妖女ネメレの異変
ネメレは見えないものに脅えていた。
〝また同じ過ちを繰り返すとは。〟
「お前は・・・。」
〝罪を重ねるか・・・。だが同情すべき諸事情により許しが得られた。しかし、このままでは行けぬ。その煮えたぎる憎悪を鎮めよ。〟
ネメレは憤然として立ち上がり、虚空に目をむいた。
「できるはずもない ! お前に何が分かる ! 愛しい夫を殺され、可愛い我が子を火炙りにされただけでなく、あの女は ! あの子はまだ産まれたばかりだった。成長を見ていたかった。幸せで平和だった日々の儚さが、悲しみの深さが、憎しみの強さが、恨みのほどが、お前に分かるのか !」
レッドやリューイの耳には、急に怒り狂った、だがどこか慄くようなネメレのわめき声だけが聞こえている。
「あの女・・・どうしたってんだ。」
再びカイルのそばに戻ってきたレッドが言った。ますます訳が分からない。
さらには、レッドとリューイがそうして玉座に目を向けていると、エミリオが急に体勢を崩して、膝を折ったのである。
レッドは驚いて駆け寄り、肩を貸した。
何があったのか、その場から動いてはいないはずのエミリオは、ひどく乱れた息をしている。
「どうした?」
うまく声が出せずにレッドを見ただけのエミリオは、反対の肩越しに振り向いて、そこで初めてカイルの様子を知った。
「カイル・・・。」
「気絶した。」
レッドに体を支えてもらいながら、エミリオもそんなカイルの近くまで歩いて行った。意識を失っているその体は、いくつもの小さな切り傷を負っている。エミリオは眉根を寄せて見下ろした。
「これも、あの女のせいなのか。」
リューイがつぶやいた。
ギルのそばにずっと付いていたエミリオには、そうは思えなかった。ネメレは、カイルを見てはいないようだった。
「ギルは。」
「まだだ。」
ハッと思い出して目を向けたエミリオに、レッドが答えた。
三人はそこで、まだ弓を構えたままでいるギルの背中を見つめた。ギルは傷だらけだったが、凄まじい覇気を放っている。
一方、ネメレは怒りに震えながら、まだ虚空に向かって怒鳴り散らしていた。
「この町は永遠に呪われ続けるのよ。何もかもあの王家一族のせい。憎い・・・王が、王妃が憎くてたまらない。」
〝許して・・・。〟
ネメレの頭上から、今度は懐かしい声がした。おだやかで繊細な、だがいつも悲しい響きを帯びていた・・・その声は・・・。
「その声は、姉さん。」
愕然とつぶやいたネメレは、その姿を求めて視線をさ迷わせた。
〝全ての始まりは、この私。私のせいで、あなたは恐ろしい力に取り憑かれてしまった・・・。でも気付いて。彼らは、あなたを助けに来た救世主。そう、この大陸の・・・。〟
「何を言っているの、姉さん・・・。」
〝私は、お前をやむなく封印した。だが今、再び悔い改める機会を与えられたというのに、この奇跡を無駄にするのか。強大な霊能力者であるお前に、なぜ彼らのもう一つの姿が見えない。〟
また、あの威厳あふれる落ち着いた男の声・・・。
「彼らの・・・もう一つの姿。」
虚空から視線を真正面に移して見えたものに、ネメレは凍りついた。




