ギルベルト皇子
ベッドに腰かけているリューイは、うなだれて窓の外ばかり眺めているレッドを、ずっと黙って見つめていた。ききたいことがあったが、その様子がおかしいことを見て取り、声をかけ損ねていたのである。
やがてリューイは、そんなレッドの背中に向かって、そっと言った。
「なあ・・・ここに来てからずっと思ってたんだけど。」
肩越しにレッドが目を向けると、リューイはベッドを叩きながら不思議そうな顔をしている。
「一つしかないぜ。」
主人からは〝二人部屋ばかりになりますが。〟と聞いていたので、寝台が二つ無いのはなぜかを理解できないようだ。
向き直ったレッドは、胸の前で腕を組んだ。窓際の壁にもたれかかり、眉根を寄せて、ため息をつく。
「見れば分かる。ほかの奴らのところも一つだろうな。」
「なんで。」
「わざとしてんだよ・・・たぶん。」
「・・・なんで?」
レッドは、ここへ来て、最初に主人がこんなことを言っていたのを覚えていた。
「この町の景観やリトレア湖の美しさは方々で知られていまして、観光地としても人気があるんですよ。おかげで、お客の多くは恋人同士や新婚さんです。」
リューイはとても興味津々そうだったが、その説明を平然とはできないと感じたレッドは、「お前がそれを使え。俺は適当に転がってるから。」と、結局きかれたことには答えてやらずに、話を逸らした。
「なんで。寝れないこともないじゃないか。」
リューイはベッドに足を上げると、右半分を空けて横になった。
「ほらレッド、大丈夫だって。一緒に寝ような。」
なんとも自然に飛び出たセリフに、レッドは手のひらで顔を覆う。
「恥ずかし気もなく、お前は・・・。」
「だってお前、さっきからボーッとして疲れてそうだし。」
部屋の大部分を占めているベッドは、ひと目で腕のいい職人が作ったと分かるもので、弾力性の高いマットが敷かれている。飛び跳ねると面白いように体がバウンドするので、おかげでリューイは、そのうちベッドの上で尻もちを付いたり、ダイブして遊びだしてしまった。
「いいよ、疲れてない。おい、下に響くからやめろ。管理人の奥さんに叱られるぞ。」
「ほら、ちょっとやってみろって。面白いぞ。」
「やるかっ。子供じゃないんだぞっ。叱られたら恥ずかしいからやめてくれ。」
「ここに二人で並んだら、俺たち兄弟みたいだなあ。」
レッドはやれやれと、また長いため息をついた。この精神年齢一桁の無邪気、怒る気も無くなってしまう。そんなリューイをおとなしくさせるため、ギルが迎えにくるまで、レッドは仕方なく横になりに行った。まあ、草原で仲良く寝転がっていると思えば・・・。
この時、時刻は午後十一時に近づく頃。
ところが、そろそろだというのに、野宿に慣れているリューイの体は、ベッドの上だと心地良すぎて、すぐに眠気がさし始めた。
「なあ、リューイ。」
不意に呼びかけられて、目を閉じそうになっていたリューイはパッと瞼を上げた。
「なに・・・。」
「エミリオについては何となく理解もできるが、ギルは・・・自分勝手に出てきたような気がしないか。」
リューイが目を向けてきたと分かると、レッドは天井を見つめたままでそう言った。
「家を?」
「皇宮をだ。国を。これって大変なことだぞ。」
「・・・なんで?」
「あいつは帝位を継ぐ立場にあるはずなんだぞ。俺たちがあの二人を受け入れることは割り切れても、皇室や側近、そのあたりの権力者の方は、皇太子の失踪を割り切って認められるわけないだろう。帝位継承者が失踪なんてしたら・・・。」
リューイは体を横にした。
「レッド、悪いけど・・・言葉がよく分からない。」
レッドも体の向きを変え、リューイと向かい合う。
「だからだな、お父さんの仕事を継がなきゃならない息子が家出なんてしたら・・・って、ギルの場合は諸国家の問題にもなるんだぞっ。」
「そういえば・・・じいさんも、弟子は俺だけだって言ってたな。」
「いや、継承権には普通、優先順位がある。だからギルも、何の配慮もなく出て来たとは思わないが、勝手にケリをつけてきたんじゃあ・・・って気がするんだ。なんせ、ギルベルト皇子といえば帝国の英雄、その将来への期待は絶大なものだった。いなくなったからって、そう簡単に諦められるはずもない。じゃあ、家の人たちはどうすると思う。」
「探し回るだろうな。」
「だろ? もしそうなら、上層部の奴らは、事実を隠しながらも大騒ぎしてるはずだ。」
「お前・・・さあ、家の人が心配してるからって、帰るように説得でもするつもりか。」
「いやだが、やっぱりこのままで済むはずが・・・。」
すぐ目の前にあるレッドの辛気臭い顔に、リューイの方は次第にしかめっ面になる。
「なあレッド、あいつを信じてればいいんじゃないか? つまりギルベルト皇子って、たいした男なんだろ? じゃあ、何かいろいろと問題があるみたいだけど、あいつはちゃんと考えてるって。とにかく俺たちといるあいだは、ギルはギル。エミリオはエミリオだよ。それに、もうほかに問題なんて無いんじゃなかったっけ?」
言われて、レッドに返す言葉はなかった。
「・・・そうだったな。」
その時、今のレッドとリューイ ―― ベッドに仲良く並んでいる ―― にとって足元にあるドアが音をたてずにそっと開いた。
二人は一緒に目を向ける。
半ば驚き、半ば愉快そうな顔のギル(―ベルト皇子)がそこにいた。
「水を差すようで悪いが、お楽しみの続きはあとにしてくれないか。」