居酒屋で・・・
三人は、石ころだらけの曲がりくねった下り坂をたどっていた。軒を連ねる居酒屋らしき建物から漏れる明かりが、この丘の麓に見える。
「シャナイアはその・・・異性との関係っていうか、経験は豊富な方なのか。言い寄る男はごまんといるだろうが。」
やぶから棒にギルが言いだした。
思わぬ質問に、レッドは覗き込むような視線を返した。
「そういう話はしたことはないが、どんな男も、あいつの本性を知った途端に興ざめするだろう・・・何かされたか。」
「何かしたか・・・と、きくとこだろう。」と、ギルは呆れた。
「いや、あいつのことだ。あんたの方が危険だ。」
この瞬間、レッドは過去を思い出していた。なんせ、あいつは、相性が悪そうな年下の俺でも誘ってきた女・・・あの時は酔っぱらっていたが。※
ギルは呆れ果てた。
「彼女は、お前が思っているほど男まさりじゃないよ。」
坂を下りきると、そこは昼間とはうって変わって荒々しい喧噪に包まれていた。浮かれ騒ぐ男たちの奇声が渦巻いている。ここは山賊やごろつきの溜まり場だ。帝都アルバドルの感じのよい居酒屋に馴染みのあるギルは、この不潔たらしさに少々面食らい、この町の本来あるべき姿と比べて驚いたリューイが目を丸くしたが、レッドにとっては何てことのない見慣れた光景である。
三人は、そう寛いでもいられないことをしっかりと肝に銘じて、さっさと店を決めてしまうと、その軒先の短い階段を上がっていった。そこは宿屋も兼ねており、二階にある飲み屋から、辺りをはばからない大声や粗野な笑い声が漏れてくる。
ギシギシと軋む木の階段を上り、開けっ放しの黴臭いドアをくぐると、たちまちムッとする熱気に取り巻かれた。さらに中へ進むと、脂ぎった顔の男たちの汗臭い体臭を強烈に浴びることになり、ギルとリューイは、最初立ち眩みを起こしそうになったほど。
ウェイトレスがおらず、セルフサービスのその店でレッドが酒を注文しにカウンターの方へ行ってしまったので、あとに残された、見た目こんな場所には似合わない顔の二人は、急に周りから浮いてしまった。どうしたってギルは皇族の気品がたたずまいに表れているし、そのうえ稀な青紫色の瞳がとりわけ人目を引く。金髪碧眼のリューイも、外見だけを言えば品のある端整な容貌だ。
「よお、綺麗な兄ちゃん。」
空いている席を探している途中、鬚を生やした渋い男に、早速ギルは呼び止められた。
正直、ギルは滅入った。皇城を出てからというもの、こういう声の掛けられ方をよくするようになったので、たぶん自分のこと・・・。
「女を口説きにきたなら、場所、間違えてるぜ。」と、その男はやはり、しっかりと目を合わせて言ってきた。「ここで口説けるのは酒だけだ。」
ギルは物怖じ一つせず、それどころか笑顔を浮かべた。そして、真っ直ぐに相手の目を見て調子を合わせた。
「それは残念。じゃあ、綺麗な男で我慢するか。」
そう言ってギルはリューイの肩を抱こうとしたが、その姿が忽然と消えている。
髭の男はかっかと笑った。
「顔に似合わず面白いことを言う。」
「ほら。愛しいお方は、あそこで腕相撲なんぞなすってるぜ。」
男と同じテーブルを囲む仲間の一人が、そちらを指差して教えてくれた。
見ると本当に、でっぷり太った男のむっくりした手を、リューイはがっちりと握り締めている。相手の男だけが顔を真っ赤にし、リューイはというと余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》である。
「四人目だ、驚いたね。」
また別の男が言い、鶏のモモ肉にかじりついた。
「兄ちゃん気をつけな。あいつらはまだいいが、気性の荒い奴がごろごろ居るからな。怪我するぜ。」
髭の男はそう忠告しながら、使っていないグラスに焼酎を満たして差し出した。
ギルは二つの意味で礼を言い、それを受け取った。
六人全てを負かしたリューイは、酒や食べ物を機嫌よく勧めてくるその連中の誘いを断りながら、逃げるようにして戻ってきた。どういう経緯でかは謎だが、運良く気に入られたようだ。ギルはホッと胸を撫で下ろした。慣れない喧嘩沙汰は御免だ・・・。
「あ、いたいた。」
そこへ、注文をしに離れていたレッドも、見失ったギルとリューイを見つけて戻ってきた。ビールを満たしたジョッキを三つ持っている。
ところが、ギルに向けられていたレッドの視線が不意にズレたかと思うと、さらにその目はみるみる大きく開かれていく。
髭の男がいきなり立ち上がった。
「レッド!」
「ライデル、やっぱりだ!」
卓上にジョッキを置いたレッドは、男たちにこつかれての少々荒っぽい歓迎を受けた。
「そうか、おめえの連れか。じゃあ傭兵だな。そのわりには、そっちの兄ちゃんには剣が見当たらんが。」
ライデルと呼ばれた髭の男は、そう言ってリューイの腰の辺りに目を凝らした。
「外れ。二人とも違う。」と、レッド。
「あんたは山賊だろう。」
男が、それでは何なのかと尋ねる前に、ギルが逆に言い当ててみせた。
「その通り。」ライデルはにやりと笑った。「兄ちゃん、こいつを見ちまったな。」
そう言って、ライデルがテーブルの下から拾い上げたものは、反り返った刃物。ならず者にはつきものの武器だ。
「おっと、ぶっそうな想像しないでくれよ。俺たちゃ無闇に殺生はしねえ。ただ、ちょっと貴族様からおこぼれを頂戴するだけさ。兄ちゃんみたいな綺麗な顔したな。」
「血祭りにあげたならず者なら数知れず。」
レッドが皮肉たっぷりに言った。
「どうせ救いようのない悪党ばかりさ、罰はあたらねえよ。ま、俺たちだってろくな死に方はできんだろうが。」
ライデルは残り少ないボトルに直接口を付け、がぶがぶと飲み干した。
「なんで山賊なんかと知り合いなんだ。」
リューイが問うた。体よく言葉を使いこなせないだけで、悪気は無い。
「俺たち無くしては、こいつは語れないぜ。なあ息子よ。」
ライデルは、レッドの頬を愛しげに撫でさすった。
レッドは邪険にその手を払いのける。
「俺もういい歳なんだぜ。」
すると、ライデルの抜け目ない瞳に優しい煌きが宿った。
「俺たちにとっちゃあ、いつまで経っても十四のままだよ。」
「お前のおやじさんは山賊だったのか。」
リューイがびっくりして言った。
「実の父親を呼び捨てる奴がどこにいる。」
相変わらず何事も率直に受け止めるリューイに、ギルはやれやれという顔。
レッドは苦笑を浮かべた。
「ガキの頃に親と生き別れてな・・・。それから十四になるまで、このライデル一味に育てられたんだ。おかげで罪人という過去を引きずってる。」
「おかげで強く逞しくなった、だろう。お前に盗みをさせた覚えはない。」そのあとライデルは、首を伸ばしてきょろきょろと周囲を見回した。「ところでテリーはどうした。一緒なんだろう?」
急に弱々しくなったレッドの瞳に、暗い影が落ちた・・・。
「テリーは・・・死んだ。」
ライデルとその仲間たちは、仰天した。
レッドのその声はとても聞き取りがたく、か細かったが、それが耳に入ったとたん、周りの豪快な笑い声も、野次も罵声も消え失せた。
※ 参照 『アルタクティスzero』― 外伝3「レトラビアの傭兵」 9. 恋慕