不可解な傷口
やがて、カイルが戻ってきた。ぬるま湯を満たした木桶を抱え持ち、度々辺りに飛沫を飛び散らせながら、リューイが開けてやったドアを通って、座って待っていたレッドの前にそれをそうっと下ろした。湯の中では、手拭いが二枚泳いでいる。
カイルはその一枚をぎゅっと絞って、まずレッドの肩の血を拭い始めた。レッドは黙って傷を洗ってもらい、その痛みに耐えた。乾いた血を拭き取ると、紫色をした傷口が現れた。深くて、その一周り外側から大きく腫れ上がっている。
その傷口は、あっと驚くものだった。だが実際に口に出して、そう声を上げた者はいなかった。ある感情に押しとどめられて、誰もが胸の内だけで叫んだ。
血の下から現れたものは、なんと大きな穴。恐らく、歯型・・・犬歯の痕だ。もちろん人間のものではない。何か獣にガブリと食らい付かれたその瞬間が、見事に傷口となって残っていたのだった。
「これはひどいよ。しばらくは腕が上がらないだろうね。」
カイルは、医者としての事務的な反応しかしなかった。そして、あとはもうテキパキと手を動かして、黙々とすべきことに取りかかった。カイルが始めたことは、薬草を原料にしたペースト状のものを何種類か選んで練り合わせ、傷に合う塗り薬を調合する作業である。
たちまち凶器は何かを悟ったレッドは、不意に夕べ・・・実際には明け方・・・の悪夢を思い出した。だが、この傷口が姿を見せた途端にリューイの表情がひどく居辛そうになったのを見て、その話をすることを躊躇した。誤解を招く・・・ある者を遠回しに疑うような説明の仕方になってしまうかもしれない。この傷口では、どういう思いであれ、誰もの頭に一つ共通のものが真っ先に浮かんだのは明らかだ。そんな苦い思いが、カイルの手当てに黙って耐えているレッドの心を駆け巡っていた。
レッドは、盗み見るようにして、度々リューイの顔をうかがった。リューイは一向にうつむいたままだ。あいつは、今、この俺と目が合うのを恐れている・・・と、レッドは感じた。
レッドはため息をつき、うかがい見るのを止めた。
あいつが人を襲うはずない・・・と、リューイは信じたかった。キースはいつも従順に従ってきた。言いつけを守らないことなどなかった。ただ・・・理由はどうであれ、肩の怪我だけで食い殺されていないのは、キースが必死で自制をきかせたからだとしたら・・・考えられないこともない。そう思うと信じきれなくなり、リューイはいつまでも下を向いていた。視界にちらちらとカイルの動きが見える。淡々と作業を続けているその胸中はどうなのか・・・いいようには考えられなかった。レッドもずっと黙っている。嫌なことばかりが重くのしかかってきて、リューイは、頭を上げるのがますます困難になった。
息詰まるような沈黙が続いていた。
「どうして・・・。」
リューイが何やら呟いた。
レッドは反射的に目を向けた。
「どうして何も言わないんだ。」
リューイはうな垂れたまま、低い声で言った。
「違う。」と、レッドはあわてて否定した。
リューイが顔を上げた。ひどく動揺した、今にも取り乱しそうな顔をしている。
「だからか。だから黙ってたんだろ。」
「さっき分からないと言ったろう。目が覚めたらこうなってたんだ。」
「ドアを開けられて気配に気づかなかったっていうのか? お前が。」
「ああ、そうだ。気づいた時にはこのざまだ。この激痛のせいで、その瞬間に気絶しちまったらしい。寝てる間にこうなっちまったんだから、どう思われようが分からない、嘘じゃないとしか言いようがない。」
「そうだとしても、疑ってるだろ。あいつは・・・猛獣だもんな。」
「違う!」
レッドはもう一度、強い口調で言った。
どうしてこうなっちまうんだと、レッドは重いため息をついた。起きてからというもの、とにかくため息ばかりついている。