0 VRMMOってなに
実家暮らしの兄から送られてきた大きな、それはそれは大きな荷物は、こじんまりとした、悪く言えばぼろいアパートの部屋の入口で突っかかり、俺と宅配の人とで一時間奮闘してやっとリビングに運び込んだ。お互い汗だくになっている夏。兄からの荷物ということですぐにも開けたかったが、運び込んだだけで倒れそうなほどの熱気を放出している俺と宅配の兄ちゃんはちょっとぐったりしていた。でも名前も知らないのに今の作業だけで友情が芽生えてしまったような気がする。一方的に。ごめんね冷房なくて。
「ありがとうございました。冷たいお茶でも出しますねぇ。といっても麦茶しかないんですが」
「どうも、ありがとうございます。作業の合間に頂きます。こちらどこに設置いたしますか?」
……うん? 作業? 設置?
「あの、設置って」
冷蔵庫に向かう俺に謎の言葉を言った宅配の兄ちゃんに振り向くと、あれ? という顔を向こうもした。なんでも宅配と荷物の設置はすべて料金に含まれているそうで、てっきり俺も承知の上だと思ったのだとか。いえいえ、俺は単純に労いのつもりでちょっと休憩してから仕事に戻れよとお茶を。いや、そういう意味ではあってるんだけどさ。
「すみません、その荷物、いったいなんなんですか?」
「VRの機械です」
「すみませんなんてぇ?」
「ですから、バーチャルリアリティーの」
ちょっとなにいってるかわかんないですね。
俺は相当変な顔をしたんだろう。宅配の兄ちゃんも変な顔をした。いやでも急にVRとか言われても意味わからんし、そもそもそのVR? って奴の機械を送られてもなんのこっちゃという話で。
お互い変な顔をしたまま数秒見つめ合っていると、俺の携帯が鳴った。見ればこの状況を作り出した兄からの電話だった。随分とタイミングがいいな。
「すみません、出ても?」
「あっどうぞどうぞ」
携帯を持って指差せば宅配の兄ちゃんは体を小さくして手で促してきた。うむ、申し訳ない。
「もしもし、兄貴ぃ?」
出れば、おー届いた? と突然言われた。何がと聞こうとも思ったが、まあこれしかないだろう。
「これなにぃ?」
『んー、まあ細かい説明は後でさ、簡単に言えばVRMMO一緒にやりたいなーと思って』
なーと思って、というだけで相手に意見も求めず送ってくるあたりさすが兄貴であるとしか言いようがない。
「一緒にやんのぉ?」
冷蔵庫を開けながら聞けば簡単にうんと一言返ってきた。ふーん。
「で、これなんなん?」
『それをセットしてもらって、ゲーム入れれば、俺と一緒にゲームできる機械』
麦茶をコップ二つに注ぎながらへぇ、と返す。別にいいんだけどさ、値段、高そうだなー。
「わかったぁ。切るね。あとで連絡し直すぅ」
はいよ、と返事が返ってきたのを確認し通話を切れば、宅配の兄ちゃんがちょっと不安そうな顔でこっちを窺っていた。まあ、要らないなんて突っ返されようもんなら違約金はゲットできるだろうけどまたあの一時間を繰り返さなきゃならないわけだしな。ん? もしかして返品できるのか? そしたら返金だよなあ。宅配の兄ちゃんにはデメリットしかないな。
「すみませんお待たせして。あ、これ麦茶どうぞぉ」
「あ、はい、ありがとうございます」
何故か佇まいを直し正座する宅配の兄ちゃんにコップを渡し、俺もなんとなくその前に正座する。冷えた麦茶を飲むと、肺から口の中まで熱気のこもっていた喉を通っていく感覚が心地よく、小さく息をついた。宅配の兄ちゃんは麦茶を飲まずまだ俺を窺っていて、そんなに心配しなくてもなぁと思ったりらじ○んだり。
「どこに設置するのがいいですかね。普通どこに置きますぅ?」
コップをテーブルに置いて聞けば、宅配の兄ちゃんは一瞬きょとんとしてから表情を明るくした。大丈夫、俺もあの一時間は繰り返したくない。
「そうですね、最近のお客様は寝室に置かれる方が多いみたいです。以前はリビングに置く方も多かったんですが、大きさが大きさなので、人を呼んだときなども邪魔にならないこともあって今はベッドの横が主流ですかね」
あ、本体自体そんなに大きいんですね。段ボールそのままのサイズとは知りませんでした。えーそうかあ、そんなに大きいのかあ。寝室には入らないなあ。
「じゃあここでぇ。これ以上動かすのも大変ですしぃ」
聞いた意味はない。
宅配の兄ちゃんははいと笑顔で応え麦茶を流し込んだ。そんなに一気に飲むと咳込むんじゃないかとも思ったが大丈夫なようだ。なによりです。俺も手伝おうかと思ったが良くわからないので邪魔にしかならないだろうと見学することにした。
段ボールを開けるとなるほど、ベッドサイズというかあれだ、機械で作ったリクライニングチェアといった風情だ。全身すっぽりと包んでしまいそうなでっかいやつ。それに付属らしいいくつものコードを迷うことなく繋げていく様子はまさにプロの仕事である。うん、手伝うのは確実に邪魔だね。
「あとで簡単に使い方とかも聞いていいですかぁ。説明書が苦手で」
「はい構いませんよ」
作業する手を止めずさわやかな笑顔で了解していただいてしまった。ありがたやありがたや。
発泡スチロールに覆われていたものはバスケットボールくらいのサイズのヘルメットだった。それにもコードを繋げると座席であろう場所に置き、他にもいろいろと繋いでいく。こんなに複雑そうだというのに機械以外につなげるコードはコンセントとネットのLANケーブルだけだというのだから、まったくわけがわからない。難しい機械はいろいろ繋げるんだとばかり思ってました。いや色々っつってもつなげる先もこのアパートじゃ端子もないだろうしなにかはわからないけど。
麦茶を飲みながら優雅に見学していると宅配の、もう兄ちゃんだけでいいか。兄ちゃんは笑顔で振り向き終わりましたと告げた。早いなーと思いながら近づけば、うむ、ここに座るんだろうな、という場所に謎部品が沢山置いてある。
「では説明させていただきますね。まず電源を入れます。電源は動かしている時にぶつからないようこちらにありますので、押してからセットに入っていただけると」
台座のような部分の側面に、パソコンの電源マーク見たいなものがあるのを確認する。ふんふん、なるほど。それで?
「こちらに座ったら必ずして頂きたいというわけではないのですが、不安な方はこのベルトをしめます。体は動かないというのが前提としてありますが、一応付いています」
なるほど強制ではないと。一応やっておこう。それでそれで?
「そうしたらこのヘルメットを被り、目元までしっかり下ろしてください」
言いながらカチッ、カチッ、とヘルメットの前についている謎のアイマスクもどきを上げ下げする兄ちゃん。ほうほう。それがなんなのかはよくわからないがわかった。
「あとは肘置きの裏にあるスイッチを押せば使えます」
「なるほど、簡単ですねぇ」
そりゃ万人が使えるようになってるんだから簡単じゃなかったら困るけど。でも裏にあるとはいえ肘置きのスイッチとやらは大丈夫なんだろうか。使ってる最中にさわっちゃっても平気なボタンなの? よくわからんなぁ。
「あ、すみません忘れてました。こちらが一緒に注文されたゲームソフトになります。一度インストールすれば後はいちいち入れなくても問題ないので、そちらだけすませてしまいますね。ゲームの更新などはネット経由でされますので、大丈夫です」
ちょっと何を言ってるのかよくわからないけどとりあえずやってくれるから俺は後から何かをしなくても大丈夫ってことですかね。わかった。
電源ボタンの横からディスクを突っ込み、見落としがないか指差しチェックをしながら確認する兄ちゃん。ピッピ、と小さな電子音が鳴りポットでお湯沸かしてただろうかと振り向いてしまいそうになったが、これがインストール完了の音なのだとか。ニュッと出てきたディスクをケースにしまうと渡してきたので、とりあえず受け取るけどこれもう必要ないんだよね。捨てるのはさすがに駄目だろうけど、どうしようかな。そこらへんに置いといたら踏ん付けて割りそう。
「後は大丈夫ですかね」
うんうんと頷きながら満足そうに言った兄ちゃんにお礼を言うとご利用ありがとうございましたと満面の笑みで帰って行った。うむ、いい仕事人であった。ところで仕事人っていうと必殺仕事人みたいでかっこいい。
兄に電話をするのは麦茶を飲んでからでもいいかな。
「ふーん、それでぇ? インストールしてもらったやつがその、なんとかっつうやつなわけね?」
『そうそう。まあいいから始めよう。先にログインしてるから、中で落ち合おうな』
「了解ぃ」
なんとかかんとかっていうゲームのなんとかテストとかいうのに参加する応募券を家族の名前全員つかって合計数十枚ほど出したら二枠当たったのでそれのうち一つをこっちに送ってきた、ということらしい。こういうのの譲渡っていけないんじゃなかったっけと思いつつ、俺の名前で応募したのと兄の名前で応募したのがちょうど当たったからまあいいじゃんということらしい。いいのかそれ。というか俺名前使ったの知らなかったんだけど。
まあ、いいか。一緒にゲームやりたいなんて言われたら断れんべ。それに夏休みだし。大学一年生の夏は長い。はっきりわかんだね。
なんとかかんとかっていうゲームも知らないしなんとかテストっていうのもよくわからないし、VRも正直ゲーム離れした後に出始めたから全く分からないけど、悪いことにはならないだろう。出始めた頃は脳に悪影響が云々っていってた人もいたみたいだけど、結局なんにもなかったっていうし、兄が送ってきたわけだし。
さて、まずは電源を入れて、どうすんだっけ。座ってベルトを締めて、被って下ろして、スイッチオン? あれちょっとまって、スイッチどこだ。これ目のやつ下ろしちゃうと見えないじゃん。当たり前だけど。くそ、手探りかよー。
これかな。多分そうかな。なんか押せそうな出っ張りだし、ボタンは一つしかなかったと思うし、これだろう。
ぽちっとな。
ふに、と微妙な感触のボタンを押すと目の前にパソコンみたいな画面が出てきた。いやスマホ? まあともかくそこにあるアイコンを……どうやって選ぶんだこれ。スマホみたいにタップできるわけじゃないしマウスがあるわけでもない。カーソル表示ないし。そもそもこの画面はどうやってどこに表示されてるんだ。ちょっと怖いんですけど!
ええええ、と戸惑いながらアイコンを見つめていると、どうやら選択できたようでわずかに光った。
ゲームの始まりである。
読んでくださりありがとうございます。