デート
これといった任務もなく。これといった用事もない。
そんな昼下がり、スリースターズ総隊長、ヴァイン・レイジスタはご機嫌斜めだった。
それも、昨日今日の話ではない。〝この一週間ずっと〟である。
二番星のシオン隊や三番星のレイラ隊たちとの共同訓練などは悲惨なものだった。
八つ当たり同然のえげつない攻撃を仕掛けてくるヴァイン。それを回避、受け流すのに全力のシオンとレイラ。これでは訓練になるはずもなく、開始から終了まで全力回避しかすることができない。
さすがにヴァイン本人も、あまりよろしくないという自覚があったのだろう。三日目あたりからは訓練に参加せず、リアンのラボにこもり調べものに没頭するようになった。
もちろん、その間にヴァインの元を訪れるような度胸のある人間はいなかった。
――ヴァインが引きこもりだして一週間目のこの日までは。
「あの……ヴァインさん?」
おずおずとヴァインの自室に入室してくる少女。二番星、シオン隊所属のリーディアだ。
「なんだ?」
素っ気無い返事。もちろん、顔は空間モニターに向けられたままだ。
「実はお願いがありまして……」
「…………言ってみろ」
一応の聴く意思を見せるが、顔は一度もリーディアに向かない。正直リーディア自身もこちらを向いてほしくないと思っている。
「その……ですね……実はシオン隊長とデートしてもらいたいのですが――」
「ああっ!?」
「ひっ」
この時、初めてリーディアは四日ほどぶりにヴァインの顔を見た。
一言で言えば鬼だった。
寝不足なのだろう、目は充血し、イライラ度に比例して吊り上った目尻。やはりパコスあたりを派遣するべきだったとリーディアは後悔した。
「それは何の冗談だ? 殺してくださいっていう隠語か?」
「いえ……そうではなくて、シオンさんにたちの悪いストーカーが付きまとっていまして……」
「んなもん、シオンなら一瞬で細切れにできるだろうが」
「いえ……それが相手はネット上でシオン隊長をストーキングしていまして……シオン隊長も相手の足取りをなかなか――」
「あぁっ!?」
「ひっ」
今の台詞のどこかにヴァインの逆鱗ポイントがあったらしい、今にもメテオ・バスターを撃ってきそうな形相だ。
それでも、リーディアはがんばった。
「ネット上で様々な誹謗中傷を繰り返して、シオン隊長のプライベートまで覗いていま――」
「内部の人間じゃないのか?」
今日のヴァインは人の台詞を最後まで聞く気がないようだ。リーディアの言葉が終わる前に口を開いている。
「その可能性も考えましたが、シオン隊長のデータバンクへのアクセス履歴を調べると、どうも内部からの犯行ではないようです。プライベートといっても、財布の中に誰の写真を忍ばせているだとか昨日は夜の七時に入浴し、十時に就寝したとかそういうのではなく、給料の額やシフトだとかその程度のものでして――」
「たった今、目の前にプライバシーを暴露する馬鹿を見つけたからそいつでいいんじゃないか? 面倒くさい」
ヴァインからすればどうでもいい情報だった。というよりも、自分の事に手一杯でそこまで思考を割く余裕がないといったほうが正しい。
「くだらない。そんなもんリアンに頼め、俺は俺で忙しいんだ」
冷たくあしらわれ、しゅんと部屋から出て行こうとするリーディア。
しかし、ヴァインにとっては些細なことだ。命に関わることでもないし、シオンの身の安全ならば、シオン自身が一番保障してくれることだろう。そんなデータバンク内の情報程度――
「待て、リーディア」
――そこまで考えて思い直す。
「俺もここ最近、色々抱えすぎてストレスが溜まっているようだし、その話を呑もう。要はデートしてストーカー野郎を引き釣り出せばいいんだろう?」
頼みごとを引き受けてくれて嬉しいはずのリーディアも一瞬だけ怪訝な表情でヴァインを観察した。
先ほどまで吊り上った目はいつも通りの角度に戻り、表情もどこか柔らかい。
いきなり態度を変えた理由はわからないが――
「さすがヴァインさんです。今日はあたしが頼みに来た内容を説明するまでもないようですね」
――これ以上無駄にかしこまる必要はないと判断した。
「なら、明日の昼から街に出るか。シオンは何て言っているんだ?」
「いえ、これはあたしの独断ですわ。シオン隊長にはあたしがヴァインさんに頼みにきた件を知らせていませんので……」
「よしわかった。お前は一切関与せず、俺が自然に誘えばいいんだな。任せておけ、いつもなら顔面に拳をめり込ませて鼻をへし折ってやるところだが今日は大歓迎だ。お前はコレ以降何もしなくていいぞ。俺が全て――全部俺が片付けてやるから」
〝気持ちが悪い〟それがリーディアの感想だった。
リーディア自身は、未だにストーカーに狙われていることに気付いていない鈍感な自分の分隊の隊長がストーカーに気付いてしまう前にこの件を片付け、シオンに後でばらしてから盛大な恩を売ろうと考えていただけなのに、こうまで前向きに対応されては逆に気持ちが悪かった。が――
「ええ、お願いしますわ。シオン隊長をストーカーの恐怖から救ってあげてください」
――それならそれで任せよう。彼女はそう決めた。
その日の夕方。訓練を終え、レイラとシオン、リネスとアキラが休息をとっている時だった。
「訓練はもう終わりか?」
物凄い爽やかな笑顔の総隊長が、これまた爽やかな口調で声をかけてきた。
この時、この場にいる四人の感想も〝気持ちが悪い〟だった。
本気でリーディアあたりが変身しているのかと疑いたくなるような豹変振り。誰もが一歩ほど引いていたが、ヴァインは気にした様子もない。
「ああ……今日の訓練はもう終わりだぜ」
「ヴァイン、君の用事は済んだのかい? ずいぶんと根詰めていたようだけれど……」
何も言えないリネスとアキラに代わり、分隊長のレイラとシオンが対応をする。
「ああ、二人にも心配をかけたな。ところでシオン、明日は暇か?」
明日はリアンがトレーニングルームやラボのメンテナンス日なのでスリースターズ隊全体が休暇。とはいえ、彼らの力が必要なレベルの任務があれば緊急出動もあり得るが、他の部隊としてもできるならばスリースターズ隊とは関わりたくないのか、要請が来ることはほとんどない。
「ああ、明日は自室の掃除と武器の手入れくらいだけれど……?」
「ならちょうどいい。昼から街へ買い物にでも付き合ってくれないか? 俺一人だと余計なものまで買ってしまいそうだから付き添いがほしいんだ。お礼に食事でもご馳走するから頼むよ」
時が止まる。
誇張なしに、その場にいる全員の呼吸も、心音も、意識も全てが停止した。
反応はまちまちだ。リネスは本気で〝こいつは一体誰だろう〟と疑い。アキラは姉であるレイラから飛び退き距離を取り、シオンは顔を真っ赤にして周囲の人間の顔をオロオロと見回していた。
そもそも、元盗賊で金勘定に細かいヴァインが衝動買いなどするわけもないが、誘われたシオンとしては、ヴァインに頼まれると言う予想外の展開と、まさかの誘い。さらに食事まで追加されるということはまるっきりのデートといって間違いない。むしろそれ以外の呼び方が思い浮かばなかった。
「あ……ああ、明日は暇だよ」
そんな風に、脳裏で色々と思考が巡り、消えていく。頭がテンパイ状態のシオンが答えられたのはそれが精一杯だった。
「そうか、ありがとう」
日ごろ滅多に浮かべない優しい笑みで礼を述べられ、優しく頭に手を乗せるヴァイン。
さすがに撫でるとまではいかないが、彼にしては珍しいスキンシップだ。
「じゃ、明日は昼前に迎えに行くから準備しておいてくれ」
そう言い残し去っていくヴァイン。残された四人は全員その背中を黙って見送った。
というよりも、黙って見送る以外の反応ができなかった。
「ええと……あれはヴァイン総隊長……っすよね?」
「ええ……うちの部隊長、ヴァイン・レイジスタよ……」
アキラとリネスがまるで化け物でも見たような目で好き放題呟くが、体は自然と後退を選んでいた。
その理由は――
「アッハッハ――」
アキラの姉が全身からただならぬオーラを放ち――
「アハハハハハアハハハハハハハハハハハハッハッハ」
――壊れた人形のように笑うレイラ。
口は三日月のように大きく歪み、それでいて目は笑っていない。
アキラとリネスはすぐにお互いの目を見る。
(どうするっすか?)
(どうするもなにも、この後の展開なんか限られてくるでしょう)
(二人揃って八つ当たりを食らうか――)
(分隊長同士でバトル勃発か――)
いずれにせよ、ろくでもない展開になるのは目に見えている。
(逃げるっすか?)
(いや、少し待って)
リネスが制止し、空を指差す。
つられてアキラが空を見上げる。
リネスの手がアキラの顎に添えられ、もう片方の手は腰へ。そして――
「ごめんね、アキラ」
「え?」
呟いたときには遅かった。顎を持ち上げ、アキラの腰に当てていた手を押し込み足払い。
バランスを崩したアキラはいとも容易く転ばされ、同時にダッシュでその場から離脱するリネス。どことなく性格がヴァインに似てきたようだ。謝りはしたが、ダッシュに迷いがなかった。
清々しい良い走りだ。
「ちょ……そりゃない――」
「アキラ」
声すら出なかった。
すぐ真後ろから姉の声。姉妹だからわかる。
声は笑っているが、目は笑っていない――どころか、血走っているかもしれない。
正直に言えば振り返りたくない。
もしこの場で血を吐き、地面をのた打ち回っても結果は変わらないだろう。
「食事前に軽い運動をしよう。トレーニングルームに行くぞ。今回のトレーニングに限り魔石の解放を許可してやる。さあ、行くぞ」
「嫌っす、それは訓練じゃなくリンチっす、自分はまだ死にたくないっす!」
アキラの必死な懇願は、もちろん受け入れられず、そのまま襟首を掴まれ連行されていった。
その間も、シオンはその場で硬直したまま動くことはなかった。
その日の夜。
ヴァインは自室でパソコンと向かい合い、笑っていた。
とても、とても嬉しそうに笑っていた。が、それは子供が浮かべるような無邪気なものではなく、どの角度、どのような友好的な視線で見ても、邪な笑みだった。
ふと、思い出したようにポケットの携帯端末を取り出す。
ヴァインがリアンに無茶を言って作らせた特注品で、自分の世界とも通話ができる優れものだ。その分、資金投資が結構な額になったが、向こうと連絡を取るのにいちいち次元を超え、世界を超えて会いに行くわけにもいかない。
短い電子コール。ヴァインはあの、プルルルルっとしたコール音が嫌いだった。
『はい、もしもし』
「俺、俺ですけど」
『自分のことを俺っていいながらその微妙な言葉遣いはどうかと思いますよ? 若』
通話口の向こうで苦々しい笑いが漏れる。さすがはエリック、一発で誰かわかってくれたようだ。
「今後の参考にする。ところでエリック、一つ聞きたいんだが」
『なんです?』
「狙っている女がいました。その女の動向が滅茶苦茶気になります。そんな時、お前ならどうする?」
『電話かメール。それが無理ならどうにかして相手の動向を探るために動きますね。仕事帰りに尾行したり、ハッキングしたり、知り合いとコンタクトを取ったり』
「よしよし、実にお前らしい答えだ。じゃ、質問その二だ。その女のパソコンをハッキングしたら何やら男とデートするようなニュアンスの何かを発見した。さあ、どうする?」
『細かな情報を探ってそのデートの現場を尾行しますね』
言い切りやがった。躊躇いも迷いもない、まるで自分が正義であるかのような言い切り方だ。
「諦めるという選択肢は?」
『ないですね、相手に男がいるなら奪えばいい。それが俺たちの仕事でしょう?』
「相手が俺なら?」
『即座に手を引いて、ばれたのならば全力で土下座をし、許しを乞います』
実に素直な男だ。長いものには巻かれろ、を体現したような人間、実に好感が持てる。
「はは、それは冗談としても、ずいぶんと参考になった。礼を言う。それと――」
『まだ何か?』
「今の会話。録音してあるんだが、娘と嫁、どちらに送ればいい?」
『いくら積めばそれを売ってくれますか?』
迷いのない返し。さすがはエリックだ。
「お前が俺にくれた情報でチャラにしてやるよ」
『借りは作りたくないってやつですかい? 相変わらず律儀ですね』
「性分だ。また機会があればそちらに帰る。それまで留守を頼んだぞ」
『了解。若もあまり無茶はしないでください』
「ありがとう、じゃあな」
礼を言い、通話を切る。
予想はしていたが、女好きのエリックが言うのだから間違いないだろう。
パソコンでシフト内容を操作する。これといって難しいことではない。明日は全員がオフシフトだが、スケジュール内容の欄に、ヴァインとシオンの場所に物資補給(二人で買い物)と書くだけだ。
念入りに買い物の場所まで記しておく。できることならばハートマークの一つでも入れておいてやりたいが、自重する。やりすぎは良くない。精神的にも――
「さて、明日が楽しみだ……うまいことハッキングしてくれよ」
口の端を歪め、電源を落とす。明日は楽しい一日になりそうだ。
翌日。
午前十一時半にシオンの部屋の扉をノックする。
向こうで待ち合わせをしても良いのだが、別々に街へ向かうよりも効率がいい。
いつも通りの白いショートジャケットとレザーパンツ。短い髪はいまいち整えられているのかボサボサなのか判別が付き辛い。要はいつも通りの格好ということだ。
「シオン、そろそろ行くぞ」
出てこない。部屋の掃除と武器の手入れをこなしているはずだから起きているのは間違いないのだろうが――
「お、来たか」
「お……お待たせ」
――出てきたのは白いワンピースに黒の上着を羽織った、一見お嬢様風の少女。
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、それが登場した。
さて、ここで笑うのは論外だ。いつものヴァインならば指差して笑い、いらぬ怒りを買うのだろうが今日の彼は違う。
「いや、時間的に俺が早すぎた。ふむ、清楚な感じでかわいらしいじゃないか」
ショートジャケットの袖を捲れば鳥肌が立っているのかもしれない。しかし、これも慣れだ。盗賊時代、金持ちの令嬢相手に散々やってきたことだ。すぐに慣れる。ヴァインは自分にそう言い聞かせた。
「ありが……とう……じゃあ、行こうか」
「ああ、昼食はまだだろう? いい店を知っているからそこに行こう」
さすがに部隊の施設内なので手を取ってエスコートするような真似はしないが、それでも後を着いてくるのに十分な速さで歩く。さて、ここからが勝負だ――
で、そんな様子を影から伺っていたのはレイラだった。
背後にミイラのように包帯でグルグル巻きになったアキラと共に、物陰からそのやり取りを見つめていた。
「殺してやる……」
壁に爪がめり込むほどの力と、その言葉だけで小鳥程度なら死ぬんじゃないかと言うほどの呪詛を吐き、レイラは二人の様子を見つめていた。
「姉貴……嫉妬に狂うのは結構ですが、できれば自分は帰らせてもらいたいっす」
「そう言うな。俺の理性がぶっ飛んじまったら誰が俺を止めるんだ?」
「少なくとも自分には無理っすよ!? それこそ分隊長か部隊長レベルじゃないと」
「相打ち覚悟で来い」
「死ぬこと前提っすか!?」
実際そうなるのだろうが、その時は部隊長のリアンが三桁切腹しても足りないレベルの被害がでるだろう。
「おいおい近づきすぎだろう……魔石開放、ソニック・パンサー。クラッシュフォーム」
「ちょ、姉貴、基地内で破壊特化の魔石開放はまずいっすよ」
「大丈夫だって、少しあいつらの周囲を叩き潰すだけだから」
目が殺気立っている。このまま放っておけば、本気で基地を消滅させかねない。
「とりあえず様子を見るッスよ。昨日のヴァイン隊長のあの態度、明らかに好意以外の感情からきているものとしか思えないっす」
「…………そこまで言うなら……」
渋々と魔石を解除し、様子を見つめるレイラ。
アキラは思う。後何度、こんなやり取りを繰り返すことになるのだろうと。
そんなことは露知らず、完全にホストと化したヴァインと、完全に舞い上がってしまっているシオンは街に向かう――車で。
さすがに一日で新車を用意するのは無理だったので、警備部の連中から有志を募り、レンタルした品だが、物自体は悪くない。
ヴァインの世界で言うステーションワゴンのような形状で、決して高級感溢れるわけでもなく、かといってこじんまりしてもいない、そんな理由でのチョイスだが、ゆったりとした乗り心地にシオンは満足の様子だ。
それが車のおかげだけというわけでもないが、ヴァインからすればその辺りは問題ではない。
要はシオンを楽しませ、ストーカー野郎に見せ付けてやればいいのだ。
「さて、とりあえず買い物の前に食事にでも行こうか。何が食べたい?」
「ヴァインの好きな物でいいよ」
きた! 伝家の宝刀“何でもいいよ”
この言葉には細心の注意を払わなければならない。自分が本当に好きなものを選ぶと文句を言われ、相手の好きなものを無理に探ろうとすれば場が白ける。さすがにシオンはヴァインが選べばそれについてくるのだろうが、ヴァインの経験上、確率的には五分五分だ。
しかし、ヴァインに抜かりは無い。
「じゃあショッピング街に最近できた店に行こう。一度言ってみたかったんだ」
先日ネットと知り合いの情報で調べ上げたシオン好みの店の情報。
もちろん、何だかんだでシオンとの付き合いも長い、和食好きなのは百も承知だ。
「ああ、そこは前から僕も興味があったんだ。ぜひそこに行こう」
心の中でガッツポーズするヴァイン。大丈夫、味の方も問題はないはずだ。
「でもヴァイン、今日はなぜ僕を誘ってくれたんだい?」
「ああ、買い物のセンスや鑑定眼ならシオンが一番だからな。レイラだと一緒に衝動買いしてしまいそうだろう?」
「ふふっ、確かにレイラならポンポンと品物を選んでくれそうだね。それで、何を買うつもりなんだい?」
「ブレードフォームの武器形体が両刃の西洋刀式だから、調整の参考までに切れ味に特化した日本刀でも買って参考にしようと思ってな」
嘘ではない。常々武器の形体を代えたいとは思っていたのでちょうどいい機会なのだ。
「それなら、僕のを貸してあげたのに」
「いや、自分で選んだ品の方が開放時にイメージがしやすいんだ」
「そうなんだ。なら付き合おう。一口に刀と言っても色々とあるからね――」
予定通り。今から街に着くまでの話題は確保できた。
シオンの趣味嗜好、それを知っていれば、ここまで誘導するのは容易い。
刀の知識。シオンにはそれを語る楽しさがあるので、決して退屈させることは無いだろう。
しかし何故だろう。ヴァインは何かが引っかかっていた。
いつも潜んでいた。
学校でも、家でも、世間でも。ひっそりと、目立たず、騒がず、気づかれないように。別に人見知りが激しいわけではない。むしろ積極的に人に近づいていくほうだが、同年代の人間にとって、それは煩わしいだけのようだった。
それに気付き、消極的に生活をしてみた――気付けば一人になっていた。
そして目覚めた魔法資質。ネット世界に潜り込む魔石特性がハッキングだった。
誰にも見つからないように潜み、興味があればデータを閲覧し、見つからず、気づかれず動く。それが唯一の楽しみでもあった。
そして、たまたま潜り込んだ管理局内のデータバンクで見た個人情報。
その中で見つけたのがシオン・カンザキのデータだった。
一目惚れ。まさか自分がそんなものと遭遇することになるとは夢にも思わなかった。
逢ってみたかった、そして彼女に自分を知ってもらいたかった。しかし、世の中そんなに甘くは無い。
通常の通信回線ではまず起こりえないことが起こったのだ。
『あなたが犯人ですね』
データの中で自分に話しかけてきた少女。
本来のハッキングとは異なり、自分の魔石を使用したハッキングは自分の意識自体をネットの海に漂わせることができる。このおかげで、誰にも見つからず、気づかれることも無かった。
それなのに――
『ヴァインさんもよく気づいたものです。まさかデータ閲覧ログの時間から違和感を見つけるなんて……相変わらずお金が絡むとすごいですね、あの人は……』
呆れたように頭を振り、こちらの腕を掴もうと手を伸ばす少女。
咄嗟に避け、回線の海から逃げようと――
『無理ですよ。すでにデータバンクからの脱出口はありません』
警告を受け、小さく舌打ちを漏らす。
どういう相手かはわからないが、ここで捕まるわけにはいかない。
一目惚れした彼女にそんな形で会うのだけは避けたい。
そう考えると同時、視界が歪みだす。目の前の少女が驚いた表情でこちらを見ているが関係ない。とりあえずここから逃げなければ――
『驚きました。私と違って生身の人間さんなんですね。しかも、意識を強制的に切断して元の場所に戻るなんて、脳死状態になっても知れませんよ?』
ずいぶんと軽く言ってくれたが、どうやらこの場から逃げられるのは間違いないようだ。
そんなやり取りがあったのが数日前。それ以降もデータバンクに侵入はしていたが、あの少女に会うことはなかった。そして、昨日のことだ――
「なん……だって……」
言葉を失いそうになった。
先日までシオンさんがオフシフトなのは知っていたが、今日になって買出しの文字が。しかも男と一緒だ。どんな相手かは知らないが、放っておくわけにはいかない。ただの買出しなのはわかっているが、やはり気になってしまう。
そうなればやることは一つ。相手のヴァイン・レイジスタとかいう上司であろう男のデータ(ネットでの検索履歴や、通信回線での会話情報)を漁り、明日の買出し先を確認し、尾行する。とはいえ、そんなことをして自分に何ができるのか。そんなことなどは微塵も考えていなかった。
街に着き、とりあえずランチを済ませ、買い物予定の場所に向かっているヴァインとシオンだが、ヴァインは未だに相手を判別できずにいた。
原因の一つは、シオンが人目を惹きすぎていることだ。
日ごろから共に訓練し、任務にもよく参加するせいで中々そうは思えないが、スリースターズ隊には美人が揃っている。
シオンやレイラはもちろん、リアンやセラス、ティナやリネスもそうだ。
街中の男の視線を惹くのも当然なのだろう。ヴァインから見れば、妹や姉と過ごしている感覚なので、あまり認識したことはないが――
(それにしても……妙だな)
――胸中で呟く。いつもならエスクリオスが返答してくれるのだが、今は不在。ネットの海で目標が来ないかを監視してくれている。
(男の視線が多いのは問題ないが……どれもシオンに向けられている)
デートの相手憎しでこの場にいるならヴァインに視線が注がれるはず。だが、男からの視線でそれを感じることはできない。
男と女の視線ではささやかではではあるが、違いがある。
大雑把に言ってしまえば、男の視線は黒。女の視線は赤と言ったところ。
感情で、突き刺さるような、まとわりつくような、等と様々なものに分類されるわけだ。
ちなみに、局から今まで付き纏う、真っ赤で突き刺すような視線は、激情、殺気といったところだ。よく言う〝カッとなって殺った〟とかいう人間に多い。この視線の持ち主がカッとなられると大変面倒なので、自重していただきたい。
「さてシオン、ここだ」
気配探しを止め、店に入る。
まだ時間はある――内心でそう呟き、ヴァインはどんな相手なのかを想像し、小さな笑みを漏らした。
そんな頃、魔石エスクリオスはリアンのラボで呑気にお茶を啜っていた。
ヴァインからデータバンク内に潜み、敵を捕捉しろと命令されているが知ったことではない。
今回の件に関しては正直、やる気が出ないというよりも面倒くさいのだ。
「で、結局今回ヴァイン君があそこまでやる気になっている原因は何なの?」
「いえいえ、聞けば呆れるか理解できないかの二択ですから聞かないほうがいいですよ」
目の前で同じように緑茶を啜るリアンに、ため息交じりで告げるが、そう言われては逆に知りたくなるというもの。リアンの好奇心はさらに煽られた。
「呆れるか理解できないかは私が決めるよ。だから教えて」
余程興味があるようだ。リアンにしては珍しく食い下がった。
「では……教えましょう真実を――」
お茶を置き、妙に重々しい雰囲気で語りだす。
「じつはデータバンク内にはヴァインさんの隠しファイルがありまして、その中にはヴァインさんに関わる極秘データが隠されているのです」
「まさか……妙にというか、中途半端に秘密主義の彼のデータを……」
「ええ、相手は覗いてしまったのです。しかも、彼がもっとも見られることを嫌うデータを……うかつにもログを残して……」
とはいえ、それは相手のミスではなくヴァインが仕掛けたトラップの一つだが、そこにたどり着くまでに二重三重のトラップを超えなければならない。言うなれば最後のトラップを軽々と越えられた時に相手を特定、捕捉するための切り札にまでたどり着かれたということだ。それはリアン自身もよく理解していた。
「なら、次もあり得る。そんな相手をヴァイン君が放っておくはずが無い……」
「ええ、しかも相手はヴァインさんの秘密を見てしまっています……」
そこで問題なのが、その極秘データだ。一体何を隠していたのか。これで、部隊内のメンバーの隠し撮り写真とかならば盛大に笑うところだが、まずそれは無いだろう。
「よりによってヴァインさんの預金と律儀につけている収支帳を見てしまうなんて!」
「あらまあ、それは大変ね」
リアンは聞かなかったことにしてお茶を啜った。
盛大に期待を煽られた分、ガッカリ感も盛大にやってきたが、ヴァインとは長い付き合いだから、それがどれだけ彼の逆鱗に触れたのかは容易に想像がつく。
「…………まあ、街の区画ブロックが一つ二つくらい吹き飛ぶ覚悟は必要かしら……」
「いえ、それも必要ないですよ」
澄ました顔でポツリと漏らす。
まず心配はないだろうと、エスクリオスは確信していた。
買い物も済んだ。さて、ここからどうするか――
「ヴァイン、次の予定は?」
さて、どうしたものだろう。このままでは埒があかない。どうにかして相手を釣り出さなければならないのだが――
「そうだな。とりあえず、飲み物でも買ってどこかに座ろうか」
――釣り出すにはもう少しシオンとの距離を近づけなければならない。
しかし、それをすると物陰からこちらに殺気を叩き込んでくる馬鹿が馬鹿なことをしでかしかねない。いや、確実にやらかすだろう。だってさっきから妹の気配とか魔力とかが全く検知できない。先ほど買い物中にサイレンの音が聞こえた気がしたが……気にしないことにしよう。
そこでふと、気づく。
ならば、視線や気配を減らせばいい。
『レイラ、聞こえるか?』
『あ? なんだよ』
念話でレイラに話しかけると、険を孕んだというよりも、ウニのように刺々しい返事が返ってきた。
『頼みがある』
『なんだよ』
『理由は後で必ず話す。だから何があっても絶対に動くな。これは命令じゃない、心の底からのお願いだ』
これから起こす行動は、言うなれば切り札。
これが通用しなければ相手を釣りだすのは不可能。それを邪魔されては、本当に辺り一帯の区画を封鎖して一人一人手当たり次第に尋問しなければならない。さすがに面倒くさい。
『わかったよ……約束、する』
やけに大人しく従ってくれた。後は相手がうまく釣られるかだ――
「いい場所知っているんだ。そこで休もうか」
羞恥心だとか、後の職場内での人間関係の心配は捨てよう。
今優先すべきは――
(あれ?)
――そこで気づく。今自分は何をしている?
隣で冷えたジュースを持ちながら微笑(ヴァインたち以外からみれば無表情)を浮かべついてくるシオン。
シオンは知らない。ヴァインの本当の目的を――シオンは心から今日を楽しみにし、今を楽しく過ごしている。
なるほど、先ほどから感じていたのはこれだったのかと納得。
違和感――自分は自分の敵を捕まえるために、部下を裏切っていた。
(なら、自分のプライドをねじ伏せる……か)
しばらくの逡巡の後、胸中で小さくため息を漏らす。
今日のところは無理に犯人を捕まえに行くのは止め、今日はシオンと一日買い物を楽しもう。
自分のプライバシーを覗いた犯人には、後日きっちりと礼をすればいい。
「ねえヴァイン、この先って……」
自分の中で気持ちの整理をつけている最中、シオンんがおずおずとヴァインのジャケットの裾を握る。
この先にはピンクのお城(のような形をした建物)が立ち並ぶ区画。
本来ならばそこに入り、犯人をおびき寄せる作戦だったが――
「ああ、近道なんだ。この先に猫の集まる公園がある。そこでのんびりと――」
そこまで口にして気づく。
視線。それも先ほどから感じていたレイラの視線と酷似した色。
「いや、少し待て」
顔の向きはそのままに告げ、その場から瞬時に掻き消えるヴァイン。
その動きが見えていたシオンは、ヴァインが移動した方向に視線を向けると――
「ちょ、離してよ! どこから出てきたのよあんた!」
――曲がり角から襟を掴まれて暴れる少女と、物凄く冷めた目をしたヴァインの姿。
「文句を言う前に言うことはないか?」
表情一つ変えずに告げる。先に言うことがあるだろう? と。
「……ごめんなさい」
不貞腐れたように詫びる少女。実際不貞腐れているのだろうが、ヴァインの表情はそれを気にもせず、笑顔へと代わっていく。
「遺言はそれでいいのか?」
「言うことって遺言!?」
「他に何が? 死に方を選びたいなら言っても構わんぞ。それぐらいは選ばせてやる」
笑顔で脅すが、内心驚いていた。気づけなかった原因の一つが、レイラと同種の視線。
レイラの殺気が大きすぎて紛れ込んでしまったせいもあるが、原因の二つ目。まさかの女だというのは予想していなかった。
「くぅっ! あんたシオン様の上司でしょ!? にも拘らず部下をこんな如何わしい場所に連れ込んでどういうつもりなのよ!? あたしのシオン様をどうするつもりなのよ!?」
眩暈がした。できれば医者に行きたい。もちろん、診察をうけるのは、この少女で。
「とは言え、どうしたものか……ガキに構ってやるほど暇じゃないんだが……」
殺すつもりはとっくの昔に失せたが、かと言って許す気もない。
シオンの件はぶっちゃけどうでも良くなったが、自分の問題だけは別だ。
「ちくってやる!? 絶対にあんたを社会的に抹殺してやる! ネットを使ってのネガキャンから職場の人間全てにちくってやる!? ノアおばあちゃんにも言って環境監査部にも広めて貰うんだから!?」
ヴァインの手がピタリと止まる。
「おい、今お前、なんて言った? 誰にちくるって?」
一転して無表情のヴァイン。襟を掴まれ、宙に浮いている少女は気づかない。
「環境監査部のノアおばあちゃんよ!」
「とりあえず、フルネームでどうぞ」
「フィリス・ノアニールおばあちゃん!」
まさかの天敵がきた。
フィリスばあさんが絡んでいる段階でこの娘は許さざるを得ない。罰するにしてもフィリスばあさんに許可を得る必要がある。許可を得たにしても、ヴァインが望む罰則はありえないだろう、むしろ根掘り葉掘りこの小娘からヴァインの情報を引き出され、更なる弱みを握られることになりかねない。
「よし、帰れ。今すぐ帰れ、俺はお前にされたこともお前のことも全部忘れる。だから二度と俺の前に姿を現すな、頼むから」
「嫌よ。あんたがシオン様から離れるまではいつまでも付きまとうわよ」
「殺すしか……ないのか」
「ヴァイン、君は思いつめた顔で何を言っているんだ……」
シオンの突っ込みは無視して、打開策を練る。
「おい、お前の名前は?」
「エル……」
「年齢と仕事は?」
「なんであんたなんかにそんな――」
「年齢と仕事は?」
有無も言わさずに繰り返す。無駄な問答はできるだけ避けたい。
「年齢は十六……仕事は学生……だった」
学生だった――ということはなんらかの理由で除籍となったのだろう。
妙におとなしくなったので、仕事がやりやすくなった。
「魔石の名前と能力は?」
「名前はミスト・ダイバー、能力は潜入と潜伏よ」
なるほど、その能力でデータバンクに潜入したというわけだ。
さて、能力などは大体把握した。
「これが今後、お前がシオンと一緒にいられる可能性が高い方法だ」
とりあえずその日は、一枚の紙切れを渡すことで事なきを得た。
一週間後――
「シオンお姉さま!!」
今日も事務仕事中のシオンのパソコンから現れるエル。
シオンは小さくため息をつき、モニターから顔を出すエルの頭部を掴んだ。
「エル。情報部への就任おめでとう。僕はこの言葉を君にこの時間になる度に七回ほど送った。つまり君が就任してから一週間だ。せめて休憩時間中にきてくれないか?」
「大丈夫です。シオン様にお会いしにくる片手間、仕事もきちんとこなしています」
魔石、ミスト・ダイバーでネット内に潜り込み、情報を集めたり改竄したりするのがエルの主な仕事内容。
あの日、ヴァインが渡した紙は情報部の責任者の連絡先を書いた紙。
部署は違えど、同じ局内でシオンに会える機会が増えるという条件を提示すれば、ホイホイと情報部の方へと連絡が行った。
確かに、同じ局内にいるのでシオンと直接会う機会が増える。増えるが――
「だが、うちのシオンには片手間で書類作成をされちゃ困るんだ。自重しろバカ」
――同時に邪魔者とのエンカウント率も急上昇するわけだ。
「ちょっとヴァイン総隊長さん? いくらなんでも部下にべったり過ぎやしませんか?」
「他の部署からウロチョロされてりゃ面倒くさくても動かなけりゃ仕方がないだろうが」
「はっ、本当は美しいシオンお姉さまのそばに少しでもお近づきになりたいだけでしょう? 遠まわしに言わず、正直に言えばいいじゃない! そうすればシオンお姉さまの半径三十メートルくらいには――」
「エスクリオス!」
胸元の魔石、エスクリオスに命ずる。
「どこでもいい、海外でもどこでもいいからこの馬鹿をネクロフィリアでもペドフィリアでもなんでもいい、一生物のトラウマになりそうなサイトに放り込め!」
『嫌ですよ。私まで被害を被るじゃないですか』
脳内に直接語りかけてくるエスクリオス。本気で嫌なようだ。
「とりあえずどこでもいい、なんなら二重三重のロックをかけてどこぞのフォルダに放り込んで圧縮してやれ一週間ほど」
『電源を切れば早くないですか?』
「それじゃ僕が仕事できないじゃないか……」
こんな感じで一週間。そろそろ我慢も限界だが――
「おばあちゃんにちくるわよ」
「いつかパソコン内に潜り込んでるお前をアンインストールしてやる」
もしも消すことが許されるならばフォーマットしてやりたいが、何らかの手段でサルベージされそうだ。しかも自力で――
「もういい、好きにしてくれ……」
頭痛がしてきたのでその場を去る。
背後で何やら勝ち誇った声が聞こえるが今は無視しよう。
「来るべき日が来れば……必ず……」
『何親の仇みたいなノリで復讐を誓ってるんですか……大人気ない』
魔石に冷たく突っ込まれる。ヴァインがエルを抹殺する日はまだまだ先の話になりそうだった。
「つうかお前、データバンクから、エルがばあさんの関係者だって知っていたろ……」
『さあ? どうでしょうね』