取り違い
トン、トン、と音がする。金属の板に水が当たる音だ、と思った。だから最初はキッチンの蛇口から水滴が落ちていて、それがシンクに当たって音を出してるんだと思った。けれど見に行くとシンクは乾いていて水は見当たらない。まだ音がしていたからそちらを見に行くと玄関にたどり着いた。傘立ての水受けの縁にビニール傘がのっていて、濡れた傘から水がちょうど金属の水受けに落ちる音だった。でもそんなはずはない。だってこの傘は昨日帰ってきてから干して、今朝乾いていることを確認してから畳んだんだから。濡れているはずがない。一人暮らしだからこの傘を使うのは自分だけだ。干したはず、と思うけれどその思考を追いやる。干し忘れたわけはない、けれど忘れていたということにする。そうでないと怖いから。そうしてビニール傘をもう一度干す。大雨の中今帰ってきたばかりというくらいしっかり濡れていた。玄関に広げて寝る。もう考えないように。
翌朝、傘を畳みに玄関に向かう。この時間なら玄関の電気はつけなくても歩けるだろうと思って進むと、土間の直前が濡れていることに気付かずに思いっきり踏んでしまった。傘を広げる角度が悪かっただろうかと思いながら電気をつけると何か所か濡れていた。大きい濡れが多分二つで一つは踏んでしまったやつ、小さい濡れは大雑把に数えて四つくらい。正確には小さい濡れは水滴が落ちたような大きさのものとそれが落ちたときに周りにはねたような点くらいの水滴の集合体という感じだからその集合体を一つと数えれば四つだ。大きい濡れが足の形、それも自分の足よりかなり小さい子どもの足の形に見える。一度見えてしまうとそれを頭から消し去ることはできない。じゃあ全身濡れた子どもがここに立っていたとしたら、床についている足の形で当然濡れるだろうし、手とか髪の毛先とか身体のあちこちから水滴が落ちて小さい濡れのようになるかもしれない。怖いと思うのに思考を止めることができない。だってここにそんな子どもがいるはずがない。もう何も見たくないのに動けなくてじっと水滴を見てしまう。小さい濡れの方の点みたいな方の水滴がまだ蒸発していない。そんな小さいもの数分で乾いてしまうだろう。考えたくない。だってこの家は一人暮らし用の大きさの部屋しかないアパートで、鍵は新しい人が入るたびに変えていると聞いているし、子どもが入り込めるわけがない。幽霊、という文字が頭に浮かぶ。現実の子どもがいても怖いけれど、幽霊の方がもっと怖い。昔から怪談話は苦手だ。幽霊なんているわけないと自分に言い聞かせてももうだめだ。傘を畳む、多分乾いている。雑巾を持ってくる、濡れた床を拭く。足を洗う、踏んでしまった得体の知れない水を洗い流す。着替える、会社に行かなければ。走る、走る走る。できるだけ早く家から遠ざかりたい。
昼休み、友人に話をする。家に幽霊が出るようだと。幽霊なんているわけないとは思っていても、こちらの怖がりように本当に苦手だということを理解してもらって、それで今日は泊めてもらうことにした。ちょうど今日は金曜だから、明日はその友人と一緒に家に帰ってみると約束をして。その日は穏やかに過ごせた。友人の家に泊まるのはこの年になると意外と機会がないから新鮮で楽しかった。
そうして翌朝、どうしても行きたくないという気持ちで動きがゆっくりになるこちらを友人が励ましてくれてようやく家に向かう。確かに会社に行く分の荷物しか持ち出してないからほかの荷物を幽霊の好きにはさせられない。心意気だけは少し勢いがついたけれど足取りは軽くならない。とぼとぼを体現するかのようなスピードで歩いていく。一日帰らなかっただけだ、きっと何も変わっていない。幽霊なんかいないと自分に言い聞かせる。鍵を取り出し、開ける。ドアをゆっくり引くと知らない匂いがあふれ出てくる。一日なんかじゃない。梅雨の時期に一週間留守にしてたってこんなことにはならない。部屋の中は湿度が高く、壁や天井も湿っている。中の方に進んでいく。床は壁と同じような状態の上をさらに濡れた足で歩いたような濡れ方をしている。もう足の形はわからないくらい足跡は重なって、廊下に濡れた道をつくっている。後ろから友人が呼んでいる、その声があることはわかるのにとても遠く感じる。
どうすればよかったんだろう。もうここは幽霊が占拠する家になってしまった。