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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第7章  ガザンベルクの妖術師 〈 Ⅳ〉
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鐘楼広場の怪  《イラスト》

挿絵(By みてみん)


 石畳いしだたみの路地をはさんでのきを連ねる、屋根の高い住宅。家の戸口の呼びりんは鉄の細工さいく物で出来ていて、つたの葉や薔薇ばらの花をかたどりながら長く垂れ下がっている。二階、三階建てのベランダからよその家のベランダまで竿さおがかけられていて、頭上には洗濯物がずらりと干されてあった。あちこちに吊り下がっているそれらが、所々で日の光をさえぎっている。


 青年は、この町を一人で散策するのは初めてのこと。いや、そのあとを、人目を盗んで追う影のような生き物がいた。


 その路地を突き進むと、やがて様々な職人たちの工房こうぼうが左右に並んで見えてくる。


 その青年・・・リューイは、ふと立ち止まった。そして、入り口を開けっ放した工房の中で、鍛冶かじ職人がガンガンと鉄をきたえているのに見惚みとれた。それから食べ物のにおいに誘われて十字路を右に折れ、市場もあるにぎやかな鐘楼しょうろう広場へとやってきた。目の前をたくさんの人々がせわしなく横切っていく。


 所狭ところせましと並べられた商品を楽しそうに眺めながら、リューイは一人のんびりと歩いていた。


 ところが、また急に立ち止まったリューイは、今度はあちこち視線をうろつかせた。


 まったく唐突とうとつだった。油断していたところを、いきなり襲われるように。何か分からないが、恐ろしい感覚だ。度々覚えることがあった不吉な悪寒・・・外れた事など無かった。必ず、何かが起こった。


 今度は何だってんだよ・・・。


 しかし、一見その場の様子は変わらない。だが、恐らく自分一人だけがにわかに感じた胸騒むなさわぎのせいで落ち着かない。


 すると突然、今通り抜けてきたばかりの路地から悲鳴が ——!


「牛だ、牛が暴走してる!」 

「いや、猪だ!」


 叫んだのは、建物の二階の窓から見下ろしている男たちだ。その下は騒然そうぜんとし、そこから大勢がどっとなだれ込んできた。騒ぎはそのまま市場でにぎわう鐘楼広場までひろがり、その場はたちまち大混乱におちいった。逃げまどう人々は、悲鳴を上げながら必死になって何かに道を空けている。


 こっちに来る・・・! 


 そう思うが早いか、リューイは恐れるよりも先に駆け出していた。


 そこへ女性のかなぎり声が飛び込んできた。


「私の子が!」


 この事態をリューイはサッと理解すると同時に、受け入れることができた。人々がけてゆく先に見えたのは、一体の奇妙な獣だ。大きな猪のような体に、水牛のような二本のつのいただいた奇っ怪な生物。そんなたぐいのヤツとなら、これまでにも関わっている。嫌な予感が的中した気分だった。


 だが、そんなことで滅入めいっている場合ではなかった。向かってくる怪物を見た時、一緒に見えたものがあったのだ。こおりついたように立ちすくむ小さな少年の姿が。筋肉やけんを波打たせ、真っ赤な眼をらんらんと光らせながらやってくる そいつの進路にいる!


 風のように現れた青年が、その謎の怪物と真っ向から対立するのは、まさに瞬時の出来事だった。暴走するそれを、青年は躊躇ためらうことなく素手でがちりと食い止めたのだ。


 どっと驚嘆きょうたんの声がとどろく・・・が、次の瞬間、それは悲鳴に変わった。


 リューイが足を滑らせたのである。後ろへ倒れた無防備の体に、謎の怪物はぐいぐい乗りあがり、のどを、肩を噛み切ろうとする。幸い、四肢ししの間に体のほとんどが入り込んでいる状態だが、右の前脚まえあしひづめに、もろに左腕の付け根を押さえつけられていた。


 それでもリューイは痛みに耐え、とっさにつかんだ角から手を放さなかった。すぐ目の前にあるぎょろりとした目玉は、血の色に燃えて飢えからくる食欲をみなぎらせているのである。手を放せば刹那せつなられる。一瞬でもひるむわけにはいかないと、リューイも至近距離にある醜悪しゅうあくな顔面を必死で押し返した。だが、出せる力の全てをもって対抗しようにも、上腕じょうわんをやられてしまい、思うように力が入らない。その腕はもう頼りなく震え始め、脈が悲鳴を上げだした。


 クソ・・・!

 リューイは横目に、暗い路地裏の角を一瞥いちべつした。

「キース・・・!」


 押し出したような声で呼ばれた時にはもう、それは堂々と姿を現し、疾風しっぷうのごとく走り出している。


 すると、その路地の方からまたも悲鳴と叫び声が上がる。

「危ない、今度はヒョウだ!」と。


 瞬く間に現れたそのたくましい黒ヒョウは、すさまじいスピードでまっしぐらにやってきて、果敢かかんにその怪物の脇腹わきばらに食いついた。


 謎の怪物はぐわっと口を開け、のけってもがいた。


 その瞬間、下にいるリューイは思わず仰天ぎょうてんしたが、うろたえはしなかった。


 やはり、こいつは・・・!


 そいつの大きな口は、大きすぎた。耳までけていて、びっしりと鋸歯のこぎりばき詰められている。おぞましいうめき声。そいつのあごからしたたった唾液が、リューイの左肩にポトリと落ちた。


 熱い・・・⁉


 リューイは一瞬、痛みにもがいた。だが悲鳴ひとつ漏らさずそれにもえると、このすきにそいつの腹を力いっぱいり上げる。


 それは宙を舞って頭の上を越えていき、仰向あおむけのまま、したたかに地面に叩きつけられてひきつけを起こした。


「今だ、かかれ!」


 路地裏の鍛冶かじ屋たちが、手に持ったまま出てきたきたえ終わっていない剣を、勢いよく振りかざして叫んだ。職人たちがおのおの武器になるようなものを手に、謎の怪物を血祭りにあげていく。


 やがて、そいつの赤い目玉から生気が失せた。


 リューイは荒い息をつきながら立ち上がり、肩口に目を向けた。ひづめあとがくっきりと押印おういんされている。それに、小さいがえぐられたような熱傷やけど。こっちの腕は今日一日使いものになるまいと思って、参ったなとため息をついた。


 とにかく、みんなに怪我けががなくて良かった・・・と思い、リューイはそのまま普通に去ろうとした。今、注目の的になっていることになど気付いてはいなかった。いきなり拍手が上がってやっと、見られていると分かったのである。


 すると、群衆の中から女性が一人進み出てきた。女性はリューイが助けた少年の手をしっかりと握りしめている。人々の喝采かっさいに取り巻かれているリューイに向かって頭を下げ、涙を流しながら。


「ありがとうございます。このご恩は――」


「ああいや、慣れっこだし。」

 そんな返事が自然とリューイの口をついた。


 一方、とどめを刺した勇敢ゆうかんな職人たちは、まだその場にいて頭を寄せ合っていた。誰もが眉間みけんに皺を寄せたまま、やはり怪物としか言いようのない死骸を見下ろしている。


「なんだ、この生き物は。」

「こんなの見たことがねえ。」

「新種の生き物か?」

「別の大陸の生き物じゃないか?」


 この様子を、同じように人だかりに混じって見守りながらも、冷たい視線を向けている、やつれた顔の男が一人。赤黒いシミのついた包みをさりげなく小脇に抱えているその男は、誰にも気づかれることなく、その場からそっと抜け出して静かに去って行った。











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