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六、語られた真実

六、語られた真実


村の表では、歓声を上げて到着した騎士団を村人達が迎えている。

手を取り合い、無事に生き残れた事を喜び合う声が聞こえてくる。そこには涙声も混じっていた。

不思議な光が現れ、妖魔が帝国兵を襲い始めた後、ようやく到着した王国の騎士団は残っていた帝国兵と妖魔を撃退した。

総崩れとなった帝国兵は北の街道を進んで砦へ逃げた様であったが、残った妖魔達は北の森の中へ消えて行ったのだった。


「そうか、ご苦労だったな」

カルマは、アルスから受け取った書簡を脇の机に置きながら、一通りの説明を聞くとエイグに軽く礼を言った。

カルマはアルスの父であり、騎士団長でもあった。短く切られた髪は白髪に変わり、この男の齢を物語っている。飾り気の無い騎士の鎧を着てはいるが、右胸に浮き彫りにされた紋章は金箔が貼られていて、左肩には渋い銀色に染められた布が巻かれている。

王家の者にしか使う事の許されない金の色が紋章に使われているのは、この男と王家との間に血縁関係がある事を意味していた。

ゆらゆらと揺れるろうそくの炎が腰に吊るしてある、柄に騎士団の紋章の入ったブロード・ソードを妖しく照らしている。

天幕の中には、カルマとエイグの他にアルスやカイン、ジュラン、アスター達もいた。

カルマの隣には、魔術師と思しき灰色のローブを着た若い女と、右肩に紫色の布を付けた騎士が三人立っていた。

女魔術師はフェイラという。近年、王国に召抱えられた。まだ若い魔術師の評判は、ザーナ魔法王国から遠く離れた王国にも伝わるほどだ。あまり表情を表に出さない、細く整った顔立ちからは聡明さが窺える。ゆったりとしたローブに隠れたその身体が華奢なのは、ローブ越しからでも窺えた。その体付きには良く見られる小ぶりな胸が、ろうそくの炎で小さな影を作っている。他の騎士はカルマの副官達だった。

天幕は、村の石壁の外に張られていた。

石壁の中の方が陣を張るのには良かったのだが、村の広場に開いた穴が広がらないとも限らないからだった。もっとも、千人近い規模の大部隊だった。元から全てが村の中へ入れるはずが無かったのだが。

そこで、騎士団は帝国兵を追い払った後、石壁の北側に仮の陣地を築いていた。

近くの木々に繋がれた馬達が、長旅から解放されて、嬉しそうに休んでいる姿がある。

カルマはアルスに向き直って「良く生き残った」と、そっと呟くように言いながら優しい茶色い眼を向けた。それは騎士団長ではなく、父親が愛しい我が子に向けるそれであった。

だが、すぐに険しい表情に戻り、アルスとエイグにゆっくり休むように言うと、外で見張りをしていた若い騎士を呼び、別の天幕に案内するように言った。

若い騎士は一礼をして、アルスとエイグを先導して歩いていった。

どうやら会議を始めるらしい。

十余年前のグレディスの事件に関わっていたという魔術師の話しを聞きたいらしく、カインは残るように言われていた。

ジュランやアスターも天幕の中に残った。

外に出ると、いたるところに天幕が張られている。何も知らない小鳥の囀りが、森の中から遠く聞こえてくる。

兵は皆、馬に乗って来ていた。王国の南に広がる大草原には、野生の馬が豊富にいた。馬は他の国にも輸出され、古くから王国の南では馬を飼育して生活していた。

騎士団も、若いうちに捕まえた馬を調育して軍馬として使っていた。だから馬の数は大陸の他の国よりたくさんいる。

騎士達は村に入れない為、平原の南側半分を埋め尽くしていた。長旅で疲れた騎士達が、つかの間の休息をとる姿や、見張りについている者の姿が見える。

いつ敵の襲撃があるかわからなかったが、先程追い払ったばかりですぐに攻めて来るとは思えなかった。

アルスとエイグは、石壁の西側にある小さな天幕に案内された。若い騎士は「お休みください」と一言言うと、入り口の外に立って見張りについたらしかった。

「ゆっくり休めるね」アルスは言った。父親が騎士団を率いて来てくれた事が嬉しいのだろう。無邪気そうに笑いながら寝床を作っているエイグを手伝った。

エイグは笑いながら頷くと、脇に置いてある、折り畳まれた木を地面に敷いた。その上に、羊の毛皮を何枚か敷いてから毛布を乗せた。

「さて、疲れているでしょうから、今日はもう寝ましょう」

「うん」エイグの言葉にアルスは素直に従い、毛布に包まった。エイグも隣で毛布に包まる。

―なんで自分だけ、あの薄紫色の光に惑わされたのだろう・・。

エイグは気になっていた事を考え始めた。だが、魔法に詳しく無い自分が、いくら考えても答えなど出るわけも無かった。

―明日、機会があればフェイラ殿に聞いてみよう。

エイグはそう思うと眠る事にした。隣では、すでにアルスが穏やかな寝息を立てていた。


天幕の中では軍議が開かれていた。

ジュランは、王都からの伝書鳩がタンカスへ着き、急いでティルトまで来た事から今日までの経緯を話した。カルマや他の騎士達は黙って聞いている。

アスターも、それに次いで村での事を話したが、ジュランがほとんど話していたので短く終わった。

「そうか」カルマはアスターに労いの言葉をかけると、村人達を安心させてくれと言って退席させた。

「して、グレディスの一件でいた盗賊の一味がいたというのは本当か?」

カルマは、ジュランの後ろにいる壮年の騎士に問いかけた。盗賊というところでカルマの声に怒りが篭る。

カインは一連の成り行きを、ジュランの後ろで見守っていた。

カルマの眼には、なぜか遠い昔を懐かしむ様な雰囲気がある事に、ジュランは驚いていた。

「お久しぶりでございます・・」そう言って、カインは一呼吸置くと話し始めた。ジュランが驚いた表情をしているのがわかる。

「そうであったか・・」

カルマはカインの話しを聞き終わると、カインを労い、今日はもう休むように言うと、二人を退席させた。後はカルマとその側近達で話し合うのだろう。

ジュランは驚いていた。

それは、カインの口から聞かされた事実が十余年前のグレディス事件の、一般には知られていない内容であったからだ。

それによると、十余年前に盗賊討伐の任が下り、王都を出陣したカルマの軍に、まだ騎士になって間もないカインも部下として同行していたというのである。

そして、詳しくは話されなかったが、カインの親しい友人と妹に何か悲劇があったらしい。その悲劇に盗賊の一味の、あの魔術師が関与していた事が話の内容から読み取れた。

魔術師はほとんどが、遥か当方のザーナ魔法王国で学んだ者達だった。それが盗賊の中にいるなどと騒ぎが広まれば、ザーナ魔法王国との外交問題にも発展しかねない微妙な事であった。その為、魔術師の存在は公にはされなかったのだ。しかも、公には盗賊団の全てを討ち取った事になっていたが、盗賊団の幹部達は数名が逃亡していたというのである。

その逃亡した盗賊達の一人が、石壁の上で見たあの魔術師だというのだ。

通常であれば、捜索隊を編成して盗賊の残党狩りをするのだが、王国には当時、別の問題が持ち上がっていた。盗賊討伐を果たした騎士団は、すぐに王都へ引き返さなければならなかった。その為、逃亡した盗賊達を追いかけるだけの余裕は無かったのだ。

その時、カインは逃亡した盗賊達を追いかけるために騎士団を離れたのだという。

驚くなという方が無理な話だった。ジュランは天幕を出ると、同じく天幕から出て、一人歩いていくカインの背中をまじまじと見つめていた。

気がつくと、すでに月は西の空に沈み始めていた。代わって東の空がわずかに白み始めている。ジュランは自分も疲れている事に気付き、眠ろうとその場を後にした。


翌日の夕方。

アルスとエイグ、それにアスターとジェイズとカインは旅立っていた。

シュプール西の港町にいるはずのティルトの長老ミゼムに会うためだった。

女魔術師フェイラは、夜が明けると村の広場に空いた大穴を調査した。

薄紫色の光はすでに収まり、その残光が穴の奥深くで、淡いきらきらとした輝きを放っていた。穴の外へ溢れ出た光りは、すでに太陽の光りの中へ消えていた。

調査団を編成して送り込む案も出されたが、エイグの体験や、中から強い魔力を感じるとのフェイラの報告を受けて断念した。

エイグの体験は、どうやら彼の体質にあるようであった。ごく稀に、魔法に対して抵抗力の全く無い人がいるというのだ。特定の魔法に抵抗力の無い者や、全ての魔法に抵抗力の無い者もいるらしい。それとは逆に、通常より抵抗力の高い人間もいるとの事であった。中には魔法への耐性を生まれながらに持ち、魔法の効かない者もいるという。

フェイラによると、どうやら《封印戦争》以前の古代の遺跡が中にあるようなのだが、あの薄紫色の光が邪魔しているらしく、女魔術師の魔法でもそれ以上は知る事ができなかった。

ただ、五十歳ほどの一人の村人が、地下に埋もれた街の古い言い伝えがある事を思い出したのだ。アスターやジェイズのように若い村人は全く知らない言い伝えであった。

しかし、その言い伝えを知る者は他にいなかった。その村人も幼い頃の記憶である為、あまり覚えていないという。ただ一人、村の最年長の長老であるミゼムなら知っているかもしれないとの事だった。その為、ミゼムに会って話を聞きだす必要があった。

穴を埋め立てて城壁や門を作り直す案や、西にある街タンカスまで退いて陣を張る案も出されたのだが、遺跡には古代の技術や魔法の道具などが保管されている事が多いのだ。まだ手付かずの古代の遺跡と判って、みすみす帝国に奪われるわけにはいかなかった。

そこで、村の北に広がる平原にある砦への街道の入り口に見張り台を作り、村人達の作った馬除けの策を置いて、陣地を作る事になった。帝国兵の置いていった投石機は解体されて資材として使われている。もちろん、北の森を抜けて襲ってくる可能性もあるため、周囲への警戒も怠ってはいない。

それに、逃げた妖魔達を警戒する事も忘れていなかった。

調査が終わるまでは村の中では陣を張れない。戦が長引くのであれば、この平原そのものを要塞化する必要があるだろうとの事だった。


「まさか旅に出る事になるとはな」

ジェイズは、自分の育った村を名残惜しそうに振り返ると呟いた。

アスターも村の方を振り返ると、無言で頷いた。

「村の地下に遺跡があるなんてなぁ」

アスターは独り言のように言うと、また前を見て歩き出した。

「おーい、置いてくぞー」

しばらくして、まだ村の方を見ている巨漢の男に、アスターは手を振って言った。ジェイズは振り向くと、今行くと叫んで走り出した。すでにアルス達三人は、アスターよりかなり前方を歩いている。

秋の夕暮れが赤く五人を照らし、長い影を伸ばしていた。





暗闇の中にはただ一つ、明かりを放つろうそくが立っていた。その炎はゆらゆらと揺らめき、部屋の壁を薄暗く照らしている。

ここは北の砦。シェルバリエ森林と草原の王国とガルバス帝国礎の国の間にあるアルモス山脈の中ほどより、少し東にある陸路の上に築かれた砦である。

山脈を大きく東へ迂回すれば両国を行き来できるが、それには山脈の東にある“百の谷”や“死の砂漠”を越えなくてはならない。

“百の谷”には、人間ではない亜人族や《封印戦争》の時の産物だと言われている奇怪な生き物達が住み着いている。めったに人間に危害を加える事の無い亜人族も、大規模な軍隊の通過を黙って見てはいないだろう。

“死の砂漠”は文字通り、入る者を死に至らしめる砂漠だ。巨大な芋虫や蟻地獄などの生き物が生息している。迂闊に足を踏み入れれば、餌になるだけだろう。砂漠を東から西へ、唯一伸びる一本の道なき道だけが、砂漠の案内人達によって開拓された陸路であった。

“百の谷”と“死の砂漠”をさらに東へ迂回するとジルメキア神聖王国があるが、軍勢を引き連れて通ろうとすれば、大きな問題になってしまう。最悪の場合は戦争だ。しかも、問題なく通れたとしても何ヶ月もかかるみちのり道程である。

その為、両国の間にある唯一の陸路が、この北の砦を通る小さな街道であった。

その砦の中の一室に、男はいた。

石畳の床に座った、深くローブを被っている男は、焦燥しきった顔で何かを呟いている。冷たい床に座って、ひんやりとした空気に頬を撫でられても、男の額からは大量の汗が滴っていた。

「はい・・」

男は両手を蓮の花のように目の前に掲げて、そこに乗る水晶でできた玉に向かって呟いた。顔の半分くらいの大きさだ。

その水晶の玉からは禍々しさを感じさせる赤い筋状の光りが、時折放たれて男の顔を照らしていた。

「申し訳、ありません・・突然現れた強大な魔力により、召還が壊されてしまいました・・」

男はベイグナルだった。水晶の向こう側へ向かって言葉を投げかけている姿は、別の人が見れば狂気に取り付かれた者のそれに見えただろう。

ベイグナルは、数日前の小さな村での一戦の事を報告しているようであった。

「まぁよい・・」

水晶の向こうから、しわがれた鋭い声が返ってきた。

その声に、ベイグナルは抱いている怖れを隠せずに、ガタガタと震えている。

窓一つ無い部屋の扉は硬く閉められ、音は外には漏れないはずなのだが、魔術師の体の震える音は外まで漏れていそうなほどであった。

それは、ミーゼや他の帝国兵の前では決して見せない姿であった。

「グレディスか・・、懐かしいな・・だが、たとえ感付かれたとして、彼奴らになにができる・・放っておけばいい」

水晶の声はそう言うと、ベイグナルの恐怖に引きつる表情を楽しんでいるかの様にしばらく間を置いた。

「王国の兵がすぐ近くまで来ているのだな・・」水晶の声は自問するように呟くと、続けて「それでは、次を実行するのだ。混乱をもたらし、王国の騎士達を、恐怖で震え上がらせるがいい」

しわがれた声は静かな口調で、しかし殺気を感じさせながらそれだけ言うと、魔術師の返事も待たずに消えてしまった。

「ふぁ、はぁっ・・」

水晶の光が消えると緊張の糸が切れ、魔術師は溜め込んでいた物を一気に吐き出すように荒い呼吸をし始めた。

荒い息を整えるように、その場にしばらくしゃがみ込んでいた魔術師は、不意に妖しい笑みを浮かべながら、高らかに笑い出した。

「ふふぁーははっはっ」

しかし、笑っている表情とは逆に、眼は冷酷な、見る者を凍りつかせる邪気を宿らせていた。

「王国の騎士達よ、恐怖と混乱の中で、絶望の辛苦を味わうがいい・・」

魔術師はひとしきり笑うと、残酷な表情を浮かべてそう呟いた。


ミーゼは砦の広間の窓に腰掛けて、窓の外の景色に眼を向けていた。

初秋の様相も、山々は紅葉が始まって本格的な秋に変わろうとしている。日を追うごとに冷たくなる風が、ミーゼの長い髪と戯れていた。顔にかかる髪を面倒くさそうに払いのける仕草は、女騎士の華奢な体の魅力と一緒に魅惑的な雰囲気を作り出していた。

「ふん・・」

ミーゼが鼻を鳴らしたのは、数日前の負け戦を思い出しての事ではなかった。

それは、ミーゼが与えられた任務である、魔術師の護衛という任務が気に入らないのだった。

自分は皇帝陛下の近衛隊の騎士だ。なぜ魔術師を護衛せねばならぬのだ。ミーゼは考えていた。

確かにミーゼは、剣の腕においては帝国屈指の使い手だろう。毎年開かれる御前試合でも常に上位に顔を出す。

―だからといって・・

やはり気に入らないなと思い、自分に任務を与えた宰相アモスの顔を思い出してムッとした。細い切れ長の眼がさらに薄くなり、整った顔には眉間にしわがよる。だが、そのふくれた顔もミーゼの魅力を損なう事はできずにいた。

ミーゼは、これ以上考えていても不機嫌さがどうなる物でもないと考えて、ここ数日間の事に考えを向けた。

数日前の負け戦の後、急いで砦まで退却をしたのだが、王国の騎士団は追いかけてこなかった。道中、一緒に馬に乗っていたベイグナルが、ガタガタと震えながら身体を密着させて抱きつき、自分の胸のあたりに手を回していた事を思い出して、少し赤い顔になる。

嫌な事を思い出したと、慌てて考えを別に巡らせる。

ミーゼとベイグナル、それにミーゼ配下の数十名の騎士達は、二日程で砦に着いたが、徒歩の兵達は、その後二日間をかけて続々と砦へ帰還していった。

コウパは討ち死にしていたので、必然的に参謀であるベイグナルに指揮権が移っていたのだが、魔術師は砦に着くと、慌てた様子で砦の奥にある窓の無い一室に閉じこもってしまった。

それから二日間、魔術師は中から出て来ようとはしない。

仕方が無いので、その部屋の前に護衛を二人つけてミーゼが陣頭指揮を執り、砦の南側の警備を強化して王国兵に備えていた。それと同時に、帝都へ伝書鳩を飛ばしてコウパ討ち死にの知らせを届け、指示を仰ぐ事にした。

あれから二日、まだ帝都からの連絡は無い。

ミーゼはとりあえず休める者は休むようにし、南側の城壁を崩れた塔の瓦礫を運ばせて強化するように指示を出していた。

作業は着々と進み、簡単だが街道と砦を仕切る壁ができていた。

ミーゼはそれに視線を落とすと、攻められたらひとたまりも無いな、などと人事のように思いながら、ぼうっとした視線をその瓦礫でできた粗末な壁に沿わせていく。

―ん?

瓦礫でできた壁の、門のところに見慣れた青いローブを被った人影を見つけて、ミーゼは不思議に思った。

確か、奥の部屋に篭っているはずだが・・。

「ミーゼ様、ベイグナル殿が部屋から出て、一人で南の街道を歩いていきましたっ」

と、そこへ魔術師の部屋の前に立っているはずの護衛が走りながら叫んできた。

「なにっ」

ミーゼは振り返る途中で理解して、砦の南門に眼を向ける。

確かに、そこに歩いていくのは見慣れた魔術師であった。陽気な雰囲気で、まるで散歩でもしているかのような軽い足取りなのがわかる。

「こんな時にっ」

ミーゼは叫ぶと、魔術師の後を追いかけようと走り出した。

「おいっ、お前達は他の者も何人か連れて後から来るのだっ」と、魔術師の異変を知らせに来た兵に、走りながら声をかけた。

「・・は、はい」

兵士は、ミーゼの走る姿に見とれていたようだった。一瞬間を空けてそう返事をすると、走り抜けていく後ろ姿に一礼をして、別方向へ走り出した。

ミーゼの走る姿もまた魅力的だった。ほとんど男しかいない中で身体を大きく動かしながら走るのだ。華奢な身体が跳ぶ度にゆれる胸や、鎧の腰当てから覗く小さくて形の良い尻に視線を奪われない男はいない。

狭い通路にいた兵士達は慌てて身をかわしてミーゼに道を譲るが、視線はミーゼの身体に注がれているのがわかる。

だが、ミーゼは意にも介さない様子で走っていった。もう何年も軍の中に身をおいていたのだ。男達のそういった視線には慣れていた。


砦の南の入り口から外へ出ると、魔術師は門の向こう側で歩いているのが小さく見える。その歩みは遅く、辺りを観察でもしながら歩いている様子であった。

門のところには、困惑して魔術師の姿を見守る見張りの姿が見える。

ミーゼはかまわずにベイグナルの後を追いかけた。

「はぁ・・はぁ・・」

ゆっくりと歩いていた魔術師にようやく追いつくと、ミーゼは息を切らしながら言った。

「どこに、いくん、だ?危ない、だろう、王国兵が、来ているかも知れないんだ」

最後の方は、苦いながらも途切れることなく言うと、ミーゼは息を整えるために深呼吸をしながら、歩いて魔術師のもとへ向かった。

走って火照った身体が汗をかき、やけに鎧の下の綿入れに引っ付く。露出している肌が淡い桃色になっていた。

「おお、ミーゼ」

ミーゼが追いかけてきた事など知らなかった様子で、ベイグナルは振り返ると悪びれた様子もなく、右手を上げて陽気そうに笑って見せた。

ミーゼが追いつくのを待って、魔術師はまた歩き出した。

「どこへ行くんだ、砦へ戻るぞ」

並んで歩きながら、ミーゼが口を開いた。乱れた呼吸は、すでにほぼ整えられていた。護衛をしている自分に一言も無く、勝手に砦を離れた魔術師に対しての怒りが篭っていた。

まだ火照った身体は、薄い桃色を見せながらベイグナルの視界に入っているはずだが、魔術師はミーゼの身体に興味など示さずに答えた。

「これからちょっとした策を仕掛けに行くところです」

そう言って、魔術師は先日まで持っていた杖と同じ物を二つ、ミーゼの顔の前に出して見せた。

それは、妖魔召還の魔力の封じ込めてある杖だという。砦を攻める前に道中で聞いたが、ミーゼには良くわからなかった。魔法など、専門で学んだ者でなければ、お伽話の世界の話なのだ。だが、その杖は先日の物とは違っていた。刻まれている奇妙な文字は白ではなく、薄い黄色と黄緑色をしていた。

別に杖があるとは聞いていなかったミーゼは、ちょっと驚いたが、すぐにあの妖魔の反抗を思い出して、大丈夫かといった表情で魔術師を見た。

「大丈夫ですよ。この杖は壊れたりしていませんからね」

ミーゼの不安を見透かした様に魔術師はクスクス笑いながら言った。


魔術師は杖を構えると、何やら奇妙な言葉でブツブツと何かを唱え始めた。

後ろでは、ベイグナルの魔法を邪魔し無い様に、遠巻きにミーゼとその部下たち十人ほどが見守っている。

あれからしばらくして、ミーゼの部下が追いついてきた。全員馬に乗って追いかけてきたのだろう。それほど時間はかかっていなかった。

部下達は二人の無事を確認すると、安堵のため息をついて辺りを警戒していた。

「戻りましょう」との言葉に、魔術師が何かするそうだと答え、黙って後についてくるようにミーゼは命じた。

部下達はよく気が利き、ミーゼの愛馬も連れてきていたが、そのまま部下に手綱を持たせ、自分は魔術師に並んでここまで歩いてきたのだった。

突然、白く輝く一本の線が前方の小高い丘の脇に現れると、徐々にそれは左右に開いていった。

何度か見た事のある空間の割れ目だと気付くのに、たいして時間はかからなかった。部下達も気付いた様子で、先日の妖魔が襲ってきた時の事を思い出して不安そうな様子を見せていた。

そこへ、砦を攻めた時と同じ妖魔が姿を現した。何十、何百という妖魔はその割れ目から、湧き出る泉の水の如く溢れ出てきた。手には粗末な槍や剣を持って、身体には鎧とは言いがたい、鎖と皮や金属の板で出来たものを着ている。いや、かけていると言った方が正しいか。

魔術師が召還したのはオークの兵だった。醜い顔や垂れ下がった耳が豚に良く似ている。口から上へ突き出している二本の牙も見える。

ミーゼも妖魔が襲ってくるのではないかと不安になり、無意識に腰の剣に手をかけた。

「ふふ、大丈夫ですよ、この杖は壊れていないといったでしょう」

魔術師はオークの群れを召還し終わると、ミーゼとその部下達の警戒した様子を見て、またクスクスと笑いながら言った。

確かに魔術師の言うとおり、オーク達は隊列と呼ぶにはあまりにもバラバラな並び方をしながら、血気だってはいるものの、襲ってきそうな雰囲気は無かった。

ミーゼは、ベイグナルの言葉に一応の納得をしながら、腰の剣にかけた手を離して魔術師の動向を見守った。部下達も、ミーゼと魔術師のやり取りを聞いて安堵した様子であったが、相変わらず剣に手をかけて警戒していた。

「さて、次を召還しますよー」

まるで緊張感の無い声でそう言うと、ベイグナルはもう一本の薄い黄色の文字の書かれた杖に持ち替えて、また何やら呪文を唱えはじめた。

今度は先ほどと違い、長い時間をかけていた。魔術師の汗が頬を伝って流れていくのが、横顔を見ていたミーゼにはわかった。部下達も不安そうに魔術師を見つめている。

「くはぁー」

ベイグナルは、額に流れている汗を振り飛ばしながら叫んでいた。

すると今度は、先ほどの割れ目とは小高い丘を挟んで反対側に割れ目ができ、別の妖魔どもが姿を現した。

「ガァー」

恐ろしい、地鳴りの様な叫び声をあげながら、それは何十と割れ目から姿を現す。

ミーゼ達は、その叫びに背筋の凍る思いをしていた。もしあの時、村で自分達に襲い掛かってきた妖魔がこの醜い化け物であったなら、被害はさらに出ていただろう。それは伝説や昔話に出てくるオーガの姿であった。

オーガ達はオークと違って得物は持っておらず、鎧らしき物も身につけてはいなかった。腰にぼろ布をつけているだけの格好であった。

だが、その太い木の幹の様な腕から放たれる一撃が、煉瓦の壁や金属の鎧を粉砕するほど強力なのは、幼い頃に読んで聞かされて知っている。

《封印戦争》で姿を消したとはいえ、今でもその恐ろしさは伝わっている。何より恐ろしいのは、オーガどもが人間を餌として、生きたまま食らう事だった。

部下達も、オーガだと気付いたのだろう。震えながら魔術師とオーガを見ているのがわかる。

「はぁはぁ・・これで準備は整いました」

荒い息をしながら嬉しそうに言うと、ミーゼ達などまるで目に入っていないかのように冷酷な目をしながらクスクスと笑った。

横顔を見ていたミーゼだけには、その冷酷な笑みが見えた。こんな顔もするのだな、と自分でも驚くほど冷静にいられたのは、オーガやオークに対する恐怖や警戒心があったからだろうか。

「それでは、引き上げるとしましょうか」

魔術師は、妖魔達に向けて何か奇妙な声を挙げるとミーゼ達へ振り返り、そう言った。

振り返ったベイグナルの顔からは冷酷な表情はすでに消え、普段の陽気な表情を浮かべている。

魔術師の後ろでは、妖魔達が奇怪な雄叫びを上げながら小高い丘を登っていくのが見える。

「ミーゼ、また後ろに乗せてください」

ベイグナルは笑いかけながら、妖魔達と自分を交互に見ていたミーゼに言うと「もう胸なんて触りませんから」と続けた。

それを聞き、ミーゼは顔が赤らむのがわかった。部下達の前で言わなくても、と思っても遅かった。部下達の視線が自分とベイグナルを交互に見ているのが背中に伝わってくる。明らかな嫌悪を魔術師に向ける者もいるようだった。

自慢するわけではないが、部下達の中には自分に好意を持っている者もいた。

普段は意にも介さないミーゼだったが、あまりにも緊張した後の突然の言葉に、赤面するのを隠せなかったのだ。

それからしばらく、砦を目指してミーゼ達は馬を走らせていた。ベイグナルは部下の後ろに乗せられている。

あの後すぐに、ミーゼは赤面した顔を押し殺すと、何事も無かったかのように部下に魔術師を任せて、自分は愛馬に跨ると砦を目指した。

列の最後尾を走るミーゼは、ふと馬を止めて後ろを振り返った。見ると、妖魔達の群れはその最後尾が小高い丘の向こうへ消えるところであった。

ミーゼは小高い丘の向こうに、これから王国の騎士達に降りかかる悲惨な運命を想像して身震いすると、また砦へ向けて馬を走らせて行った。

ベイグナルは部下の後ろに乗せられても何も言わなかったが、その馬を駆る兵士は不快な表情を押し殺したような顔をして魔術師を乗せると、小さく笑っていた。

砦への道中、悪路を振り落とすほどの速度で走る馬の背から、魔術師の悲鳴が秋の空に響き渡っていった。






遥か遠く、西に見える山々はその頂を真っ白にしている。馬を走らせても、なかなか近くに感じる事はできなかった。

アルス達がティルトを旅立ってから、すでに五日ほど経っていた。

途中、タンカスを通り、そこで馬を借りての旅だった。

ティルトにいる騎士団には、自分達の乗ってきた馬以外の余分な馬はいなかったのだ。元々ただの農村であるティルトに馬などいるはずも無かった。馬が特産の王国には珍しく、農耕馬もいない。

そこでタンカスで馬を借り、シュプールへ向かっていた。

アスターとジェイズは馬に乗るのは初めての体験で、恐る恐る乗っていた。

訓練された馬であった為、慣れないながらも手綱の持ち方や止め方、走らせ方を教えてもらい、なんとかついて来ていた。

アルスとエイグ、それにカインは馬に乗れたが、アルスはまだ経験が浅く、エイグは心配そうに横を離れずに馬を操っている。

タンカスの街には周辺から集まった避難民達が、まだ少なからず残っていたのだが、その中にティルトの村人たちを発見する事はできなかった。

ティルトの村人達が村を避難して、もうすぐ二十日が経とうとしている。徒歩でならもう十日もかからずにシュプールに着くと思われた。

タンカスを発ってから、アスターはそれほど日もかからずに上達していた。しかしジェイズは、その巨漢の為か、あまり乗馬は上達していなかった。

その為、五人は馬を使っているにしては遅い歩みであった。

だから気付けたのだと思う。

馬の足ならシュプールまで、後二日ほどのところに小さな集落があった。

その集落の脇、街道から見ると集落の端の家に隠れるようにそれは見えた。

―あれは・・?

アスターはそれに見覚えがあった。幼馴染の家の脇に、いつもとめられていた荷車だ。

「おーい、ちょっと待ってくれ」

アスターは、少し先で馬を止めてジェイズと自分を待っている三人に向かって叫んだ。

「すまんすまん、馬が言う事を聞いてくれなくてな・・」

ジェイズは少し遅れてアスターのところまで来ると、すまなそうにアスターにを上目遣いに見ながら赤い髪をかきむしった。

「おい、あれを見てみろ」

アスターは、そんなジェイズの言葉を無視してそう言った

ジェイズも、アスターの言葉に何か緊迫したものを感じて指差す方を見た。

「ん・・あれは・・」

確かにそこには、ジェイズも見覚えのある荷車が置いてあった。ジェイズも、アスターの緊迫した雰囲気にようやく納得して「なんでこんなところに・・」と続けた。

「わからないね・・」アスターはそう言うと馬から降りて手綱を引きながら、ゆっくりと集落の方に向かった。

「どうしたんだ?」

そこへ、異変に気付いたアルス達がやって来て聞いた。アスターに続いて集落へ行こうとしていたジェイズは、よろけながら馬を降りると「ミゼム老の家の荷車がこんなところにあるんだ」と答えて、手綱を引きながらアスターの後を追った。

アルス達も、その答えを奇妙に感じながら、馬から降りてアスター達の後を追った。

それもそのはずである。順調な行程であれば、もっとシュプールの近くまで足を進めているはずだったからだ。なのに、なぜこんなところに荷車が置いてあるのか不思議に思ったのだ。

何か起こったのだろうか。不安が頭をよぎる。

アスターは荷車の前に立ってそれを見ていた。

それは紛れも無くミゼムの家の物であった。幼い頃にセリルと遊んでいてつけた傷跡もある。

「間違いないな」

ジェイズも、アスターの隣で荷車を見ると一目で判ったようだ。アルス達も、その後ろから事態を見守っている。

「もし、おたくらはどなたかな?」

不意に後ろからかけられた声に、五人は一瞬びくっとして振り返った。

そこには、鍬を担いだ老人が立っていた。農作業を終えてきたのだろうか、服の裾や手には泥が付いている。

見ず知らずの者がいれば警戒するものなのだが、カインの鎧が騎士の物だと知っている様であった。チラチラとカインを横目に見てはいるものの、警戒はそれ程していない様子だ。騒ぎを聞きつけて、人が何人か集まってくる。

「あ、あの・・」

アスターは戸惑いながら話し始めた。ティルトを旅だった長老達の事や、長老を追ってきた事を。もちろん帝国兵の事などや、なぜ追いかけてきたのかなどの詳細は語らなかったが。

アスターの話を聞くと、納得したように頷いて老人は話し始めた。

その老人の話だと、荷車の持ち主は若い娘と年老いた老人だった。そして、今は自分の家にいる事、荷車は世話になる代わりにもらった物だとの事であった。

「まぁ立ち話もなんじゃわい、これから飯の支度をするでの、お前さんらも食っていかれたらええ」

人の良さそうな老人は、そう言って手招きした。

「もっとも、たいしたものはだせんがな」

老人はクックッと笑うと、アルス達を家へ招いた。

アルス達はどうした物かと思ったが、ミゼムとセリルがいるというので言葉に甘える事にし、老人の家へ向かった。


中には薄汚れた服に身を包んでいる若い娘と、粗末な毛布をかけられて寝ている老人の姿があった。

「セリルっ」

アスターは叫んだ。

年の頃はアルスと同じくらいだろうか。長旅で疲れた様子が窺える。髪の毛は少し乱れていたが、首の後ろで束ねられている。華奢な体付きだが、服の上からでも判る程度に胸の膨らみがあるのがわかる。整った細い顔立ちは残された幼さの為か、少し丸みを感じるが表情は硬く、黒い瞳には悲しみの光りが浮かんでいた。

「アスター兄さんっ」

セリルと呼ばれた少女は家の中に入ってきた見覚えのある顔を見て、驚いて声をあげると、突然立ち上がって泣きながらアスターのもとへ駆け寄って抱きついた。

今まで耐えていた涙が、親しい者の顔を見て溢れ出たのだろう。アスターは「もう大丈夫だから」と言いながら、セリルを支えていた。


しばらくして落ち着いたセリルから事情を聞く事ができた。

つい三日ほど前に、この集落を通りかかった時の事。

急にミゼムの体調が急変し、熱を出して寝込んでしまった。ミゼムは、とても旅を続けられる状態ではなくなっていた。

そこで、この集落で事情を説明したのだという。その時、この老人が寝泊りできる場所として、自分の家を貸したのだ。荷車はその時に、セリルが礼として老人にやったのだという。

「わしはいらんと言うたのじゃがな」そう言って老人は、ばつの悪そうな顔をしながら作ったお粥をすすっていた。

他の村人達もミゼムが良くなるまで残ると言い出したのだが、そんなに何人も寝泊りできる場所は無く、仕方なくミゼムとセリルを置いてシュプールへ向かったそうだ。

ミゼムは、相変わらず熱を出して眠っていた。時折聞こえる苦しそうな声を、セリルもまた苦しそうな顔をして聞いている。

セリルは淵がボロボロになっている粗末な桶に、井戸の水を汲んできて看病していた。ミゼムの額に、絞った冷たい布を置いて汗を拭き取ってやっていた。

たった一人、誰も知らない場所で病気の祖父を看病していたのだ。アルスはなんとなく自分と似ているなと思ってセリルに優しい目を向けていた。

それでも今日は、大分熱も下がって先ほどまでは起きていたらしい。

五人は狭い家の中で、お粥だけの簡単な食事をすませ、一通り話をした後に老人に礼を言うと、アスターを残して外で待つ事にした。

すでにお昼も過ぎ、午後の暖かな日差しが大地を包んでいる。

遅れて家から出てきた老人は、アルス達に頭を下げると、また鍬を担いで歩いていった。

ミゼムは熱を出して寝ていて、とても話ができる状況ではなかった。アルス達は木陰で少し休もうと、近くにあった何本かの木の下に腰を下ろしていた。

農作業に出ている人達の、鍬を振るう音が聞こえてくる。遠くには、北の山脈の上を翔ける鳥達の群れが見える。

戦争など、とても起きているとは思えない穏やかな景色だ。

夢の中の出来事で、起きたらいつもの日常が待っていれば良いのに。アルスはそんな事をぼうっと考えながら、ついついまどろんでしまっていた。

エイグは隣でフェイラに借りてきた書物を読んでいる。ジェイズは、カインから馬の乗り方について聞いているようだった。

どれくらい経っただろうか。

アスターの叫ぶ声が聞こえる。アルスは慌てて起き上がると、他の三人も一緒に老人の家へ向かった。


家の中では、苦しそうなミゼムが横になっていた。その傍らにセリルとアスターが座って、老人の顔を心配そうな表情で覗き込んでいた。

「ああ・・」

ミゼムは苦しそうな表情で薄目を開けてアルス達を見た。

「蒼い目・・の王・・」

ミゼムは夢でも見ているのだろうか、アルスの目を見るとそう呟いた。

―え?

何の事なのか判らずにアルスは戸惑うが、ミゼムが熱に浮かされて出た言葉だと勝手に解釈して落ち着いた。

アルスとエイグは、セリルとアスターの老人を挟んで向かいに座ると、二人も心配そうにミゼムの顔を覗き込んだ。

戸口で、カインとジェイズも心配そうな表情をして見守っている。

「少年よ、あなたは・・?」

老人はアルスを見つめながら聞いてきた。

「この方は現騎士団長カルマ・デ・アイオス様のご子息のアルス様です」

アルスが質問の意味が解らずに戸惑っていると、横からエイグが言った。

「おお・・」老人はエイグに眼を向ける事無く、ため息にも似た声をあげると、しばらく少年の顔を見ていたが、視線を宙に移した。

「わしはもう駄目じゃろう・・」

ミゼムは、苦痛に震える声でゆっくりと呟いた。セリルが「そんな事無い」と泣きながら否定している。

ミゼムは力の無い、それでも精一杯だろう力でセリルの頭を撫でた。ミゼムはセリルを落ち着かせるように、小さく笑うと「わしに聞きたい事とは何じゃ」とアルスに向き直って声をかけた。

「はい、ティルトの村の広場に空いた穴の事をお聞きしたいのですが」

すでに命が尽きようとしている老人の、あまりにも穏やかな表情にアルスが戸惑っていると、エイグが代わりにそう切り出した。

老人にはその言葉が聞こえなかったのか、しばらく黙ってアルスの藍色の目を見つめていた。

ミゼムが黙っているので、聞こえなかったのだろうかと思い、エイグがもう一度口を開こうとしたその時、老人は顔を宙に向けると眼を閉じて語り始めた。


伝説となった遥か昔

今は海の底に沈む北の大地

ある王国で

一つの扉が開かれた

そして、異界の者達は

この地に溢れ出た。


禍々しき異形の者達は

その強大な力で

この地に住まう人間を

滅せんとした


祖先達は力を合わせ戦った

だが、力及ばず

熱き血は大地に流れ

悲しき涙が頬を伝った


祖先達は待った

やがて現れる救い人を

遥か西方の大地に追いやられ

苦しい時代を乗り越えながら


そして時は来た

我らの祖先は諦めず

流した血を武器に

流した涙を勇気に

異形の者達と戦った


紅き乙女レシュフォンは

その身を古竜に捧げ

蒼き王レシュフォルは

その命をもって

異形の者達を封印した


それは、とても静かな口調だった。詩の一節を朗読するように、老人はゆっくりと語った。

老人の語ったそれは、幼い頃から聞かされている、大陸の者なら誰でも知っている伝承であった。数百年前にあった《封印戦争》の時の事を伝えた一節だ。

しかし最後の一節だけが、アルス達が聞いたものとは違っていた。紅き乙女や蒼き王などの名前は一切出てこなかったのだ。

アルス達が聞かされたのは、人間達が力を合わせて妖魔達を封印し、各地に王国を作って幸せに暮らしたと結ばれている。それはどうやら、ジェイズやアスターも同じようであった。驚いた表情を浮かべてミゼムを見つめている。

「あの村はな・・その昔、西に追いやられた最後の人間の国があった場所じゃ」老人はそう言うと、驚いているアルス達にゆっくりと話し始めた。


ミゼムの話ではこうだった。

かつて、人間達は豊かに暮らしていた。

争いも無く、穏やかな営みが紡がれていた。その頃、北の大地にあった王国の魔術師達がとても古い遺跡を見つけた。そして魔術師達は、遺跡の発掘と調査を進めたのだという。そして幾重にも、厳重に封印の施してあった一つの扉を発見した。

魔術師達は、その扉が危険な物だと知っていた。それはこの世界とは異なる、異界に通じる扉だった。

しかし、己の力を過信した魔術師達は自分達の魔力で、その異界の住人達を使役しようとしたのだ。そのままで十分豊かなこの世界で、人間達は更なる豊かさを求め、その扉を開けてしまった。

世界を破滅させてしまうほどの邪悪が存在するとも知らずに。

研究は成果を挙げ、扉から出る妖魔達を次々と支配していった。

だが、その扉の奥で静かにこちらの世界を見つめる者がいた。異界の王、妖魔達の本当の主人であった。魔術師達がそれに気付いた時は遅かった。

妖魔の王は愚かな人間の、その脆弱な魔力を己の強大な魔力で打ち消してしまった。人間達の支配から解き放たれた妖魔達は次々と人間達を襲い始めていた。

魔術師達は必死に抵抗を続け、その扉を再び封印しようとした。しかし、すでに遅く、それまで見た事の無い何十、何百という妖魔達が扉から溢れ出てきたのだという。その時の激しい魔力で大陸の北にあった大地は吹き飛び、海の底に沈んだのだ。

人間達は力を合わせて戦ったが、妖魔達の力は強大で、次々と敗れていった。

そして人間達は豊かだった大地を追われ、辺境の大地であった今のティルト辺りまで逃れたのだという。

それから人間達は、妖魔から隠れ住むようになったのだ。どれほどの時をそこですごしたのかは判らない。

ある予言を信じて、そして再び、もとの豊かな大地に還れる事を願って。

そして現れたのが双子の兄弟、紅き乙女と蒼き王だという。二人がどこで育ち、どういった人であったのかは伝えられていない。

紅き乙女はその肉体を捨て、遥かな神々の時代に存在したという古竜を呼び出した。その竜から妖魔達を再び封印する術を受け取ったのが蒼き王だという。

そして、再び始まった妖魔との戦いは熾烈を極め、大勢の命が失われた。古竜もその力を持って妖魔の王と戦った。後に言う《封印戦争》である。

そして、その戦いで封印の術を用いた蒼き王は、その命と引き換えに妖魔を封印したという。

妖魔達を封印したのは今のガルバス帝国のどこかだが、後の世の人が己の欲望の為に再び封印を解いてしまわないように、正確な場所は伝わっていなかった。妖魔達がガルバスの地に封印された為、その封印の上に興った国として礎の国とも呼ばれている。

蒼き王の子孫達は、ティルトの南の山脈を越えた場所に一つの王国を興した。それが今のシェルバリエだという。

妖魔から隠れ住んでいた頃のティルトとその周辺は、今のように森と平野のある地形ではなく、険しい山々の中に幾つもの窪んだ盆地や谷のある地形だったという。

呼び出した古竜が山々を崩し、そこに人の住める平らな地形を作ったのだ。そして自らは、紅き乙女の魂と共に地下に埋もれた人の街で眠りについた。

そして、その紅き乙女と古竜が眠っている地の上に興ったのがティルトだというのだ。

ティルトには紅き乙女の子孫達が住んでいたという。そして代々、この伝承を絶える事無く伝えてきた。その子孫こそがミゼムでありセリルであるというのだった。

セリルは、初めて聞かされるその話を驚いた表情で聞いていた。

ティルトとは古代語で“安らかな眠り”という意味らしい。自分達を救った紅き乙女と古竜の眠る地に、我々の祖先が付けた名前だ。とミゼムは静かに語った。

アルス達は老人の話を、ただ黙って聞いていた。今ではあまり伝わっていない《封印戦争》の細かなところまで、この辺境の村の長老に伝承として伝わっていた事も驚きだった。

ミゼムはそこまで話すと、苦しそうに咳きをした。セリルが心配そうに背中をさすっている。

ミゼムは呼吸を落ち着かせると、セリルに礼を言いながら続けた。

「すでに封印の術は、シェルバリエ王国の王家にも伝わってはいないだろう、だが、異界の住人が現れ、その穴がまた開いたとしたなら、赤き乙女と共に眠る古竜に問えば、何か解るかもしれん」

苦しそうに老人はそこまで言うと、左手を胸の上へ乗せて眼を閉じた。

一見、眠っているような表情には、眉間にしわが刻まれて痛みに耐えているのが解る。

「すまんが、セリルと二人で話したい事がある」しばらく経って、老人はそういうとアルス達に外へ出てくれるように促した。

五人はミゼムの容態が心配だったのだが、その言葉に従って外へ出ると木陰に腰をおろし、家の様子を黙って見守っていた。

皆、聞いた事の無かった歴史の真相を聞いて、一様に呆然となっていた。


翌日、悲しみの中に六人はいた。

ミゼムは、セリルに何事か話をした後に、静かに息を引き取ったのだった。

セリルは泣き腫らした眼で、墓の前でアスターに寄りかかるようにしていた。他の四人も、かける言葉が見つからずに黙ったままだった。

葬儀というにはあまりにも粗末な形ばかりのものを済ませてから、六人は悲しみのうちにティルトへの帰路についた。

ミゼムと孫娘の間で何が話されたのかは想像もできなかったが、セリルの横顔を見るアルスの眼には、どこか強い意志を秘めているように見えた。


二日後。

六人はタンカスの街に着いていた。ティルトまでは馬でなら後丸一日もあれば着くだろう。

道中、あまり睡眠もとらずに急いだ為に、アスターとセリルの乗る馬が動けなくなってしまったのだ。幸いにもタンカスの街の前であったので旅にはそれ程支障は無かったのだが。

その為、一度街によって休んでから出発する事にした。

相変わらず慣れない馬に、悪戦苦闘していたジェイズは歓声を上げて喜んでいた。

タンカスは、山脈が南へ少し張り出している格好の場所にある小さな街だ。

ティルトとシュプールの、ちょうど中間より少し東に位置するこの町には、硝子の鉱山がある。そこで採れた硝子を溶かして固めた物を加工し、硝子細工を作って生計を立てている。行商人の他には、ティルトや北の帝国へ向かう旅人が通るくらいだろう。

小さな街だがきちんとした城壁もあり、王都から派遣された領主の住む館や、守備隊が詰めている大きな建物などがある。有事の際はこれらを囲むように掘られている深い空掘りに、街の西を山脈から流れている川から引かれた水が入れられる。

アルス達の顔を知っている門番がいたので、わざわざ通行証を見せる事も無く街の中へ入る事ができた。

街に入ると、特産の硝子細工や食べ物を売っている商店が軒を連ねている。だが、普段なら大勢の人の行きかうその道も、人の数はまばらで商店も半分ほどが閉まっていた。

戦の影響であった。

いかにティルトより帝国から離れているとはいっても、北の砦を抜ければタンカスまですぐなのだ。無理も無かった。

アルス達は門を抜けると、その足で領主の館を訪ねた。帰還した事と馬の礼を伝え、翌日の早朝には町を発つ旨と、自分達の泊まる宿を伝えると館を後にした。

タンカスの領主は中年の、でっぷりとした身体の男だった。アルス達の到着の知らせを聞くと、快く迎え入れてくれた。

領主は妻と二人の娘と館で暮らしていたが、今は領主と騎士団の主だった者が寝泊りしている。妻と娘の三人は、僅かな供を連れて王都へ避難していた。

騎士団がティルトに向かう際に、軍の半分を後方の守りとしてタンカスに残したのは知っていた。だが数が多すぎる為に、守備隊の宿舎に入りきらずにいた。入りきらない半分以上の者達は、街の西側で天幕を張って寝泊りしていた。

アルス達は町の南西にある、商店街から少し奥に入ったところにある宿に泊まることにした。

セリルはまだ、ミゼムの事を引きずっている様子だったが、あまり人前では表に出さないようにしていた。

幼い頃に両親を無くし、祖父の手で育てられてきた。その、たった一人の肉親であった祖父が亡くなったのだ。悲しむなという方が無理な話であった。

セリルを気遣い、できるだけ明るく接していたが、そんな皆の気持ちを解っているらしく、無理に明るく振舞っているのが解った。

タンカスまでの道中で少し休憩をとった時の事、皆が寝静まった後に一人、少し離れた場所へ行って泣いていたのをアルスは知っていた。

年頃の娘らしく、自分の部屋が決まると旅での汚れを落とすために、湯浴みをしに行ったようだ。

アルスはセリルの事が心配だったが、さすがに風呂へは行けないと、自分は旅装束を脱ぎ捨てて、五人部屋の隅にあるベッドに横になって身体を休めた。

他の四人もそれぞれ身体を休めている。

夕食にはまだ時間があったので、それまでには自分も湯浴みをしようと思いながら、疲れが溜まっていたのだろう。アルスは寝てしまった。


宿屋の一階は、食堂を兼ねた酒場になっていた。自分達以外には、行商人らしき二人の男が声を潜めて何やら話をしているだけだ。

アルスはエイグに起こされて、まだ眠そうな目をこすりながら、食堂の一角にある椅子に座っていた。すでにアスターやジェイズ、カインの姿もあったがセリルの姿は無かった。

食欲が無く、一人部屋でゆっくりしているそうだ。

五人はあまり会話も無く、黙々と食事をとっていた。

大好きなエール酒だったが、ジェイズやアスターは、さすがに遠慮して一杯だけで終わらせていた。

エイグやカインはさすがに酒は飲まずに、山の中で採れる黄緑色の果物を搾った物を頼んでいた。それは少し酸味があり、食欲増進と健康に良いと言われている。山の中ならどこにでもあるそれは、古くから庶民にも親しまれている飲み物だった。アルスも飲み慣れたそれを注文すると、起きたばかりで渇いている喉に流し込んだ。

食事が終わると、五人は湯浴みをして部屋でゆっくりとして過ごしていた。

アルスは食べ終わると、カウンターで簡単な食べ物をもらってセリルの部屋へ向かった。

―コンコン

「セリル、いるかい?」

アルスは、セリルの部屋の前まで来るとそっと扉を叩いて呼びかけた。

「・・ええ・・いるわ」

しばらくして、消えてしまいそうなか細い声が部屋の中から返ってきた。

声は少し怯えたような感じを受ける。アルスと出会ってまだ四日しか経っていない。警戒しない方がおかしいだろう。

部屋の奥から足音が近づいて来る。戸口まで来ると、セリルは「どうかしたの?」と扉を開けないで聞いてきた。

「いや、その・・」アルスはちょっと戸惑いながらも続けた。

「何て言って良いか解らないけど、そんなに食べずにいたら身体に悪いと思って」と言って、簡単な食べ物を作ってもらったので持って来た事を伝えた。

セリルはミゼムが死んでから、ほとんど満足な食事も摂っていなかった。唯一の肉親が死んでしまったのだ。あまり表に出さないが、悲しみは相当なものだろう。アルスも、自分を逃がしてくれた叔父さんを想うと眼が熱くなるのが解る。

「・・ありがとう」

そう小さく声が聞こえた。

アルスはここに置いておくね、と言って扉の前に食べ物を置こうと、かがもうとした。その時、ガチャリと音がして扉が開いた。

「あっ」セリルの驚いた声があがる。

「大丈夫だよ」アルスは開いた扉の角に頭をぶつけそうになって、よろけながらセリルに言った。

セリルの眼は赤くなり、眼の辺りが少し腫れていた。また泣いていたのだろう。それで扉を開けたくなかったのかもしれなかった。

アルスはちょっと気まずくなって、セリルに食べ物を渡すと「お休み」と言ってその場を離れた。

「ありがとう・・」そう言うセリルの小さな言葉が背中から聞こえてきた。

外はすでに暗くなり、辺りを街とは思えないほどの静寂が包んでいる。

普段なら、仕事帰りの男達や泊まった旅人達の騒ぎ声が、酒場を兼ねた一階の食堂から聞こえてくるのだろう。今は戦争のために閑散としている。

アルスは食堂に行くと、慣れないエール酒を一杯頼んだ。秋になり、だんだんと寝苦しくなくなっている夜も、今夜は眠れそうに無かった。


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