68話
次の日の朝。
武器屋旅団が村を出立する前、大量の本が差し出された。
「これは?」
ユウコが突然のことに首をかしげる。
「これは我々の和学について書かれた本です」
村の男が答える。この村の幹部だ。
所謂、指導書やら聖書やらと呼ばれる物に近い本だということだ。
「はぁ」
こんな物が何だというのだ?
ユウコはそう思い超えを出した。
「実はあなた達にはこれを各地で配布をして頂きたい」
幹部の男が言う。
次の瞬間、ユウコの顔つきは厳しいものになった。
「お断りします。私達は宣教師じゃありませんので」
ユウコは男を睨み付けてキッパリと断る。
だが、男も引かない。
「いや、別にあなた達に和学の事を広めて欲しいという訳ではありませんよ。ただ、あなた達の商売品と一緒にこの本を配布して欲しいだけです」
ユウコの後ろでアキラが肩をすくめる。
「やることは同じだろう?」
「大体、その本は一般に出回っている書籍とは違いますからね。はっきり言って何の値打ちも無いですし、それを持っていくだけの重量な余裕もありません」
アキラが皮肉を言って、その後でユウコが念押しして断る。
何時もならハッキリ言い過ぎるユウコをアキラが諌めるのだが、今回はそれが無い。アキラもユウコに完全同意しているのだ。
「そこを何とかお願いします。これはこの世界でも重要なことなんです」
幹部も引き下がらない。なおも話を続ける。
「この世界は荒れています。それは人の心に余裕が無いからです。この本にはその余裕を少しでも持たせる為のことが書いてあるんです」
しつこいとユウコは苛立ちを募らせる。
「だったら自分達で配ったらどうです?」
「やっていますよ。ですが、我々だけでは足りないのです。この本を広めに向かった者の中には帰れなくなった者達も多いですから……」
幹部の男は神妙な面持ちになる。しかし、それは何処か演技地味ていて団員達を不快にさせた。
「蜂蜜に砂糖をかけたような甘い思考じゃ帰れなくなるのも当然だと思いますけどねぇ……?」
そう言ったのは加村だ。
明らかに彼らを嘲笑している。
「だからこそやらねばならないんです。誰かがこの世界を正さないと」
幹部は強く言う。
「私からも頼みます」
そう言ったのは昨日にユリとケンを勧誘した顔立ちの整った男だ。
流し目でユリを見ると、そのまま歩を進めてユリの目の前に立った、
「君は確かそこの少年を更生させたいと言っていたね? ならこれはとても有意義だと思うよ? この本を配るという事はそれだけ色んな人達と話すという事だからね。そこで培った事は、そこの少年を更生させるのに役立つと思うな」
「はぁ……」
何を言っているのかとユリは目を丸くする。
「自分の想いを伝えるのは対話だよ。だからその練習として良いんじゃないかな?」
男は続ける。
「そんな事しなくても、ユリさんは言いたい事があれば直接言ってくるさ」
一歩進んでケンが言った。
脅しのつもりか、腰の専用ホルスターに納めた“でんでん銃”に手をかけている。
ケンと男が睨み合う形になった。
「止めないか!」
その時だ。
激しく一喝する声が響く。
「貴方は……」
先生が呟く。
そこにいたのは和楽の指導者で、村の代表ある柴本という老人であった。
「無理にさせてはならん」
柴本はそう言って村人達を黙らせるとユウコの前に立つ。
「申し訳無い。彼らも悪気は無いんです」
そう言って一礼した。
「いえ……」
ユウコは軽く会釈を返す。これでこの件は終了だろうと団員の誰もがそう思った。
「待って下さい! 話はまだ終わってません!」
幹部の男が叫ぶように声を出す。
「柴本先生はいつも仰っていたじゃないですか! 正しい事ならば決して退いてはいけない、対話を持って相手に想いを伝えると!」
「それは相手に自分の意思を押し付けるという事では無いよ。相手とじっくり話し合い、お互いに理解を深めるという事だ」
「だったら尚更です。我々はまだ話し合っていません」
「彼らは明確に断ったよ」
「貴方はいつもそうだ……。我々は和学を通じて世界を変えるのが使命なんです。そんな弱気でどうするんですか!」
幹部は語気を荒らげる。
それを見てアキラは肩をすくめて団員達を見回した。それに答えるように団員達も苦笑したり、同じように肩をすくめている。
「そうですよ! 村の外に我々の教えを広めるチャンスなんですよ!」
幹部に同意する声が数人分聞こえた。
「いや、我々は柴本先生に従うべきだ」
それに対して柴本に同意する声も聞こえる。
「これで、和の心とは笑わせるなぁ……」
加村がケンに囁く。
フッとケンも僅かに嘲笑してみせる。
「もう、たくさんだ! あなたのそれでは世界は変えられない!」
幹部の男が叫んで腰のホルスターから“でんでん銃”を抜いた。
「我々は革命家じゃない! 平和を通じて世界を……!」
柴本が叫ぶが、途中で言葉を詰まらせる。
次の瞬間、柴本は腹部から血を流しながら前のめりに倒れた。
「なっ……!」
村人が声をあげる。
「やったか……」
呆れ声をアキラが出した。その横でユウコが顔をしかめ、加村が眉をひそめ、ケンは嘆息する。
後は乱戦だ。
この幹部に呼応する者、柴本に呼応する者との間で銃撃戦が起きる。
武器屋旅団は彼らを村から送り出そうとした柴本派に味方することになった。
集落の内部事情に干渉することを良しとしない旅団にとっては好ましい事態では無かったが、ユウコはこの場合はやむを得ないとしたのである。
「急いでこちらに!」
柴本派の幹部が呼びかける。
団員達はそれに続いた。
「全く、こういう事は願い下げよ!」
ユウコが手を振って着いて来いと団員達に指示を出す。
「逃がすな!」
反柴本派の者がライフルを撃つ。
「うわっ! 見境無しかよ!」
団員が驚きの声をあげた。
そんな中で倒れた柴本を抱えて進み出したのは旅団の先生だった。
「まさか、こんな事になるとは……」
柴本は血反吐を吐きながら先生の肩を借りて呟く。
「偉人の体面ばかりを真似て、その精神を理解しない人達だったという事ですね」
「私が間違っていたのか……?」
「人間の考え方はそれぞれですからね。絶対というものは無いと思います。にもか関わらず、これは絶対の信念だと定義したのがまずかったですね」
「それは……?」
「絶対の信念があるというあなたの自信溢れる姿に憧れて、信念の内容を理解せずに格好だけ真似たってことですよ」
そう言った先生に柴本は返事をしなかった。
既に事切れていたのだ。
「やれやれ……。本人達は真面目にやっているんでしょうが、傍から見れば滑稽な話ですよ。まぁ、昔から人間同士の争いなんて呆れ返るような理由で始まるものばかりかもしれませんが……」
人間というのは愚かな生き物なのかもしれないと思う。しかも、それは世界が変わっても何ら変わらないとすれば尚更だ。
追ってくる者達と追われている者達を見比べて先生は嘆息する。
そして、柴本の死を幹部に伝えた。