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【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第5章 風になった少女 〈 Ⅱ〉
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ありがとう



 人間である私は、今果てようとしている。これからは、その時、その瞬間を生きていく。一人寂しく泣いていた夜の記憶や、辛い思い出の数々が、過去が無くなる。これでいい。涙も、みにくあざも、苦痛も無くなる。


 これでいい・・・。


 ところが、違う意志の力がフィアラに行ってはいけないという。フィアラはこのまま消えてしまいたいのに、それがまた残念で、しいことだと思わせる強い力が。


 ああ、あの人だわ。彼が呼んでいる。構わないでって言ってるのに・・・。ダメよ、行かせて。引き止めないで。お願いだから・・・。


 フィアラは唇に温もりを感じることができた時、そこに父と母がいると思った。おやすみの時はひたいに、おはようの時はほおに、決まってキスをしてくれた父と母・・・。


 フィアラがかすかに、非常に弱々しいが、あえいだのがカイルには分かった。


 息をふき返した。


「よかった、もち直した。」


 カイルは、フィアラの脈や体をあらためて、一命をとりとめたと確信できるようになると、額の汗を拭いながらホッと胸をで下ろした。


「カイル・・・。」


 あえぎ喘ぎ、フィアラは彼の名を口にした。


「喋っちゃダメだ。もう少し安静にして。」


「私に・・・キスを?」


 その声はひどくかすれていて、言葉にはならなかった。


 カイルはにこりとほほ笑んだ。


「もう大丈夫。きっとよくなるよ。朝食、食べてくれたんだね。今日は、皆と一緒に食べて欲しくて誘いに来たんだ。ほら、見て。皆いるのが分かる?君に紹介したかった僕の仲間たちが、今ここにいるんだ。村の人にも君のことを話したよ。今、君を迎える準備をしてくれてる。みんなが君を待ってる。だから、僕たちと一緒に村へ行こうよ。焼きたてのパンがすごく美味しいんだ。」


 フィアラもうっすらとほほ笑んだ。それを見ると、カイルはますます自信がついて嬉しくなり、上手く伝えられるような気になった。これまで試みた中で一番上手に話せると思ったし、事実そうだった。カイルはこの時、最もいい表情で、最も多くを語ったのだ。


「いい人ばかりだし、とてもいい所だよ。大きな牧場があってさ、牛や馬がたくさんいるんだ。食べ物は何でも新鮮で美味しいし、それできちんと食事をして、栄養をとって、ふかふかのベッドに横になるんだ。君に教えることが、たくさんある。だから僕、また会いに来るよ。約束する。度々会いに来るから、だからお願い・・・生きて。」


「カイル・・・ありがとう。」


 フィアラの唇が動いて、何を言ったのかが分かった。それでカイルは一瞬言葉を切ったが、フィアラは楽そうにしていたし、呼吸も落ち着いていたので言葉を続けた。


「昨日はお祭りだったんだ。僕たちはよそ者だけど ――」


 フィアラはそろそろと手を伸ばして、血で汚れているカイルのほおに触れた。フィアラはそよ風のように切ない笑みを、蒼白な顔に力無く乗せた。それは喜びに輝いていたが・・・何かがおかしかった。


「ありがとう・・・。」


 フィアラはもう一度言った。


 カイルは、不意に絶望に気付いた。


 さようなら。


 そう言われた気がした。


「フィアラ?」


 エミリオは、悲しみに目を伏せた。

 ギルも唇をんで顔を背けている。


 二人は、少女が最初に「ありがとう。」と言ったその時点で、その意味をサッと理解していた。彼女にその気があるなら、「ありがとう。」そう返す前にうなずくはず。だが、違った。彼女は「うん。」とうなずく代わりに、あらたまって「カイル・・・。」と、呼びかけたのである。もう止めようがない・・・そう誰よりも早く二人はさとったのだった。


 ほどなく、フィアラは目を閉じた。それから意識が、呼吸が刹那せつなに消えていく。それは驚くほど静かで、あまりにもすみやかに、すうっと・・・消えていく命。何もできないうちに。


「死んじゃダメだ、君はまだ ―― 。」


 カイルには信じられなかった。生死に関する確信で、外れたことなど無かったのだ。


「待って、かないで。」


 カイルの視線がフィアラの顔から虚空こくうに飛んだ。それはカイルとエミリオにしか見ることのできないものだが、ほかの者もそれが何を意味するかは知っている。 








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