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二、逃避行

兵士たちの断末魔の声が聞こえてくる。

金属の打ち合わされる音や、耳に刺さるような魔物の鳴き声が広間まで響いてきていた。

「もはやこれまでか・・」

白い髪の毛を首の後ろで短く束ねた男は、独り言のようにそう呟いた。男は端正な顔立ちの初老の騎士であった。無骨な、だが、周りにいる騎士とは明らかに違う立派な鎧を身に着けていた。右肩には紫色の布が巻いてある。

その男は名前をガイスと言った。この北の砦の守備隊長である。


 ここは北の砦。

王国の北に位置する山脈の中にある、王国と北の大地を結ぶ唯一の街道の上に設けられた砦であった。険しい山と山の間からまるで生えている様にそびえる大きな砦。

砦には左右に二つの塔が建てられ、見張り台の役目をしていた。その南側を山から山へ結ぶように砦の母屋が築かれていた。塔の北側には、これもまた山から山へ結ぶように弧を描きながら、城壁が築かれている。街道は砦の母屋と城壁の中央を貫くような形で延びていた。

二日前の未明のこと。

突然、砦の中に大量の投石があり、右の塔が崩れた。砦の北側は見通しが良く、功城用の投石機を運んでいれば見えるはずなのだが、攻撃を受けた後になるまで見張りは全くその姿を発見する事ができなかったのだ。そればかりではない。近づく帝国兵も発見する事はできなかった。

その投石を合図に、帝国の紋章を付けた兵が大挙して侵攻して来たのである。しかも、帝国兵は恐ろしい魔物どもを従えていた。

 最初、右の塔を崩された時に、砦の兵士が数十人ほど犠牲になっていた。その後も支援は無く、ほぼ孤立した状態であった。王都からの距離を考えれば当然なのだが。

砦は切り立った山と山の間に作られていた。

北の街道を通るにはこの砦を抜ける以外に道は無いため、砦の北側だけ守りを固めていれば守り通せる形状をしていた。

篭城すれば軽く半年は耐えられるように作られていたが、砦の後ろにはたいした防壁があるわけでもなく、自国の側からであれば出入りはほぼ自由であった。それは、万が一砦を攻め落とされた時に、南側を守りにくくするための配慮でもあった。平時であれば関所の役割も持っている。

 襲撃のあったその時、急ぎ、伝書鳩を飛ばし王都へ連絡したのだが、敵には人間の手に余るほどの力を持つ妖魔が混じっていた。

 幸いにも数が少なかった為、なんとか退ける事ができた。このまま篭城をして援軍を待つ事になっているのだが、王都から騎士団が到着するには、馬の足でも2週間ほどかかると思われた。

 しかし、三日目にして砦はすでに危機を迎えていた。その日の午後、砦を守っていた門は妖魔達の恐るべき力で破壊され、帝国兵達は砦の中に雪崩れ込んで来たのである。

 必死になって戦ってはいるが、帝国の軍勢は千人を超えるほどの大規模な物であった。

夜まで耐えていたのが不思議なくらいである。

「ここを落とされるわけには行かない・・」

ガイスはまるで独り言のようにつぶやいた。

「だが、もはやこの砦の命運も尽きかけている。ここが突破されれば、王都もシュプールも、その近隣の街や村も全て危険に晒されるであろう。なんとしても、それは食い止めねばならんっ」

 ガイスは一呼吸置くと、周りにいる騎士達に向かって力強く叫んだ。

「持てる最後の力を振り絞り、この砦を死守したいと思う。諸君らの命、このわしが預かろうっ」

 ガイスはそう言い、腰に吊るした剣の柄に手をかけてそれを引き抜くと、高らかに掲げる。ガイスの言葉に、その場にいた騎士たちが一斉に声を上げて勇気を鼓舞しあった。

 そして皆、兜をかぶり、剣を引き抜いて部屋を後にした。


 外では凄惨な光景が繰り広げられていた。

味方の兵はすでにほとんどが討たれ、無残な骸を石畳の上に晒していた。屍の上には妖魔が乗り、勝ち誇った様に両手を上げて何か喚いている。生き残った者たちは小さな集団となり、まだ必死に抵抗を続けていた。

野外とは違って砦の中は狭く、小さな塀に区切られている事が幸いしていた。一度に大勢の相手をしなくても戦えるからある。しかし、その抵抗も時間の問題だと思われた。

 砦にいたはずの騎士もすでに半分以上が討たれ、兵士たちもわずかしか残っていなかったのである。

「広間を背に立てこもる。動ける者は全て武器を取れ! 怪我をした者は後ろに下がらせろ!」

 ガイスは中央の広間を背に戦うように指示を出すと、そこに立ったまま剣を杖のようにして戦況を見据えた。


 砦の広間の前には広めの通路があって、少し高めの壁が外側にある。敵からの矢を防げるようになっていて、壁には小さな穴が開いていた。そこから矢を放つ事ができるようになっている。視界は狭いが、その穴から砦の中庭を見下ろせる様にもなっていた。中庭はすでに敵の大群によって埋め尽くされ、味方は屍となって転がっている。

 戦の喧騒は、建物の中から聞こえてくる。建物の中では、まだ味方が抵抗していると思われた。それも制圧されるのは時間の問題であろう事が伺える。

 ふいに、敵の部隊長とおぼしき者がこちらを指差して何かを言っているのが見えた。ここを見つけたのだろう。

「直に敵の大群が来る。命ある限り、ここを守れ!」

ガイスはそう叫ぶと、近くにいた従者に命じて伝書鳩を一羽用意するように命じた。それを聞き、ガイスの傍らにいた鎧と槍で武装した従者は一礼すると広間の向こうへ歩いていった。ちょうど通路と、広間を挟んで反対側の一角に連絡用に使う鳩達を飼育している巣があった。

 ガイスは再び、戦況を確認しようと辺りを見回した。

ー?

ガイスは目を疑った。

広間の前に集まった味方の兵達の後ろに、その影を見つけたからだ。ガイスにとって見覚えのあるその顔は、まだ幼さを残した少年の顔であった。


「アルス、なぜ、こんなところにいるのだ」

外では戦の喧騒が収まりつつあった。建物内の別の場所で抵抗している味方も、そのほとんどが討ち取られ、広間の前に集まっている者達が最後の兵だろう。

ガイスは外の様子に神経を傾けながら、厳しい表情をアルスと呼ばれた少年に向けていた。その眼にはどこか優しそうな光が見て取れる。ガイスは少年と話をする為に、広間の前の通路から少し離れた広間の壁の際にいた。

「ごめんなさい、叔父さん・・、でも、何か手伝いたくて、黙って行くなんてできなかったんだ」

少年はガイスを叔父さんと呼んだ。少し怯えた表情をしている少年の藍色の瞳には意志の強さも伺える。

その少年はガイスの兄の子であった。自分も将来、騎士になる事を望んで砦へ研修に来ていたのだ。

王国には学院がある。王国の全ての子供は十一歳を数える頃から、学院に入ることを許され、教育を受けるのだ。平民の子も貴族の子息も同じに扱われる。中にはそれに不満を持つ貴族達も少なからずいるが、建国当初からの慣わしに表立って異論を唱えるものはいない。そして、十四歳を迎えるとそれぞれの将来によって課題を分けられ、学ぶのである。もっとも、その学院へはほとんどが貴族や裕福な平民の子しかいなく、一般の子供のほとんどが通ってはいないが・・。

だが、それは決して学院に収めるお金が無いわけではない。中にはそういった貧しい者達もいるのだが、大半の農民の子供らは家の手伝いに追われ、学院に通わせてもらってはいないのだ。

アルスも学院の生徒の一人である。

騎士の子供として生まれたアルスは、自分も将来、騎士になる事に何のためらいも無く育ってきた。そして、十五歳になる頃には騎士見習いになるつもりでいたのだ。

騎士になる為、生徒達は卒業前に北の砦を訪問し、砦での研修を行うことになっているのである。王国では昔からの慣わしであった。ちょうど、騎士志願の生徒達の研修をする季節でもあったのだ。

二日前のガルバス侵攻の折、真っ先に逃がしたはずの見慣れた少年は、薄茶色の髪の毛を風に揺らしながら、ガイスを見上げている。

兄にそっくりだ。そう思いつつもガイスはさらに厳しい表情を作り、少年にすぐにここから逃げ出すように言った。

有無を言わさぬ口調であった。「ここは危ないのだ。アルス」

ガイスはそこまで言うと、ふと思い出したように懐に手を入れ、小さな筒を取り出した。

 「これをお前に託そう。重要な任務だぞ。アルス、お前なら、できるな」

ガイスはゆっくりと諭すように、それでいて反論を許さない口調で言った。

少年の正義感が人一倍強く、何を言っても聞かないであろう事は解っていた。例え力不足でも、騎士のように戦いたいと思っている心の内が容易に想像できた。

 ガイスはそれを読み取り、一つの任務を与える事で逃がそうとしているのだ。

ガイスから手渡された書簡を両手で抱えながら、アルスは力強く頷いた。

その瞳には、先ほどまでとは違って戸惑いと不安に変わり、意志の強さと自分がしなければならない事への決意が表れていた。

 それでも少年である。肩が少し震えていた。「無理も無い」そう思ったガイスは、少年の肩にそっと手をやると言った。

「大丈夫、お前ならできる。これを至急、お前の父のもとへ届けるのだ」


ガイスは再び広間の前の通路に戻った。

すでに戦の喧騒は消えて、兵達の不安な息遣いがかすかに聞こえてくる。砦には兵がほとんど残っていない事を、敵も知っている様であった。

 敵がなぜ、すぐに責めてこないのかは解らなかった。ひと思いに攻め立てれば、広間の占拠など時間の問題であろう事は容易に判断できた。

「少なくとも、自分ならそうするが・・」

ガイスは考えていた。何か作戦でもあるのだろうか・・。

広間に通じる通路の前には頑丈な扉がある。

壊すのには一苦労な代物であった。そこから広間の前までは、味方の兵達が疲れた表情に不安さを滲ませたまま、敵の動きを警戒していた。

ガイスは従者を一人、アルスに同行する様に命じた。伝書鳩を取りに行かせた従者だ。その従者に秘密の抜け道を教え、アルス達を逃がしたのだった。

「アルス様、さぁ、早く・・こっちです」

従者は手を差し伸べてアルスを待った。

アルスは何度も何度も砦を振り返っていた。その度に二人の歩みが止まる。従者は名前をエイグと名乗った。

「ああ、すまない・・」アルスはエイグの手をとると歩き始めた。エイグはそのまま手を握っていようと思っていた。話せばまた、歩みが止まるかもしれないからだ。

エイグはまだ若い従者であった。アルスと十も年は違わないであろう。アルスと同じ薄茶色の髪の毛に枯葉色の瞳をしていた。この国には、薄茶色と黒髪の人が同じくらいずつ暮らしていた。国の人口の大半を占めている。

皮の鎧に金属の補強材を当てて強化した、従者専用の動きやすい鎧に身を包み、右手には身長より少し長めの槍を杖代わりに、地面に突き立てながら歩いている。左手には楯と呼ぶには少し幅の狭い、木と金属を打ち合わせて作ったスモール・シールドを付けていた。槍を扱うのに邪魔になら無い様にという配慮である。

アルスは手を握られて、歩くのをもどかしそうにするが、エイグはかまわず歩き続ける。

 「私はあなたを、無事に送り届けなければなりません、たとえ、アルス様に嫌われようとも手は離しませんからね」

そう言うと、エイグはアルスのもどかしそうな素振りにかまうことなく歩き続けた。


どれほどの時間が経っただろうか。

すでに夜も更けていた。だが、「夜の闇に紛れて逃げるのです」そう言ったまま、エイグはアルスを先導して歩いていた。

すでに手は離していたが、エイグは時折後ろを振り返り、アルスがきちんと自分の後を付いてきているか確かめながら歩いていた。

しばらく行くと、左手に川が流れていた。

「少し休みましょうか」

エイグは言うと、アルスを振り返った。

アルスは、少し上等そうな布でできた若草色の服を着ている。汗ばんだ衣服は、肌に引っ付いてアルスに不快感を与えているようだが、アルスはそれを意にも介していないようであった。いや、そこまで気が回らないのかもしれない。

茶色の皮靴は少しぎこちない足取りで、エイグの後をついて来ていた。だが、さすがに少年の足には下りでもきついようだった。肩で息をしているのがエイグにも伝わってきていた。

アルスは無言のままエイグに従うと、息を整えながらその場所で少し休もうと腰を下ろした。額には汗が粒のように出ている。アルスはその汗をぬぐうと、コチコチに固まった足を揉みながら砦の方向を見ていた。

エイグは川に近寄ると槍を地面に置いて、腰に付けていた動物の胃袋を加工した水筒に川の水を汲み、一度ゆすいだ。そのままもう一度、皮の水を汲むとアルスのもとまで持って行き、手渡した。

「喉が渇いたでしょう。これをお飲みなさい」

エイグは優しい声でそう言うと、もう一度、川へ行き、両手に水をいっぱいに汲むと顔を洗った。

アルスは、自分のどが渇ききっている事に気付き、水筒に口を運んでおいしそうに水を飲んだ。水筒の水を、一気に半分飲んだところで息が続かなくなり、アルスは水筒を口から放すと深く一呼吸をしてエイグを見た。

アルスは、自分ばかり飲んでいてはいけないと思い、エイグに水筒を渡そうと立ち上がった。

と、そのときであった。左目の端に、かすかに赤い色が見えた。アルスは首をまわし、顔を砦の方に向けた。

信じたくない光景が目に飛び込んできた。砦が燃えていたのである。アルスは愕然とし、気付かないうちに手に持っていた水筒を、地面に落としていた。

エイグは、その音に異変を感じてすぐさま顔を拭くと、かがんだままの状態でアルスの方を見た。それはアルスの横に見える空に、絵の具をぶちまけたように赤々と燃える砦だった。目に飛び込んできたその光景に、エイグはしばし呆然とし、我に返ると、アルスを促した。

「ここから街道を下るとティルトの村があります。とりあえずそこまでは急いで行きますよ。疲れているでしょうが、そこまでいけば安全ですから」

エイグの声には明らかな戸惑いが聞き取れた。だが、若い兵士は有無を言わさぬ調子でアルスを急がせると、また先頭を歩き始めた。

ティルトは砦でもなんでもない、ただの農村である。その昔に作られた石壁や頑丈な門、人工的に作られた湖で守られてはいるが、今は見張り台も無ければ、肝心の門は農作業の邪魔になると取り払われていた。

ティルトまで無事に着いたとしても、安全ではないのは解っていた。だが、エイグはまだ幼い少年を気遣って、あえて安全と口にしたのである。

アルスは何も言わず、黙ってエイグの後について行った。明らかに怯えた様子をしながら「叔父さん・・」と聞こえない声で小さく呟いた。目には少し涙を滲ませていた。砦が燃えているのだ。砦の守備隊はきっと、誰一人として助かる者はいないだろう。もちろん、ガイスも例外ではない。

そんなアルスの不安を、エイグは何も言わずに肩を抱いてやりながら、街道を南へと歩いていった。



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