交通事故
川沿いの店舗が立ち並ぶ大通りを、速歩で来ていた二頭の馬が、突然いなないて足を踏み鳴らした。御者が思い切り手綱を引いて、馬車を緊急停止させたのである。それは屋根付きの豪華な四輪馬車。銀飾りを上品にあしらった青い車体のそれは、どう見ても富裕層が所有するものだ。
そして御者台には御者の男ともう一人、剣を帯びた制服姿の騎士が座っていたが、馬車が止まるや否や騎士はあわてて飛び降り、馬車馬の足元にサッと腰を下ろした。
それと同時にバタンッと音をたててドアが開き、中からは一人の若者があわてて下りてきた。
白いシャツや群青色のガウンには金模様、そして、さりげなく身に着けている装身具と、乗っている馬車の絢爛さから、もうかなり身分の高い者であると分かる。それも最高位に近い者、彼は、この国の誰もがすぐに跪いてしまう存在である。
「蹄にかけたのか・・・。」と、先に馬車から飛び降りていた近衛騎士に、その高貴な青年は恐る恐る声をかけた。
道端に腰を下ろした騎士の手元には、汚れた手足に怪我をしてぐったりと横たわっている女の子がいるのである。
まだ幼い、身長100センチほどの小柄な少女。膝丈の赤いワンピースから剥き出しになっている細い手足には、大きな掠り傷を負っている。御者を務めている男の感覚では、跳ね飛ばしたというより当たって転がった感じだったが、程度は分からない。なにしろ、少女は気絶しているのだから。
騎士は少女をそっと抱き起こして、その小さな身体を探りながら慎重にみていった。
「申し訳ございません、殿下・・・見て分かるのは掠り傷だけですが・・・脳震盪を起こしているようなので、地面に頭をぶつけたか・・・背が低いため、馬の脚が当たった恐れもあります。」
「状態のわかる者は!」
殿下と呼ばれた青年は、これを目撃した通りの店員や通行人が見守る中、身分を気にせず自ら大声を張り上げた。
その声に応えて人々はみな周囲を見渡し、互いに目を見合っているが、そのような人物は誰も現れない。
続いて馬車から下りてきた金髪美人の侍女も、口に手を当てて心配そうに立っている。
「誰か、身体を診られる者はおらぬのか!」
再度、彼は叫んだ・・・が、結果は同じ。
「王太子殿下、も・・・申し訳・・・。」
御者の男が顔面蒼白で怯えながら声をかけてきた。
「今はいい。状況によっては重罪にはならぬ。だが・・・。」
「殿下、病院まではかなりあります。侍医に診せてはいかがでしょうか。」
近衛騎士が言った。
「よし、では至急王宮へ戻り、侍医を呼べ。」
そう言う間にも自ら腕を伸ばした彼は、どこの誰とも分からない少女を抱き締めて馬車へ戻った。
そのあとで、少年とも青年とも言える若者が一人、息をきらせて現れた。
この騒ぎからは少し離れた場所にいたカイルである。カイルは、まさしく自分のことを呼んでいる、かすかに聞こえたただならない声を聞きつけて現場へ急いだが、ひと足遅く、駆けつける前に馬車はくるりと後ろを向いて、走り出してしまった。近くに助けが必要そうな者が見当たらないことから、急患もしくは事故の被害者は、あの馬車で運ばれたに違いない。
「ああ・・・。」
救命処置がいるかもしれなかったのに・・・。肩を落としたカイルは、周りに目を向けた。すぐそばに、同じようにまだ馬車を見送っている中年の女性がいた。きっと騒ぎのことを知っているだろう。
「あの、何かあったんですか?」
「小さな女の子が馬車に轢かれたそうだよ。よりにもよって、王家のね。それでたった今、王子様がその子を連れ帰ったところだよ。専属のお医者様にでも診せるおつもりだろうね。だけど、相手が ※ ディオマルク王子様でよかったよ。国によっては、これが逆に怒りをかってしまうこともあるそうだからね。この辺りじゃあ見かけない子だったけどねえ・・・。」
「そうですか・・・。」
みるみる小さくなるその馬車を、カイルはいつまでも気にしながら目の届く限り見送った。
※ ディオマルク王子は 『外伝 運命のヘルクトロイ』― 「16. 揺らぎだした信念」 にも登場しています。




