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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第5章 風になった少女 〈 Ⅱ〉
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君がいたから



「ダメだ、っちゃダメだよっ。」


 カイルは立ち上がり、フィアラを追いかけて沼に沿って走った。見ている方には、その姿はたまらなかった。たまらなくつらくて、とうとう見ていられなくなった。だがエミリオは、今度は目を伏せなかった。ただ、エミリオはカイルではなく彼女を見ていた。彼女の魂を見ていた。


 エミリオはハッとした。少女の魂が、沼の上を漂い流れて行くからだ。やはり気付いた時には、カイルはもう沼に足をけている。


「カイル、止めるんだ!」


 エミリオはあわてて駆け出した。追いついてカイルの片腕に触れた時には、ひざの上まで水があった。


「嫌だ、嫌だよ、戻って。」


 カイルはエミリオの手をこばんだはずみで膝を折ったが、水の中からすぐに立ち上がって、どこまでも追いかけようとした。正気の沙汰ではなかった。それが、どれほどむなしく無意味な行為であるかを知っているのは、誰よりも彼であるはずだ。


 エミリオは、後ろからやっとカイルの両腕を取り押さえた。


「フィアラ、フィアラアッ!」


 カイルは強引ごういんに止めようとするエミリオの腕から、身をもぎ放そうともだえた。狂おしくもがいた。だが、かなわなかった。エミリオの腕が腰と胸の前に回り、もう一歩も身動きがとれないようにされた時、どんな言葉も言い及ばぬ途方とほうも無い無力感が、どっと押し寄せた。思い知った・・・。ああ、なんて無能なことか。何もかもだ。えきれなかった。


「独りで逝かないでええっ!」


 カイルは天に向かってえた。


「カイル!」


 エミリオは無理やりカイルを振り向かせ、正面から抱きすくめた。とたんに直面したその怒涛どとうの海のような悲しみは、圧倒的な威力で覆いかぶさってきて、エミリオはとても受け止めきれずに、心がくだけそうになった。


「もう・・・止めてくれ。」


 カイルはエミリオの胸にしがみついて、大きく肩を揺らしていた。その手はやり切れなさと衝撃で引き攣っていた。


 この少年は、かつてない悲しみの深みにはまって、途方に暮れている。そう思い、エミリオはただ黙って、カイルを抱きしめてやっていた。あるいは支えてやっていた。強く、強く・・・。そうでもしていなければ、この少年は今にもこわれてしまいそうだ。


 エミリオはふと顔を上げ、少女が天高く小さくなって、空の青に飲み込まれるのを見た。彼女はあまりにも呆気なく、軽やかに風の中に溶け込んでいった。彼女は、最後まで幸せそうに笑っていた。カイルが泣き叫んだのを見ても、「悲しまないで。」と言いながらほほ笑んだのだ。


 エミリオの白いシャツの胸の部分が、血で汚れていた。それがカイルの滂沱ぼうだたる涙でにじんでいる。それでもエミリオは、自分の胸に押しつけるようにして、カイルの頭をいつまでも抱いてやっていた。


 シャナイアはフィアラの遺体のそばに座って、その少女の死に顔を切ない瞳で見下ろしていた。ギルとレッドは、沼の中にいる二人を見守りながら、締めつけられる胸の痛みにえていた。


 だが、ふと気付いた。同じように肩を並べてたたずんでいるリューイの双眸そうぼうから、涙がボタボタとこぼれ落ちているのである。だがリューイは、自分が泣いているのを知らないかのように両腕を下ろしたまま、ただじっとエミリオとカイルを見つめている。


 やがてカイルは、深い喪失そうしつ感の冷めやらぬ声で、言った。

「助けられたのに・・・まだ生きられたのに、フィアラがそれを望まなかった。死を望んだ。」


 何度も息をしゃくり上げながら、カイルはやり場のない無念を我慢できずに吐き出していた。


「村へ行って、たくさん友達を作って、残された人生をみんなに見守られて幸せに暮らして・・・それから風になったっていいじゃないか! どうしてそんなに死に急ぐの!」


「カイル・・・。」

 エミリオは、いよいよ力を込めねばならなくなった。


 のどがからんで、カイルは一度ごくりと息を飲み込んだ。

「何もしてあげられなかった・・・救えなかった・・・命も心も。最後まで独りで・・・。」


「独りじゃ無かったさ、あの子は。」


 エミリオはやっと言った。


「彼女・・・笑っていたろう? 最後まで嬉しそうに笑っていた。そこに寂しさや悲しみは無かった。愛情に包まれて、幸せの中で満足して逝くことができたんだ・・・君がいたから。」


 エミリオはカイルの頭を抱いているそのまま、耳元で優しくささやく。


「君は、あの子をちゃんと治した。」








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