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燕乗りの唄

作者: 三式、時に空を巡る

燕 飛び立つ比島ひとうの空へ 昇るあさひを横に見て

高くそびえる新高山ニイタカヤマを目指し 一路いちじと飛んで行く


ひゅるりひゅらひゅら高雄たかおの街を 越えて行く行く 渡り鳥

火花 散る散る比島の走路そうろ れて飛び込む森の中


暑いジャングル 彷徨さまよい歩く 青いバナナと皿占さらうらな

帰りたいのに迎えは来ない 帰りるやと皿に問う


土に汚れた枯草かれくさ色のころもまといし仲間たち

かなかなしもこわがりおそれ 笑い飛ばすは森の中


ついに終わりて迎えが来れば 待ちに待ちたる我が故郷こきょう

帰り来る来る 南の鳥が

かえり来る来る 燕鳥つばめどり

太平洋戦争末期、二十数歳の日本陸軍の航空士は「飛燕」と呼ばれた三式戦闘機に乗ってフィリピン戦線へと向かった。九州を立ち、台湾を経由してフィリピンへと辿り着いた。フィリピンの防空を任務としていたが、敵軍により滑走路を爆撃され、航空機を飛ばすことは出来なかった。仕方なく、陸戦兵としてジャングルの中に潜り込むも、糧食尽き、自生する未成熟の青いバナナを蒸して喰う日が続いた(芋の味に似ていたと聞く)。疲弊し、いつ本土に帰れるかも知れぬ中、部隊の仲間たちとともに、三脚のように束ねた箸と皿を用いてコックリさんで今後を占った(現代で言うところのヴィジャ盤式では無く、戦前のテーブルターニング式)。「コックリさん、コックリさん、私たちは日本に帰れますか」といった具合に。一人では到底、生き残ることは出来なかっただろう。仲間とともにあってこそ精神的な不安は多少なりとも軽減されたのである。しかしながら、森の中を彷徨うにも限界があり、やがて連合国軍の捕虜となる。そして、終戦を迎えしばらくして復員船にて本土に帰還した。


これが、私が或る故人から聞いた全てのことである。部隊の名前や階級は故人が語らなかったので今や知る由も無い。その話の中には血生臭さや硝煙臭さは無く、或る種の呑気さと生きることへの純粋な意志だけがあった。これは悲話ではなく、生き生きとした現実である。なので、飛練節のような陽気な節で以て歌い、記憶に残して頂ければ幸いである。

そして、これがこの話の全てであり、この話を忘れぬため私はここに記録する。

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