01_Vtuber夏希空悟のはじまり
「あ、あの…思ってたのと違ったので帰ってもいいですか?」
そう言い放ってしまった私を
「ちょ、ちょっと待ってください!」
と言ってあの人は引き止めた。
念願のオフ会をするはずだったのに
こんなことになってしまったのは一体何故なんだろう。
◇◇◇
私、東原 菜月が「夏希 空悟」として配信を始めたのは、今から3年前のことだった。
私はその頃、仕事に追われ、現実から逃れたい気持ちが強くなっていて、
SNSでよく見かける「バーチャル配信者」に興味を持っていた。
自分ではない何者かになりたい、そんな欲求が心のどこかにあったんだと思う。
「はぁー。今日も1日何もなく終わっちゃったなー。」
いつも通り残業して帰宅したら、もう21時。
少しテレビでも見たら、シャワーを浴びてレモンサワーを飲みながら、
適当にバラエティ番組を流しつつスマホを眺める。
SNSを見ていると、配信アプリの広告が流れてきた。
「”顔出しなしでカンタン配信♪”…かぁ…」
ほんの出来心だった。
その場のノリと勢いでバーチャル配信アプリをインストールし、登録ボタンを押してみた。
*
スマホの画面越しにアバターの顔が映る。
「へぇ、こうやってアバターメイクするのかぁ。今どきはすごいな〜」
骨格や髪型、瞳の色などを自由に選べて、カメラに映った自分の動きがアバターに反映される仕組みだ。
自分の今の髪型はショートヘアだから、この髪型が近いかな…?
目の色は黒に近い茶色で…
次々とアバターの見た目を設定していく。
しかし、ショートヘアが男性と兼用の髪型パーツだったため、
普段の自分よりもカッコいい印象になってしまった。
「まぁ、後からも変えられるし、顔はこんな感じで良いっしょ!」
あとは名前だけか───
「菜月」だと直接的すぎるか?
今の時代”身バレ”も怖いし、とりあえず「ナツキ」という名前に設定した。
配信ボタンを押そうとしたが、ふと考え直す。
もし万が一、同級生や会社の人が見ていたら?
一度、声を出す練習をしてみることにした。
「みんなぁ〜!こんばんはぁ〜!」
普段より格段に高い声で、少し鼻にかけて即席で可愛い声を作ろうとした。
「いや、こんなに声を作ってバレた方が恥ずかしすぎる…」
今さらそんなことを考えても仕方ない。
同僚から「声が低くてかっこいい」と言われるくらいには低い声の私が、
どう足掻いても可愛い系にはなれないんだから。
──よし。決めた、やるぞ!
画面内にあった『配信開始』と書いてある赤いボタンを押した。
神妙な面持ちで画面を眺める。
そもそも人なんて来るんだろうか?
ピロン!
音が…鳴った。
今…私の配信を見ている人がいるのか…?
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【酒カスヤニカスおじさん が初入室しました】
酒カスヤニカスおじさん『こんばんは〜初配信ですか?』
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…待って待って、何話したらいいの!?
見た目のことばかり考えていて、話す内容を全然考えていなかった──
どどどどどどうしよう…人来ちゃったし…
どうしたら良いか分からず硬直していると、
すかさずチャットが連投され、戦々恐々と画面を覗き込んだ。
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酒カスヤニカスおじさん『あれ?操作方法分からないの?』
酒カスヤニカスおじさん『コラボに上がって教えようか?』
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コココココラボ!?初対面のおじさんと!?!?
私は学生時代、オタク気質が原因で陽キャ男子軍にからかわれて窓際で過ごしてきた。
そんな苦い思い出があるせいで男性がそもそも苦手だし、コラボなんてもっての外だった。
「あっ…あっ…あの、コメント見えて…ます。
私が喋ってないだけです、すみません。いきなりコラボはちょっと…ごめんなさい。」
終わった──
もっと間接的に、オブラートに包んで断りたかったのに、何の言葉も思い浮かばなかった。
推しを褒めるときには無限の語彙が湧いてくるのに、肝心なときに何も浮かんでこない自分が憎い。
ああ。今すぐ配信を切ろう。
自分には向いてなかったんだ。今日のことは無かったことにしよう。
そう思い、配信停止ボタンを押そうとしたとき、またチャットが連投された。
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酒カスヤニカスおじさん『そっか。』
酒カスヤニカスおじさん『ナツキちゃんは何歳くらいなの?』
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なんのためにバーチャルの皮を被ってると思ってるんだよ!
いきなり中の人を詮索するなんて無粋にも程があるだろ!!!
と、怒りの語彙は湧いてきても、上手くかわす言葉が思いつかない。
ピロン♪
あぁ、おどおどして配信が切れずにいたら、また入室者が来てしまった。
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【花野はるか が初入室しました】
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お、女の子・・・・・・
そうなると話は変わってくる。
「はるかちゃん、こんばんは。お名前、可愛いですね。」
さっきとは打って変わってスラスラと言葉が出てきた。
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酒カスヤニカスおじさん『ちょっと。俺のコメント、読み飛ばした?』
花野はるか『こんばんは♡名前褒めてくれて嬉しいですଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧』
花野はるか『ナツキくんは、声がカッコイイですね!』
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──ん?
ナツキ”くん”?
もしかしてこの天使は私のことを男にすることで
酒カスヤニカスおじさんのプライベート追求の魔の手から守ってくれようと・・・・・!?
ありがとう、はるかちゃん。
貴方は天使です。一生ついていきます。
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酒カスヤニカスおじさん『え。ナツキさんって、男なの?』
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「今どき性別聞くのとかナンセンスだと思うよ。
少なくとも僕の配信では年齢も含めて詮索するようなこと聞かないでくれないかな。」
そう言うと、何もコメントしないまま「酒カスヤニカスおじさん」は退室した。
さっきまでの挙動不審だった自分はどこへやら、
大天使はるか様の御加護のおかげで怖いものがなくなり、
自分の配信において、嫌なことにはしっかりと「ノー」と言えるようになった。
それに何より、自然に「僕」という一人称が出てきた自分自身に驚いた。
目の前のアバターは自分に動きはシンクロしていて、確かに自分自身だとも思った反面、
見た目が男の子みたいだからか、”自分自身とは違う”ということもまた明確に感じた。
「はるかちゃん、ありがとう。」
心からの感謝を伝えた。
「良かったらこれからも僕と仲良くして欲しいんだけど、フォローしてもいいですか?」
一方的に親近感を感じているだけで距離感が分からず、
敬語とタメ語の入り混じったよく分からない日本語になってしまった。
はるかちゃんのアカウントを見ると、あまりのフォロワー数の多さに三度見した。
「じゅじゅじゅじゅ10万!?フォロワー10万人もいるんだけど!?」
それに対してフォローが200人ちょっとだった。
絶対にフォローバックはされないな。
…いや、何を凹んでいるんだ、ナツキ!
むしろこんな無名配信者の配信を見に来てくれたことに感謝すべきだろう。
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花野はるか『昔から配信していただけなんです』
花野はるか『ナツキくん、フォローありがとうございます』
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ピロン♪
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【花野はるか がフォローしました】
花野はるか『声が好きなのでフォロバします(⁎˃ᴗ˂⁎)』
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一瞬、何が起きたか分からなかった。
数十秒後に実感が湧き、嬉しさが込み上げてきた。
言っておくが、人気配信者と繋がれて嬉しいとかではない。
「声が好き」と言う理由で自分をフォローすることを選んでくれたことが純粋に嬉しかった。
「じゃあ、今度配信を聞きに行くね。今日は本当にありがとう。」
そう言って配信を閉じた。
◇◇◇
不器用なりに身を守るための嘘とはいえ、
バーチャルの世界では「男」のアバターで生きてみるのも悪くないなと思った。
元々低い声がコンプレックスだったし、むしろこの声には男のアバターの方が合っている気もしてきた。
何より現実世界における男性に苦手意識がある私にとっては下手にプライベートを詮索されずに済む。
誰かを騙す訳でもないし、
そもそも中の人の性別を明かさなくてはいけないなんてルールはどこにもない。
性別は見る人の解釈に任せる、で良いのではないか?
そう思い、しばらくは護身用にこのまま配信をしていくことにした。
「あ、そうだ。名前も変えておこう。」
【夏希 空悟】
プロフィールの更新ボタンを押し、久し振りにぐっすりと眠りについた。
明日ははるかちゃんの声が聞けると良いな。