風に・・・
フィアラの遺体はきちんと棺に収められ、リサの村人たちの手によって手厚く埋葬された。シオンの森の、彼女が大好きな場所が見下ろせる丘の上に。その場の葬儀では多くの者が涙を流し、誰もがとんだ勘違いをして助けてあげられなかったことを謝罪しながら、黙祷を捧げた。
そしてそのあと、一行は急な旅立ちを告げることになった。夕方には身支度を整えて、荷台に馬をつないだ。ここへ来た時と同じ、彼らの馬車だ。
別れの時間になると、リサの村人はみな一行を見送るために集まった。そのうえ旅人たちのために、長旅に適した食料から灯火に必要なものまで、じゅうぶんな用意をしてくれていた。
一行はそれぞれ、ここで親しくなった者と名残惜しげに挨拶を交わし、村長と指導者のクレイグとは握手をして別れた。去り際には、そろって手を振り続けてくれる村人たちに応えて、御者台に座ったギルとエミリオ以外の者は、その姿が見えなくなくまで手を振り返した。
そうして一行が旅立った、ちょうどその頃。シオンの森街道を、郷愁の念にかられながら歩く男が一人。
男は丘の上を通りかかって、ふと足を止めた。
まだ色鮮やかな花束と、果物が一つ供えられてある土饅頭がある。
道を外れてその墓の前に立った男は、帽子を胸に当てて会釈をした。
不意に、柔らかい風が吹いた。
しばらくのあいだ、男は自然と身を委ねていた。頬を撫でられるような心地よさに、思わず。
残念ながら、特別な祭事の日に間に合わなかったその男は、やっと道に戻ると、もうすぐたどり着く故郷へと再び足を向けた。
夕陽が赤く大きくなって、西の空に輝いていた。
一行は、今はシオンの森の中にいた。高くなったところに馬を停めていた。カイルだけが馬車を離れて、その丘の頂に立っている。眼下には、フィアラと過ごした森の沼。そして目の前には、花と桃の実が手向けられた土饅頭がある。
エール川に沿って、馬車を東へ走らせている時だった。ずっと森の方を見つめていたカイルが突然、「待って!」と叫んだのだ。
長くそこにそうしているカイルを、仲間たちは、馬車を降りたところで見守っていた。その後ろ姿には、いつまでも悩み苦しんでいた時の弱さや悲しみは無く、喪失感や無力感に打ちひしがれていることもなかった。
「あいつ・・・少しもためらわなかったな。」
レッドが重々しく呟いた。
リューイがどういうことかと目を向けると、エミリオがそれに答えた。
「今はまだ逝かせたくないと、必死だったからね。血を吐いた口に人工呼吸を行えば、感染するかもしれないことを承知で、あの潔さは立派だった。治療法を心得ているとはいえ・・・。」
「ああっ、そうかっ。あいつ大丈夫なのかっ。」
「何かうってたよ。抗菌薬じゃないか。あいつの能力は、感染したかどうかまで、すぐに分かるみたいだな。」と、ギル。
「たいした医者だよ。」
レッドが腕を組んで言った。
カイルが速やかに行った救命処置は、医師としての絶対の自信と、何より、まだ生きられる命を救いたいという、強い思いがあったからこそ。
すると、その時。
シャナイアの驚いたような声が聞こえた。なぜかは、それと同時に理解できた。夕焼けで今は赤みを帯びた亜麻色の長い髪が、ふわふわと波打ちながら優雅にそよいでいる。
「なんて・・・優しい風。」
うっとりとそう呟いたシャナイアは、顔をそびやかして目を閉じた。
自然とエミリオもそうしていた。
ギルもレッドも、そしてリューイも。
その時起こったのは、これからぐんぐん気温が下がりゆく夜の前触れではなく、まるで春の、あるいは秋の訪れに吹くような、穏やかで、切なく、すうっと心に沁みてくる風。
カイルはもう墓標を見てはおらず、赤く染まった綺麗な空を見上げていた。自身はまだ少し無念さが残る痛みの中にあっても、密かに彼女を満たした真の幸せと安らぎ、孤独と苦痛からの解放、そして、悲願が成就したと一途に思う者の喜びは、全てが一つとなって感じられた。
「フィアラ・・・これで良かったんだよね。だって、今はパパとママも一緒だろ? それに、明日からはたくさん人が来るよ。綺麗な花を持って、君に会いに来るんだ。大丈夫、きっと仲良くなれるよ。みんな本当にいい人たちだ。」
カイルは少し黙って、柔らかいその風を受けた。
「嬉しそうだね、フィアラ・・・願いが叶って。それじゃあ、僕は行くよ。ようやく・・・とうとう旅立つんだ。あの村から・・・そして・・・この森からも。お別れだね。」
自由でのびやかな風が、花と緑の丘を喜び勇んで駆け抜けてゆく。
カイルは一人ほほ笑み、夕陽に映える沼に背中を向けた。
バイバイ・・・フィアラ。
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