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推し活令嬢 ~教会で推しを見つけたけど、とんでもないことになった~

作者: 丹空 舞
掲載日:2026/10/25

校正含み完全AI不使用です

ので何か見つけたら誤字報告お願いします…!(言い訳手打ち大臣)


「ヨハン? ああ、あやつは今ごろ国外じゃろう。実はな、街の娘と駆け落ちしたんじゃよ。子どもができたらしい」


 よく叫び出さなかったと思う。

 というより、声が出なかった。


 ルルネはやっとの思いで深呼吸をして絞り出した。


「あの、彼、私の許婚なのですが……」


 神父は哀れみの眼をして、無言で十字を切った。




 *



 ルルネ・シュピツァー。

 御年十六、元は公爵家に繋がる高貴な血筋のシュピツァー子爵の長女だ。


 さらさらとストレートに伸びた豊かなブロンドの金髪は腰に届くほど長く、ぱっちりと開かれた目の奥には宝玉のようなダークブルーの瞳が、静謐さをたたえている。


ルルネの婚約者は聖職者として修行している、ヨハンという真面目そうな青年だった。

 金髪碧眼かつ白い歯。人当たりも良い。

 男爵令息と格下の相手ではあったが、その爽やかな風貌に、ルルネは一度もヨハンを疑うことはなかった。

 シュピツァーの家系は聖職に就く者が多かったし、ヨハンは子爵家が望む条件に適しているように感じられたのだ。


 だがしかし、現実は残酷だった。


 ある日、ルルネが婚約者のヨハンの姿を見に行ったら、彼は不在だった。

 それどころか、ヨハンはよその女と駆け落ちして勝手に聖職を辞めていた。


 聖職に携わるものは、神父でこそ、年をとれば妻帯が許される。

 しかし、修行中の修道者は言語道断だ。

 聖職者としてもうその道には戻れない。

 ヨハンは仕事もルルネのことも全てを捨てて、逃げたのだ。




「あっあの、ヨハンはもう」


「戻らんじゃろうなあ、気の毒だが。まさかそんなことになっておったとは……」



 神父は申し訳なさそうに、ルルネの前で溜息をついた。



「こんな時に何じゃが……神は見守ってくれている。どんなにどん底のときにも、いや、そういう者ほど救われるんじゃ。どうかな、このあとのミサに参加されては。聖歌隊の歌声をきいて、心を落ち着けてから帰っても遅くはあるまいて」





 そう、神父様の言う通り。

 神はいた。





(な……何なの、あの子!?)




 ルルネはそこで、アンドリューと運命の出逢いを果たしたのだった。




 まだ歴が浅いのだろう。

 オレンジの髪の青年アンドリューは、緊張しながらも頑張って歌っていて、気付けばルルネは心から応援していた。


 歌い終わってほっとした時の笑顔を見て、脳天に衝撃が走った。



(な……何、この感じ……! 保護したい!)




 ルルネは傷心も忘れて聴き入った。

 確かに聖堂が力を入れているだけあり、青年修道士たちによる聖歌隊の歌声は素晴らしかった。


 それ以上に、アンドリューの魅力が良かった。

 ルルネはミサの終わり、持っていた銀貨をためらいなく教会の寄付箱に入れた。


 すると、アンドリューとバチッと目が合った。


(ヒェッ……)


 つるりとした女のような肌の少年は、クエスチョンマークが浮かんだ顔をしていたが、ルルネに邪気のない微笑みと慎ましやかな会釈を見せた。



(ンッ……!)



 明日も来よう。

 ルルネは生きる気力を完全に回復していた。


 婚約者だったヨハンには感じられなかったときめきと満足感が、胸に溢れる。


 それはルルネにとって、世界が一変した瞬間だった。


 そう、推しという概念によって――。






 これまでもこれからも、アンドリューはルルネを知らない。

 だけど、ルルネはその日、アンドリューを知ったのだ。

 それはルルネにとって、大きな意味を持っていた。




 *





 それから数ヶ月が経った。



 アンドリューと出逢ったその時から、全ての言葉も絵も音楽も、ルルネにとって推しを表現するためのツールとなり得た。


 聖歌を歌い、歌詞を書き出し、自分でもメロディーを弦楽器で弾いてみた。


(なるほど、このメロディラインがあるから、高音に繋がるのね……さすがよくできているわ)


 アンドリューをモチーフにした花の絵を描き、果物を描き、風景を描く。


(リューはひまわりね、そしてオレンジっと……風の丘の出身という噂だったから、風車を描きましょう。ああ、本当ならここにリューを描きたいところだけど! 推しは密かに、秘めれば花よ!)


 さらには、名文と呼ばれるようないにしえの名作を手にとってみる。


(「その日から、私の心は愛という名の支配者の臣下となった」……くう……文豪はさすがね……その通りでしかないわ……愛とは深いものね……これが書かれたのが何百年も前だとは思えないわ。私にも書けるかしら。ああ、ほとばしる想いを、文字にする! はばたけ、私の愛の翼!)



 こうしてルルネは推しへの愛を育んできたのだった。



 絵画だけでなく、詩作も始めたルルネは、以前にも増して貴族のサロンで頭角を現していた。


 若いながらに、文芸も絵も音楽も、貴族令嬢が嗜むものに精通したルルネは、文化人や教養ある令嬢たちに熱狂的に受け入れられた。

 特に愛を表現した詩は大受けした。

 匿名のファンレターを貰ったことさえある。


 もちろん、ルルネの想像力を後押ししたのが、推しのアンドリューであることは間違いない。

 が、そんなことは本人しか知らない。


 令嬢たちに慕われるようになったルルネは、サロンでもお茶会でも引っ張りだこになった。




「ごきげんよう、ルルネ様」

「今日はどの詩についてお話をなさるの。前回のお茶会で聞かせてくださった詩は最高だったわ」

「いいえ、わたくしと、文壇の新作についてお話をされると約束されたわ。そちらが先よ」

「あら、新しいドレスについてが先よ。なんて美しいオレンジ色なの。どこで作られているのか知るまでは離せないわ」

「ちがうわ、新作の音楽について話し合いましょうよ。ヴァルディの新作の器楽三重奏について。あの解釈をお聞きしたいわ」


 ルルネは、コホンとひとつ咳払いをすると、儚げな微笑を浮かべた。


「ごめんなさいね、皆さん。今日はどうしても外せない用事があるの。また後日、お相手してくださる?」


 令嬢たちはたいそう残念がったが、子爵家の大切な用事だと察して身を退いた。


 実際、そういうわけではなかった。

 子爵家というよりは、ルルネ個人の問題だ。

 心の中は、気合い十分だった。


(今日は感謝祭前の大イベントよ!)



 *


 今日のように大聖堂でのイベントがある際、ルルネはもちろん足を運ぶようにしている。

 新調したドレスは、もちろんアンドリューの髪色のオレンジだ。


 ルルネは今日も推しを見守る。

 つまりは、聖堂に足を運び、敬虔に祈る。

 そして寄付を積む。



(はぁぁ……アンドリューが今日も動いてる、息してる、可愛いぃ)


 眺めるのは神父でも聖体でもなく、もちろんアンドリューだ。





(ふわああああああ! 尊い!)


 子爵令嬢ルルネはハンカチで目頭を覆い泣いていた。

 悲しみではなく、尊さのためにである。


 人間は尊すぎるものを見ると涙が出てくる。



 アンドリューは、ルルネの情報によれば十四歳。

 聖職者としての修行の真っ最中だ。


 ルルネより二歳下のアンドリューは、幼くはないものの、まだ少年と青年の狭間で揺れ動く様が見られる。

 ひげがはえてきて、嫌そうに鼻の下を擦っていた時は悶絶した。


 いつも懸命で素直なアンドリューを見ていると、許婚に裏切られ、子供まで作って婚約を破棄され、裏切られた心の傷がきれいに塞がっていく。


 大聖堂の祭壇では、神父がこんこんと説教を続けていた。


「主曰く。『見よ、わたしは生きとし生けるものの神である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか』と……」



 ルルネは首がもげるほど頷きたかった。


(はい! 分かります! 神(おし)によって生き、生かされています! ええ、この瞬間もッ!)


 ルルネの興奮がなぜかといえば、神父の背後で控えている修道者たち――若い少年や青年たち――に原因があった。




 うとうと、としながら、隣の青年に寄り添うオレンジの髪の青年。

 おなじみのルルネの推し、アンドリューだ。


 その隣にいる紅い髪の青年のエルフィンが、焦ったようにアンドリューのローブを引っ張って起こそうとしている。


 エルフィンはアンドリューよりも身長が高く、筋肉質でクールな顔つきだ。

 ルルネの調べによると、男爵の息子から伯爵の養子となったアンドリューの義理の兄らしい。

 つまりは、アンドリューの義兄弟ということだ。


 いつも冷静で無表情なことの多い、そのエルフィンが明らかに焦った表情になっている。


 ルルネはオレンジ色のドレスの影で、ぐっと握りこぶしを作った。


(あああっ! リューがまた眠そうにしてる! あっあっ隣のフィンにもたれ掛かっている!? フィンが眉を動かしてる! 信じられない、可愛さと気高さの融合だわ。こんな兄弟は星座にしてしかるべきよ! 双子座の隣にリューフィン座を作りましょう! もう尊さが爆発して別の物質が誕生してしまいそう! これがリューフィンの威力! ケミの魔法!!!)


 ルルネの百面相ともいうべき問題のある表情筋は、黒のベールで覆い隠されていたので、教会の聴講席の長椅子で目立つことはなかった。


 場を乱さず。

 どれだけ推しに心を打たれても、騒がず、目立たず。

 いつも静かに笑っている。

 これが教会という場で推し活をする者としての自戒である。




 認知はされていない。


 アンドリューにとって、ルルネはたくさんいる信者のうちの一人だ。


 しかし、それでよかった。

 ルルネにとってアンドリューは、癒やしそのものだったのだ。


 もちろん一目惚れや恋などといった感情とは一線を画している。

 これは、愛だ。


 推しが健やかに生きて笑ってくれれば、元気が出る。

 信仰の一種といっていい。




 しかし、神は時に悪戯をする。


 ルルネは己の身に想像しがたい恐ろしい運命が迫っていることに、気付いてはいなかった。



 *


 それは長く続いた春の嵐が過ぎ去り、久々に晴れた朝のことだった。


「えっ、ヨハンが戻った?」



 ルルネの、修道士アンドリューとの運命的な出会いから二年が経とうとしていた。


 しかし、この日、ルルネにとって信じられないことが起きた。ヨハンが戻った、と父親はルルネに告げた。



「ああ。駆け落ちした先で、うまくいかなくなったらしい。相手の女と別れて、こちらに戻って来たようだ」


「だからといって、もう私とは無関係です」


「勿論だ。近付かないようにと書状を出したが、お前も気をつけるんだぞ」



 本当に、神は神でも疫病神のような男だ。

 消えてなくなってしまったらいいのに。


 ルルネの心にはアンドリューのきらきらした笑顔が飾られている。


 これまでの二年間、アンドリューが成長する姿を見ながら、自分も貴族の女として地位を確立してきた。

 婚約者の男に逃げられた女と烙印を押されても、そしらぬ顔で微笑んできた。

 泣きたくなる日も、アンドリューという偶像が支えてくれた。

 推しはいつも力をくれる。


 今回のヨハンのことも、それなりにショックではあったけれど、気が動転しないのはアンドリューのおかげだ。

 アンドリューには認識されていなくても、関係ない。


 ルルネの心を落ち着かせ、勇気を出させてくれるのは、いつもきらきらした笑顔のアンドリューの姿なのだ。


「はぁ。ちょっと疲れたな……」



 そんな時こそ、聖堂へ行こう。

 思いっきり邪な思いで、ルルネは外出を決めたのだった。




 *



 アンドリューの姿はひときわ輝いていた。

 やはり、将来の司教、いや、大司教候補として推薦できる。


(絶対出世してね……!)


 ルルネはまたもやミサの後、金貨を寄付して、教会を出た。

 破格の寄付をするルルネに教会側も配慮しているのか、近頃では神父の方から会釈をするようになってきた。



 教会を出て、馬車を待つ。

 なかなか来ないな、と思っていたところで、誰かに話しかけられた。


「おい! ルルネッ! ルルネじゃないか!? そうだろう」


 声に覚えがあった。


「やっぱり。俺だって、ヨハンだよ」


 最低だ。

 どんな神経で声をかけてきたのだろう。


「……人違い、です」

「いや、絶対にルルネだ! ほら、そうじゃないか、久しぶりだな。会いたかったよ」


 カッと頭に血が上る。


「会いたかった? 私は全く会いたくありませんでした。婚約中にもかかわらず、他の女と浮気して子どもを作ったあげく、駆け落ち?」


「悪かったって、ルルネ。違ったんだ。俺の子どもじゃなかったんだよ。本当の父親っていう本命のやつが出てきて、俺とのことは遊びだったって言うんだ」


 知らない。

 それに、知りたくなかった。

 もうどうでもいい。


「……そうですか。では失礼します」

「おい、冷たくないか? 婚約してたじゃないか、俺たち」

「もう私には関係ありませんから」


 言いながら、涙が出てきた。

 みじめだった。


 迎えの馬車はまだ来ない。

 早く、この場所から離れたいのに。


「関係なくない。ルルネ、俺はまだルルネのことが忘れられないんだ。ルルネだって、そうだろう?」


 ヨハンに後ろから手首をつかまれて、ルルネはぞっと震え上がった。


 この男が忘れられないのは、未練だ。

 ルルネと無事に婚約をしていれば失わなかった多額の資産や領地。

 自分の身勝手な行いのせいで、全てを無くしたくせに、まだ未練がましくルルネを手に入れる算段をしている。


 吐き気がする。

 気持ちが悪くてならなかった。


「離してください!」

「なんでだよ、ちょっと話をするだけだ」

「あなたと話すことなんて何もありません!」


 馬車が来ない。

 早く、もうすぐにでもこの場所から逃れたいのに、男の強い力がルルネを押さえつけていた。

 じんわりと涙が浮かんで、ぽろりと零れる。


(誰か――)



 その時、教会から出てきた男の凜とした声が、ヨハンを咎めた。




「やめろ。嫌がってる」



(……この声、もしかして)




 アルトというほどには高くない、青年らしさを残したテノール。





「なんだお前」

 と、ヨハンがくってかかる。



「誰だっていいだろ。そのご令嬢から手を離しな」

「うるさい! お前は関係ないだろ、ひっこんでてくれ」


 青年は、ヨハンの腕をひねりあげた。

 痛みに思わずヨハンもルルネの腕を離す。

 そこで、ルルネはようやく、怒りに蒼白になった青年の横顔を見ることができた。


「嫌がっている女性を見逃したら聖職者の名が廃る。ん? お前、数年前に聖堂にいた……ヨハンじゃないか? 女と逃げ出して、また戻ってきたのか」

「うっ、うるさい! それがどうした!」

「ははん……なるほど、お前、女と駆け落ちしたけど、うまくいかなくて戻ってきたんだろう。それで、元々婚約していたルルネさんに絡んでいるんだな」

「はぁ? お前、ルルネの知りあいか? 何なんだよ」

「このこと、シュピツァー子爵は知っているのか?」

「何っ?」

「お前との婚約破棄はずいぶん騒動になった。外国に行ったお前は痛くもかゆくもなかっただろうが……その間も、辛かっただろうにルルネさんはいつも前を向いていた。どれだけの苦労だったか、どれだけ傷ついたのか、お前には分からないのか! 恥を知れ!」


 ヨハンはぐっと黙り込んだ。

 その時、教会から走り出てきた人物がいた。



「神父様、こっちです! あそこっ、路上で女の人ともめてる!」


「なんじゃ、お前ッ! ヨハンじゃないか!? とんでもない不始末をしおってからに! おーい、誰か憲兵を呼んでくれ!」


「ッチ!」


 ヨハンは舌打ちをして、走り去った。

 その後ろを腕を振り回した神父が追いかけていく。

 神父の後ろを、慌てた顔をした、橙(・)色(・)の(・)髪(・)の(・)青(・)年(・)が追いかけていった。


 あれは間違いなくアンドリューだ。





 傍に残された青年を、ルルネはじっと見上げた。

 自分よりも少し背の高い、いつも見ていた光景のひとかけら。


 だけど、彼がこんなに勇気があるなんて。

 こんなに親切だなんて。

 こんな顔をするなんて、思ってもみなかった。


 心臓が高鳴る。

 今まで感じたことの無い、明確な熱が頬にのぼってきた。


「無事、ですか。怪我してませんか」


 紅色の前髪を掻き上げて、こめかみにうっすらと汗を浮かべた青年は、少しばかりかがみ込み、心配そうにルルネを見つめた。



「助けてくれたのね。ありがとう」


「ッ! は、あ、いや、全然……その。怪我がなくて、良かったです……その」


「教会から走ってきてくれたの?」


「あ……はい……後ろ姿が見えて、」


「ルルネって言ってた、けど」


「っ、あ……キモチワルイですよね。すみません、俺……知ってて。ルルネさんが、あいつの婚約者だったことも、いつも……アンドリューを見に来てたことも」




 紅色の瞳がうろうろと左右に泳ぐ。


 ねえ、あなたそんな可愛い反応、してなかったじゃない。

 これまで一回だって、祭壇でうろたえたことなんてなかったじゃない。


 ルルネは喉の奥まで叫び声が出かかっていた。

 こんなのはずるい、卑怯だ。



 エ(・)ル(・)フ(・)ィ(・)ン(・)がこんなに、照れた顔をするなんて。




 *




 これまでもこれからも、彼女は自分を知らない。


 だけど、その日、彼女のことを知った。


 それはエルフィンにとって、大きな意味を持っていた。





 いつもアンドリューを見に来て、拝みながら銀貨や金貨を寄付していく令嬢がいる。


 エルフィンが気付いたのは、ルルネが何度か教会に通う頃だった。


 彼女はルルネ・シュピツァーといって、婚約破棄をされたばかりの子爵令嬢なのだと神父はエルフィンに教えてくれた。


 最初は、可哀想な女だと思っていた。


 突然婚約者に逃げられ、貴族たちの噂の種になった令嬢だ、と。


 しかし、社交界で次第にルルネの名前が有名になった。

 婚約破棄の痛みを芸術に昇華させた令嬢だ、と。


 試しに詩を読んでみたら、感動した。

 ただの可哀想な弱者じゃなかった。

 ルルネは偉大な女性で、痛みを知る者だった。


 匿名でファンレターを書いた。

 辛いことがあっても、悩みがあっても、貴方のことを思うと頑張れるのだと。


 認知はされていない。

 ルルネにとって、エルフィンはたくさんいる詩作のファンのうちの一人なのだろう。

 もしくはアンドリューの隣によくいる男だと。


 しかし、それでよかった。


 教会でアンドリューの姿に一喜一憂するルルネ。

 敬虔に祈りをささげ、ためらいなく金貨を入れるルルネ。

 ミサが終わると、パッとまっすぐに立ち上がり、姿勢良く歩いていくルルネ。

 あんなに情熱的な詩を書くくせに、教会ではウスユキバトのように静かなルルネ。


 認めたくはなかったが、紛れもなかった。


 彼女を見ると胸が苦しくなる。

 触れたくて、笑いかけてもらいたくて、辛くなる。


 愛は笑顔を産むが、これはそんな代物ではない。

 苦しみばかりが広がっていく。

 切なく、痛い。

 これは愛なんかじゃない。



(恋だ)



 修行中の身に、それは絶対的な禁忌だった。

 色恋は身を滅ぼす。


 何よりも、ルルネはアンドリューのことを熱烈に想っているのだ。

 見て明らかだった。


 対して、アンドリューは司教になるのを目標にしていた。

 どう考えても、うまくいかない。


 修道院であと一年過ごし、誓願式を無事に終えたら、エルフィンは伯爵家に戻るが、跡継ぎのエルフィンと違って、アンドリューはまだ修行を続ける。


 自分は養子だから外で居場所を探すのだと、卑下もせず快活に言うアンドリューの姿は健気だった。

 ルルネが応援したくなるのも分かる。


 ルルネもアンドリューも、どちらも本当に良い子なのだ。

 アンドリューは義理とはいえ、もう大切な家族の一人だ。

 司教になるという、彼の夢も応援したい。


 だけど、そうするとルルネはどうなるのだろう。

 アンドリューが司教になるまで、何年待てばいいのだろう。




 叶わない恋は辛い。


 それを、エルフィンは誰よりも理解していた。



 終わらせることもできない想いが心を焼く。

 投げつけられない醜い嫉妬に押しつぶされそうになる。

 それでも好きだと想い続けることの、どれほど苦しいことか。


 ルルネには、そんな思いをしてほしくなかった。





 見知った後ろ姿の細い腕を、乱暴に掴んでいる男を見た。

 思わず教会の通路を駆けだしていた。

 驚いているアンドリューに神父を呼ぶように伝えて、後は頭がカッと熱をもったように熱くて、もう何も聞こえなかった。



 ルルネには笑っていてほしい。

 隣にいるのが自分でなくてもいい。

 結婚するのが自分でなくてもいい。


 彼女がどこかで健やかに生きて、笑って、幸せでいてくれさえすれば。


 それを己の幸せと呼ぶほどの覚悟は、エルフィンにはできていた。





 *




 倒木で迂回していた馬車が到着し、ルルネは真っ直ぐに背筋を伸ばして歩き出した。


 エルフィンは下を向き、礼を尽くした。

 彼女は淑女で、自分は修道者だ。


「……ありがとう、エルフィンさん」

 と、ルルネは言った。


 エルフィンはどくんと心臓が脈打ったのを感じた。

 まさかとは思ったけれど、ルルネは自分の名前を知ってくれている。


「あ……アンドリュー、あいつ、ルルネさんがいつもたくさん寄付してくれるから、すごいって言ってました。ありがたいって」

 と、エルフィンはしどろもどろになりながら伝えた。


 ルルネはふっと花がほころんだように微笑んだ。

 よかった。

 彼女が喜んでくれるなら本望だ。


 彼女は一言も発さずに馬車に乗り込んだ。

 気高く美しいルルネの姿を、エルフィンは目に焼き付けた。





 あと一年。


 修行が終わりさえすれば、そして、奇跡的に彼女が独身で、アンドリューへの熱が冷めていたら、その時は――。


 保証などない夢に、エルフィンは絶望しながらも、密かに焦がれていた。





 それから、ルルネの発表した詩は一段と洗練された。

 愛を賛美するような朗らかな文体から、叶わない恋や会えない恋人への苦しみを滲ませた哀愁を描くようになった。


 エルフィンにしてみても、なんとも苦く苦しい、それでいて甘美な時間だった。


 叶わない相手を想う、なんて、まるで自分のようだ。


 エルフィンの苦しみに寄り添うような言葉に、一時、夢を見た。


 さらに、ルルネはアンドリューへの想いを濃くしたのか、教会にもあまり姿を見せないようになった。


 たまにアンドリューを見にやって来ているようだったが、ルルネに変化が一つあった。


 燃えるようなオレンジだったドレスは、喪服のように暗くなっていた。

 祭壇を眺める度に苦しそうな顔をしたり、顔をそむけたりしていた。

 そのくせ、寄付金は莫大で、神父はルルネに会釈を通り越し、歯を見せて笑いかけるようにまでなっていた。




 そして、一年が経ち、エルフィンが伯爵領地に戻る日がやってきた。


 誓願式を無事に終え、聖職者としての基礎を覚えた。

 社会経験も積んだといえる。

 これからいよいよ跡継ぎとしての仕事が始まっていくのだ。




「エルフィン。ようやく戻ったな、聖堂での修行はご苦労だった」


「ただいま戻りました」


「ところで急ではあるが、お前に婚約の申し込みが来ている」


「いえ、俺はまだそういうことには、着手できるような器ではありません。まずは領地経営についてもっと学ばないと」


「ああそうか、残念だ。ちょうど家の格もつりあう相手、素晴らしいお嬢さんという噂なんだがなあ」


「どれだけ素晴らしいご令嬢でも、俺はとてもそんな気分にはなりません」


「うーん、子爵家とはいえ、元をたどれば公爵家に繋がるような名家だぞ」


「特に興味は、……ん?」


「ではシュピツァー家には私から断りの書状を出しておこう」


「ちょっと待って下さい!!」





 エルフィンは振るえる手で、父親から羊皮紙をひったくった。




【ルルネ・シュピツァー】の署名がある。



 アンドリューという名前は一度も登場せず、最初から最後まで、エルフィンに嫁ぎたいという内容だった。



 是が非でも、という内容の返信を速達で出す。

 可哀想なエルフィンは、混乱と疑念と歓喜と安堵が入り交じり、真顔になってしまった。




 その翌日、ルルネは笑顔で婚礼の挨拶にやってきた。


 紅色のワンピースに身を包んで。





「アンドリューが好きなんじゃなかったんですか」

 という夢見心地なエルフィンの問いに、ルルネは真心を込めて答えた。


「確かにアンドリューは神様みたいなものだけど、触れたいとは思わないの。フィン、あなたにだけよ。ずっとあなたの修行の邪魔にならないように、この一年、黒い服を着ていたの。画も詩もずいぶん暗くなってしまったわ」


「だって、……アンドリューのときは、隠してなかったじゃないですか。俺が見ても分かるくらい」



 ルルネは、エルフィンから目を逸らしてはにかんだ。



「『推し』と『恋』は違うもの。フィンと目が合ったら、死んでしまいそうだったのよ」




 俺と同じだ、とエルフィンは思った。

 そう言う代わりに、目の前のルルネに触れてみた。


 祭壇越しではない生身の彼女は、ひどく可愛らしくて暖かかった。



「……俺にとって、あなたこそ、神様みたいだったんです」


「じゃあそれ、今日で終わりにしてね」


「なんでですか」



 ルルネ・シュピツァーは悪戯っぽく笑って言った。



「神様にキスはできないもの」




 END

読了ありがとうございました~!

オタクとリアコの違いを書いてみました。

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― 新着の感想 ―
推しは癒し、心の糧。 言わば絵に描いた餅で、触れてはならないもの。 Yesロリータ、Noタッチ、の心得は、他のヲタ活にも通じるものがあると思ってます。 だから推しに恋をするというのは微妙に違うというこ…
推しは神だから結婚とか出来ないもんね!!そりゃそうだよね!!心底オタクでとても良い…オタクは神を崇め神を知るが神になりたいわけではないですからね…!! 推しに恋してるのも『恋をしているという演技』でも…
そうなんだよ推しとは結婚しようとは思えないんだよ信仰対象なんだよ。だからどうしてもアイドルが結婚した時にそれで叩くってのが理解不能
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