表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

九、蒼い目の少年と古竜

九、蒼い目の少年と古竜


アルス達は、ようやく階段を下りきった所で一息ついていた。

本当はそんな暇も無いのだが、一息つかざるをえないほど、階段が長かった為だ。

「そろそろ行こう、地上が気になる、早く済ませて戻らないと」

アルスは、そう言うと歩き出した。他の五人も頷くと、アルスの後を追ってゆっくりと進んでいく。

そこは幻想的な空間であった。

穴が開いた時に見た薄紫色の光と同じ色の、幾つもの光りの玉が、まるで真っ暗な川辺に現れた大量の蛍のように宙を待っていたのだ。

それだけではない。その空間の中には、巨大な街が広がっていた。その街の遥か上の方に、村の広場に開いた穴と思われる、ぼんやりとした穴が見える。その穴の様子から、地上はすでに夜だという事が解った。

ただ、その穴はアルス達が降りてきた階段の、埋もれた街の中心を挟んで反対側の上空に開いていて、かなり小さく見えた。

最初に見た時は、全員で息を呑んでその場に立ち尽くしてしまった。

その昔《封印戦争》の時に、地下に埋もれた街だった。

町全体が空間の中にあるわけではないようで、端の方には剥き出しの土壁に半分埋もれた家なども見える。崩れてしまった物から、まだ人の住めるもの、大小さまざまな石で作られた家々がそこにはあった。

積もった埃は街が地下に埋もれてからの歳月を物語るように、一歩足を踏み出すごとに宙に舞い上がる。

まるで精霊の国にでも来たような錯覚を覚える光景が広がっていた。

アルス達はセリルに教えられて、街の中心にある、一際大きな建物に向かっていた。

するとその時だった。

突然、宙を舞っていた幾つもの薄紫色の光りが、アルス達の周りに集まってきた。行く手を阻むかのように、前に立ちはだかる。

「おいおいおいおい、やばく無いのかっ?」ジェイズが、大きな身体に似合わない声を最後尾からかけてくる。

「しっ」アスターが、それに振り返って人差し指を口の前に立てながら、ジェイズを睨む。余計な声をあげて光りを刺激するのは良くないと思ったのだろう。

「わ、悪かったよ」体に似合わず小心者のジェイズが、小さな声で言いながら両手をあげて解ったと合図をしている。

「アルス様、止まって下さい」先頭を行くアルスに、エイグが声をかける。

それでアルスも気付いたのだが、集まってきた光は、幾つかの塊になって人の形をしたものに姿を変えつつあった。

アルスは、それを見て身構えた。

エイグもまた、魔力に囚われまいかと警戒していたが、どうやら以前のような不思議な感覚は襲って来ないようだ。

「何だろう・・」

どうやら、襲って来る気配が無いと知ると、少年は警戒していた緊張を解しながら辺りの様子を窺った。

しばらく経つと、人の形に姿を変えた光り達はアルス達の上空を旋回し始めた。

〈あなた達は何者かしら?〉

不意に頭の中に響くように、声が聞こえてきた。

「ひぃっ」

ジェイズは、それを幽霊のように思ったらしく、ガタガタ震えながら頭を押さえて身を屈めた。カインが光り達を睨みながら、剣の柄に手をかけて身構えている。それをエイグが手で制していた。

他の三人も何なのか解らずに、辺りを不思議そうに窺っている。どうやら人型をした光り達が話しかけて来たらしい。

「私は赤き乙女レシュフォンの子孫、セリル・エルメドと言います、赤き乙女様にお会いしたく、ここへ来ました」

不思議な声に答える様に、セリルは一歩前に出て言った。その言葉には不安と、何か決意の様なものが感じられた。五人はそのやり取りを、息を潜めて見守った。

セリルの言葉に、光り達はしばらく黙ったままであったが、何やら相談しているような雰囲気が感じられた。

〈確かにあなたはレシュフォンの血を引いているようね〉

また不思議な声が、頭の中に直接響いてきた。ジェイズは、大丈夫そうだと思ったらしく、今度は声をあげなかった。それでも少し震えながら光り達を見上げている。

〈さぁ、こっちへいらっしゃい〉

もう一度、不思議な声が響いてくると、光達は六人を先導するように中央の大きな建物の方へ向かい始めた。

どうやらセリルのお蔭で会わせてもらえる様だ。アルス達は安堵しながらも、周囲の警戒を怠らないように慎重に光り達の後を追いかけた。

〈おや、蒼き王の血を引く者もいるのね・・クスクス・・〉

しばらく行くと、光り達の一つがアルスに近いところで飛び始める。その声に他の光り達も集まってくる。

「え?」

アルスは何のことかわからずに、ふと、小さな集落での老人の言葉を思い出していた。

―そういえばミゼムさんも似た様な事を・・

「余計な事は良いの、あなた達はしっかり案内してっ」

アルスの考えを遮るように、突然のセリルの大きな声が響いた。アルス達はびっくりしていた。今まで控えめで、とても内気な少女らしからぬ声であったからだ。

光り達は、少女の言葉に素直に従って先導するようにまた前を飛んでいった。

アルスに投げかけられたのだろう、光り達の言葉の意味は、目的の者達に会う事で何なのかが解った。

しばらく進むと、大きな建物に着いた。

そこは昔の礼拝堂らしかったが、あまりにも大きい。シェルバリ王都のパレス宮殿がすっぽり入ってしまうほどの大きさだった。

案内されるままに向かって行った先には、目的の人物達がいた。

それは小山のように大きく、小さく折り畳まれた翼を広げると建物の端から端まで届きそうであった。その身体は青白く、うっすらと輝いていた

「古竜・・」

皆のあげる感嘆のため息と一緒に、誰かの呟きが聞こえてくる。それはもしかしたら、アルス自身だったのかも知れなかった。

その古竜は、しかし、近くによってみて気付いたのだが、身体は透けて半透明であった。後ろの石壁がそのまま透けて見えている。

六人は驚きを隠せなかった。太古の竜はすでに体が朽ち果てていたのだ。

「なんてこった」

アスターが呟いた。それは他の五人も同じらしく、落胆を隠し切れずにいた。

そんなアルス達を構わずに、薄紫色の人影達は古竜とアルス達の間の上空を飛び回っている。薄紫色の光りが照らす古竜の身体は淵が淡く、かすかな紫色に輝いて見えた。

古竜は眠りに就いたままの姿で朽ち果てたのだろうか。不思議な光景であった。

―ん?

不意に、アルスは視線を感じて眼を向けた。

そこには、古竜の背中から自分の眼を真っ直ぐに見つめる、一人の女性の姿があった。

その女性の身体は、古竜と同じように青白く光っていた。向こうの石壁が透けて見えている。

それで古竜の、体の一部のように見えていて気付かなかったのだ。その女性は一糸纏わぬ姿でいるようだった。年の頃は二十歳前後だろうか、透けているので判断が難しかった。上体だけを起こして下半身は古竜の翼に隠れるように座っている。

「あ、赤き乙女・・?」

アルスは自分の眼を真っ直ぐに見つめる女性を見て、直感的にそう思った。

他の五人も、古竜を見ていた眼をアルスの視線の先へ向ける。

〈お待ちしていましたよ、我が子孫と我が兄の子孫達、あなた達が来るのを〉

静かな、しかし、凛とした女性の声が頭の中に直接、流れ込むように響いてきた。


アルス達は驚愕と落胆に暮れていた。

身体の透けた女性は、自分が紅き乙女だと名乗った。アルス達がなぜここへ来たのかを知っている様子だった。

〈上の開いた穴から妖魔達を感じます、また暴れているのですね・・〉

そう言って、紅き乙女は話し始めた。

紅き乙女の話によると、古竜の力を貸して貰うためには、代償が必要であるとの事であった。

そして古竜と話す事ができるのは、紅き乙女か蒼き王の血を引く者にしかできない。なぜなら、紅き乙女と蒼き王こそが、神代の昔に竜の一族と供に暮らしていた一族の末裔だからだという。

アルスはそれを聞き、身体が震えるのを感じていた。それはセリルも同じようだったが、アルスほどは動揺せずに紅き乙女の話に耳を傾けていた。ミゼムに聞いて知っていたのだろう。

古竜は、数百年前の《封印戦争》以前から、すでに魂だけの存在となっていたという。気の遠くなるような遥か昔、神代の時代にあった神々の戦いの中で、すでに古竜はその肉体を失っていたのだ。

古竜に肉体を与えて妖魔達と戦わせる為には、誰かがその肉体を捧げねばならなかったのだ。そして、その役目を自ら名乗り出たのがレシュフォン、つまり紅き乙女だったというのである。

紅き乙女の捧げた肉体と自らの強力な魔法により、一時的に肉体を具現化させた古竜は人間達の望み通りに妖魔達と戦った。

紅き乙女の兄、蒼き王レシュフォルはその命と引き換えに、望む物全てを封印する強力な魔法を与えられたのだという。

〈再び現れた妖魔達を封印する為には、誰かが犠牲にならなければ駄目なのよ・・〉

そう呟いた紅き乙女は、悲しそうな顔で遠い眼をした。

「それでも、私達は地上で戦っている者達を救いたいのです」

アルスは、他に方法が無いのかを聞いているのだ。

〈残念ながら・・〉

紅き乙女は悲しそうに首を振るだけだった。

アルスは紅き乙女の言葉に、予想していた答えを聞くと、古竜を見つめた。そして、徐々に心の中に湧き上がるもの感情をしっかりと感じていた。

紅き乙女の話によると、アルスにはその昔、妖魔達を封印した蒼き王の血が流れているとの事であった。ミゼムや薄紫色の光り達が言っていた事が、ようやく理解できた。

蒼き王の子孫達は、ティルトの南に王国を作ったという。その王国がシェルバリエの事ならば、たしかに自分にもその血が流れている事をアルスは知っていた。アルスの曾祖母も祖母も、王家に名を連ねる名家から嫁いで来たのだ。それはよく、幼い頃から聞かされていた。

「良いかアルス、王家の血を、例え僅かでも引いているのだその事を忘れるな」

父はそう言って自分を叱ったものだ。

「じゃぁ・・」

「私が、捧げます」

凛とした声が響いた。

アルスの言葉を遮って、はっきりとしたセリルの言葉が聞こえてきた。

その場にいた全員が、驚きを隠せずにセリルに顔を向ける。まだ幼さの残る顔には、はっきりとした決意が浮かんでいた。

セリルが何か思いつめた表情をしたり、ここへ行きたいとカルマに言った理由がこれだったのかと、アルスは感じていた。

「いや、僕が肉体をささげます」

少女の身体の震えに気付いたアルスは、慌てて気を取り直して、少女を庇うように前に立つと紅き乙女へ向かってそう言った。

「で、でも・・」

〈残念だけど・・なたには無理だわ〉

まだ何か言いたそうにするセリルを説得しようと振り返ろうとした時だった。

後ろから、紅き乙女の言葉が投げかけられた。

セリルはその言葉に驚いて、紅き乙女を見上げていた。アルスも振り返り、言葉の意味を知ろうとする。

〈あなたには、確かに私の血が通っている・・〉

話し始めた紅き乙女は、セリルに悲しげな眼を向けながら、古竜の力を引き出す為のもう一つの条件を話し始めた。

それはなぜ、レシュフォンが紅き乙女と呼ばれているかという事に関係があった。紅き乙女と蒼き王は双子の兄弟だった。それも竜と供に暮らした一族の神官の生まれだという。

その家は代々、祭事を執り行う家系であった。そして生まれる子供は必ず双子であり、紅と蒼の目を持つ兄妹であったという。

つまり、その一族の者であれば古竜と話すことはできる。ただ、力を借りる為には、セリルには受け継がれるべき紅い眼の色が無かったのである。セリルのそれは黒い色をしていた。

アルスはこの場にいる者の中に、その資格のある者が自分しかいない事を聞かされたのだ。

「僕が、竜の力を借ります・・」

紅き乙女の言葉と父親の言葉を思い出しながら、アルスは慎重に答えた。その蒼い色をした眼には力強い決意の光りが宿っていた。

〈そう・・その覚悟があるのね・・〉

紅き乙女は黙ってアルスの蒼い目を見ていたが、その眼に強い決意を見て、そっと哀しげに呟いた。

セリルは両手を胸の前で組んで、祈るような視線でアルスを見つめていた。


アルスは呼びかけていた。

眼の前に眠る半透明の巨大な竜に眼を閉じて、その名前を呼び続けていた。

紅き乙女と五人の人影が、アルスを心配そうな表情で静かに見守っている。

エイグはアルスが生贄になるのを反対したのだが、アルスは自分しかいないのだと、その反対を押し切っていた。

エイグもそれは解っていたのだが、砦から逃げ延びた村で横になっている少年の寝顔を思い出して、言わずにはいられなかったのだ。

アルスはそんなエイグに「大丈夫」と一言呟いて、それから古竜に向き直って呼びかけを始めていた。

しばらく経つと、古竜が小さく動いたのが解った。翼を少しずつ動かしながら、身体の向きを変えていく。それはまるで、朝起きた時に見せる、伸びの様にも見えた。

《我に語りかける者はお前か・・》

古竜はゆっくりと眼を開き、首をこちらに向けながら静かに太い声で、直接頭の中へ話しかけてきた。

「私は蒼き王の子孫、アルス・デ・アイオス、竜よ、あなたの力をお貸しください」

アルスは額にかいた汗もそのままで、竜に向かってそう言った。

《我が力を貸せと?》

静かに、しかし先ほどより不機嫌そうな声が言った。

《なぜ、我が力を求める?》

竜は数百年の眠りから覚めた巨体を解すように、その短くて太い足で立つと翼を広げて大きく・・伸びをした。背にいた紅き乙女も一緒に上がっていく。その眼は悲しみのままアルスを見つめていた。いつの間にか、薄紫色の光り達は姿を消している。

半透明のその身体は、建物に収まらない部分が石壁を貫いて外へ飛び出していた。実体が無いのですり抜けた格好になっている。建物が揺れる事も無かった。

その姿は伝説に語られる巨大な竜その物であった。もし実体があれば、その・・伸びと同時に放たれた咆哮で死んでいただろう。

その姿に、ジェイズが泣きそうな顔をして震えている。他の四人も一様に息を呑んで見守っていた。

「妖魔どもがまた、我らを脅かしています、再び封印する為に、力を貸して頂きたいのです」

アルスの言葉に、古竜は小さく顔を震わせて言った。

《愚かな人間どもめ、また懲りずに異界の住人を呼び出したのか》

古竜が笑っているように見えたのだが、その言葉には明らかな侮蔑と怒りが含まれていた。

《まぁ良いだろう、仮初めでも姿をもらえるのなら、また妖魔の王を叩き伏せてやろう》

古竜は、遠い昔の妖魔の王との戦いを思い出しているようだ。短い間でも実体を手に入れられる事を喜んでいるようであった。

《で、おぬしがその肉体を我に捧げるというのか?》

古竜は嬉しそうな声で言った。どうやら妖魔の王と戦えるのが楽しみらしい。

「はい、私の肉体を捧げます・・ですが、妖魔の王はおそらく封印されたままだと思います」

アルスは古竜の言葉にそう答えた。

《なにっ、妖魔の王もおらんのに我が力を求めるのか?》

古竜はアルスの言葉に、信じられないといった様子でそう言うと、眼を向けてきた。

《雑魚どもを相手に、我が力を貸せというのではあるまいな?》

古竜は明らかに不機嫌な声でそういうと、巨大な眼でアルスを睨んだ。

どうやら古竜は、封印が解かれて妖魔の王も復活したと思っていたらしい。

古竜は残念そうに首を振った。また元のように足を折って、身体を落ち着けると首を下ろして翼を畳んでいく。

「しかし、竜よ、我らは困っています、妖魔達を追い払いたいのです」

話を勝手に打ち切り、また眠りにつこうとする古竜に、アルスは必死に言葉を投げかけた。

その言葉に古竜は、もどかしそうに頭だけをアルスに向けた。元は何色か解らない半透明の双眸が静かにアルスを見ている。

《・・追い払えばよいのだな?》

古竜はアルスの言葉を吟味している様子で、しばらく少年を見つめたあと、そう言葉を返してきた。

《追い払うだけで良いのなら、力を貸してやらぬわけでもない》

駄目かと思い、諦めかけたアルスは古竜の思わぬ答えに希望を見出していた。

「はい、力をお貸しください」

アルスは願いが叶うと思いそう答えた。

それで自らの肉体が消滅しても、後悔はしないと、もう一度心の中で呟く。

《・・良かろう、では代償を捧げてもらおう》

古竜はそう言って再び立ち上がると、大きな口を開いて咆哮した。実体が無い為に音も無い咆哮であったが、見る者を凍りつかせるには十分なそれは、長く尾を引くように感じられた。

そして、しばらくの後、古竜が口を閉ざした時にそれは起こった。

アルスの身体が白い光りに包まれていったのだった。


カルマは愕然としていた。

それは突如、姿を現して味方の兵を次々と襲っていた。隣では気を取り戻したフェイラが、青褪めた表情で震えている。

カルマ達が見つめる先にいたもの、それはドラゴン竜であった。

カルマの本隊は西から来た帝国兵を一掃し、元の位置まで下がっていた。優位に立っている戦況を見ながら、動かずにいる敵の本陣に不審さを感じて、カルマは警戒していたのだ。

その時だった、帝国の陣と平原への入り口の間にそれは姿を現した。

オーガの二倍ほどの大きさで、鮮血の様に鮮やかな鱗に覆われた体躯、耳まで避けた口には鋭い牙が見える、その眼は真っ赤な炎のように赤い色をしていて平原の方を見ていた。

次の瞬間、その竜は大きな口を開けると、真っ赤な炎を吐いたのだ。それは放射線状に伸びて、街道の入り口にいた幾人もの王国兵や妖魔達を飲み込み、一瞬にして消し炭へと変えていった。

兵達は、伝説や昔話でしか聞いた事の無い竜を目の当たりにして、恐慌をきたし、我先にと逃げ出していた。

「村まで、石壁の内側まで退けっ」

カルマは慌てる兵達を落ち着かせようとしたのだが、今回ばかりはさすがに無理があった。村まで退く事で態勢を立て直そうと考えてそう叫ぶと、自分も本隊を連れて石壁の内側まで下がった。石壁の上から、先ほど眼を覚ましたばかりのフェイラや副官達と供に、その光景を見つめていたのだ。

平原では、逃げ遅れた兵達が竜の炎や鋭い鉤爪を受けて、何人も絶命していった。「あ、あんなものに焼かれたらひとたまりも無い・・」誰かがそう呟くのが聞こえる。

竜の後ろには、逃げたはずの生き残りの妖魔と帝国兵が、距離を保ちながら村へ向かってきていた。

打開策の思い浮かばないカルマは、隣で青褪めた顔をしている女魔術師を見るが、彼女も首を静かに横に振るだけであった。

さすがに竜など初めて見るのだろう。彼女も聡明な頭を必死に使っている様だが、何も思い浮かぶ様子は無かった。

神代の昔に、神々と同等の力で存在した竜である。身体が小さく、下等種である事が解ったが、人の力でどうにか出来るものではなかった。

「ここに留まれば全滅は免れないでしょう・・」

女魔術師は、静かに言った。こんな状況でも冷静なフェイラの言葉に、カルマは怒りを覚えたが、それが正しい事はカルマにも解っていた。

「・・逃げるしかありません」

フェイラは静かにそう言うと、カルマに眼を向けて珍しく残念そうな顔をして見せた。

カルマは平原で暴れている竜を見ながら、その言葉に逡巡を覚えていた。騎士団長として国王から兵を預かる身で、逃げ出す事に抵抗があったのだ。

前方から、兵達の阿鼻叫喚の叫びが聞こえてくる。逃げ遅れた兵達は、それでも戦おうとしている者もいた。だが、渾身の一撃だったのだろう振り下ろした剣は。空しい音を響かせて竜の鱗を滑っていった。傷一つ付かなかったに違いない。剣を振り下ろした騎士が、竜の振り回した腕に上半身を捥がれて、血飛沫を上げて倒れていく。

石壁の中の兵は、向かってくる竜に身を震わせながら武器を構えて、カルマの指示を待っていた。

と、その時であった。

竜は、その巨大な体躯に似合わない小さな翼を広げて宙へ舞い上がると、そのまま石壁の上を目掛けて飛んで来たのだった。思わぬ成り行きにカルマは、とっさ咄嗟に振り返って女魔術師を抱きかかえる様にして、石畳の上へ転がっていた。

カルマは愕然としていた。先ほどまで自分のいた場所が崩れて、巨大な竜の身体が石壁にめり込むように、その場にあった。周りには側近の者や騎士達の倒れている姿が見える。石壁の周りにいた兵達は、カルマが死んだものと思ったらしく、悲鳴を上げながら逃げ出していた。

カルマは、フェイラに乗りかかる様な格好で石畳の上に伏していた。フェイラは背中を打ったらしく、顔を歪めている。

竜は、石壁にめり込んだままこちらを見ると、薄く口を開けながらゆっくりと上を向いた。

「火を吐きます、お逃げくださいっ」

フェイラが切迫した声で叫んだ。

竜がゆっくりとこちらを向きながら口を開き始めた。

―間に合わないっ

カルマは自分の身体でフェイラを覆うようにしながら顔を伏せた。


ミーゼは愕然としていた。

先ほど、王国の魔術師が唱えたのだろう魔法が陣地の右手を襲っていた。

“サモンズ・メテオ隕石召還”の魔法であった。それは帝国兵の多くを飲み込んで、甚大な被害が出ていた。

ミーゼは一人の部下に、馬から引きずり下ろされて地面に押し付けられた。その上に部下が自分を庇う様にして身体を乗せてきたのだ。

その部下は背中に酷い火傷を負い、絶命していた。乗っていた馬は黒焦げになって倒れている。その傍に、ベイグナルも倒れていた。ベイグナルはとっさ咄嗟に唱えた魔法の障壁によって一命を取り留めていたが、左頬には無残な火傷を負っていた。

辺りは焼け野原であった。空から落ちてきた巨大な石は、まだ赤く熱を持って辺りを焦がしている。

「魔術師殿、無事か?」

ファルモスが数人の部下を連れて、困惑した様子でこちらへ向かってくる。

「お、おのれーっ」

醜い罵声を上げながら、よろよろと立ち上がったベイグナルは、我を忘れた様に憎々しげな眼を平原へ向けると、寝台のあった場所へ行き、何かを探した。

目的の物が見つかると、ミーゼに自分の身体を支えてくれと吐き捨てるように言った。

ミーゼが動くのも待たずに、寝台のあった場所から探し出した一本の短いワンド魔術棒を構えて、ベイグナルは魔法の詠唱を始めた。

ファルモスはとりあえず、辺りの火を消して陣形を整えるように命じると、魔術師の行動を近くで見守っている。

ミーゼはそのワンド魔術棒に見覚えがあった。

それは砦に立てこもる最後の敵兵達を、一瞬で葬った魔物を呼び出す力のあるワンド魔術棒だった。

だが、先ほど魔術師は大量の妖魔を召還している。今は魔法を使えるだけの精神力は残されていないのではないのか。そんな疑問が頭をよぎった。

しかし、ミーゼはそれ以上考える事ができなくなっていた。ベイグナルの後ろで、彼の身体を支えていた自分の身体から急に力が抜けていくと、ミーゼはそのまま気を失ってベイグナルに寄りかかるように倒れてしまったのだ。その顔は蒼白だった。

ベイグナルは、魔術師が禁忌としている魔法を使ってミーゼの精神力を吸い取っていたのだ。魔術師の顔色は、生気を徐々に取り戻していった。その表情は、冷酷なものになり、眼には邪悪な光りが宿っていた。

「ふははははっ」

急に笑い出しながら、ベイグナルは両手を高々と上げてからワンド魔術棒を振り下ろして平原の方へ向けた。

次の瞬間、平原の入り口の手前に、鮮やかな赤い色をした竜が出現した。

そして、その竜は身体をよじるようなしぐさを見せた後に、少し上を向いてから、平原の方へ口を開きながら顔を向けた。

ぐぉふぉーーーー

竜は炎を吐いたのだった。

平原の入り口で戦っていた妖魔と王国の兵達が飲み込まれて消し炭になっていく。

「あーははっはっはっ、私を怒らせると、どうなるか思い知らせてやるっ」

魔術師は声高に笑いながら吐き捨てるように叫ぶと、竜を前進させていった。

「全軍進撃の合図を出せっ、魔術師殿と同じ距離を保って進むぞっ」

ファルモスがそれを見て指揮を執る。怪我をして動けない者は、陣地に残っているように付け加えている。

王国の兵は悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らした様に逃げ始めている。

ファルモスは、その光景を楽しそうに見ていた。味方の兵や戻ってきた妖魔達も、雄叫びを上げながら、逃げ遅れた敵兵を血祭りにしていく。

魔術師と同じ距離を保ちながら、敵の残党を始末して平原の中央辺りまで進んでいった。

敵は恐慌をきたしながら、ほとんど逃げ惑うだけであった。何人かの敵が竜に切りかかるが、次々と竜の鋭い鉤爪に鎧ごと身体を引き裂かれていった。敵の本隊は村の中へ逃げ込んだ様だった。

魔術師は薄汚い笑みを浮かべながら、そんな竜を満足そうに見つめていた。

しばらくして竜は、その鋭利な鉤爪を叩きつける相手がいなくなると、小さな翼を広げて舞い上がり石壁の上へ跳んでいった。

竜は、その巨体を石壁の上へ着地させた。その瞬間、古い石壁は竜の体重を支えられずに、ガラガラと音を立てながら外側が崩れていった。竜は、崩れて沈んだ部分に身体をめり込ませる様にしてバランスをとると、少し上を向いてから顔を左に向けた。

炎を吐こうとしているのが、ファルモスにも解った。

だが、竜が口を開いたその時だった。

突然、村の中から白く眩い光りがあふれ出した。何かがガラガラと崩れる音が聞こえてくる。

「なっ、なんだっ?」

慌てた魔術師の声がする。周りにいる兵達も騒ぎ始めている。

次の瞬間、村の中から溢れ出た光りは、その場にいた全ての者の視界を奪うほど強く、神々しい輝きを放つと、次第に収まっていった。

―ゴトッ

何かが落ちて転がるような音が聞こえてくる。

ようやく眼が見えるようになったファルモスは、そこに信じられないものを見ていた。

先ほど炎を吐こうとしていた竜が、身体を石壁にめり込ませたままの状態で、首から上が無くなっていたのだ。竜の首は石壁の外側に、無造作に転がっている。

だが、ファルモスが不健康そうな顔をさらに青白くさせている理由は、そんなものではなかった。

城壁の、首の無い竜の向こうに、それは浮かんでいた。


それは、とてつもなく巨大な竜であった。

薄青色の鱗が沈みゆく月の光に晒されて、幻想的な輝きを放っている。人ほどもある大きさの双眸は、眼の前にいる自分達を嘲笑うように見下ろしていた。

ベイグナルの召還した竜の数倍はある巨体を、身体には似合わない小さめの翼をゆっくりと動かして、宙に留まっている。

《異界の住人どもを、再び呼び出しているのはお前達か》

その威圧する様な低音の声は、静かにその場にいる者全ての頭の中に直接響いてきた。

と、その時だった。蒼い竜は巨大な顔を上空に向けると、この世のものとは思えない凄まじい咆哮を上げた。

蒼い竜のあげた咆哮があまりにも凄まじかった為に、暗い夜の空に浮かんでいた雲が竜の上空から四散していく。現れた月の光りが蒼い竜の巨大な身体に降り注いで、神秘的な姿になっていた。

「ひぃー」

ファルモスは、その耳を劈く咆哮を聞いて悲鳴を上げていた。すでに頭は混乱しており、正常な判断を下せる状況に無かった。

そのファルモスの声に、周りにいる兵達も堰を切った様に、一斉に悲鳴を上げながら背を向けて逃げ出し始めた。

「ま、待てー、私を守るのだ、置いていくな、馬鹿者っ」

ファルモスは情けない声を上げながら、村に背を向けて走り出した。

「すばらしい・・」

ベイグナルはそう呟くと、どこか夢を見ている様な表情で、ゆっくりと前に足を進めていく。すでに自らの召還した竜の事など目に入ってはいない様子だ。

蒼く輝く竜は、その巨体をゆっくりと動かしながら、こちらに迫って来ていた。

ベイグナルは逃げる事も忘れて、徐々に自分の上まで飛んで来る美しい竜を見上げていた。

竜は平原のほぼ中央まで来ると、そこへ着地した。

「!」

ベイグナルが我に返った時はすでに遅かった。逃げようとする間も無く、周りにいた妖魔達と一緒に竜の巨大な足に押し潰されていた。

蒼い竜は、自分の潰した憐れな虫けら達の悲鳴など気付かずに、そこでもう一度凄まじい咆哮を上げていた。

支配者を亡くして、その支配から解き放たれた妖魔達も、その咆哮に恐慌をきたして北や西の森の中へ蜘蛛の子を散らす様に逃げ込んで行く。


カルマはその光景を、フェイラの上に乗ったままの格好で見ていた。

敵の竜の炎によって焼き殺されようとした、まさにその時、それは現れたのだ。

村の広場に開いた穴の淵が、竜の身体によって広げられて、ガラガラと音を立てて崩れいた。

巨大な竜だった。神代の時代に生きた古竜なのだろう。自分を襲っていた竜など足元にも及ばない存在に思えた。

カルマは気付いてはいなかったが、その蒼い竜は、鋭い鉤爪を一閃させると赤い竜の首を切り落としていた。

王国の兵達も、突然穴の中から飛び出してきた巨大な蒼い竜を見上げて、驚きのあまり立ち止まっていた。

《異界の住人どもを、再び呼び出しているのはお前達か》

突然、頭の中に威圧的な太い声が響いてきた。

その声が、その巨大な竜から発せられたものだとすぐに解った。竜は凄まじい咆哮を上げると、北の平原へゆっくりと翼を動かして跳んでいく。

カルマはその様子を、首を動かしながら見ていた。

帝国兵が逃げていくのが解る。蒼い竜は平原の中央辺りに下りると、もう一度威嚇するように、一際巨大な咆哮をあげて足元にいた妖魔達も追い払った。

「カルマ様」

フェイラの声がした。カルマは自分がまだ女魔術師の上に乗ったままだと気付くと、慌てて身体を起こして彼女を解放した。

「す、すまぬ・」カルマは照れながら言うと、再び平原に眼を向けた。フェイラも身体を起こして平原へ視線を向けた。

しかし、そこにいたはずの蒼い竜の姿はすでに無く、遥か上空に舞い上がったところであった。

「お、終わったのか?」

カルマは呟いた。

「ええ、そのようですわね・・」

フェイラが白い肌をほんのり赤く染めながら、そっと答える。

すでに敵の兵や妖魔達の姿は見えず、東の空はうっすらと白み始めて夜の終わりを告げていた。

石壁の周りでは、生き残った騎士達が武器を振りかざしながら歓声を上げていた。

両手をあげながら、竜に手を振って喜ぶ者、涙を流しながら歓声を上げている者もいる。

騎士達は次第に集まり、人だかりを作っていく。その人だかりの中心に、アルス達はいた。

アルスは眼に包帯が巻かれ、それをセリルとエイグが支えて、石壁の方へ向かって歩いていた。

「おお、無事に帰ってきたか」

息子の姿を見つけたカルマは、その眼に巻かれた包帯を心配そうに見たていたが、それでも父親の表情になって無事を喜んでいた。

カルマは上空で旋回している蒼い竜をもう一度見上げると、一言礼を呟いてから立ち上がった。

騎士達はカルマの姿を見つけると、一際大きな歓声を上げて無事を喜んだ。

蒼い竜は旋回を止めると、もう一度咆哮を上げた。どこか今までと違い、嬉しそうな雰囲気の感じられるそれであった。

そして、数百年ぶりの肉体を楽しむ様にゆっくりと、東の空へ溶ける様に飛んで行った。

蒼い竜の消えた東の空には雲ひとつ無く、長い夜の終わりを告げる様に、白み始めた山々の頂が徐々に明るくなりつつあった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ