表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新装版】アルタクティス ~ 神の大陸 自覚なき英雄たちの総称 ~   作者: 月河未羽
【新装版】 第5章 風になった少女 〈 Ⅱ〉
105/587

青年と暴れ馬


「お前、前の主人の所へ帰りたいんだろう。だが今は、それよりも恐らく・・・。」

 ギルはそう語りかけ、それから農夫を見て言った。

「放っておいたら何をしでかすか知れない。だからほかの馬のように野放しにできない。それでずっと牧場にくくりつけていた・・・だろ?」


「乗りこなせる奴でもいればいいんだが、こいつは誰にも馴染なじもうとしないんだよ。」

 農夫はうなずく代わりに、そう答えた。


「こいつと遊んでみたいな。」

 ギルは無邪気な声で言った。


「無理だよ。こいつは嫌がってくらもつけねえ。」


「だが、かつては主人を乗せていたはずだ。仕方ない、その手綱たづなさえあればいいよ。乗るのに手を貸してくれるかい。」


 なんとも恐れ知らずな口調に、農夫はなかあきれた。

「怪我するぜ、兄ちゃん。」


「落ちなきゃいいんだろ。さあ早く手伝ってくれ。」


 ギルに急かされて、農夫はやれやれと言わんばかりに腰を落とした。それからももに足を掛けろとうながした。

「ほらよ。まったく、こんな兄ちゃんは初めてだ。」


 ギルは言われた通りにして、サッと馬の背中にまたがった。


 すると、それまでは妙におとなしくしていたというのに、とたんに馬は狂ったかのようにまた暴れ出したのである。不意を突かれた最初の一瞬、ギルは危うくすべり落ちそうになった。


 ギルは、なんとか体をねじ曲げて食いついた。


 馬も負けじと首を振りたて、盛んにひづめを踏み鳴らす。ギルはすんでのところで腰をよじらせ、耐えながらえて、手綱を胸まで引き寄せた。


 馬はその瞬間、甲高いいななきを上げた。


「ああほらっ、言わんこっちゃない。」

 農夫は素早く後ろへ下がり、手のひらで顔を覆った。


 黒馬はますます荒くれ、飛び跳ねながら体の向きをあちこち変えて、しぶとい荷物を振り落としてやろうと懸命になる。さすがのギルもかなりこたえたが、こいつはたけり狂っているわけではないと分かっていた。体が怒涛どとうの波にうまく順応していくにつれて、こいつから伝わってくるものは、殺気ではなく情熱だと悟った。これは、挑み挑まれた勝負だ。全身を、熱い血が駆け巡るのを感じた。


 そうして手が汗ばみ、しがみつくのも極限に困難になった頃、馬がまたいなないて、ついには棹立さおだちになったのである。


 ギルは素早く手綱を手に絡ませると、膝とかかとを馬の脇腹に食い込ませてふんばった。これに耐え切れたならば、自分でも驚きだと思った。


 すると、馬はすぐに前脚を着地させて、急におとなしくなったのである。おかげでどうにか持ちこたえた。


「へ・・・勝った。」

 ふうと息を吐き出したギルは、そこからひょいと飛び降りてみせた。


「へええ、たいしたもんだ。」

 農夫は腕を組み、ふんぞり返って感嘆かんたんしている。


 馬の首に手をやったギルは、何度も繰り返しでてやった。馬の方はうってかわり、嫌がることもなく顔を向けてくれる。その眼差しからもう違っていた。


「俺の愛馬も強情ごうじょうでへそ曲がりだったからな。こうやって手懐てなずけたもんだ。誰もこいつを怖がって、真っ向からぶつかってやろうとはしなかったんだろう。だが、前の主人は堂々とこいつを受け止めてやったはずだ。負かされた相手にしか服従しない・・・か。いい根性してるよ。戦う馬はこうでなくちゃな。」


 農夫は、馬に優しく語りかける青年を見ていた。せいぜい二十四か五ってところだろうと、農夫は推測した。だが、馬との付き合いは長いらしい。腕も確かそうだ。


 農夫は、「ちょっと待ってな。」と言い残してそこから離れ、倉庫の方へ駆けて行った。それからしばらくして戻って来た時には、手にくらとあぶみを持っていた。


 ギルはそれを受け取り、農夫と二人がかりで馬に取り付けるあいだじゅう、期待が混ざり合った優しい眼差しで話しかけた。馬の方はそれからというものじっとして、毛質の硬い漆黒しっこくの尾を満足そうに揺らしている。


「よしよし。お前、本当はめい一杯遊びたかったんだよな。早く新しい主人に出会いたかった、そうじゃないか。」


 農夫はすっかり感心していた。この青年の言葉は、獣の心を見事に言い当てているに違いない。


 ギルは作業が終わるや片足をあぶみにかけ、慣れた調子で優雅に鞍にまたがった。


「ようし、とりあえずは俺が間に合わせの主人だ。」


 ギルの胸はおどった。城内生活をしていた頃は毎日のように感じていた、しばらく忘れていた居心地を今また感じている。剣や弓矢を操るのはそれなりに面白かったが、馬の呼吸を汲みながら大地を駆け抜ける爽快感や、景色が後方へ飛び去ってゆく時のそれとは比べものにならなかった。それに乗馬は、誰を、何を傷つけることもない。唯一、素直に楽しいと言える特技だ。


 なつかしさにつかの間浸ったあと、ギルはどこへ行こうかと首をめぐらした。南の森へ行こうか、東の草原にしようか。すると、そうしてさ迷っていた視線は、すぐに同じ牧場内のある場所で止まった。


「暴れん坊がいるかと思えば・・・。」

 馬首にそっと手を添えてやるだけで、ギルは馬をそちらへ進ませた。


 そこには、黄金こがね色の干し草をのたりのたりとんでいる、いかにも愛想の悪そうな栗毛の馬がいた。ギルの受けたそいつの第一印象は、恐ろしく無気力な馬。そのひと言に尽きた。柵を挟んですぐ向かいには金髪の青年が立っていて、そんな様子を浮かない顔で観察しているが、彼の存在などどうでもよく、そこに見慣れないものがあると思うことすら面倒のようなのである。その馬の心の中、精神状態は空っぽのように、ギルには見えた。


 ギルは柵寄さくよりに馬を歩かせて、さりげなくそっと近付いた。

「その馬が気に入ったのか。」


 そう声をかけられると、リューイはのろのろとギルの顔を見上げて、また同じ調子で視線を馬に戻した。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ