伯爵の邸宅へ
テオがマルクという護衛の治療をしているあいだ、そこで一緒にロザリオから事情を聞いた一行は、翌朝、イデュオンの森に隣接するように建っているグレーアム伯爵の邸宅へ向かった。その中に、カイザーとイヴも加わった。カイザーはロザリオに傭兵として雇われたからで、イヴは伯爵の症状をやわらげる手助けをするよう、修道女の長から命じられたからである。
本来、女戦士でもあるシャナイアだが、安全なミナルシア神殿にミーアを居させるため、その世話を任されて残ることになった。
伯爵の屋敷に近付くにつれて、テオを始めに、エミリオとカイルの表情も険しくなっていく。
呪いを感じる・・・。
だが、強い霊能力もつ者たちはみな黙って歩いた。
到着すると、一行はさっそくグレーアム伯爵の病室に通された。
テオには、彼を弱らせているものが何かが、会う前から分かった。この大邸宅は、顔をしかめたくなるほどの邪気に覆われているからだ。
窓辺の寝台に横たわっているドレイク〈グレーアム伯爵〉は、蒼白というよりも土気色に近い憔悴しきった顔で、あえぐような浅い呼吸をしている。
そんな父の枕元に立ったロザリオ〈ルーヴェン子爵〉は、顔を寄せて耳元で優しく声をかけた。
「父上、テオ殿が来てくださいました。」
テオはドレイクのそばへ行くと、異様に冷たく感じる彼の手をとった。それから彼の上着をゆっくりと引き開け、痩せた胸やら腹に手を当てて神秘の力で触診していく。
そうして診察が終わると、最後に重いため息をついた。
「やはり・・・。」
そうとだけつぶやいて、テオは、診断結果や説明を待っていた者たちの方を振り返った。
「イヴや、ここへ来て彼を癒してやっておくれ。かなり重いと思うが、体力の低下は極力防がねばならん。」
テオが場所を空けると、イヴはそこにあった低い椅子に腰掛けた。
ドレイクの額に手を置いて、イヴは静かに目を閉じる。
やがてドレイクは、一同が見守る前で、一つゆっくりと深呼吸をした。
ほかの者たちは、患者から離れて近づいてくるテオに注目している。これから詳しい話を聞かせてもらえるだろうと。
テオは、今は落ち着いている様子のドレイクを一度振り返ってから話し始めた。
「すでに内臓も弱り始めておるようじゃあ。呪術による直接的な手術では、体に負担をかけ過ぎる。今の彼には耐えられんじゃろう。」
実際にそれを体験したレッドは、ゾッとした。カイルに呪術によって肩の傷を治してもらった時のことだ。麻酔無しの怪我の治療だったが、なんにしても、弱りきった高齢者などには、確かにとうてい耐えきれるとは思えない。
「そもそも、これはわし一人の力では救うことができん。もとを断ち切らねば。」
その部屋にいた執事や秘書のグラハム、そしてロザリオの表情がいっきに固まった。それから落胆して、ひどく不安そうな顔を見合っている。その誰もが、これについてはもう安心できるものと思っていたのだ。
「どういうことです・・・。」と、ロザリオが小声できく。
「伯爵は衰弱死させられようとしておる。何者によってかは・・・今は、恐らくとしか言えんが・・・。」
「なぜ・・・父が・・・。」
テオは首を振った。
「ここに起こっている問題自体を解決させねばならん。」
エミリオやギル、それにレッドは、無言で目を見合った。
それは、呪いを浄化しろということだ。カイルがやることになるだろう。これは相手の本拠地へ乗り込む必要がある。当然、魔物退治もついてくる。
案の定という展開だ・・・。
「それまで時間かせぎと抵抗はできる。薬も必要じゃあ。カイル・・・。」
カイルは速やかに動いて医療バッグを開け、中を見せた。
「これでは足りぬ・・・家に戻って取ってきてくれるか。わしはこれが解決するまで、今からここを離れられそうにないからの。それと、ほかにも必要なものを補充しておいておくれ。」
そう言われて、カイルはテオと同じようにドレイクを触診すると、一つうなずいた。これが、二人のやり方だ。テオの優秀な助手である孫のカイルは、いちいち指示されるよりも早く、正確に、こうして必要な器具や薬を用意してきたのである。
カイルが手を引っ込めると、イヴが自然と動いてドレイクの上着を掻き合わせた。
そしてカイルは、一人で部屋の出入り口へ向かう。
「カイル、私もお供しよう。」
エミリオが進み出た。朝とはいえ、もはや一人歩きは危険だと思われたからだ。
広大な果樹園の中にある長い坂道を過ぎ、さらさらと流れる小川に掛けられたアーチの板橋を渡れば、木材と煉瓦で造られた平屋の家がポツンと建っているのが見えてくる。
その家をしばらく留守にしていたカイルは、鍵を開けて中へ入った。
ところが、玄関の隣の診察室に入った瞬間、カイルはにわかに立ち止まった。
後ろにいたエミリオは同じように室内を見てはいたが、初めどうしたのか分からなかった。だがカイルにとっては、あるべきものがすっかり無くなっている、あまりにも殺風景で悲惨な光景である。薬が並んでいるはずの棚から、飲み薬の入った小瓶が全て無くなっていたのだ。
その時、玄関の通路を風がすうっと吹き抜けて行った。
二人が奥の居間へ移動してみると、寝台のヘッドボードの上にある小窓が開いている。
「これって・・・呪いをかけた人の犯行?いやがらせ?」
ため息混じりにカイルは言った。
「犯人は・・・恐らくそうだろうね。目的は・・・テオ殿の治療を邪魔することじゃないかな。だが、なぜここまで・・・。」
二人はしばらく沈黙した。
「カイル、どうする?」
「仕方ない。薬草を採りに行くよ。」
そう答えて診察室へと戻ったカイルは、軟膏や包帯など、とりあえず補充できるものをカバンに詰め込み始めた。




