濡れ衣 ―― 森の妖女のしわざ
その時、クレイグの視線がレッドの顔に飛んだ。
「傷は軽いのか。」
話からして、一瞬のうちにいきなり襲われたのだろうが、よくよく考えてみると、それで傍目にもケロリとしているのは、おかしいではないか。先ほどから、彼は自由自在に両腕を動かすこともできていたし、今は、その左腕一つで、楽に少女を抱えたまま立っているのだ。
レッドは答えた。
「いや。だが、変わった治療法で治してもらった。」と。
「呪術による治療じゃな。」
その時、いかにも博識っぽい口ぶりで入ってきたのは、長年伸ばしっぱなしの顎鬚を持つ村長だった。
村長は、カイルの深緑色の瞳を食い入るように見つめた。
「聞いたことがある。それによると、その治療法では薬も器具も使わず、いかなる傷も病も、苦痛なく短時間で治してしまうと。」
ずいぶん話が違うじゃないかと、レッドは胸中で悪態をついた。
カイルはやや焦った身振りと共に、「はい若干違いますけど、それが可能な人は確かにいます。僕たちの世界では力の強弱が激しくて、病気を治すことができるのは、最高階級の神精術師と呼ばれる人たちの中でも、わずかです。だから、僕には傷を治すことしかできないけど、呪術による治療はお勧めできません。その術は非常に高度で、それには余計な危険が伴うからです。」と、早口で説明した。そう言い聞かせておかなければ、のちにそれをせがまれる恐れがある。なにしろ、さっきそれを失敗しかけたばかりなのだから。
「その石碑は関係ない。森の妖女の仕業だ。」
突然、人垣の中から誰かが言った。
それはすぐに分かった。その大柄で太った男は最前列にいて、そう吼えながら堂々とカイルの前まで進み出てきたのである。この男は、彼らのやりとりを聞いていて次第に募りゆくイライラをずっと堪えていたのだった。
そんなことだろうと、村の人たちに集まってもらったカイルだったが、呆れてすぐには言葉が出てこなかった。
「あの・・・ですね。わざわざこんな夜中に皆に来てもらったのは、彼女の濡れ衣をはらすためでもあるんだ。彼女は妖女なんかじゃないし、この村には何の恨みも持ってないよ。」
「だいたい、あんたはあまりにも若いし、見るからにたいした術使いのようには思えない。いい加減なことを言わないでくれ。」
「僕の能力は精霊使いとしては上級だよ。」
「その若さで上級も下級もないだろう。とても経験が豊富なようには見えないんだ。そもそも本当に精霊使いなのか。」
言い合いのようになってきた、その時。
「つっかかるな。」
クレイグの静かだが厳しい声が、そう窘めた。
「見苦しい真似はやめろ、マット。」
そう呼ばれたその男は、口を真一文字にして押し黙った。
「マット、長老も言われた通り、俺は、この少年が、皆にどれほどのことを無償でしてくれたかを知っている。お前も知らないわけではあるまい。」
クレイグは少しおいて、マットがすぐに言い返さない訳を見て取ってから、言葉を続けた。
「だから俺は、彼を信じると決めたし、それができる。お前には無理なのか。」
そう言われて、マットは、厳格な面持ちでいる村長を振り返った。彼とて、この少年が善人であることは分かっているし、実際、人がよいという面ばかりをこれまで見ていた。だが、友人のデイヴが、収穫の女神の石碑や石像を懸命にこしらえていた姿も、見て知っているのである。
一方、ふだんなら上手く説得できるエミリオとギルは、これに口を挟むことができなかった。なぜなら二人は、カイルのその大いなる力が使われる時を、まだ体験したことがないから。だから二人とも、もし今回一人でやるのが始めてなら、むしろ無理はしない方がいいと言ってやりたい気持ちだった。
そして、リューイもまた、マットに何か言い返してやりたかったが、その場にただ突っ立っていた。リューイは、精霊使いとしてのカイルの凄さを、砂漠の戦いでつぶさに見ていて知っている。だが、自分は口下手で、子供のように感情のままを迸らせてしまうこと、また、ひどく粗野であるのを少しは自覚できているので、賢明にもあえて口を閉ざしていた。実際、喉の上の方に押しとどめてあるのは、具合の悪いことに、野蛮な言葉ばかり。
そして、同じくカイルの能力を知っているレッドだったが、説得に入ろうとした矢先に、クレイグの声がかかったのである。
だがカイルが精霊使いらしくないというのは、レッドにも共感できた。レッドもまた、見えるところどこを取っても平凡で、あまりにも年若く、とてもそうとは思えないそのなりに、初めは、それというカイルが信じられないものだった。強いて言うなら、唯一、その深い緑色の瞳から、何となくそれらしい雰囲気を感じる程度だ。
しばらく沈黙が続いた・・・。
その中で、やがて口を開いたカイルが、穏やかな声で言った。
「じゃあ・・・僕が精霊使いであることを証明してみせれば、全てを信じてもらえる?」
カイルは、祖父から呪術を無駄に行うなと躾けられ、また自分自身でも、神秘なる力を無意味に使うことを嫌った。神から授けられたとも言える超能力。それは貴重なものであり、貴重なものは惜しまねばならず、そうしないのは、まさに濫用であって冒涜とも考えられるからだ。
だが、この場合にそれは必要なことだと、躊躇しながらしばらく悩んだ末に、そう判断したのだった。
マットは不承不承うなずいてみせた。
村人たちに向き直ったカイルは、声をあげて言った。
「じゃあ、今からここに、光の精霊を呼びます。それらが応えてやってきたと分かったら、灯りを消してみてください。光の精霊たちが、とても綺麗に見えるから。」