意味のある死
吹き上げる夜風は強く、エミリオの前髪を立ち上がらせるほどだったが、下へ落ちているその視線は、ずっと草の上を見つめている。
「昔・・・イルドラド王国の騎兵軍大将が、身を挺して、多くの兵士を救った逸話を知っているか。」
悲哀めいた声で、エミリオがいきなり言いだした。
「アキレウス・ヒュー・ダンスト。」
短い返事の代わりに、ギルはそう答えた。
「数々の伝説が伝えられているインディグラーダ地方では、よく知られた話らしいが。ほかの武勇伝なら有名なんだがな。華麗な英雄と讃えられたその彼の最期は、不運が重なった苦境の末の負け戦だったようだから、それでだろうな。」
「私は幼い頃からずっと、意味のある死に憧れのような気持ちさえ抱いていた。」
静かな声でそう話を続けたエミリオは、やっと顔を上げて、地平線のあるところに目を置いた。
ギルは、とたんに苦い気分にさせられた。
この男の顔から滲み出している表情といったら・・・。それは、真剣に、いずれ己が治めるはずだった国の平和を、一つでも多くの幸福を願って、考え、悩み、意気込んでいた男の、それが叶わぬものとなった表情。ギルには、エミリオが毎晩のように思い悩んでいる理由はそれが全てではないような気はしていたが、今は、そういう思いがその顔にはっきりと浮かんでいるように見える。
するとそこで、ギルはふと思い出した。エミリオが以前、こんなことを口にしたのを。※ 2
「私は無駄に死ぬこともできないから、この先どうすればいいのか悩みながら過ごしていくあいだ、共にいようとしてくれる君には、感謝している。」※2
死ねる時を待っているようにも取れたあの言葉が、いやに不吉なものに聞こえてきた。この男は死を恐れない。それが人のためとなれば、なおさら。そんな男だから、これから先どれほど怖い目にあわされるかと思うと、ギルはゾッとした。それは一緒にいればいるだけ、互いの絆が深まれば、それだけその恐怖は強くなる。
己の存在価値・・・。それについては、本来皇太子であるギルも、国を捨ててきた時から度々考えさせられた。ギルもまた愛国心の強い男だった。だからこそ、自身の欠陥に気付いて、納得がいかずに放棄してきたのである。そしてその熱い思いが、虚しさと罪悪感に変わった。また新たな存在価値をカイルから知らされたが、それはいつまでたっても意識できずに浮ついて、口に出してもつい笑いが漏れるような、まだまだ真剣にとらえられそうにない話に過ぎなかった。だから今も、軽い声でそれを口にしようとしている。この気に病んでいる相棒を和ませるための、ただの冗談として。
「もっと凄いもの背負っているじゃないか。もっとも、あの坊やが言うにはだが。」
エミリオは、ギルを見て頬を緩めた。
「果たしてどうかな。」
「俺はそうならないことを願いたいがな。」
「ああ。平穏無事がいい。生きとし生けるものが・・・。」
エミリオは、また彼方を見つめた。
「永遠に・・・。」
ギルもその思いに共感し、同じところに目を向けて、星の輝く夜空を黙って眺めた。
やがてギルは、優しい声で綺麗なハイトーンも出すことのできるそのパートナーを見下ろして、ほほ笑んだ。
「歌わないか。前にもやったことがあるじゃないか。」
ギルを見上げたエミリオも、快く笑顔でうなずいた。
「ああ、いいとも。」
腰を上げたエミリオは、ギルと肩を並べて立った。
ギルが先に歌い始め、すぐにエミリオが合わせた。
月の女神と、夜の精霊たちに捧げる・・・。ここに幸先よき暁光を迎えるため、どうか今宵の闇を夜が明け初めるまで見守りたもう。
美しい旋律のバラードが暗い草原にゆっくりと流れる。
不意に羽音が聞こえた。
実際に、二人の歌声に応えて華麗に舞い降りてきたものは、月の女神スピラシャウアの精霊石を首に飾った、一羽の大鷹であった。
※ 1『アルタクティスzero』― 外伝「運命のヘルクトロイ」 参照
※ 2『アルタクティス1 邂逅編』― 第3章「精霊石」 参照