39話
ユリはケンを探すために、競技場の中を下へ下へと降りていく。
ここが普通の競技場ならば、選手控え室のような部屋が必ずあるはずであり、それはおそらく試合をしていた場所の側、観客席の下にあると考えたからである。
途中で何人もの人間とすれ違い、その中にケンの姿は無いかと目を凝らす。
試合中のケンと似たような格好をしている者を見付ける度に視線を向け、この人は違うと嘆息した。
「何処にいるんだよ……」
ひょっとして既にケンはこの場を立ち去ったのでは無いかとも思う。
何故かは分からないが焦りはじめ、それは不安感に変わってきた。
そうこうしながら出鱈目に足を動かす内に、ユリは灯りがほとんど無い薄暗い通路に入っていた。
「変な所に来ちゃったなぁ……」
外からの光は無く、壁の所々に設置された豆電球の灯りだけしか無い通路を歩きながら呟く。手は自然と手持ちのレーザーライフルのグリップを握りしめた。
「そういえば、ここって電気が来てるんだな」
豆電球の小さな灯りを見て呟く。
ユリにとってギジの世界の灯りといえば、電気によって作られるものでは無く、焚き火や蝋燭といったような火によって作られる灯りだったからだ。
思い返してみれば、先程の試合時にはスピーカーによるアナウンスも、当然ながら電気を使っているはずである。この街には大量の電気を起こすことが出来る何かがあるのかもしれない。
ユリは漠然とそんなことを考える。
「おい! そりゃどういう意味だ!」
突然男の怒号が響き、ユリは思わずビクッと肩を跳ねさせた。
「言葉通りだ。時間の無駄だ」
怒号とは別の男の声が聞こえた。こちらは冷静な雰囲気である。
「何だ……?」
ユリはそう思って声の聞こえた方に顔を向けた。向かって右側に、僅かに開いた扉があり、そこから光が漏れているのが見える。これらの声はそこから聞こえたらしい。
野次馬的な好奇心から、僅かに開いた扉の隙間を覗きこむ。
部屋の中。両壁には幾つものベッドがあり、その上で倒れている者が見え、その中心で男達2人が向かい合っていた。
喧嘩かと思ってみるが、向かい合う男の1人を見て、それはすぐに打ち消される。
「何やってんだ、あいつ……!」
男の1人はケンだったのだ。
「そもそも、あの時に態勢を立て直すなんてことをしないで、そのまま突っ込んで乱戦に持ち込みば狙撃される可能性は減っただろうし、まだ勝機はあった」
ケンは感情の無い冷たい声で言った。そのケンには似合わない言い草に、負けたのが悔しかったのかな、とユリは漠然と思う。
「こっちにだって狙撃手はいた。そこへ奴等を誘い出して……!」
「そこで伸びてる奴か? 一番最初にやられただろう」
ケンはベッドで倒れているいる男を顎で指すと、鼻で笑う。
「それは、お前が突出しすぎたからだ!」
「俺は一度止まった。 ……狙撃手がいるのは明白だったからな。後は勝手にお前達が突っ込んだんだろう?」
そういえば、あの時ケンは一度足を止めて狙撃手を探していたなと、ユリは試合中のケン達の動きを思い出す。
「とにかくだ! この試合が負けたのはお前が突出しすぎたのと、勝手に降参したからだ!」
男が喚く。
無茶苦茶な話だとユリは呆れた。ミクがレベルの低いチームと評したのも頷ける。
「そう思うなら思えば良い。俺は帰る」
ケンは相も変わらず冷たく言った。
悔しいというより、呆れていたのだ。
「あぁ? ただで帰す訳無ぇだろ!」
そんなお決まりの文句を男が叫ぶ。そして、次の瞬間にはケンに拳を振りかぶって殴りかかるが、ケンはこれを体の位置を少しずらすように動いて避ける。
男は大きくよろけた。
「んの野郎ォ……!」
男は歯を剥き出しにて怒りの表情を見せて、壁に立て掛けていたライフルを引っ掴む。
これはマズイだろと、ユリは思って勢いよくドアを開けた。
「お前ら、何やってんだ!」
叫びながら自分のライフルを構える。
突然の侵入者に驚くケンとチームドラゴンファングの男。その場の空気が凍り付く。
男はこの競技者の係員か何かと思うが、女の係員などいたかと、思考を巡らせる。
その一方でケンの思考は混乱の極みであり、思考と心臓が止まる様な衝撃を受けていた。
一瞬、他人の空似かと思うが、背丈に顔、声など、どう見ても白河ユリであったからだ。
だが、何故ここに彼女がいるのだ?
ケンと男はまじまじとユリを見る。
先に口を開いたのは男だった。
「誰だか知らねぇが、これは俺達の問題だ」
男はライフルを再びケンに向ける。ケンも同じように愛用のサブマシンガンこと、でんでん銃を男に向けていた。
「相手は子供だろ」
ユリは男に言う。
「競闘に子供もクソもあるか! こいつは凄腕だって雇ったのに、クソの役にも立たなかったんだ!」
男の怒りは収まらない、というより悪化していた。
「まぁ、クソのチームの役には立たないな。普通のチームなら役に立つだろうが」
ケンが冷たく言って、フフンと鼻で笑う。男の怒りのボルテージは更に上がり、言葉にならない叫びをあげた。
「お前も挑発するな!」
ユリが声を荒げる。
「野郎! ぶっ殺してやるぁ!」
男が叫び、ケンが銃を構えた。
まさに修羅場であり、ユリはどう対処すれば良いのかと焦り、思考も動きも止まる。
「はいはーい! ストップストップ!」
パンパンと手を鳴らし、気の抜けた声が聞こえた。
今度は何だと全員が声が聞こえたドアの方を見る、
再び女である。
男は今にも手持ちのライフルを撃ちそうな顔で睨み、ユリはホッと胸を撫で下ろし、ケンは再び衝撃を受け口を開けて目を丸くしていた。
水野ミクである。
「ここは競闘の選手控え室だよー? こんなところで揉め事を起こすのはお互いにいただけないんじゃないかなー?」
ミクはそう言ってニコニコした笑みを浮かべていた。目は笑っていなかったが。
「んだとぉ……?」
唸るような声をあげて男はミクを睨みつける。ミクは構わず自分のライフルを男に向けた。
これ以上文句を言うなら撃つ、という警告である。ライフルを向けられたチームドラゴンファングの男は、頭の良い訳では無かったが、この警告をすぐに理解することは出来た。舌打ちをする。
「さっさとそのガキ連れて行っちまえ……!
」
男は不満そうに言ってライフルを下ろした。
「どうもねー」
ミクもライフルを下ろし、ユリが「ホラ」とケンの背中を押して外へ出す。
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「何故、アンタ達がここにいる……?」
ユリとミクに連れられて競技場から出て、ケンが初めて口にした言葉である。
「そりゃあ、こっちの台詞だよ。お前こそ何で競闘なんか……」
質問に質問で返されてケンは舌軽い苛立ちを覚えた。
一瞬、俯いてユリから目を剃らして質問に答える。
「別に……、手っ取り早く生活費を稼ぐのには丁度良かったんで」
言い終えてケンはユリとミクを見た。改めてこの2人が本物の白河ユリと水野ミクであることを認識する、
離れて半年しか経っていないが、懐かしいと思うと同時に、自分でも分かるくらい落ちぶれた姿を2人に見られたことに不快感を覚えた。
「お前、料理出来たろ? 何処かの食べ物屋とかでも良かったじゃないか?」
ユリの料理という言葉を聞いてケンは僅かに口の端を歪めて自嘲の笑みを浮かべる。
今更料理か……。
そもそも料理は他人に食事を作るという行為であり、それは食事を通して人を生かすことだ。
散々人を殺してきた自分にそんなことをする資格あるのかと思う。
ケンは村を襲ってきた賊を相手に、守るために初めて人を殺した。
その後、旅をして初めて辿り着いた集落では、他の集落の人間を自分の意思で殺す。
それ以降も、この町までの道中では同じように襲ってきた賊を殺し、町に着いてからも競闘のお礼参りとして襲ってきた者達を殺したこともある。
そんな人間が料理ね……。
内心で自嘲するケン。
「ここ最近はこんなことばかりで料理なんて忘れた」
ぶっきらぼうにケンは言うと、ケンはユリの姿を見る。
村で別れた時と何も変わらない。他に敵がいるのにも関わらず、少ない物資や下らない感情の為に、人間同士で戦うような地獄なんて知らないような、綺麗な目をしていた。
それは羨ましくもあったが、この世界で生きていくには、あまりにも弱く情けないものに見える。まるで、すぐに壊れてしまうガラス細工のようだとケンは思った。
「そんなことより、何でユリさん達がここに?」
自分のことは良いと思い、話題を変える。
「キョウもいなくなったからねー。それならあんな村にいる意味も無いでしょ?」
それに答えたのはミクだ。
志村の名前がミクの口から出たとき、彼の死んだ時の事を思い出し、ケンは自分の意識が足元から剥離していくような感覚を覚える。
志村の死は自分の招いたことだと、心の奥から暗い呟きが聞こえた。
「ケンちゃんがいなくなって、鬱憤の矛先が私やユリちゃんに向けられ始めたからね。私はそこまで、あの村に思い入れがないから出るのは当然だよ?」
あの村の怒りはケンを追い出しただけでは収まらなかったということである。
ケンはそのことを思い、この2人か村を出てきたのも、元を辿れば自分が原因にあるのだと歯噛みした。
たった一度のミスがこうも人の行動に大きく作用するのかと腹ただしく思う。
ミクは続けて説明をする。村から2人で出てきたこと、途中で集落に立ち寄ったこと、ケンをここまで追ってきたこと、オアシスという食事屋でケンとすれ違ったこと、それらを聞いてケンの罪の意識はさらに重くなった。
自分のせいで2人は苦労したのだと思う。
かと言って、それを恨んではいないのは2人を見ればすぐに分かる。
いや、志村が死んだことに関してということなら、ミクは自分を恨んでいるだろう。かと言って、復讐とかを考えてはいないだろうが……。
そんな事を思いながら、ケンは2人が純粋に自分を探していたのだということを理解した。
「……事情は分かった」
ある程度、話に区切りがついたところでケンが言う。
この2人に会った。苦労してここまで来たのは分かる。しかし、それで俺にどうしろと?
そんな囁きが頭の中に響く。
「お互いに無事を確認出来て良かった。でも、これ以上俺に関わらない方が良い」
次の瞬間にはそんな言葉を口にする。
「何を言っているんだ?」
納得いかないという顔でユリが言った。
今まで散々苦労して、せっかく見付けた人間にそんなことを言われれば当然の反応である。
「こういう事をしていると、やたらと面倒事か多くてね。2人を巻き込みたくない」
やれやれと思いながらケンは言った。
思い返してみれば、ミクを始めユリや志村、いつかに立ち寄った集落の子供など、自分と関わった人間の大半がロクな目に合わないなと自嘲する。
「私はそういう厄介事に慣れてるけどねー」
気の抜けた声でミクが言ってククッと笑う。
「ユリさんはそうでも無いでしょ?」
ケンはユリを一瞥した。彼女はミクよりもこの世界に来て日が浅いということを思い出しながら言う。
おそらく、ここまでの道中ではミクが主導になってここまで来たのだろう。そう予測をしながら、村にいた時と全く雰囲気が変わらないユリを見た。
「とにかく、そっちの目的は成ったんだ。もう良いでしょ? それじゃあ……」
これ以上話すことは無いと言わんばかりの態度でケンは2人に背を向けて歩き出す。
「どこへ行くんだよ!」
それをユリが止めようと後ろに着いていく。
「そりゃ、自分の部屋に。ホームレスって訳じゃ無いし」
止めようとするユリの肩をミクが掴んで制止した。
「私たちはオアシスって店にいるから、気が向いたら来てよ」
不満気な顔のユリの横でミクが言った。
「どうかな……」
ケンはボソッと呟く。2人は人混みに消えるその背中を見送った。