昭島さん
「秀介、まだ時間かかりそう?」
校内新聞のファイルをコピーしたUSBを俺用に支給されたノートパソコンに差し、昭島さんと役割分担をしながら作業を始めて一時間を過ぎた頃。
下校のチャイムが鳴り、椅子から立ち上がった優姉が俺の傍に寄ってそう聞いてきた。
「ゴメン。切りが良いところまで仕上げたいから」
先に帰って、という旨を口パクとジェスチャーで優姉に伝える。
帰り支度をするその他の生徒会の人達を前にして、夕飯の支度とかあるでしょなどと声を大にしては言えない。
俺達の半同棲状態とも言えるこの環境は、世間から見れば異常の部類である事ぐらいは理解している。
生徒会の皆が悪意を持って言い触らすとは思えないが、口が滑るという事も考えられるので、俺達の境遇については今のところ誰にも話していない。
俺のジェスチャーと意図を理解しただろう優姉は、俺の耳に口を寄せてきた。
「今日は何が食べたい?」
俺以外の誰にも聞こえない様にしたその小声は、今日の夕飯の献立を聞くものだった。
「肉的なものをふんだんに使った何か」
優姉と同じく、俺は優姉の耳に口を近づけ、小声で食いたいものを述べた。
やはり男子たるもの、肉的なものを食わなければな。
分かった、とだけ言って、優姉は全員に向かって一応の締めの挨拶をした。
生徒会役員においては、下校時間を過ぎて居残りをしていても問題は無いのだが、教師面々にはあまりいい顔はされない。
切羽詰まった状況、例えば今の書記の人達、でなければ下校時間が解散の目安となる。
あくまで目安なので仕事が無ければ下校時間までいる必要は無いのだが、中々そうもいかないのがこの学校の生徒会役員の宿命だった。
優姉の締めの挨拶の後、ぞろぞろと生徒会室を出て行く面々。
やがて半数以下となったこの部屋の中で、書類を捲る音、キーボードを叩く音が響く中、先程から両手に手を当て、首をぶんぶんと振る女性が一人いた。
なにやってんだ、あの人。
「あの、昭島さん。どうかしたんですか?」
或いは何かしらの発作なのかもしれないが、奇行とも言うべき振る舞いをする本人に直接聞いてみた。
「もう、もう。町田さんったら。生徒会室でそんな、ほっぺにちゅーなんて……!」
顔を赤くした昭島さんが傍へ寄って来て俺の肩をバンバンと叩きながら訳の分からない事を言ってきた。
一瞬その発言に対して首を傾げたが、先程の優姉とのやり取りで多分、昭島さんの位置からだと俺と優姉が欧米よろしく頬にキスをしてバイビーした風に見えたのだろう。
それにしても今日日高校生がちゅー発言をするというのは如何なものかと思った。
「違いますよ。お互いに耳打ちしただけです」
昭島さんのちゅー発言に興味を引かれたのか、居残るつもりだろう他の書記メンバーが手を止めて此方を見ていたので、彼女らに聞こえる様に少し声を大きくしてそう言った。
「そうなんですか?」
昭島さんは顔を赤くしたまま口に手を添え、上目づかいで聞いてくる。
何処と無く残念そうなのは、そういった色恋沙汰に多分に興味があるからに相違無いだろう。
とは言え、そんな勘違いをされたままというのはよろしくないのは明白で、そうなんです、と昭島さんには返事をしてその誤解を解く。
盛り上がらなくてすいやせんね、昭島さん。
まあ、実際には俺の耳に優姉が口を寄せた時に、柔らかい感触が耳に触れたので、昭島さんの言っている事は実はニアミスだったりするのだが、嘘は言っていないので良しとしよう。
「ところで昭島さん。どれぐらい書けました?」
今やるべき事へと軌道修正をする。
一つ二つは記事を書き終えただろうか。
「えっとですね。えーっと、これぐらいです」
その物言いに若干の不安を覚えつつ、昭島さんのノートパソコンの画面を見ると、ボランティア部による功績を称えるべく空白だった、地域ボランティア団体からの感謝状を受け取る写真の記事が埋まっていた。
「あ、一つ書いたんですね」
出来れば二つぐらい書いてあって欲しかったが、何も進まないよりはずっとマシだろう。
えーっと、肝心の内容は、
『地域のボランティア団体から感謝状を貰うボランティア部です。凄いなと思いました。私も見習いたいと思います』。
「小学生の読書感想文か!?」
今度こそ言葉を飲み込めずに昭島さんに言葉を叩きつける。
いくら何でも酷過ぎるだろ!
「うぅ、ごめんなさい……」
でも、書けないんです……。と、その場で崩れ落ちる昭島さん。
奥にいる書記の方々が俺を非難する目で見てきたが、どんな聖人君主でもこんなのを見たら声を荒げる事だろう。
「昭島さん、ちゃんと書きましょう。寧ろこれなら空白で出した方がマシです」
敢えて宣伝効果を逆走させる様な真似をする必要は無い。
ノートパソコンのバックスペースを駆使してその記事を削除していく。
「ああ、私の二時間が……」
それを見た昭島さんが、さながら愛しい恋人と引き裂かれていく中、届かない手を伸ばすかの如く、届かない手をノートパソコンに伸ばすが、これは恋人では無く昭島さんが二時間を費やした、どう控えめに言っても、ゴミだ。
無慈悲にデリートを完了させる。
「さあ、頑張りましょう」
「うぅ……」
崩れ落ちたままの昭島さんにそう告げ、俺はやりかけの記事を終えるべくノートパソコンに向き直った。