87話
会議にてケンが大人しく引き下がったのは、ユリと先生にとっては意外な事であった。
「1人でそこまで出来ると思う程自惚れちゃいない。物語の主人公じゃあるまいし……」
ケンはそう答えた。苦々しく言う様は何処か残念そうでもある。
実際に物語の主人公ならそういう事も出来るだろうが、自分はそうでは無いということを彼は心得ていた。
「おや、何時だかに競闘の大手チームのビルに乗り込んだ人とは思えない発言ですね」
笑いながら先生が言う。
かつてケンはトウの街にいた時に人質として捕らわれた泉を助けに、トウの街で1番大手の競闘チームの本拠地へ1人で乗り込んだことがある。
「いや、あの時はあそこに戦闘要員がほとんどいなかったからな。他にも運が良かったこともある」
「おや、そうなんですか?」
「ああ。でも今回はそういう訳じゃ無い。同じ事をやれって言われても多分やらないな」
確かに、以前乗り込んだ獅子王会の本拠地は傘下のチームや資産の管理とっいった事務的な仕事を行う場所となっており、戦闘要員は少なかった。
しかし、今回のファクトリーは実質的に行商人連合の本拠地となっている。
そこから要塞へ攻めて来ることを考えれば戦闘要員はかなりの数がいるはずだ。
ついでに言うと現在と当時のケンの心境の違いも大きい。
当時、ケンは自分は死んでも構わないと思っていた。ギジの世界で人が死ぬ事は珍しい事では無い。
ここで死んでも運が無かっただけであるし、それまで散々人を殺しておいて自分が死なないというのは不公平だろうと考えていたのである。
しかし、今のケンは死ぬつもりは毛頭無い。
ここで死んだらミクを殺したマンハンターに一泡吹かせられないし、ここまで来ておいてマンハンターの拠点であるファクトリーを見ないままで死ぬのは癪だからである。
「まぁ、旅団も私達がここにいる事は分かった訳だから今はそれだけで良いんじゃないか?」
そう言ったのはユリである。自分で言っておきながら楽観的な意見だと思う。
「次の戦いで旅団の面々が出てきたら……」
先生が呟く。
「全員出てくれば助けるのは楽だろうけど、さっきみたいに1人、2人だと迷うな。監視もいるだろうし、いなくなったことを怪しまれて人質である団長が殺されることもあり得る」
詰まるところ現在の状況を変えることは出来ないということだ。
オーバーロードナイトか行商人連合のどちらかが何かしらの動きを起こす必要がある。
「とりあえず、しばらくはここに厄介になるしかなさそうですね」
先生が言った。
そうするしか無いだろうとケンとユリも同意する。
「それにしても……」
今回は随分とケンは冷静だとユリは思った。
いつもなら1人だけで要塞を抜けて行商人連合に向かうくらいのことはする少年だからである。
武器屋旅団と一緒に行動して変わったのか、あるいはミクが死んだことが原因か?
「落ち着いてきたのは良いことだ」
そうユリは口の中で呟くが、それはそれで今までのケンのイメージと違い違和感を覚える。
そして、元々自分はケンに落ち着いて欲しいと思っていたことを思い出し、その矛盾を可笑しな話だと思った。
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それは湖と言うにはあまりにも大きかった。
湖の反対側の景色は遠く、わずかに水色の影が水平線から伸びているのが覗えるのみであり、一見しただけでは海と見間違えてもおかしくは無い。
そんな湖の東側と南側にはコンクリート製の橋が中心に向かっており、その先には巨大な煙突やタンクが並び、その中央に箱の様なビルが建っている。
それだけ見れば、湖の中心に工場があるように見えるだろう。
しかし、それこそがオーバーロードナイトや行商人連合の言うところのファクトリーなのだ。
マンハンターの生産工場に武器工場。
それに使われているであろう巨大コンピューターや、何故か人間用の生活物資が保管されている区画もある。
それらは全て地下にあり、そこへと通じる道は地上の工場内に巧妙にカムフラージュされていた。
もっとも、今となっては行商人連合がカムフラージュを見破り、中にいたマンハンターを排除したことによってファクトリーの半分近くはその機能を停止、あるいは連合のコントロール下になる。
そうで無い部分はマンハンターのコントロール下になっており、封鎖扉を通して現在も連合と睨み合いを続けていた。
行商人連合からオーバーロードナイトが分裂したのはそれから数年後の事である。
そんなファクトリーの地上部分。
地下の施設を隠すためであろうダミーの工場だが、今は行商人連合の基地兼生活区画となっている。
武器屋旅団はその生活区画の一部を与えられていた。
箱の様な建物の4階の奥。
四方をコンクリートの壁で囲まれた大部屋と、その奥にある2つの小部屋。
小部屋は男女別の寝室として使われている。
「戻りましたよ」
加村はそう言うと、自分が着ている戦闘用に改良したジャケットを脱いで荷物置き場に乱暴に投げ捨てる。
「お帰りなさい」
そう言って迎えたのはケンの後輩であるエミリだった。
「アキラさんは?」
副団長のアキラがいないことに気付いて尋ねる。
「団長の所さ」
団員が答え、「ふーん」と加村は答えた。
「あぁ……、だが戻ったところだ」
その声で振り返るとアキラが立っていた。
丁度戻って来たところである。
「それは良いタイミングでしたね。あぁ、報告したいことがあるんですけど……、良いですかねぇ?」
加村は戦闘の報告を始める。
なるべく相手の戦闘力だけを奪うようにした事、戦闘の中でケンに会ったこと、水野ミクが死んだこと、監視がケンに殺された為に、自分達に対して連合が更に警戒を強めたであろうという内容だ。
「彼のことだ。何かしらのアクションは起こすだろうから準備はした方が良いんじゃないですかねぇ?」
加村はケンがファクトリーに乗り込むことを予想する。
「ケン坊はオーバーロードナイトにいるんだろう? ミクが死んでユリと先生がいるならそこまで無茶は……、しないと思いたいな」
先生とユリが一緒なら、例えケンが無茶を言っても止めるだろうとアキラは思う。
ただ、止められるかと言ったらそれは断言出来ない。佐原ケンとは彼の中ではそういう男だった。
「しかし、武器は取り上げられて廃墟で相当な人数がやられたんだ。こちらも迂闊には動けないぜ?」
団員の1人が言う。
その通りである。
廃墟で武器屋旅団は相当の死者を出し、さらに武器は整備と修理の名目で行商人連合に差し押さえられているのだ。
「打つ手は無い、ということかなぁ?」
加村の言葉に団員達はそれぞれ苦笑したり溜息をついた。
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要塞の会議室。
隊長達がいなくなり、静かになったそこにはオーバーロードナイトの首長である船前と副長の中村がいた。
「消極的だと言うんだろう?」
初めに言ったのは船前である。
「奴をファクトリーに侵入させて混乱を起こさせた隙に攻撃するという話ですか?」
中村はわざとらしく説明口調で言う。
「まだだ。アレの数が揃うまでは攻撃出来ない」
「レーザーバズーカ?」
「そうだ。アレの数が揃えば奴等に一泡吹かせてやることが出来る」
成る程と中村は思う。
報告によればレーザーバズーカはマンハンターの大型種であるブルタンクをも一撃で倒せるという話だ。
ならば、マンハンターやブルタンクが闊歩している廃墟側の出入口を突破して、そこからファクトリーに攻撃が出来る。
確かにそちら側は中継地点側よりも警備は手薄だろう。
「だが、その前にこちらがやられるかもしれませんよ?」
中村のその言葉に船前は何か言いかけるが、一度目を伏せてそれを止める。
ややあって頭をかくとフッと口の端で笑う。
「どの道、1番隊と2番隊には怪我人が多数出ているんだ。同じ事だよ」
船前は開き直ったように言う。
確かにその通りではあるが、と中村は眉をひそめた。
「まぁ、その時は要塞を捨てて行商人でもやるさ」
その言い方は冗談めかしているが本気でなのだろうと、中村は考える。
「行商人、ですか……」
今更そんなことを出来るのだろうかと中村は疑問に思う。
オーバーロードナイトは良くも悪くも戦闘集団となっているのだ。
「思い出してもみろ。我々は元々拾った武器を売り歩いていたんだ。それがオーバーロードだのナイトだの、そこまで高尚な生い立ちか?」
吐き捨てるように船前が言った。
「総長の言うこととは思えませんね」
中村はそう言って目を細める。
鷹の目のように鋭い視線だった。
「私は元々、好き好んでオーバーロードナイトを立ち上げた訳じゃ無い。連合にファクトリーから追い出されて仕方無く始めたんだ。ファクトリーを攻撃するのだって奴等がこちらを攻撃してくるからさ」
鋭い視線を浴びながら涼し気な顔で船前は言う。実際のところは自分の立場に大きな不満を抱いていたが。
それを察した中村は視線を船前から外して、彼らの背後にあるホワイトボードに目を向けた。
そこには各隊の報告が汚い文字で書かれている。
「しかし、彼らは何でファクトリーに引き篭もり、最近になって攻撃を仕掛けるようになったんですかね?」
それは中村だけでなくオーバーロードナイト全員が思っていることである。
幾つかの説はあったが、どれも納得するには説得力に欠けた。
捕虜でも捕らえれば話は変わるのだろうが、彼らは捕虜になる前に逃げるか自殺してしまうのである。
そして、その死体は必ず所持品として薬物を持っていた。精神を高揚させ、恐怖心を押さえる劇薬である。
自殺する捕虜に薬物、次々と出てくる連合の戦力。それらはファクトリーに連合が引き篭もったのと関係があるのではないか?
誰にも言わないが船前はそう考えている。
「とにかくだ。レーザーバズーカの生産を急がせてくれ。都市の民間人を使っても構わない。後は、3番隊が廃墟からどれだけ物資を拾ってくるかだ」
「了解」
「物資集めは他の手の空いている隊にも手伝わせてくれ」
「6番隊と、駐留している行商人にもやらせますよ」
中村の言葉に船前は「頼む」と短く言った。
そして中村が会議室から出て、その場にいるのが自分1人であることを確認すると椅子の背もたれに自分の体重を預けて大きくに吐息する。
「こういう賭けをすること自体、組織の長としては無能を証明するようなものなんだがな……」
それは自分に対しての言葉だった。