと引き寄せる、そのどこか孤独で健気な仕草を見ると、とうとういたたまれなくなってしまった。