* 少女の顔は・・・
水際の大木の陰から、人の後ろ姿が少しだけ見えている。たぶん細身で、背中まである栗色の髪の少女のよう。沼の方を向いて座っている。その後ろ姿から、カイルには同じ年ごろのように見えた。それに、さっき見失った小動物が、まるでその少女に化けたようにも思われた。それはもう近くのどこにも見当たらなかった。
そこでカイルは思いついた。そうだ、彼女に薬草のことを聞いてみよう。まだ少し距離があったので、カイルは様子をみながら静かに近づいて行った。少女はなかなか気づかない。それでほとんど真後ろまで来た時、できるだけそっと声をかけてみることに。
「ねえ、君。」
少女が肩を飛び上がらせた。
カイルもつられてビクッとなる。
それから、少女がゆっくりと顔を向けてきた。長い髪が揺れて、怯えるように大きく見開いた灰色の瞳が片方だけ見えた。
「あ、あの、ひどく驚かせちゃったようだね。謝るよ。ちょっといいかな。」
明るく振る舞いながら、カイルは近寄ろうと足を踏み出した。
ところが、パッと立ち上がった少女の方は、何か怖いものを見るような目をして離れていく。その片目だけを向けているそのまま、横歩きで、カイルが近づくにつれて少しずつ・・・。
「ねえ、薬草って分かる? もし知ってたら ――。」
すると、カイルがまだ言いおおせないうちに、少女はとうとう逃げ出してしまった。
「えっ、待って、ちょっと待って!」
カイルも思わず追いかけた。
少女は脇目も振らず飛ぶように走り続けている。追いかけてくる者をとにかく引き離そうと無我夢中になっているようだ。
カイルにはまるで分からない。彼女がなぜそれほどまでに嫌がるのか。なぜ、それほどの嫌悪感を与えてしまったのか。ひと言声をかけただけなのに・・・。
その少女は沼の向こう岸へ向かっている。そこには立って通り抜けられる細道があるようだ。そして、そこを抜けるとわざと木立の密集する方へ突っ走っていく。小川にざぶんと足を浸けて派手に水飛沫を飛ばしながら、草や木の根を引っつかんで岸に這いあがる。そうして手足がドロドロになるものかまわず一散走りに逃げ続ける少女。
「お願い、待って! 僕、悪い人じゃないよっ。」
カイルも叫びながら木立の間をすり抜け、同じ道を同じように、小川をザブザブと横切った。何か悪印象をもたれたままが嫌だった。
実際、少年と少女、男と女の体力、運動能力の差は歴然としていた。みるみる距離を縮めることはできる。そして、カイルがもう五歩も地面を蹴れば手が届くというところまで追いついた時。
木の根につまづいた少女が、地面にたたきつけられるような勢いで突っ伏してしまった。
「ごめん、大丈夫っ⁉」と声をかけたカイルは、素早く回りこんで正面から少女の肩を支え起こし、顔をうかがった。
まともに見た —— 。
少女の顔の左半分に・・・大きな火傷の痕があるのを。若い、張りと艶のあるはずの頬の皮膚はひきつれ、それが変色したどす黒い痣に覆われている。
その瞬間、カイルは息が詰まった。痛烈な言いようのない感情が殺到して息が詰まり、言葉を失った。ただ後悔だけが押し寄せた。そっとしておいてやるべきだったという後悔。きっと見られたくなくて逃げ出したのに、わざわざ追いかけて、辱めた。彼女がなぜ逃げたのか。その本当の理由を知って、後悔と罪悪感が責め立てるように胸を痛めつける。
じっと見据えてくる彼女の双眸も悲しい炎を宿していて、カイルの呼吸はますます辛くなった。
「同じ目・・・もうたくさんよ。」
少女はそう呟いて、カイルの手を乱暴に払いのけた。
カイルは何かを言わなければと思った。何か言わなければ、彼女を傷つけたままにしてしまう。だが、何をどう言えば上手く取り繕うことができるのか、全く頭が働かない。
「あ・・・あの・・・。」
焦りともどかしさに邪魔されて、カイルは言葉にならない声を漏らすしかできずにいる。だがそのあいだも見えている、彼女の腕の擦り傷が気になっていた。血が出てる。きっと膝からも。僕が怪我をさせた。いたたまれなくてカイルはおどおどと気弱な手を差し伸べていた。
たまらない、というように少女はその手を振りはらった。
「皆そんな顔して私を見るのよ。そんなふうに無理して・・・。」
憤ってはいても、それは涙声で・・・内心、焦るばかりのカイル。早く、何か言わなければ・・・。けれども言葉が、声すら出ない。
少女が立ち上がって、背中を返した。そして振り返ることなく来た道を戻っていく。
「待っ・・・。」
カイルは思いとどまり、肩を落とした。今はもう、その場に立ち尽くしたまま、ただ呆然と少女の姿が木々に紛れて消えてゆくのを見送るしかなかった。