脱出
ゾッとするような破壊音が立て続けに上がる。高価な調度品や壁掛け、華やかな天井画、それらが全て一緒くたとなって埋もれていく。
地震では、倒壊と共に恐れられるのが火。これがそうなら、住宅や店舗などから出火した火が燃え広がって、あの美しい白い街はそのうち地獄と化してしまう。だが異常に長時間続いているので、断層がずれ動くことによる地震だとも思えない。何か特別な力がここにだけ働いているような、呪縛から解き放たれた小島が不意に目覚め、生きて動いている。そのような感じだ。
「地面が・・・崩落する。」
エミリオがつぶやいた。
「何て言った。」
ギルはぎょっとして聞き返した。その言葉にギルも気付いた。
「この下は、いや、恐らく島全体があの迷路だ。このままではそこも崩れる。この島から脱出しなければ。」
「だが、どこから出ればいいんだ。腰を据えて考えてる場合じゃないぞ。入ってきた渡り廊下まで出られれば、湖まではすぐそこだったな。」
塔の上から外観を見てきたエミリオは、首を振った。
「いや、道が上手くつながっているとは限らない。そのうえ樹木などに邪魔されて通れない恐れもある。塔から湖へ飛び込もう。すぐ真下に水面が見えた。確実に湖へ出られる最短距離だ。」
「高さは。」
「少し勇気がいる。」
「・・・水深は?」
「大丈夫だ。下には小舟を通していたらしい水路があった。目を凝らして見たが、この小島の位置から考えても水深と障害物の心配はない。」
ギルはしばらく返事ができなかったが、やがて、「・・・信じるぞ?」と、言った。
「ただ・・・心配なのが一人いる。」
「ああ・・・いっそのこと放り込むか。」
恐ろしい音をたてて、頭の上から瓦礫が落ちてくる。大昔に王宮などの大構築物に用いられた石材などだ。幾何学的に造られた宮殿のあちこちに罅が走り、屋根が剥がれ、崩れ落ちてゆくものはしたたかに叩き付けられて粉々《こなごな》に砕け散った。立っていられないほどの揺れではないが、きりもなく続くこの揺れが、壁を掻きむしるように徐々に破壊している。どこかが崩れる時は、一度に襲ってくる。突き上げるような振動も何度かあった。その度に体のバランスをとりながら立ち止まったが、カイルだけは耐えきれず、腰をぶつけそうになったところを、そばにいるレッドに助けられたこともある。そして治まるとまた突っ走るということを繰り返しながら、とにかくこの宮殿から、いや、島から離れることだけを考えた。
行く手の三階の床、つまり今いる場所の天井は、罅が網目をめぐらすように広がっている。まだ崩れるまでには至っていないが、それも辛うじてだ。たった今通過してきた所の天井が抜けた時には、思わず足が止まりそうになった。
ある時、カイルは突然、心臓が止まったような顔をした。真上でとてつもない破壊音が聞こえたからだ。たちまち崩れたものと一緒に銅像が転がり落ちてきて、すぐ背後を突き抜けていった。罅割れた床では何の抵抗力もなく、まるで濡れた紙を突き破るかのように呆気なく底が抜けた。
「うわああっ!」
仰天してバランスを崩し、カイルも一緒に落ちそうになって腕を泳がせたところを、一瞬のうちにつかまれ、もの凄い力で引っ張り上げられた。
それはまたも、付き添うように隣を走っているレッドにだが、レッドはずっと前に目を向けたままで無言。その横顔は切迫感に追い詰められていて、いよいよ険しくなっていた。だが、カイルの手首をつかんだその手は、それからしばらく放れることはなかった。
下へ続く階段が見えた。一階が潰れてひしゃげてしまう前に、回廊と塔を結ぶあの渡り廊下へ抜け出さなくてはならない。だがその渡り廊下も、果たしてそれと呼べるもので残ってくれているかどうか・・・。
滑るような勢いで欄干伝いにニ、三段飛ばしで階段を駆けくだり、大きな亀裂ができている傷ついた大理石の広い廊下を突っ走った。そこらじゅうから、壁の漆喰や石の欠片が降ってくる。
やがて、見覚えのある広大な回廊に出た。だがそこは、見覚えがあるとは言い難い様相を呈していた。柱から天井を支える尖塔アーチの屋根には崩れている箇所があり、下で砕けて散乱している。神々の彫像をのせた円柱は、どれも足元が危うい感じだ。壁面の罅は無数に枝分かれして、命あるもののように伸び広がってゆく。
そしてとうとう、飾り円柱がぐらぐらと揺らぎだした。だが突進するしか道はない。すぐに次々と倒れてくるだろう。ここで辟易して足を止めたら、間違いなく巻き込まれて脱出は不可能になる。
「抜けるぞ!」
エミリオが怒鳴った。ふだんは穏やかな口調の紳士で、めったに大声など出さない男だ。
周りの迫力に負けじと、みな疲労に打ち勝って加速した。
この驚異的な現象の直中では、虫けら同然の存在でしかない。それでも、ここまで粘り強く生きながらえてきた。目的も果たした。あとはもう帰るだけだというのに、こんなところで呆気なく潰されて死ぬなど御免だ。
ついに、それら神々をのせた柱の数々が、大きく傾きだした。
ギルはヒヤリとして見上げた・・・きわどい。
「急げ !」
そして間一髪、倒壊する柱の真下をかいくぐった。全員、無事だ。そうして、ひとまず倒れてくるものが無い場所まで逃げきることができると、誰もが肩で息をしながら思わず振り返った。
その時。
壁に激突しながら倒れゆく円柱の数々が、ついさっき走り抜けてきた場所を完全にふさいで横たわった。
ここで初めて、背後の様相を目の当たりにした彼ら。その光景に唖然と立ちすくむ。
当時はさぞ褒め讃えられただろう一流の壁画も、倒れた柱にやられて無残に打ち砕かれていた。台風をまともに被った森のやわな木々のように、力無く転がった柱の数々。その破壊のさなかで、天窓のステンドグラスが散り散りに降り注ぐさまは妖麗だ・・・。
息を呑んだ・・・この宮殿は瓦礫と化す。
彼らは一面の残骸を見つめ、たたずんだ。
「行こう・・・。」
エミリオが静かに促した。




