究極!1/2理論
この世には確立が存在する。
それは如何なる事であっても存在する。
例えば、あなたの目の前にPC(または携帯電話)がある確立100パーセント。
この様に、日常の些細な事であっても、100や0といった数字で確率化できるのだ。
だが、私が言いたいのはそういう事ではない。
私が独自に考え、独自に編み出した理論を、これを見ているあなたに聞いて(見て)欲しい。
まずは例を出そう。
サイコロがあるとする。
それを適当に転がし、1の目が出る確率はどれくらいだろうか?
それはすぐに分かると思う。
1/6だ。
出目が六個有って、その内の一個が出る確率だから当然だ。
『一から六までのいずれかの内の一つが出る内の、一の目が出る確率』という考え方をするから1/6という答えに行き着くのである。
この考え方が当然であり常識だ。
学校でもこのように習うだろう。
しかし、これを『一の目が出る』という事象に着目して考えると、実はそうでも無いのではないかと言う思想に行き着きはしないか?
私は行き着いた。
すなわち、『一の目が出るか出ないか』という考え方をするのである。
そう、確立はあくまで確立であって、何回もの試行を重ねたと仮定した場合の上に成り立つ机上の空論なのである。
実際の一回の試行においては、上記の通り、『一の目が出るか出ないか』というこれだけが考えるべき結果なのである。
つまり、この考え方において、『サイコロを適当に転がして一の目が出る確率』は1/2という考え方が出来るのではないかと私は考える。
これが、例えば1/100000000という確立でも同様だ。
確かに、この事象を一億回繰り返しても、この試行の成功が期待できるのは一回のみだ。
しかし、試行が成功する確率がある以上、それはいつだって起こりえる可能性があるわけだ。
一回目に成功するかもしれない、二十回目かもしれない、もしかしたら一億回では成功しないかもしれない。
しかし、成功する可能性はあるわけだ。
すなわち、その試行を行う一回目のみ、あらゆる試行の成功の可能性は『成功するか失敗するか』という1/2の確立となるのが理解いただけるだろうか?
これを考えれば、次のような考え方にも行き着くと思う。
『この試行が二回連続で成功するかしないか』・・・確立1/2
『この試行が三回連続で成功するかしないか』・・・確立1/2
しかし、実際にこの事象が起こる可能性を考慮するととんでもない数字になる。
『この試行が二回連続で成功する確立』・・・1/10000000000000000
『この試行が三回連続で成功する確立』・・・1/1000000000000000000000000
これがどれ程のことか理解できるだろうか?
だからこそ、気休めとも思えるこの理論を、私は広めたい。
所詮世の中は『その事象が発生するかしないか』という1/2の確立の上に成り立っているのである。