エピローグ〜第一章完結〜
エピローグ〜第一章完結〜
アルスは自宅の寝室で寝ていた。
窓の外にある木の枝にとまっているのだろう、小鳥達のさえずりが聞こえてくる。外は晴れて暖かい日差しが入ってきていた。
「アルス、紅茶を煎れたわ」扉を軽く叩くする音が聞こえて、人が入ってくるのがわかる。
「ああ、セリル、ありがとう」
アルスは包帯をしたままの眼を扉の方へ向けて小さく言った。
「包帯も替えましょうね」セリルは持ってきた紅茶を、ベッドの脇にある円形の机の上に置くと、新しい包帯を用意してアルスの巻いている包帯を取ろうとした。
「しっ」
アルスがそんなセリルを遮って、指を縦にして口に当てる。
「ほら、聞こえないかい?」
アルスは、何だろうと不思議そうにしているセリルに小さい声で言った。
「眼を閉じてごらん、聞こえるだろう」
セリルも眼を閉じて耳を澄ましてみる。
「窓の外にいる小鳥達が、セリルに挨拶しているよ」少年はクスクス笑いながらセリルの反応を待った。
「ええ、聞こえるわ」セリルは、久しく聞いていなかった故郷の森の音を思い出しながら、そう小さく答えた。そのセリルの表情には、アルスのまだ見ない明るい笑顔が浮かんでいた。
ここはシェルバリエ森林と草原の王国のほぼ中央に位置する王都。その郊外にあるアルスの家の一室に二人はいた。帝国兵の侵攻を退けて、すでに一月ほど経っていた。
アルスは古竜へ、その力を借りる代償として眼の色を捧げたのだ。
当然、伝承の通りに命が失われると思っていた皆は、思わぬ幸運に喜んだ。
古竜の話によると、力を貸すにはそれに伴った代償が必要であるとの事であった。いかに古竜といえども、願いに見合わない代償を得る事はできないのだという。妖魔達を追い払うだけであれば、その昔、竜と供に暮らした一族の神官の血を色濃く残した、アルスの蒼い眼の色だけで十分だと古竜は説明したのだった。
古竜は、蒼い眼の色を捧げられて薄青色の実体を手に入れると、アルスの願いをかなえるために広場に開いた穴から飛び立ったのだ。その背に赤き乙女を乗せたまま。
アルスは視力も失っていた。だが、古竜によれば、しばらく経てば見えるようになるとの事であった。だが、永遠とも思える時間の中を存在してきた古竜の“しばらく”が一体、何時の事かは判らなかったのだが。
その為アルスは、傷病兵達と供に王都へ返された。
エイグも護衛の任務を与えられて、一緒に王都へ帰って来ていた。今は王宮警備の任を与えられ、兵舎で生活している。
セリルは、アスターの家に厄介になる事になっていた。だが、自分が代償を捧げるはずだった役目を、アルスが替わりにした事へ何か感じている様子で、カルマに頼み込んでアルスの世話をする為に同行して来たのだった。
事情を知るカルマは、それを快く許してくれた。
カインは仇の一人である魔術師の死を確認すると、しばらく騎士団と行動を共にするとの事であった。彼の昔の事は良く判らないが、カルマは事情を知っているようで歓迎していた。
騎士団はティルトの北の小さな平原を要塞化し、北の砦への足掛かりにする事になっていた。
避難していた村の者達も帰ってきた。
北の砦は奪われたままだが、深手を負い、南へ派遣した兵のほとんどを失った帝国は、東の隣国へも遠征している。今や、こちらへ兵を派遣する余裕は無い様に思えた。
アスターやジェイズはティルト復興のために村へ残り、懸命な毎日を送っているそうだ。
国王レイリック八世は知らせを受けると、すぐさま近隣諸国と同盟を結ぶ為にその外交手腕を発揮しているようであった。その為、諸国の代表者を集めた会議がザーナ魔法王国で開かれる事が決まり、代理人を派遣していた。
「小鳥の声なんて、久しぶりだわ」
二人の笑い声が聞こえてくる。
「はい、おしまい」セリルはアルスの包帯を新しい物に替え終わると、にこっと笑ってアルスの手に煎れてきた紅茶を持たせる。
「ありがとう」アルスの言葉にセリルは笑って、ちょうど良い冷め具合よと、笑顔で言って部屋を出て行こうとした。
「セリル、いつもありがとう」
アルスの言葉に、微笑を浮かべながらセリルは振り返った。
「気遣ってもらったお礼よ」
セリルはそれだけ言い残し、きょとんとしたアルスを置いて足早に部屋を出て行った。
窓の外からは、秋の紅葉も落ち着いた木々の枝から、少女の赤くなった顔を笑う様に、小鳥達のさえずりが静かに聞こえて来ていた。