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傷跡

翌朝、携帯のアラームで目が覚める。

母さんは今日の夜に帰ってくる予定らしい。


(やっと母さんのうまい飯が食える……)


そう思っただけで、口元が勝手にニヤけた。


「はぁぁ〜……眠たぁ……」


大きく欠伸して背伸びをし、支度を始める。

さすがに今日の朝は何か食わないと、また倒れる未来しか見えない。


教科書を鞄に詰めて制服に着替え、せっせとリビングへ――


「あ……」


キッチンに立った瞬間、思い出した。


(食洗機にぶち込まれてる、昨日の皿……)


トースト焼いてる場合じゃない。

露骨にテンションが下がる。だが――


(今日一日頑張れば、夜は母さんの飯だ)


そう思えば、なんとかモチベは戻った。

俺は食洗機の中の皿を一枚ずつ、丁寧に食器棚へ戻す。

思ってたより量が多くて軽く絶望しつつも、作業は進む。


(昨日……楽しかったな)


そんなことを考えていると、いつも通りインターホンが鳴った。


「はいよー」


鞄を掴み、玄関を開けて外に出る。


「おはよう翔!」


「おっはー!」


「おはようございます、翔さん!」


――そこには、ヤンデレ三人組が満面の笑みで立っていた。


「お、おはよう……? こりゃまた大勢で」


いつもは夏樹だけなのに、結衣と菜々までいる。

昨日で家の位置を把握されたのだから、まあ、こうなるとは思っていたけども。


「大丈夫だったか?」


心配そうに眉を下げる結衣。


「全然大丈夫。完全ふっかーつ!だ!」


親指を立ててグッとやると、三人の顔に安心した笑顔が戻った。

そのまま、四人で学校へ向かって歩き出す。


通学途中、他の男子の視線が痛いほど刺さるが――これももう慣れるしかない。


俺が倒れてから三日。


それからは倒れることもなく、大きなトラブルもなく、平和な学園生活を楽しんでいた。


……まあ、例の三人のおかげで多少のイレギュラーはあるが、許容範囲内だ。


部活も、倒れた翌日から普通に出られている。

あの日が嘘みたいに身体が軽い。


前世じゃ走るどころか生きるだけで精一杯だったから、ついていけるか心配していたが――


驚くほど陸上部の生活に馴染んでいった。

夏樹は順調にマネージャー業を覚え、

結衣も楽しそうに走り、

菜々は未経験とは思えない勢いで吸収して、どんどんタイムを縮めている。


ただ一つ、気がかりがあるとすれば――

この三日、二年の蓮と颯太のヤンキー二人が、一度も部活に来ていないことだ。


(まあ、サボってるだけだろ)


正直、いない方が平和で助かってる部分もある。


そして今。

部活が終わり、三人と一緒に帰路についていた。


今日は金曜日。

明日は朝練があって、それを越えれば日曜で休み。

二度目の高校生活でも、平日はやっぱ長い。


乗り越えた俺のテンションは、自然と上がっていた。


「明後日の休み、どっか行かない?」


夏樹の一言で――修羅場が確定した。


「おい!抜け駆けしてんじゃねぇよ!」


「そうです!ありえないです!」


ほら見たことか。

火がついたおバカ二人が、予想通り声を荒らげる。


(夏樹……絶対ちょっと悪意あっただろ)


俺はため息をつきつつ、先を歩いた。


「……ッ、いたっ!」


ふと、菜々の悲鳴。


「は?」


振り返った瞬間、理解が追いつかない。

路地から現れた颯太が、菜々の手首を掴んで引っ張っていた。


「明後日、俺と出かけりゃいいじゃん。菜々ちゃん」


不敵な笑み。

結衣と夏樹は呆気に取られて動けない。


(動けるの、俺しかいない)


俺は菜々のもとへ駆け出した。

颯太に手を伸ばし、掴もうとした――その瞬間。


右頬に、激痛。


凄まじい衝撃で身体が回り、地面に倒れ込む。


「はっ。クソガキが調子乗りやがって」


視線の先に、蓮。

俺を殴り飛ばして、満足気な顔をしている。


(最初から……路地で待ってたのか)


「夏樹ちゃんと結衣ちゃんは、俺ね〜」


気持ち悪いことを言いながら、蓮が二人に手を伸ばす。


「お前、殺す」


俺が殴られたことで、結衣のスイッチが入った。


次の瞬間――


結衣の蹴りが綺麗な弧を描き、蓮の顔面に直撃した。


「いってぇ! テメェ!」


普通なら一発で倒れる。

でも蓮は、喧嘩慣れしてる。倒れない。


「夏樹! 警察呼べ!」


俺は起き上がり、叫んだ。

結衣も菜々も、完全にブチ切れかけている。

ここで夏樹まで巻き込まれたら終わる。


夏樹は一瞬固まって、すぐに頷く。

携帯を耳に当てながら走り出した。


「おい! ちょっと待て!」


慌てた颯太が、菜々を乱暴に押し退けて夏樹を追う。


「いった……!」


菜々が地面に倒れ、二の腕を擦って出血する。


「颯太! ちょっと――」


蓮も焦ったのか追おうとしたが――

その途中で、蓮の顔面に綺麗な飛び蹴りが炸裂した。


「結衣さん?だっけ。いい蹴りしてんじゃん」


声の主は、柊。

蹴り飛ばされた蓮は背中から倒れ、そのまま気絶。

鼻から血が垂れていた。


(なんで柊が――)


疑問が浮かぶより先に、俺は颯太の方を追おうとして振り返る。


「いぇ〜い!」


そこには――地面に伸びてる颯太。

その上に座り込んで、ピースしてる響。

隣で身を潜めてる夏樹も無事っぽい。


「お前ら……なんで……違う! 菜々!」


俺は菜々のもとへ駆け寄る。


「大丈夫か!?」


傷の確認をするため、腕を取って服をめくろうとした瞬間――

菜々が、震える声で止めた。


「……ちょっと待って。ダメです……」


「今はそんなの気にしてられないだろ!」


俺はそのまま、二の腕の傷を確認した。


……擦り傷。


そして、その下に。

刃で刻んだような白い線が、幾重にも。


呼吸が止まった。

頭の中で、何かが軋む音がした。



俺はその傷跡を見た瞬間、

見てはいけないものを見てしまったような感覚に襲われ、一瞬、動きが止まった。


傷を見られた菜々は、俺と目を合わせようとせず、俯いたまま黙り込む。

その姿を見て、ようやく我に返った。


――違う。


固まってる場合じゃない。


一番苦しいのは、見られた菜々の方だ。

一瞬でも動けなくなった自分に嫌気がさしながら、俺は意識を切り替え、傷の手当てに集中することにした。


「これ使って」


そう言って結衣が差し出してきたのは、消毒液と絆創膏だった。

この三人の中で一番男勝りな結衣が、こんな時にさっと気遣いを見せるのが意外で、少しだけ胸が温かくなる。


「ありがとう」


短く礼を言い、それを受け取って、菜々の腕に触れる。

出来るだけ優しく、慎重に。


「菜々、大丈夫か?」


「……はい」


返事はあった。

けれど、そこにいつもの明るさはなく、今にも消えてしまいそうな、か細い声だった。


胸が、ちくりと痛む。


「翔〜! 夏樹ちゃんもちゃんと無事だぜ〜!」


その空気をぶち壊すような、響のやかましい声が響く。

視線を向けると、夏樹と並んで手を振りながら、こちらに歩いてきていた。


……そうだ。


この二人にも、ちゃんと礼を言わなきゃな。


「柊も響もありがとう。マジで助かった。

 ……でも、なんでここに?」


「全然〜。なんかコイツらコソコソしてて怪しかったからさ。

 何企んでんのか気になって。とりあえず学校に報告しとかないとな」


そう言いながら、柊は気絶している蓮の頬を思い切り叩いた。

パァン、と乾いた音。


「ッ……てめぇ、この間の一年のガキ!」


頬にくっきり手形を残したまま、蓮が目を覚ます。

どうやら以前から柊と面識があるらしい。


「知り合いなのか?」


「空き教室占領してた時に居たから、一回ボコしただけ」


……なるほど。

可哀想に……いや、やっぱり自業自得だな。


「じゃ、俺らこいつら連れて学校に報告してくるわ。

 まだ開いてるだろうし。

 悪いけど、夏樹ちゃんと結衣さんも来て」


「「えー!?」」


二人が見事に声を揃えて顔を見合わせる。


「“えー”じゃない。証人いるし、菜々さん怪我してるんだから当たり前でしょ」


まさか柊から、こんな正論が飛んでくるとは思わなかった。

正直、少し感動してしまった。

渋々文句を言いながら、夏樹と結衣は柊たちと一緒に学校へ戻っていく。


ビンタされて起こされた蓮はともかく、引きずられながら連れていかれる颯太が、少しだけ哀れに見えた。


……まぁ、完全に自業自得だけど。


「菜々……帰ろう」


そう声をかけると、菜々は小さく頷いた。

再び歩き出した帰り道。

さっきまでの賑やかな雰囲気は消え、氷のように冷えた沈黙が続く。


――どうする。


菜々が自傷行為をしているなんて、夢にも思わなかった。

けれど、その気持ちは、俺にも分かる。

前の人生で、俺も似たところまで追い詰められたことがある。

だからこそ、余計に胸が痛んだ。


空気をどうにかしたい。

でも、どんな言葉も浮かばない。


……なら。


ええい、ままよ。


俺は菜々の手に、そっと自分の手を伸ばし、握った。


「っ……!」


突然のことに、菜々の肩がびくっと跳ねる。

みるみる顔が赤くなり、恥ずかしそうに俺とは逆の方を向いたまま歩き続ける。


俺も、顔が熱くなっていくのが分かった。

多分、同じような顔をしている。

うるさく脈打つ心臓を必死に抑える。


……これ、ワンチャン悪化してないか?


そんな不安とは裏腹に、菜々はその手を、ぎゅっと握り返してきた。


数分後、俺の家が見え始めた頃。

ようやく菜々が口を開く。


「……家、来ませんか?」


心臓が、さらに早鐘を打つ。

体の奥から、熱が込み上げてくる。


「……行く」


人生二度目の、女の子の家。

胸は高鳴るが、脳裏には先ほど見た傷跡がちらつく。


俺は、この子を少しでも楽にしてやれるだろうか。

……いや、もう見てしまった以上、見なかったふりは出来ない。

そんなことを考えているうちに、菜々の家の前に着いていた。


「あはは……手、びっしょりですね」


繋いでいた手を離しながら、菜々が笑う。

言われて初めて気付いた。

確かに、手汗でびちゃびちゃだ。


……そりゃそうだ。


人生でまともに女の子と手を繋いだことなんて、ほとんど無い。

菜々は鍵を開け、俺を中へ招き入れる。

そのまま再び手を引かれ、部屋へと案内された。


「……え?」


扉を開けた瞬間、俺は言葉を失った。

勉強机と布団だけの、簡素な部屋。

その壁一面に貼られた、無数のスケジュール表とテストの点数表。


「陸上辞めろ」


そんな言葉が書かれた紙まで、無造作に貼られている。

中でも目を引いたのは、休日用のスケジュール表だった。


――朝四時起床。

――三十分で朝食。

――十八時まで勉強。

――三十分で夕食。

――深夜一時まで勉強。

――就寝。


……異常だ。


一目見ただけで分かった。

菜々の親は、間違いなく“毒親”だ。


「何も無い部屋だけど……適当に座って。

 今日、お母さん帰って来ないから……心配しなくて大丈夫だよ」


菜々はそう言って、床に座り込んだ。


「……菜々のこと、ちゃんと聞かせてほしい」


考えるより先に、言葉が出ていた。

学年トップの成績。

何でも器用にこなす優等生。

そして、ヤンデレ。

俺は、この子のことを、何も知らない。


「全部受け止めきれるかは分からないけど……

 俺で良かったら、話してほしい」


その瞬間――


「……っ……ぁ……わぁぁぁぁぁ……!」


菜々は一瞬固まり、次の瞬間、堰を切ったように泣き出した。

大粒の涙を零し、声を上げて泣く。


普段の明るい姿からは、想像も出来ないほどの泣き方だった。

俺は何も言わず、菜々を抱き締める。


「……っ……ご、ごめん……ありがとう……」


しばらくして、ようやく落ち着いてきた菜々が、そう呟いた。

そして――


菜々は、自分の“闇”を語り始めた。



ここまでご覧くださりありがとうございます!

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