草原の村(リサ)
視界の限り鮮やかな青空が広がり、みずみずしい緑の絨毯が敷き詰められている。だが、西に見える地平線の向こうで、それは生々《なまなま》しい戦乱の爪跡、あるいは待ち伏せ襲撃の行われた跡に冒涜されている。西の彼方では、大陸の東がずいぶんと落ち着いてきた今でもなお、領土や資源を奪い合う激戦が繰り広げられているという。
そして南には、すぐそこに大きな沼を持つシオンという森が佇んでいる。森は隣村のカルノまで続いていて、そのさらに先には東へ向かって連なるバファル山脈がある。ここから見渡せるのは草原と森と尾根の高い山、そして大空。
イオの村を出発して旅を続けている一行は、そんな自然に囲まれている土地に来ていた。ここは、リサという村だ。
リサの村では、二日後に迫った祭りに備えて、着々とその準備が進められていた。祭りといってもイオの村のような大規模なものではなく、本来は村の人々だけで祝うつつましやかなものである。
この土地は、かつては不毛の低湿地帯に過ぎなかったが、彼らの先祖は長期間の土地改良を行い、新しい土地に育てるうちに様々な作物を生き残れるようにした。祭りは村の誕生とその農業の成功を祝い、豊穣の女神メテウスモリアに感謝と祈りをこめて催される祈祷祭である。
なだらかな草原の丘の上に佇む大木の下で、目に少年のような煌きをたたえて馬の群れを眺めていたギルは、不意に立ち上がった。そして青臭い風を胸一杯に吸い込むと、隣にエミリオが座っていたが何も言わずに大股で歩きだした。
ある一頭の馬に魅了されたのである。
エミリオは横笛を吹きながらギルの背中を見ると、目だけで微笑して、そのまま演奏を続けた。すぐ周りで夢うつつの可愛い聴衆たちが、今にも閉じてしまいそうな瞼を無理に浮かせて、この笛の音に聴きいってくれているからだ。
だがそのうち、一人が少しずつ、体を草の布団に押し付け始めた。連鎖反応で、ほかの子供たちも次々と寝そべりだす。エミリオが笛を吹き止めた時には、楽の音に代わって小さな寝息が流れていた。
目を細くしたエミリオは、視線をゆっくりと西の彼方に移した。
その瞳が、次第に悲しい翳りを帯び始める・・・。
かの土地には深く死が染み込んでいる。大地が、猛々《たけだけ》しい鬨の声や剣戟の音に震えている。西の空の下で親を殺され、あるいは生き別れて孤児となった子供たちが、空腹と寂しさに震え、道端にうずくまって、泣きわめきながら親をしきりに呼びたてている。
西方から吹きつけてくるそよ風はどこか冷たく、肌に触れられると切なさで胸が苦しくなった・・・。
隣で眠りに落ちたミーアが、腕にもたれかかってきたかと思うと、寝返りをうってずり落ちた。片腕でそっと受け止めたエミリオは、そのまま赤ん坊を抱くように自分の膝に座らせた。
「よくおやすみ。」
エミリオはそっと囁いて、ミーアの額にキスをした。
ギルを惹きつけたのは、黒光りする逞しい牡馬だった。気性の激しいその馬は、乱暴に首を振りたてたり、高々と前脚を上げたりして、手綱を必死でつかむ農夫を弄んでいる。そしてついには、顔を背けたかと思うと派手に振り戻して、農夫の顔面に荒々しい鼻息を浴びせかけた。ギルは心の中で大笑いした。
「こんにちは。」
ギルは満面の笑みで、飛びつくように柵に腕をかけた。
「旅のお人か、こんにちは。」
農夫もつられて笑顔を浮かべた。日焼けした彫りの深い顔に、笑うと寄る皺が親しみを感じさせる。
「聞いたよ。村長の病気を治してくれたんだって?」
「連れがな。おかげで、立派な空き屋を提供してもらえたんだが・・・。」
柵にかけていた腕を腰に当てて、ギルはため息をついた。
一晩の宿を借りるつもりが、もう三日もこの村に滞在しているのである。
「引き止められたんだろう。無理もない。この村には医者がいないからな。おっと・・・。」
馬がまた乱暴に首をふりたてた。
ギルは、そいつに触れたくてうずうずしていた。
「そっちへ行ってもいいかな。」
「ああ。それじゃあ、よければ手伝ってくれないか。」
ギルは喜んでうなずき、切れ目が見つかるまで柵に沿って早足で歩いた。そして牧場に踏み入るや足を弾ませ、「ずいぶんと威勢がいいな。こいつの務めは何だい?」と、その馬の脇腹に触れた。
馬は嫌悪感を剥き出しにして、うっとおしそうに蹄を踏み鳴らす。
「それがこのとおりの暴れ馬で、畑仕事もしなけりゃあ馬車にもならねえ。そこで業者へ売りに行こうかと思うんだが。」
「なるほど。この馬なら立派な軍馬になりそうだ。」
ギルの頭には、真っ先に、鎧をまとった勇ましいその姿が浮かび上がった。この馬のほかの身のふり方など考えられない。
「これから?」
「いや、売りに行くのは三日後だ。祭りの日はここにいないといけないからな。」
「ああそうか。じゃあ、何をすれば・・・。」
「気分転換に、こいつの居場所をそろそろ変えてやろうと思ってな。向こうまで連れていくのに手を貸してもらいたいんだが。」
「それはどういうことだい。まさか、この馬はこの牧場から出たことがないとでも。いや、それにしては見事な体格をしている。どう見ても、運動不足の体ではないな。」
「こいつは、最近この村に来たんだよ。騎手が亡くなってな。それを知ってか知らずか、もらわれてきた時は、おとなしそうにしていたんだがな。」
これを聞くとギルは顎に手をあてがい、青鹿毛のその馬と面と向かい合った。




