七、穴の中へ
七、穴の中へ
それは突然、襲ってきた。
月の明かりを遮る夜の森の闇に紛れて、北から砦へと続く街道から、奇怪な大声を上げて聞く者に恐怖を与えながら襲ってきた。
騎士団は最初、虚を突かれたものの態勢を立て直して妖魔の大群と戦っていた。
明るい月明かりが辺りを照らしていた事と、常に臨戦態勢でいたのが功を奏したようだった。
だが、数はこちらの方が多かったのだが、今までに見た事も無い妖魔の姿に浮き足立っていた。
カルマとフェイラは異変に気付くと、すぐに態勢を整えて反撃に出た。騎士団にとって、カルマの声は何よりの勇気を与えていた。
「怯むなっ、奇怪な化け物と言っても所詮、命あるものだっ、剣を振るえっ、喉元に叩き込むのだっ」カルマは檄を飛ばしながら戦況を見極めた。
離れたところで、妖魔の一撃を受けて首から血飛沫を上げながら倒れていく騎士が見える。その向こうでは、雄叫びを上げて妖魔に跳びかかる騎士達の姿もあった。
「まずいな・・」
カルマはそう呟いた。
見ると、北の街道に抜ける場所では、見張り台が倒されていた。その周りでは何人かの騎士達が、馬除けの柵を背に豚に似た妖魔と戦っていた。どうやら苦戦しているようであった。
森から来た妖魔の一団は、人間の二倍ほどの巨体だった。腕を振り回して騒音の様な声をあげながら、街道の入り口とこちら側の間に入り、こちらを攻め立てている。
北の街道の手前は完全に孤立していた。
もし、後ろに帝国兵が身を隠していれば、簡単に突破されてしまうだろう。
「右翼は北へ、中央と左翼は東へ攻めよっ」そう指示を出すと、傍らにいた副官に、一隊を率いて急いで西側を回って背後を突くように命じた。
間に合えば被害も少なくて済むと考えられた。
「カルマ様、私も行ってきます」
フェイラはそういうと、その副官について西側に向かった。カルマはそれに手を上げて答えると、戦況を見つつ、さらに檄を飛ばしていく。
しばらくすると、西側から妖魔達に向けて巨大な炎の玉が飛んできた。
それは地鳴りのような音を轟かせながら、大きな妖魔達のちょうど真ん中へ着弾し、爆発して辺りを巻き込んだ。何匹かの妖魔が倒れていくのが見える。
フェイラの魔法だった。まだ若い魔術師は、その容姿からは想像もできないほどの魔力を持っているようだ。こちら側から魔法を使うと味方まで巻き込んでしまうと考えて、後ろへ回り込んだ一隊に同行したのだろう。
“火球の魔法”だと思ったのだが、大きさが、話しに聞くよりもさらに大きかった。
夜の風にのって、肉の焦げる嫌な臭いが漂ってくる。
妖魔達は、その魔法に一瞬怯んだものの、すぐに勢いを戻してまた攻め立ててくる。
するとそこへ、二発目の炎の玉が飛んでくる。今度は妖魔達の背後から飛んでくると、先ほどより右で爆発が起きる。
また何匹かの妖魔が倒れていくのが見えた。
「なかなかやるな」そう呟くと、カルマは続けて「魔術師殿の魔法で倒せて我らの剣が効かぬはずは無いっ、力の限り押し返すのだっ」と檄を飛ばす。
それに答えるように、騎士達からは力強い声が帰ってくる。
続けて三度目の爆発が、東側の妖魔の一団で起こった。
今度は先ほどの物より小さい、幾つもの火の玉が炸裂していた。豚に似た妖魔達はそれで十分だった様だ。奇怪な悲鳴を上げながら、何匹もの妖魔が炎に呑まれて倒れていく。
カルマは魔法の威力を目の当たりにして、敵に回したくは無いなと、心から思っていた。
気が付くと、フェイラのいる一隊が背後から攻めかかっていた。その一団の剣が赤く、炎に包まれているのが解る。フェイラが“炎刃付与”の魔法をかけたのだろう。妖魔達はだんだんと数を減らして小さく囲まれるようになってきている。
騎士達も、精一杯戦っていた。被害も出ていたが、次々と妖魔を討ち取っていく。
ついに妖魔の一団は、攻めるのを諦めて森へ逃げ込んでいった。
「深追いはするな、森へ入れば分が悪い」カルマはそう叫ぶと、月明かりを遮って、そこだけ黒く塗り潰したような森の闇を睨みつけた。
「オークとオーガか・・」
それは先ほど騎士団を襲撃してきた妖魔達の名前であった。それは、カルマも幼い頃から聞かされて育ったので知っていたが、実際に眼にするのは始めてであった。
異界の尖兵として、その先陣を駆ったオークと、人間を喰らったという怪力を持つ巨大なオーガであった。
カルマは目の前にいる女魔術師からの報告を受けて、妖魔達が遥かな昔に封印されたはずのものだと解ると、少し横を向いて天幕の一角を凝視した。それはカルマが考え事をする時の癖である事をフェイラは解っていた。
「ご心配なさいますな、妖魔の王がいなければそれほどの脅威ではありません」
フェイラはろうそくの炎に照らされて、ところどころ影を作るカルマの顔に不安な表情を見たのだろう。見透かしたようにそう言った。
フェイラの話では《封印戦争》以前の魔術師の作った妖魔を操る“魔道具”で使役しているのだろうとの事であった。
妖魔の王が封印を解かれているとしたら、あんなに数が少ないはずはないだろうと付け加える。
だが、魔道具があるという事は、いくらでも異界から妖魔達を呼べるという事ではないのか、という問いにフェイラは落ち着いた静かな口調で説明を続けた。
「確かに呼べるでしょう・・」
その言葉にカルマの傍らに控える数人の騎士達が不安そうな声を挙げる。カルマはそれを手で制して、フェイラの言葉の続きを待った。
「ですが、魔道具といえども完全ではないはずです」
フェイラは一呼吸置くと続けた。
それによると、魔道具は確かに便利な物であるが、使うたびに使用者の精神を著しく消耗させる。つまり魔法を使っているのと同じなのである。ただ一点、違うのは、使い方が解れば魔術師でなくても扱えるという事だけだった。
魔術師は自己の魔力を、自然界に存在する魔力と掛け合わせて、様々な効果を具現化する。魔道具は、魔力を持たない者の為に作られた、いわばそれ自体が魔力そのものなのである。だから魔力を持たない者でも扱い方さえわかれば封じられている魔力を使う事ができるのだという。
そして、あれだけの妖魔を召還する為には、魔術師並みの鍛えられた精神力が必要という事であった。
敵の中に多くの魔術師がいるとは思えない。加えて、ザーナで学んだ正規の魔術師が侵略に加担するはずが無かった。
「たしかにそうだな」
眼を閉じてフェイラの言葉を聞いていたカルマは、説明が終わると眼を開いてそう呟き、納得したように頷きながら休んでくれと言って、フェイラを退席させた。
魔法を使うと、精神を激しく消耗するらしい。フェイラに余力があるのは見て解ったが、十分な休息をとって次に備えてもらう事が良いと判断した。
「警備を厳重にせよ、休憩する者にも武具は離すなと伝えよ」
フェイラが一礼をして、天幕から出て行くと傍らに控える騎士達に、カルマはそう言った。怪我をした者はすぐにタンカスへ移動させるように付け加えると、いくつか別の事を命じて解散を告げた。
ミーゼは砦の二階にある部屋の窓に腰を折って、腕を窓辺に乗せて身体を預けていた。
鎧は着たままだが、隙間から形の良い尻がつんと上を見上げるように覗いている。窓の反対にある扉が開いていたら、扉の前に立っている護衛は役目を忘れて見入っていただろう。
前方に見える王国の領土は何事も無い様に秋の佇まいを見せていた。砦からは山や木しか見えないが、その向こうで妖魔達が暴れている事は知っている。
ベイグナルが、あれから連日のように南へ少し行ったところで妖魔を召還して帰って来るのだ。
その魔術師は、先ほど四度目の召還を終えて帰って来ていた。今は砦にある、自分にあてられた部屋で眠っているはずだ。最初に妖魔を放ってからすでに四日目の昼であった。
砦には、帝都へ送られた伝書鳩の返事が帰って来ていた。コウパの代わりに、一人の将軍が向かっているそうだ。
帝国の騎士団の団長は、別の大部隊を率いて東の隣国を平定しに遠征している。
ミーゼはこの侵略戦争にはあまり良い気はしていなかった。
ただの近衛隊の騎士である自分が、皇帝や宰相に意見できる立場に無いことくらい解っていたが、それでも不満はあった。自分だけではない。ほとんどの文官や武官達が反対していたのだが、幼い皇帝を丸め込んだ宰相アモスが強引に遠征を決めたのだ。
それまで、それなりに友好な関係にあった隣国に、刃を向ける理由がミーゼには全く解らなかった。
「ミーゼ様、ファルモス様ご到着です」
不意に扉が叩かれ、部下の声が聞こえた。
「もう到着したのか・・」
ミーゼは一瞬びくっとなったが、自分が物思いに耽っていた事に気付いて、慌てて扉に向き直りながら、「すぐに行く」と返事をしてから扉に向かった。振り返り様に長い赤髪が宙を舞う。
王国の軍勢がいつ攻めて来ても良いように、ミーゼは武具を常に身につけていた。もっとも、妖魔に襲われてこちらを攻めるどころでは無い様に思われたが。
砦の広間に行くと壮年の、黒い甲冑を身につけた男がいた。コウパと同じ、指揮官に与えられる白い石が柄に付いた剣を腰に吊るして、赤い外套を肩からかけていた。
部下を何人か引き連れて、窓の外に広がる王国の領土を見ながらなにやら話している。
近づくと気付いたらしく、こちらに身体を向けてミーゼを待っていた。
その顔は不健康そうな色白で、ミーゼを見つめる細い眼はどこか冷たさを感じる。帝都から新たに派遣された指揮官、ファルモスであった。
ミーゼは近くまで行くと、方膝をついて挨拶をしてから、砦の現在の様子とこれまでの経緯を話した。
「そうか、それで魔術師殿は眠っておいでなのだな」
丁寧な言葉だが、何の感情も篭っていないように聞こえる声だった。明日にはここを発って王国へ進撃する旨を伝えると用意しておく様に付け加えた。
ミーゼは少し驚いて顔を上げるが、すでに話は終わったといわんばかりに窓の外へ視線を向けて、ファルモスは部下達と話を始めていた。
ミーゼが驚くのも無理は無かった。南にはベイグナルの放った妖魔達が無数にいるのだ。いくら魔術師の支配下にあるとはいえ、先日の村での一件の事もある。
幸いにも魔術師は、村一つに加減して召還していた。だから襲われても被害はそれほど大きく無かったものの、今は加減など加えずに召還している。
だが、口まで出かかった言葉を飲み込み、一礼するとミーゼはそこを後にした。
目の前にいる男を良く知っているミーゼは、何を言ってもファルモスが聞き入れないだろう事を解っていた。
反対する大勢の文官、武官達の中でただ一人、アモスに賛同して隣国平定を主張したのだ。ファルモスがアモスに忠誠を誓っている事は宮廷では有名な話だった。ミーゼはその時の事を、皇帝の傍で護衛をしながら見て知っていた。
ミーゼはそれを思い出して眉をひそ顰めながら、妖魔を支配している魔術師の魔力が先日のように消えない事を願っていた。
遠くから、どたどたと慌しい音が聞こえてくる。
アルスは昨日の夜に飲んだ、慣れないエール酒で痛む頭を右手で押さえながら上体を起こしした。
窓の外はまだ暗く、寝付いてからあまり時間が経っていないように思える。
アスターとジェイズも、何事かと起き上がってランプに明かりを灯し、様子を伺っているようだった。気付くと、エイグとカインがベッドにいない事が解る。
バタンッ
少し荒く扉が開くと、そこに険しい表情のエイグが立っていた。
「みなさん、急いでください、すぐに出発しますよ」それだけ言うと、エイグはそのまま歩いて行ってしまった。
ジェイズはまだ眠たそうにあくび欠伸をしていたが、エイグの言葉を聞き、帝国兵が攻めて来たのかと言いながら真剣な表情で支度をし始める。
アスターとアルスも、事態が飲み込めずにいたがとりあえず支度に取り掛かった。窓の外から戦の喧騒や、緊迫した空気は伝わってこない。どうやら、帝国兵がここまで来たわけではなかったらしい。
旅支度を終わらせ外に出ると、すでにカインとセリルが馬の隣で待っていた。
その向こうで数人の騎士がエイグと立ち話をしている。
「それでは出発しましょう」
エイグは宿から出てきたアルス達を見るとそう言って、騎士に何か言うと馬に跨った。
「どうしたんだ、こんな朝早くに」
馬に跨ったアスターが、セリルの手を引っ張って後ろに乗せながら疑問を投げかけた。
「道中で説明します、早くティルトへ向かいますよ」
エイグは、そう返して馬を走らせた。カインとアスターとアルスもそれに続く。
「お、おい、まってくれよお」
ジェイズはようやく馬に跨ると、情けない声で叫びながら後を追った。
夜の街道は、月の明かりに照らされていた。遠くに見える森は、逃げ込んだ闇が自分達の領域を必死に守っているかのように、暗く不気味に見える。
街道を東へ向かう五つの影は、その主の必死な表情までは真似ていなかった。
エイグの話では、ティルトに駐留している騎士団へ妖魔の一団が襲ってきたらしい。それも一度ではなく、数度続いているらしいのだ。
幸いにも騎士団は、それら幾度かの妖魔の襲撃を全て退けたらしいのだが、戦い慣れない妖魔相手に被害が大きいらしい。襲って来たのは妖魔達だけで帝国兵達の姿は無かったという。
夜遅くに、タンカスの領主へ宛てた伝書鳩がそれを知らせてくれたのだ。
そこには傷病兵を送った事と、妖魔達がタンカスまで侵攻する可能性がある事、それから街の守りを固めるようにとのカルマからの指示があった。
領主は急いで、ティルトへ向かう予定のアルス達にそれを伝えたのだった。
妖魔達が群れを成してティルトを襲っていると聞いた五人は、険しい表情をしていた。ただ一人、セリルだけはまだ見た事の無い妖魔達の話しを聞き、震えながらアスターの服をしっかりと掴んでいた。
しかし、その震える身体とは裏腹に、少女の眼にはどこか悲しげな決意が現れている事に、まだ誰も気付いてはいなかった
ティルトに駐留している騎士団は、すでに疲れ果てていた。
連日のように妖魔が襲って来ては、森の中へ姿を消していく。その繰り返しだった。襲ってくる妖魔は、相変わらずオークとオーガであり、数も毎回同じ程度であった。
次第に戦い慣れはしたが、一向に衰える事の無い妖魔達の力と数に、騎士団は少しずつ数を減らして疲れが蓄積していた。
妖魔達を退けるのに効果的であった魔法も、使い手であるフェイラがついに精神の限界に達して倒れると、騎士団の動揺は深刻であった。
それでも騎士団が耐えていたのは、カルマが健在であったからだ。
騎士団はすでにその数を八割ほどに減らしていた。それでもまだ七百名ほどの数を保っていた。
カルマは、副官達とともに飛び回って指示を与えていた。連日の戦にもかかわらず、北の森から少しはなれた場所には粗末な柵が設けられている。その後ろには、簡単な溝が掘られ、敵の侵入を拒んでいた。
北の街道の入り口には、馬除けの柵の他に右手にある湖から水を引いて、掘りを作ってある。見張り台は妖魔に倒された経験から、少し東側に作られていた。
天幕も、可能な限り村に近い場所や村の中に作られ、村の東側の家々も穴から放れているものを使っていた。
最初の妖魔の襲撃では混戦になってしまって使えなかったが、これで狭いながらも平原の北側に空間を作り、弓での攻撃を可能にしていた。
「フェイラ殿、ご気分はどうかな」
カルマは女魔術師を見舞いに来ていた。
普通なら、女性の寝室にむやみに入るものではないのが、いつ妖魔達が襲ってくるとも解らないので、カルマは戸口で入って良いか訊ねてから入ったのだ。
魔術師は場合が場合なので、ローブを着たままの姿で寝ていたようだ。傍らにはすぐに使えるように魔法の杖が立てかけてある。
「ええ、もう大丈夫です」
上体を起こそうとしたフェイラを、手で制しながら「そのままでいい」とカルマは気遣いを見せた。
「何かありましたか」
フェイラは、カルマの気遣いにありがたく甘えると、身体を寝かせながらカルマに聞いた。
「次の襲撃が何時来るかも解らないのでな」
カルマは、フェイラが戦えるのかどうか自分の目で見に来たのだった。
「もう大丈夫です、妖魔達が来れば私も戦います」
フェイラは聡明な光りの宿る眼を、カルマに向けながら静かにそう言った
「そうか、起こしてすまなかったな」フェイラの言葉に満足そうに頷いたカルマは、それまではゆっくり休んでいてくれと続けると天幕を出て行った。
天幕を出ると、眼に飛び込んで来る南の山々はすでに紅葉が進んで鮮やかな色彩を見せていた。
戦の事など忘れさせてしまうような景色に、カルマは少し足をとめた。
フェイラの天幕は、村の石壁から入ってすぐのところにあった。隣に並ぶように、少し大きめなカルマの天幕が張ってある。石壁の上には見張りについている騎士達が数人、北を窺っている。
カルマは傍らに控えていた副官に、部隊長達を集めるように言うと、自分の天幕へ向かった。
天幕に戻ると、カルマは椅子に腰掛けてゆっくりと、息を吐きながら眼を閉じていた。
―ドーン・・ドーン・・
と、そこに突然見張り台から銅鑼の音が聞こえた。
―音が二つ、西からかっ
敵の襲撃があると、音の数で向かってくる方角が解るようになっていた。音が一つなら北、二つなら西だ。三つならそれ以外からという意味だ。妖魔達は今まで北からしか襲っては来なかったが、今回は西から来たということになる。
―ドーン・・
「ん?」
最初の二つを聞き、急いで天幕を出ようとした時だった。もう一つ音が鳴った。しばらく間があって鳴ったという事は、どうやら帝国兵ではないらしいとカルマは思った。
天幕を出ると、抜き身の剣を持ったまま、構えを解いた騎士達が城壁の上で騒いでいた。鐘の音で敵ではない事を知った騎士達が、興味深げに向こうを見ている。
「カルマ様っ!」
城壁の向こうから馬に乗った一人の騎士が姿を現した、カルマの姿を見ると近づいてきて言った。
「アルス様達が戻られました」
騎士団が陣を構えるティルトの北の小さな平原に、アルス達は到着した。
敵襲を知らせる銅鑼の音が二つ、続けて一つ聞こえてくる。
アルス達は最初、戦闘の真っ只中に到着してしまったのかと思ったが、それが自分達を見つけて鳴らされたものだと解ると、安堵しながら平原を村に向かって馬を進めていた。
辺りを警戒していたらしい騎士達が、アルス達の姿を見て一様に安堵の表情を浮かべながら挨拶をしてきた。
敵襲だと思ったのか、中には抜き身の剣を持ったままの騎士もいたが、アルスの視線を感じて慌てて鞘に収めていた。
巡回していた騎士の一人が馬を反転させると、村の城壁の方へ向かって駆けて行った。きっとカルマに知らせに行ったのだろう。
アルス達は馬を歩かせて村の方へ向かった。
しばらくすると、馬に乗ったカルマとその副官達が駆けつけて来た。
カルマに先導されるような形で、石壁の中に張られた大きな天幕の中にアルス達はいた。
カルマは正面に腰を下ろして、こちらに眼を向けている。傍らには顔色が少し青い女魔術師のフェイラが、同じく椅子に腰掛けている。
魔法によって激しく精神を消耗させた後に見られる、魔術師独特の顔色なのだがアルスは知らなかった。具合が悪いのかな、位にしか思っていなかった。
カルマを挟んでフェイラの反対には、数人の騎士達が立っていた。皆、右肩に紫色の布を巻いている。
「ずいぶんと早かったな」そういってからカルマは労いの言葉をかけると、広場に開いた穴について何か解ったのかと、聞いてきた。
「はい、ミゼム殿にお会いして聞いてまいりました」
アルスは自分の後ろにいるセリルから悲しげな空気を感じ取ったが、どうする事もできない自分にもどかしさを感じながらそう答えた。
父と子ではあるが、今は騎士団の軍議用の天幕の中で報告をしている最中なのである。本当は人目を気にしないで父と話がしたかった。セリルを元気付けてもやりたかったのだ。だが、それが無理なのは良く解っているつもりだった。
それからミゼムから聞いた話を、ミゼムから聞いたとおりに話し始めた。所々、エイグが注釈をはさむ。
「それはなんとも・・信じられんな・・」
カルマは、アルスの話が終わるまで黙って聞いていたが、ミゼムから聞いたという話を聞き終わると、そっと呟いた。傍らにいる騎士達が話の途中で驚きの声をあげるのを、カルマはそれを手で制して話の先を促した。確かに無理の無い話なのだ。アルス達も最初に聞いたときは驚きを隠せなかった。
「ですが、それが真実です」
そう言ったのは、アルスでもなければセリルでも無かった。フェイラであった。
「それはどういうことだ?」
さすがにフェイラの言葉に驚いて、カルマは困惑顔を女魔術師に向けた。
フェイラの蒼白な顔にも驚きが浮かんでいるのが解る。だが、フェイラは聡明な顔をカルマへ向けると話し始めた。
フェイラの話では、ミゼムから聞いた話と同じものがザーナ魔法王国の魔術師学院にも伝わっているという。ただ一点違うのは、ティルトが古竜と赤き乙女の眠る地の上に興された村である事は、伝わっていなかった事だった。
「同じ話がザーナにも伝わっているのだな・・」
カルマはそう言うと、信じないわけにはいかないといった顔でセリルを見つめた。年の頃はアルスと同じ、まだ少女の面影の抜けきらないこの娘がミゼムの孫娘であり、紅き乙女の子孫だという。
セリルは黙って方膝をついて前を見ていたのだが、自分が紅き乙女の子孫だと紹介された後から向けられる騎士達の好奇の目に、緊張の為か俯いてしまっていた。
カルマはそんな少女に優しい眼を向けながら、話の内容を整理していた。
「つまり穴の中で今も尚、眠り続けている古竜と紅き乙女に協力を頼み、暗中襲来する妖魔どもを、もう一度封印する術を教えてもらえば良い、という事だな」
カルマはしばらく考えてから少し苦しそうにそう言った。
カルマが苦しそうな声で言ったのには訳があった。
もし、伝承のとおりに妖魔達を封印できるのだとしても、それには蒼き王と同じように自らの命を差し出さなければならないかもしれないのだ。それはアルス達もずっと心に引っかかっていた事であった。
騎士達やフェイラにも解ったのか、みな黙り込み、重苦しい雰囲気が流れていた。
「あ、あの・・私に行かせてください」
重苦しい沈黙を破るように、控えめな声がした。
その場にいた全員の視線が声の方へ集まる
セリルだった。
セリルは、皆の視線が自分に集まっているのを意識してか、顔を少し赤くしながらも、緊張した声でもう一度言った。
「私を穴の中へ、行かせてください」
今度の声は、もっとはっきりと聞き取れる、何か決意に満ちた声であった。少女は相変わらず顔を赤くしながらも、真っ直ぐにカルマの眼を見つめていた。
「・・いいだろう」
しばらく間があって、カルマは静かに口を開いた。
カルマは、少女の目に宿る何かを感じていた。戦いの事など何も解らない少女が、最前線のこの地まで来て、どんな危険のあるか解らない遺跡の中へ行かせてくれと言っているのだ。それがどれほど危険な事なのか解らない年頃でもあるまい。
それを承知で行かせてくれというのだ。カルマはそう思って少女の頼みを聞き入れた。
古代の遺跡には、魔術で作られた魔物や数々の罠などがある。それらの話は一般にも広く知られている話だ。遺跡探索へ行った者達の哀れな末路など、子供達を震え上がらせるには十分な話だった。
子供を心配する親達が、戒める為に良く話したりもする。アルスも幼い頃に母親から良く聞かされたものだ。
「ただし、アルス達五人にも同行してもらう」カルマは優しい眼を厳しいものに変えると、有無を言わさぬ口調でアルスに眼を向けて言った。
「はい」
戸惑った表情を浮かべていたアルスは、それが少女を守りなさいと言われているような気がして答えた。
セリルが赤き乙女の子孫だという事を考えても、セリルの身に危険が降りかからない保障にはならないのだ。
アルスは、自分がこの少女を守らなければという気持ちを強く感じながら、決意の眼で父親を見つめ返していた。
ドーン・・
その時だった。遠くで銅鑼の音が一つ聞こえてきた。
「来たかっ」
カルマは声をあげると、すぐに用意して穴の中へ向かうように言い、騎士達を引き連れて天幕を出て行った。
遠くから、帝国兵が現れた事を知らせる声が聞こえて来ている。
「すぐに準備して出発しましょう」
エイグの緊張した声に、六人は頷くと天幕を出てセリルの家へ向かった。ここからだと石壁が邪魔で、その向こうでの戦いの様子は解らなかったが、騎士達のあげる雄叫びや金属の打ち合わされる音などが遠くに聞こえてくる。
アルスはチラッと石壁に眼をやり、父親の無事と騎士達の武運をそっと祈ってから先を行くエイグ達を追った。
カルマと副官達は石壁に上り、北の街道の入り口を見ていた。
太陽の光りが、ちょうど南西から降り注いでいるので妖魔達には逆光だろう。こちらの射掛ける矢が、大量に降り注いでいるのが遠目に見える。
「カルマ様、大変です」
そこへ一人の騎士が馬を走らせて来た。騎士は石壁の上にカルマがいるのがわかったのだろう。石壁の前で馬を止めると、馬を降りるのももどかしそうにカルマに叫んだ。
「何事だっ」
「はい、今回は妖魔達だけではなく、帝国兵の姿も後ろに見えます」
カルマの声に、その騎士はそう返してカルマからの指示を待った。
カルマの険しく歪んだ眉が、さらに険しくなる。周りからは副官達のどよめきが起こる。
「急ぎ前方を固めよ。妖魔達の侵入を許すなっ」
知らせに来た騎士は、カルマの言葉に「はっ」と返事をすると、馬に跨って平原の北へ馬を走らせて言った。
そう言ってカルマは、北に見える街道の入り口のさらに向こうに眼をやった。
確かに大勢の人影らしきものが、街道へ入って少し行った先の小高くなった場所に陣取っているのが見える。
カルマはそれを憎々しげな眼で見ながら、周りにいる副官達に守りを固めるように次々と指示を出していく。カルマの指示を受けた騎士達は一礼をすると、それぞれの持ち場へ向かって行った。
「カルマ様」
一通り指示を出し終えて帝国兵らしき塊に眼をやると、後ろから声がかかった。
「私にお任せください」
フェイラはそう続けると、カルマの返事も待たずに何やら唱え始めた。
見ると、左腕にはいつもとは違った短いワンド魔術棒が握られている。そのワンド魔術棒は赤い宝石が先端部分に埋め込まれており、フェイラの詠唱が進むに連れて赤い輝きを放ち始めていた。
「はぁーっ」
フェイラは呪文が完成すると、街道の向こうへワンド魔術棒を振りかざした。
すると辺りは一瞬、陽の光が遮られたように暗くなると、すぐに元に戻ってしまった。
カルマは何が起こったのか解らずにフェイラの顔を見る。
「幻覚を作りました」
何事も無かったような顔をしながら、フェイラはそう言った。知性を感じる眼が、北の街道からカルマへ向けられる。
フェイラの話によると、帝国兵側から見ると、街道の入り口に何人かの巨人が出現したように見えるそうだ。そして、こちらが妖魔と戦っている様子は見えなくなっているらしい。
ワンド魔術棒の赤い光りは少し弱くなっていたが、相変わらず光りを放っていた。
「これで時間が稼げます、帝国兵は警戒してすぐには襲ってこないでしょう」
フェイラはそう言って、解除の鍵となる言葉が発せられるか、ワンド魔術棒が健在である限り幻影はその場に留まり続けますと続けた。
「そうか」カルマは女魔術師の説明を聞くと、一言礼を言ってから前方の戦況を見つめた。
どうやら、騎士達は妖魔を押し返しているようだ。すぐ後ろに帝国兵がいるが、妖魔の数はいつもと変わらなかった。種類も相変わらずオークとオーガであるらしかった。聞き覚えのある奇怪な叫び声が石壁までかすかに聞こえてくる。
弓で戦っていた者達も、剣を手に戦いに加わっているようであった。
ついに妖魔達が崩れ始めたようだった。
しばらくすると、一際大きな喊声が聞こえてきた。妖魔達の姿が四散しながら森へ逃げ込んでいくのが遠目に解る。
石壁の上でも、それが解ったのだろう騎士達が喊声を上げ始めた。
「油断するなっ、帝国兵はまだ後ろに控えておるぞっ」
カルマも一瞬ほっとした表情を作ったが、すぐに険しい表情をしながらそう叫んだ。周りの騎士達もその言葉に落ち着きを取り戻して、慌てて武器を構えて北の街道の入り口に眼をやっていた。
帝国兵達の陣に動きは無い様に見えたが、ここからでは遠すぎて良く解らない。
フェイラの創り出した幻影で帝国兵達がすぐに襲ってくるとは思えなかったのだが、こちらからは幻影は見えない。
幻影で足止めをしているのを知っているのは、カルマとフェイラの二人と、その二人のやり取りを見ていた護衛についている数人の騎士達だけであった。
アルス達は長い階段を下りていた。
暗くじめじめとした階段は、ところどころ苔が生えていて何度か滑って転んでしまいそうであった。数本の松明の明かりだけが足元を照らす唯一の光源であった。
壁は土が剥き出しになっている。長い年月のうちに崩れたのだろう、ところどころ階段の上に被っていたが、歩けないほど崩れているところは無かった。
そこは村の広場に空いた穴の奥に通じる階段だった。村の東南のはずれにあるセリルの家の裏に、一つの枯れ井戸があった。その少し大きめな井戸の脇にある石を、ジェイズはその怪力で持ち上げたのだ。すると、どういう仕掛けかわからないが、小さな機械仕掛けの音がして枯れ井戸の東側が陥没したのだ。
そこには暗く、そこの見えない階段が姿を現した。階段は少し下ると踊り場があり、方向を変えて村の広場の方向に下り始めた。
どんな罠が仕掛けられているか解らない。もしかしたら、遺跡を守る為に魔法による永遠の命を与えられたゴーレム人造生命体が、襲ってくるかもしれない。
アルス達は黙ったまま、辺りを警戒しながら階段を下って行った。
途中、ジェイズが足を滑らせて、先頭を行くアスターを巻き込んで数段転げ落ちてしまった。
したた強かに背中を打ちつけたアスターが、ジェイズを睨んでその巨体を呪った。皆で心配して起こしたのだが、深刻な怪我をしているわけでも無く、また罠の動くような音も聞こえなかった。一行は安堵のため息を漏らしながら、階段をまた下りていった。
ジェイズが、すまなそうにアスターを見る顔がおかしかったらしく、セリルがちょっと笑っていたのをアルスは見ていた。
自分を見ているのを感じたのか、セリルはアルスの眼を見ると、少し赤い顔をして、ばつが悪そうに俯いてしまった。
アルスは、セリルに笑顔が戻ったのを良い事だと思いながら、また前を向いて歩き出した。だからアルスは、自分の背中を見ている少女の悲しそうな視線に気付く事も無かった。