生徒会役員
「ゴメン、遅れちゃった」
立川の仕事を手伝い始めて小一時間、ようやく優姉がやってきた。
「立川、これ」
つい先程書き終わった書類を案件と共に立川に渡す。
ギリギリ間に合って良かった。
「ありがと」
「いや。またこういう時間があれば手伝うよ」
うん、と返事をする立川に頷き、席を立つ。
そのまま書棚へ向かって優姉用のファイルを取り出し、優姉が座る席へ持って行った。
「はい、優姉」
「うん。ありがとう」
ファイルを受け取った優姉はそのまま仕事に取り掛かると思ったのだが、何故かそうせずに部屋をキョロキョロと見回した。
「どうしたの?」
「えっとね、校長先生から言われた内容を皆に話そうと思うんだけど……うん。皆いるね」
人数を確かめた優姉が、皆、集まって! と召集をかける。
それを聞いた部屋の奥の作業机でPCや書類と格闘をしていた書記と会計の子達が円卓の近くに集まる。
普段各役職の長以外はそこで作業をしており、これで生徒会長を前に、その他生徒会役員総勢十五人が円卓の周りに集まる事になった。
「皆。ちょっと先の事になるけど、次の生徒会役員選挙について話をするね」
もうそんな時期だっけ、と何処からか声がした。
確か選挙は一ヶ月以上先だった筈だ。
日頃の業務に一杯々々だろうし、そっちに意識がいかないのも無理は無いだろう。
「校長先生とのお話って、その件だったんですか?」
呼び出された内容までは知らなかったのか、昭島さんが頬に手を乗せながら言った。
前から思っていたのだが、仕草が一々お嬢様的になるな、この人。
「そう。とは言っても例年通り生徒会会長選挙があって、選ばれた生徒会長が他の役員を任命するって流れは変わらないけどね」
「じゃあ予定通り?」
優姉は青梅さんに頷く。
「うん。予定通り、生徒会長には恵ちゃんがなると思う」
優姉がそう言うと、皆の注目が立川に集まる。
少し恥ずかしそうだった。
生徒会長選挙。
一応の選挙なので全校生徒が投票をするのだが、実際は信任投票に近い。
何故なら、立候補者が現職の副会長のみなのだ。
以前は生徒が立候補をし、その立候補者の中から投票によって選び出すいわば普通選挙だったのだが、十年ほど前からその仕組みが変わったらしい。
内容としては、新しく就任した生徒会長は、自身の右腕である生徒副会長を任命する。
その生徒副会長は一年間のキャリアを基に次の選挙で生徒会長に推薦を貰い、生徒会長として立候補をするという流れになっている。
つまりは生徒会長に立候補が出来るのは生徒副会長しかおらず、生徒副会長は一名のみなので、生徒副会長は次期の生徒会長のポストが約束されている。
「昭島さんと青梅さんはどう? 後継者は決めた?」
「はい。徐々に書記長としての仕事もこなして頂いているので、大丈夫です」
「同じく」
現在の書記と会計の長が問題無いと優姉に告げる。
「うん。じゃあ次期選挙は平気そうね」
優姉はそれを聞いて満足気に頷いた。
次期役職の書記長、会計長も現職の役員の中から選ばれる。
つまりは昭島さん、青梅さんの各五人の部下の中の一人が次期の書記長、会計長だ。
二人は後継者育成も仕事の中の一つとして組み込まれている。
総合すると、生徒会役員はある種の世襲制度に近い。
後継者を見出し、育て、自分のポジションを譲る。
優姉は例年通りと言ったので、差し当たって次の選挙までに考えておく事と言えば精々立川が生徒会長に就任する際の演説内容ぐらいなものだろう。
しかし一つ疑問がある。
「優姉、一つ質問。俺はどうすればいいの?」
俺のその発言に皆が、あー、と口を揃える。
「そう言えば町田さんは、昨年新設された役職ですものね」
昭島さんがそう言う様に、俺の生徒会長補佐という役職は今まで無く、優姉が新しく新設したのだ。
優姉は力説した。
生徒会長という役職の仕事は激務であり、失敗しましたでは済まされない内容もある。副会長というある種の会長補佐たる役職もあるが、それだけではマンパワーとして不足である事は書記長、会計長の部下が五人という現状を鑑みても自明の理であり、専属の補佐が必要なのである。そう、断固として必要なのである、と。
教師と生徒にそう訴えかけ、その議案が可決された翌日、『専属の補佐』という響きにつられて男子生徒立候補者が五十程度上がった中、まだ立候補すらしていなかった俺の名前が新設の生徒会長補佐の枠の中に入っていたのは俺を含めて五十を超える立候補者の度肝を抜いた。
ゴメン、優姉。俺、学校が終わったら即帰って本が読みたいんだ、とそれとなく新設役員を辞退しようと申し出たら、久しぶりのお姉ちゃん的教育的指導、優姉ビンタにより改心、献身を余儀なくされた。
とまあそんな経緯はどうでも良く、ある意味では優姉の我儘から出来たこの役職は、優姉が生徒会長で無くなる次の生徒会ではどうすればいいのだろうか。
「うーん。いっそこの役職、無くしちゃう?」
「「「「えっ」」」」
優姉のその発言は俺を含めてその他生徒会役員総勢十五名の度肝を抜いた。
多分、青梅さんが驚いている顔を俺はこの時初めて見た。
「ま、待ってください会長!」
慌てる立川。
マンパワー不足を解消する為に新設した役職が、それを訴えた本人によって潰されようとしているのだから、それはそうだろう。
「やっぱりあった方がいい?」
「いいです!」
全力で立川は肯定した。
「そっかぁ。じゃあ秀介、次の候補者を探してくれる?」
「俺が?」
「そ。それか恵ちゃんと話し合って、この人なら支えてくれそうって人を見つけ出すの。推薦すればその人が次の生徒会長補佐になるから、しっかり選ぶんだよ」
思わず立川と顔を見合わせる。口パクで、心当たりはあるか? と聞くが、両手で大きく×を作られた。
あの、と立川は手を上げる。
「えっと、私はそのまま町田くんが生徒会長補佐になって欲しいと思うのですが」
曲がりなりにも俺は一年間このポストで仕事をしてきたし、ある程度はそつなくこなしてきたつもりだ。立川もそれを見ていたし、確かにこの方が良いだろう。
という事はつまり次の生徒会における俺のポジションは、立川をフォローし、時には恋人の様に付き添い、そして何より愛を以て立川に接するのが仕事となる。
「却下します」
だが俺の姉的存在兼母親的存在はそれを許さない。
或いはこの場合は俺の彼女的存在になるのだろうか。
優姉との間柄はこの辺りではぼやける。
「な、何故ですか?」
「残念ながら恵ちゃん、貴方に秀介は使いこなせないからよ」
目を瞑り、首を振る優姉。あれ? 俺ってそんなに扱い難いのか?
「もしかして、私の能力不足って事ですか?」
少し不安そうな顔で立川が優姉にそう聞くが、優姉はそれには答えなかった。
「……秀介はね、昔はいじめられっ子だったの」
突然の優姉のカミングアウト。
それを聞いた全員が俺を見る。
一体どうした、優姉。
「あの、優姉。何故このタイミングでそんな話を? っていうか、過去の話はちょっと……」
「でもね。ある時を境に秀介は生まれ変わる事を決意したの。そこから私と秀介による、秀介改造計画が始まったわ」
人の話などどこ吹く風で優姉は朗々と語り続ける。
「健全な心は健全な体から生み出される。だからまず体を鍛えたわ。体が痙攣し、時には気絶するまで体を酷使させる。見ている事しか出来ない私は心が痛かったわ」
俺は全身余すところなく痛かったがな。
「そして十分に肉体が鍛えあがった後、心を鍛えたわ。優しい心根の秀介は周囲の人間に遠慮しがちで、傷つき易かった。だから私以外の人間、特に女の子にはなるべく関心を持たせない様にしたの。一例をとると、『城山 優佳以外はいちごのヘタ。城山 優佳以外はいちごのヘタ』っていう内容の録音テープを睡眠学習させたわ」
優姉は目を瞑りながら手を組み、祈る様な格好で話しているので周囲の人達の状況が分かっていないようだが、この場にいるほぼ全員が引きに引きまくっている。
「そして遂に! 私以外の人間には何を言われようとも動じず、私のお願いなら二百パーセントの力を発揮してくれる純真無垢な男の子へと生まれ変わったの!」
それって一種の洗脳……、と誰かが呟いたが、目を見開いた優姉の一睨みで首を竦め、それ以上の口を噤んだ。
「恵ちゃん。そんな秀介を貴方が使いこなすなど不可能よ。別の子を探しなさい」
「は、はあ……分かり、ました」
複雑な顔をしつつ、立川は一応の了解をした。
「うん。じゃあこれで次期選挙の件も終了よ。各自通常業務に戻って。……ゴメン、秀介。ちょっとお手洗いに行ってくるから、帰ってくるまで待っててね」
そう言うと優姉は生徒会室を出て行った。
「「「「「…………」」」」」
直後、凄まじく気まずい沈黙が生徒会室を満たす。
ちくしょう、優姉め。凄まじい爆弾を破裂させやがって。この空気、どうしたらいいのか分かんねえよ。
「大変……でしたね」
と、昭島さんが目に涙を溜めながら両手で俺の手を掴んできた。
いえ、別にそれほど大変じゃ無かったんですと言っても無駄だろうな。
「町田」
と、青梅さんが俺の塞がっていない手に飴を握らせ、頭を撫でてきた。
糖分補給、ありがとうございます。
「大丈夫だよ、町田くん」
と、立川が俺の背中を撫でてきた。
うん、ゴメン。本当に大丈夫なんだよ、立川。
そして他の生徒会メンバーも次々とやって来ては俺の肩を叩いてくる。
何だこれは。モテ期か? いや、違うか。
優姉の言葉を借りれば、『秀介改造計画』。
その内容は優姉が言った通りなのだが、しかし優姉の言には多少の語弊がある。
肉体をいじめ抜かれたのは本当だが、毎日の様にボロボロになった俺の体を、優姉はなけなしのお小遣いで買ったマッサージの本を読みながら毎日マッサージをしてくれた。
男子や女子のからかいや悪意を受けていた俺を、学年の違う優姉が毎日やって来て、アイツらの言う事なんて気にするなと毎日言い続け、傍にいてくれた。
その優姉の俺への献身があったからこそ、俺は優姉に尽くしているに過ぎない。
他のヤツらよりも優姉が輝いて見えるからこそ、優姉以外の女の子などいちごのヘタの様にしか見えない。
それだけの話なのだが、まあ、そんな事言っても信じないだろうな。
寧ろそこまで躾けられたか的な、更なる同情的なサムシングを誘うだけだろう。
「えー、皆さん。業務に戻りましょうか」
それだけ言って、他の皆が自分の席に向かうのと同様、俺も自分の席に向かった。