叶わぬ想い
頭上でざわめいている葉擦れの音と、吹き抜けてゆく切ない風が、レッドの胸をいっそう締め付けていた。この森をあの頃と同じように二人で歩いていると、楽しい思い出や悲しい記憶が残酷なまでにありありとよみがえってくる・・・。
ある時、急に立ち止まったレッドは、足を引き摺るようにして歩いているイヴの顔をのぞきこんだ。
「・・・無理したんじゃないのか。」
「え・・・顔色・・・悪い?」
イヴは引き攣った笑みを浮かべた。
「ああ。今にも倒れ ―― 。」
レッドは言っている間に手を出して、イヴを支えた。案の定、ガクンと膝を折って倒れかけたところをだ。
「ほらみろ、やっぱりだ。負ぶってやろうか?それとも・・・。」
レッドは顔を上げた。そして、今通っている森街道から外れたところに密生している、木々の向こうを透かし見た。いくらか躊躇ったが、それから思いきってこう声をかけた。
「少し休むか。幸い基地の近くだ。」
「私・・・横になりたいわ。気分がちょっと・・・。」
レッドは、青ざめて立っているのも辛そうなイヴの体を丁寧に抱き上げた。イヴはとたんにぐったりして、レッドの胸に力無く寄りかかった。
イヴの知り合いである探検家の住処、すなわち孤児たちの遊び場として開放されたその基地に着くと、今日もやってきたと見られる子供たちの形跡があった。テーブルの上の食べかすや、それに、置き忘れられた水筒。だが、五本の木刀だけは、きちんと決められた場所にまとめて立て掛けてある。それが使われていないのではなく、何よりも使い込んで大切にされていることを、レッドはよく知っていた。
この場所はさらに過酷だ。
あの落雷と雨の日、何も知らなかったレッドは、ほんの少しだけ、ここでイヴと直接肌を重ね合った。彼女の素肌の温もりや、接吻を交した時の感じは今でもよく覚えている。これまで何度も、それに容赦なく心を痛めつけられてきたのだから。ただ・・・それでも体に焼き付けておきたい記憶だった。
窓際にある簡素なシングルベッドにイヴを横たえたあと、レッドは背中を向けてベッドのふちに腰を下ろした。
「自分で自分を癒すってのは、できないのか。」
レッドは肩越しに振り向いてきいた。
「ふふ・・・面白いこと言うのね。」
能力を使ったぶん疲れるのよ・・・そう思いながら、イヴは静かに目を閉じたままで答えた。
「そうか?俺は真剣にきいたんだぞ。」
「それなら・・・」瞼を上げたイヴは、レッドの瞳をじっと見つめる。「・・・抱いて。」
一瞬、レッドは唖然となった。意味が違うのは分かっていても、そんな表情で言われると体が思わずざわめいてしまう。
「え・・・いや、けど・・・。」
「このまま少しだけ・・・。たぶん私には、それが一番効くわ。あなたの温もりが、きっと何よりの薬。だってさっき、少し楽になれたから。」
レッドは躊躇して、少し黙り込んだ。今、ベッドに横たわって彼女に触れるには勇気がいる。
だがしばらく悩んだ末に、レッドは思いきってうなずいてみせた。同時に気を引き締めながら。
「・・・分かった。」
腰から剣の鞘を外したレッドは、戸惑いながらも手をついて向き直り、靴を脱いだ。少しずれて場所を空けてくれたイヴの隣に横になり、手を伸ばして背中を抱きしめながら、ゆっくりと体を寄せていく。どうしても自然にすることができず、自分でも最初ぎこちなく感じて、取り繕うようにぎゅっと抱きしめ直した。愛しさと切なさが混ざり合いながらこみ上げてくる・・・。レッドは、手に負えなくなりそうなそんな感情を、今はもう、そうしてイヴを強く抱き締めることで紛らした。
そんなレッドの様子に気づいていながら、イヴはただ、彼の胸元に頬をつけて目を閉じていた。こうして彼の腕の中にいると、イヴの方ではそれでも幸せな気持ちになり、これまで我慢していた言葉を抑えることができなくなってしまった。
「レッド・・・私やっぱり・・・あなたのこと忘れられそうにないわ。大好きなの。あの頃の気持ち・・・変わってない。あなたが戻ってくれたのはあなたの意志じゃないけど、昨日も、今も、こうして強く抱き締めてくれるのは、あなたもまだ私のこと・・・。」
レッドはあわてて力を抜いた。
レッドにとっても同じで、イヴの存在を忘れることなどできはしないし、そのつもりもない。ただ綺麗な思い出のまま残しておければいいと、そう思うようにしていたが、素直になれば、まだそれも割り切れずにいる。だから、彼女を無駄に惑わしてしまうようなその本心を、こんな状況で口にするわけにはいかなかった。
「何も言ってくれないのね・・・。」
「イヴ・・・ごめん。」
切ない声でのその一言は、本当に辛かった。彼の愛情が滲んでいるその声には、絶望感を覚えることができないからである。これでは諦められるはずもないと、イヴはまた彼を恨みたくなった。
「あなたも・・・きっと変わってないんでしょうね。あなたはアイアスで・・・私のことをずっと修道女でいて欲しいと思ってる。私の力を奪ってしまうかもしれないことを・・・今もずっと恐れてる。そして、お互いに忘れることができたらいいって。」
「俺は・・・。」
レッドは口籠り、やはりそれ以上を声にすることはできなかった。
だから、言葉を変えて伝えた。
「ああ・・・。応えることはできない。ごめんな・・・。」
「いいのよ・・・そんな気もしてたもの。」
そっと押し付けられるイヴの頭に手を回しながら、レッドも重いため息をついて目を閉じた。




