気になる関係
「有り得ないと言えば・・・どうしてエミリオと一緒だったの?ヘルクトロイの戦いのことは、噂で聞いたわ。なのに、あんなに仲良さそうに一緒にいたのは、どういうわけなの。」
「仲良さそうに見えた? あいつは未だに心を開いてくれないよ。俺の方が一方的に馴れ馴れしくしてるだけさ。」
「彼のような物静かすぎる人には、あなたくらい馴れ馴れしい人がついて、ちょうどいいのよ。」
シャナイアは、女性の扱いに手馴れていそうな彼に皮肉を込めて言ったが、ギルの方は声をたてて笑った。
「あいつとは、旅路でたまたま出会ったんだ。カイルが言うには、運命の出会いってヤツらしいけどな。もっとも、一度その戦争で顔を合わせているわけだが。それどころか、本気で殺し合いをした仲だ。だから、俺が一緒に旅をしようって誘った時は、ひどく困惑していたよ。だが、俺は互いに互いが必要だと思った。俺は本物の親友が欲しかったし、あいつとなら、そうなれるような気がした。喜びも悲しみも分かち合える存在に憧れていた。けど・・・あいつの心の傷は、思った以上に深そうだ。」
声のトーンが落ちていくギルを見つめながら、シャナイアも顔を曇らせた。
ギルには、エミリオにはまだ何かあるような気がした。毎晩のように、あいつをあんなふうに苦しめる、もっと根深い何かが・・・。
ギルは、エミリオの思い悩む姿を密かに何度か見ているが、その中で、エミリオが悲痛に顔をしかめたのを、一度目にしたことがあった。あの表情には、ギルにも覚えがある。衝撃的な出来事を思い出した時だ。それは自分の過失や、自分がしたことによって、人を不幸にしたり、死に追いやった時。それが鮮烈に目に浮かんだ瞬間、耐え切れずにハッと息を呑み込み、目をつむる。
この時、また自分のそんな過去を思い出したギルは、どっと襲ってくる やるせなさで、黙り込んだ。
しんみりしてしまった空気を察して、シャナイアはギルにほほ笑みかけた。そして空になったグラスを振ってみせながら、「ねえ、もう一杯いただいてもいいかしら。」と、愛嬌たっぷりに言った。
ギルは顔を上げ、シャナイアを見て頬をゆるめた。
「加減しろよ。俺に襲われないように。」
「ほんとに皇子様らしくないわね。面白い人・・・いたっ⁉」
いきなりシャナイアが悲鳴をあげた。ギルの方を向きながら手を伸ばしたせいで、うっかりボトルの鋭い飾りを握ってしまったようだ。
「切ったのか ⁉ ごめん、俺がつまらない冗談 ―― 。」
「違うわ、私が ―― 。」
シャナイアが言っている間に腰を上げていたギルは、気付いた時にはシャナイアの手首を引っつかんで、血が滴る人差し指をくわえていた。
「あ・・・ごめん、つい・・・。」
あわててハンカチを取ったギルは、それで傷口を押さえ直した。だが次の瞬間、胸をぐっと縛りつけられた気がして、呆然とした。急に何も聞こえなくなった。早くなる胸の鼓動だけが聞こえた。
シャナイアの眼差しは見つめていた。それが今、目が合ったとたん食い入るように飛び込んできたのだ。とりわけ、その瞳が素敵だった。目尻の長いまつげがひときわ目立つ、大きくて凛とした綺麗な瞳。それに、ワンピースのナイティに強調される凹凸のはっきりした体の滑らかな線。豊満な胸元。色っぽい首筋。もともと戦士であるせいだろう、やや筋肉質な体躯でも、先ほど実感したそのくびれた腰など、いきなり抱きすくめたら折れてしまいそうにか弱く思えた。何よりも、この誘い込むような表情。理性など簡単に吹き飛ばされそうになる。現に、まずい・・・と気付いた時には、すでに釘づけだった。それでも紳士でいられるよう、どんなセリフでこの場をしのげばいいのかなど全く頭が回らなくなり、それどころかもう半分無意識に動いた左手が、彼女の腰に絡みついて、そのままさりげなく引き寄せようとしていた。
実際、先に夢見心地になってしまったシャナイアもまた、流されるままに身を委ねた。
するとギルの視線は、今度はその唇にいった。形もよく綺麗で柔らかそうな唇。たちまち味わいたいという衝動に駆られる。意識は完全にあやふやだ。
さらに困ったことに、シャナイアはゆっくりと瞳を閉じて・・・いや、ダメだ落ち着け!
唇が触れ合うかという際どいところで、奇跡的に思い出して、ギルは中断することができた。危ないところだった。彼女とこのまま唇を重ね合ったら、お次はそのしなやかな躰を抱きかかえ、どこへ運んで行って何をしでかすことか。もしそうでもなれば、歯止めが利きそうにないと思った。
ギルは理性を呼び戻して顔を上げ、シャナイアの額に軽くキスをした。それから、瞳を開けて顔を赤らめている彼女を見つめて、笑みを浮かべた。
「早く傷が治るように。ちゃんと眠っておかないと・・・。さあ、もう部屋へお帰り、綺麗なお嬢さん。そこのドアからね。」
そう言って、ギルは部屋の出入り口を指差してみせる。
シャナイアも、はにかむようにほほ笑み返した。
「分かったわ、ハンサムなお兄さん。今夜はおとなしく戻ります。お邪魔しました。」
シャナイアは可愛らしくぺこりと頭を下げて、ドアへ向かった。そしてノブを引き開けると、そこで振り返って微笑した。
「おやすみなさい。」
「ああ・・・おやすみ。」
ギルは、静かにドアを閉めて部屋を離れて行くシャナイアの足音を、頬に笑みを残したまま追っていた。が、次第に妙な脱力感に襲われて、ストンとベッドに腰を落とした。
そして、いよいよ呆然とした。こんなの初めてだ・・・と。
「俺・・・さっき・・・自分から・・・。」
これまで義務的に、高貴な淑女たちの相手をしてきたギルベルト。しかし、皇太子としての全てをかなぐり捨ててきた今は、何を気にしなくてもいい。それなのに、さっきは衝動的にシャナイアの腰を抱き、頬に触れ、自分の方から誘っていた。そして、先ほど思わず考えた・・・彼女とそういう関係になる・・・ことを想像して、息を呑み込んだ。体が変にざわめいた。
ギルは深呼吸をし、そして結局は、「今夜は暇も無いしな。」と、そんな自分のよく分からない気持ちを茶化して整理をつけ、立ち上がった。そうだ、これから予定があった。
一方、狭い廊下をのろのろと歩いて戻りながら、シャナイアはふと窓の外に目を向けた。
雲に覆われていて星の見えない夜空のもと、強風に煽られている木々の枝が不安定に揺れ動いている。
シャナイアは立ち止まって、窓辺に歩み寄った。
「やだもう・・・どうしよう・・・。」
窓辺に頬杖をついたシャナイアは、切ない声でつぶやいて、ため息をついた。