美貌の紳士たち
エミリオは、もの珍しそうにきょろきょろしていた。そんな姿を目の前にしているギルは、笑いを堪えるのに必死になっていた。
早速、着替えと剣の手入れを済ませた二人は、そのあとヴェネッサの町のヴィックトゥーンという酒場の街区にやってきて、とある小料理店に落ち着いたところ。実際その店は、料亭というよりは酒場に近かった。料理の種類以上に酒類が豊富で、適当に配されている客席の間の通路は狭く、その一角は賭博場と化している。客はみなはばかりもなく笑い声を上げ、料理や酒やお喋りを存分に楽しんでいる。だが、感じよく活気に満ちた若者たちで賑わう、健全で清潔な飲み屋だった。
その陽気な笑い声に囲まれて、エミリオはひどく落ち着かなげなのである。
「挙動不審なお前って・・・もの凄く笑えるな。」
たまらずギルは言った。
エミリオは、複雑な表情を浮かべてギルを見た。
「そなた・・・君は、このような場所には慣れているのか。」
「まあ、だいたいこんな感じだったな。行きつけの店は。」
「行きつけ?」
「俺が夜遊びしてた場所。」
彼のこういう返答にも多少は慣れて、もはや呆れ返ることはなかったが、エミリオはそこで深く息を吸い込むと、目を閉じてゆっくりと吐き出した。
「居心地悪いか。」
「いや・・・ただ・・・緊張して。それに・・・。」
「どうすればいいのか、分からないだろう。」
「まったく・・・。」
「俺もそうだった。」と、ギルは答えて、テーブルの上のメニューを開いた。
「料理はこの中から選ぶんだ。もうすぐ可愛いウェイトレスがやってきてくれるから、その子に注文するだけでいい。」
「だが・・・何か分からない。」
エミリオはメニューとやらを見つめながら眉根を寄せる。
「じゃあ、きけばいい。」
「え・・・いかにして。」
「どうやって。」
ギルが言下に訂正する。
「どう・・・やって。」
「とりあえず、〝お勧めは〟ってきいてみろよ。ほら、来たぞ。」
すると間もなく、ギルが目を向けた先から、若くて気立てのよさそうなウェイトレスが一人メモを片手にやってきて、かちこちに緊張しているエミリオの横に立った。
「いらっしゃいませ。御注文はお決まりかしら。」
彼女は、にこにこと愛想のいい笑顔を振り撒きながら言った。
「あ、いや・・・その・・・。」
エミリオはあたふたしながら、ギルの顔をチラとうかがう。
ギルは、わずかに顎をしゃくってみせていた。
「・・・お勧めは。」
「今日は羊肉のモナヴィーク風と、チキンのイデュオン風、それにデュパウロ風海賊スープ。つまり、羊肉のバターソテーとチキンの香草焼きと、そして魚介のスープよ。」
エミリオはギルの顔をうかがう。
ギルは、さりげなく口に手を当てて向かいから声を出さずに助言し、それを受けて、エミリオは不承不承言葉を続けた。
「魚介のスープはどのような・・・どんなものかな。」
「海老とイカと貝のトマトスープよ。」
「じゃあ、スープは二つで、あとは一つずつ。」
流暢にそう注文をしたのは、ギルの方だ。
「羊肉、チキン、スープ二つ・・・と。」
ウェイトレスの彼女はにこりと応えてそうメモを取ると、続けて、「お飲み物は?」と、故意にかまたもエミリオに向かってきいた。
エミリオはギルの顔をうかがう・・・が、ギルが面白そうにニヤリとしたのを見ると、ため息混じりに彼女に向き直った。
「・・・お勧めは?」
「飲み物の?うーん・・そうね。じゃあ、どんなものがお好みかしら。」
エミリオはしまったと思った。これは難しいやりとりが必要になりそうだ・・・そう思い、彼は慌てて手で〝待った。〟の仕草をしてみせた。
「いや、済まない・・・今のは・・・取り消す。」
「は?」
「とりあえずビール二つで。」
見かねたギルが助け船を出した。
すると、呆気にとられた顔でエミリオを見つめていた彼女は、口に手を当てた。その下からは、くすくすと漏れる笑い声が。
「あなた・・・もしかして貴族様?だって、なんだかとても・・・ぎこちないから。」
「ちょっと照れ屋なんだ、こいつ。」
ギルは肩を竦めてみせる。
「まあそうなの。こんなに素敵なのに、もったいないわ。」
彼女はそう言ってエミリオの美貌に見惚れたあと、思い出したというようにまたメモを構えた。
「御注文は以上かしら。」
「あと一つ。」と、ギルは言った。「いい宿屋を。」
「宿?」
「ああ、君のように明るくて好感の持てる宿だ。あるかな。」
上手い言い回しで褒められて、彼女は機嫌よく微笑んだ。
「ええあるわよ、この近くにね。この店を出て右に真っ直ぐ行けば、待遇のいい旅館がたくさん並んでるわ。」
「ありがとう。君の対応は本当にいい印象を受ける。好感度は抜群だ。」
「ほんとにそう見える?実は相手によるのよ。」
彼女は愛嬌たっぷりにそう言った。
それにギルも満面の笑みをお返しした。
「じゃあ、あとの注文もよろしく。」
「かしこまりました。」
ギルと気持ちのよい会話を終えると、彼女は軽く会釈をして二人のもとを離れた。
一方エミリオは、二人が楽しそうに言葉を交わしているその間はきちんと意識していたものの、ここでふっと肩の力を抜いて、深々とため息をついた。参ったと言わんばかりの表情で。
そんなエミリオの向かいには、もはや遠慮ない笑い声を大いに上げているギルがいた。
「お前には剣でなく、こうやって攻めればいいわけか。これなら勝てそうだ。」
「ひどいな・・・。」
「だが、少しは感じが掴めただろう。俺は、何もいじめたわけじゃあないからな。」
「身がもたない・・・。」
「エミリオ、そう暗くならずに周りを見てみろよ。こんなに派手な笑い声に囲まれてるんだぞ、お前は。ほら見てみろ、彼らの姿をもっとよく。」
そう促されて、エミリオは俯いていた顔を上げた。
若者たちはみな楽しくて仕方がないという様子で大口を開けて笑い、好きなように食べ物にがつつき、酒を飲み干している。仲間同士で肩を叩き合い、身振り手振りを交えて忙しなく口を動かしている。やはり、眩しいほどの笑顔で。
エミリオはこんなふうに笑ったことも、笑う人を見たこともなかった。すると、強い生命力を感じさせるその生き生きとした姿に、エミリオは知らずと魅了された。彼はどうすればあのように笑えるのだろう・・・と考え、そして気付いた。そのために欠かせないものに。それは、一緒に笑い合える相手・・・親友。同じ時間、同じ感情を共有し合える友がいるからこそ得られる心の豊かさなのだと。
「みんな、ありのままの自分を全身で表現してる。俺は、彼らのこんな姿にたちまち魅せられた。そして、羨ましいと思った。これが生きてるとか、人間らしいって言うんだろうな。おかしい時は腹の底から思いきり笑い、悲しい時は思う存分涙を流す。それを誰かと分かち合えるって素晴らしくないか。喜びも悲しみも分かち合える友がいるって。俺はそんな相棒が欲しくて、あえてお前を誘ったんだ。俺たちにしか分かり合えないこともあるだろう?だから、それをこの先もずっと覚えておいてくれ。」
「・・・ギル。」
初めてそう呼んでくれたエミリオに、ギルはそこで何も言わずに自然な感じを努めた。そして同時に、さすがに呑み込みが早いな・・・と、感心した。本人は気付いてはいないかもしれないが、声の調子といい、テンポといい、エミリオの話し方はずいぶんいい感じになっている。ウェイトレスの彼女が堅苦しくない対応をしてくれたおかげで、エミリオに気軽で軽快な言葉のやりとりというものを聞かせてやることができた。それも思惑通り効果的だったのだろうと思い、ギルはわざと会話を長引かせた甲斐があったと笑みを零した。
一方カウンターのそばでは、そんなギルとエミリオの姿に、二人の女性店員が釘付けになっていた。
「あそこの今日初めて来たお二人、すごく素敵だわ。」
先ほど彼らの注文を受けたウェイトレスが、ため息混じりに言った。
「ほんとね。特にあの右の方、なんて綺麗な顔立ちなのかしら。うっとりしちゃう。」と、もう一人がエミリオを指差した。
「でも、照れ屋さんなんですって。母性本能をくすぐられちゃったけど、私にはお友達の方が魅力的かな。」
「悪いがお嬢さん方、いい加減、お客様に見惚れるのはそのくらいにしてくれないかい。仕事がおろそかになっちまってるぞ。そら、出来上がったから、あの殿方たちに持って行ってやりな。」
彼女たちのお喋りをずっとそばで聞きながら調理していた店主が、出来上がった料理をカウンターに並べながら注意した。
かなり白髪混じりの灰色の髪に、小太りのふくよかなその男は、だいたいお得意ばかりが集まるというこの店の客の間で〝おやじ〟または〝ニック〟と気軽に名前で呼ばれている。
「あ、私行きまーす。」
「ずるーい、さっきも行ったじゃない。」
「早いもの勝ちよ。」
「やれやれ・・・。」
仕事中だというのに・・・。ニックは大きく肩を掬った。
不意に、出入口の木のドアが鈍い音をたて、客が入ってきたことを知らせるための鐘が鳴った。