全員集合!海水浴だよ!
夏休みの朝は、やけに騒がしい。
――正確に言えば、部屋は静かだった。
カーテン越しに差し込む朝の光は柔らかく、窓の外から聞こえるのは、遠くで鳴く蝉の声と、時折通り過ぎる車の音だけ。
それだけなら、むしろ穏やかな朝のはずなのに。
なぜか、落ち着かない。
夏休みも、もう後半。
気付けば、残りの日数は指で数えられるほどになっていた。
一日一日が、ゆっくり過ぎているようで、気付くと確実に減っていく。
布団の中で目を開けた翔は、天井を見つめたまましばらく動かなかった。
学校がある日なら、もうとっくに起きて準備している時間。
チャイムや時間割に追われる日々がないだけで、朝はこんなにも静かになる。
(……そういや今日、海じゃなかったっけ)
ぼんやりと思い出す。
楽しみなはずなのに、胸の奥にあるのは高揚よりも、どこかそわそわした感覚だった。
翔は布団から手を伸ばし、枕元のスマホを取る。
画面を点けた瞬間、思わず眉をひそめた。
通知が、やたらと多い。
【グループ:夏休み満喫隊】
【響:海だぞ!!!!!】
【結衣:朝からテンション高すぎ】
【夏樹:おはよ〜!☀️】
【菜々:皆さん、相当楽しみにしてましたからね】
【響:翔起きてるか!?】
【響:生きてる!?】
【響:既読つけろ!!】
「……朝からうるさいな」
小さく呟いて、翔は画面を眺める。
主に、響がうるさい。
けれど、その騒がしさが、少しだけありがたくもあった。
誰かが楽しみにしてくれている。
誰かと同じ一日を過ごす予定がある。
夏休みも、終わりが見えてきた。
だからこそ、こうして誰かと予定があることが、
自然と嬉しく感じてしまう。
(……夏休み最後の大イベントだな)
スマホを置き、布団から起き上がる。
顔を洗い、歯を磨き、冷蔵庫を開けて冷たい飲み物を一口。
喉を通る冷たさが、少しずつ頭を覚ましていく。
ただの朝。
いつもと何も変わらないはずの朝。
――そのはずだった。
不意に、スマホがもう一度震える。
今度は、グループとは別の通知。
表示された名前を見た瞬間、
翔の思考が、ぴたりと止まった。
【陽菜:今日、海。私も行く。もうすぐ家着くよ】
「…………はぁぁぁぁぁ!?」
声が、思った以上に裏返った。
その瞬間。
まるでタイミングを計ったかのように、インターホンが鳴る。
「ちょ、ちょっと待――!」
慌てて玄関へ向かい、ドアを開ける。
そこに立っていたのは――
麦わら帽子。
半袖の白シャツ。
短パンから伸びる、すらりとした脚。
朝の光を背にして、にこっと笑う。
「おはよ、翔」
陽菜が、そこにいた。
「……なんで」
思考が追いつかないまま、絞り出した一言。
「言ったでしょ。来たって」
あっさりと言われ、言葉を失う。
固まっていると、背後から足音がした。
「翔さん?」
振り返った菜々の視線が、陽菜に向いた瞬間。
空気が、ぴしっと張り詰める。
「……どういうことですか?」
声は静か。
けれど、確実に戦闘態勢。
「いや、俺もこれは予想外」
「え?そうなの?」
陽菜は首を傾げる。
「そんなに私がいたら、嫌?」
その一言に、菜々の眉がぴくりと動く。
「…………」
一拍。
そして菜々は、大きく息を吸った。
「……ええーい、もういいです!」
突然の宣言に、翔も陽菜も目を瞬かせる。
「陽菜さんも行きましょう!」
「え?」
「確かに、部活で聞こえる場所でこの話をしていた私たちにも非はあります!」
妙に理屈っぽい自己完結。
「……なるほど?」
「行きましょう!海です!」
勢いで全てを押し切る菜々。
くるっと振り返り、きっぱり言う。
「翔さん、準備してください!」
「はい!?」
「ほら、時間押しますよ!」
陽菜はくすっと笑った。
「ありがと、菜々ちゃん」
「……別に、嫌いな訳ではありませんから」
どこかぎこちない空気を残しつつ。
こうして、予定外の参加者を含めた七人での海行きが、強制的に確定した。
◆
駅前に着くと、すでに見慣れた顔ぶれが揃っていた。
改札前は、夏休みらしく人が多い。
キャリーケースを引く家族連れ、部活帰りの中学生、待ち合わせに集まる若者たち。
照りつける日差しと、アスファルトの照り返しが、じわりと夏を主張してくる。
その人混みの中でも、すぐに分かる連中がいた。
「翔!おっせぇよ!」
人目も気にせず叫ぶのは、案の定、響。
「時間ぴったりなんですが?」
スマホで時刻を見せると、響は腕を組んで不満そうに言う。
「気分的に遅い!」
「はいはい、悪い悪い」
「そのやり取り、毎回いるか?」
少し離れた場所で、柊が淡々と突っ込む。
キャップを被り、手にはペットボトル。
相変わらず無駄がない。
その横で、夏樹が翔に気づいて、にこっと手を振った。
「翔くん、おはよ〜」
その笑顔に、自然と肩の力が抜ける。
続いて結衣が腕を組んだまま、じっとこちらを見る。
「……って」
結衣の視線が、翔の横へ移動する。
「なんで陽菜さんが?」
その一言で、全員の視線が一斉に集まった。
菜々が一歩前に出る。
「実は……」
◆
朝の出来事を簡潔に説明すると、
夏樹と結衣は顔を見合わせた。
「……陽菜さん、そんなグイグイ来るタイプでしたっけ」
「そういう日もある」
涼しい顔で返す陽菜。
「今日、海だし」
「理由それだけ!?」
結衣が思わずツッコむ。
「まあまあ」
響が割って入る。
「人は多い方が楽しいって!な!」
「お前が言うと説得力ないんだけど」
「ひでぇ!」
柊は一歩引いた場所で、状況を見てから一言。
「……特に問題はないだろ」
その冷静な一言で、場の空気が落ち着く。
「確かに……」
夏樹が苦笑いする。
「賑やかな方が、夏っぽいし」
「……そうですね」
菜々も、少しだけ力を抜いた。
陽菜はサングラス越しに、翔を見る。
「迷惑だった?」
一瞬、言葉に詰まりそうになって、
翔は小さく首を振る。
「……いや。大丈夫ですよ」
それだけで、陽菜は満足そうに笑った。
「じゃ、決まりね」
誰もはっきりと「行こう」と言ったわけじゃない。
それでも、自然と全員が改札へ向かって歩き出す。
(……ああ)
翔は、その背中を見ながら思う。
気づけば七人。
想定より多くて、少し騒がしくて、
でも、悪くない。
むしろ――
(こういう“想定外”があるから、楽しいんだよな)
夏休み後半。
残り少ない日々の中で、
今日はきっと、忘れられない一日になる。
そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。
◆
電車を降りて、少し歩いた先で――
視界が一気に開けた。
真っ青な空。
どこまでも続く水平線。
潮の香りを含んだ風が、肌に触れる。
「……来たな」
思わず、翔はそう呟いた。
砂浜にはすでに多くの人がいて、
カラフルなパラソル、笑い声、波の音が混ざり合っている。
夏という季節が、そのまま形になったような光景だった。
「うわ、テンション上がるわこれ」
響が両腕を伸ばして、空を仰ぐ。
「太陽が元気すぎる」
結衣は眩しそうに目を細めながら言った。
更衣室へ向かう途中、
女子組は自然と一塊になり、
男子組は少し距離を取って歩く。
◆
「……さて」
着替えを終えた男子三人は、
海を背にして並び、波打ち際を眺めていた。
太陽の光が、水面で反射してきらきらと揺れる。
波の音が一定のリズムで耳に届く。
「……目の保養の時間だな」
ぽつりと翔が言うと、
「水着パーリー!だな」
響が即座に頷く。
「流石に今回ばかりはお前らに同意だ」
柊も短く同意した。
三人の視線が、自然と更衣室の方へ向く。
最初に姿を現したのは――夏樹だった。
白を基調とした水着。
控えめなフリルが、波のように揺れている。
普段より少し大人びて見えるのに、
どこか無邪気さも残っていて。
「お待たせ!」
少し照れたように、夏樹は笑った。
その笑顔に、
翔は一瞬、言葉を忘れる。
「……似合ってるかな?」
「100点」
即答。
「100点」
響も続く。
「100点」
柊まで揃った。
「え、早くない?」
夏樹は笑いながらも、少し頬を赤らめる。
次に現れたのは結衣。
青を基調とした、すっきりしたデザイン。
動きやすそうで、
結衣らしい、飾らない雰囲気がそのまま形になっていた。
「……100点」
翔。
「100点」
柊。
「30点!」
響。
「は?」
「露出が足りな――」
言い終わる前に、
結衣が響の首をがっちりと掴んだ。
「絶対殺す!」
「ごめんなさい!!」
砂浜に、笑い声が弾ける。
三人目に現れたのは菜々。
落ち着いた色合いの水着に、
さりげない装飾。
派手ではないのに、目を引く。
「……100点」
翔。
「100点」
柊。
「……170点、結衣も見習ってほ――」
響。
「調子に乗るな!!」
即座に結衣の制裁が飛ぶ。
「なんか……やっぱり雰囲気変わるね」
夏樹が、ぽつりと呟いた。
菜々は少し困ったように微笑んだ。
そして、最後に――
ゆっくりと歩いてきたのは、陽菜だった。
麦わら帽子に、サングラス。
淡い色合いの水着が、陽菜の落ち着いた雰囲気によく馴染んでいる。
派手さはないのに、
不思議と目を引く存在感。
「……」
一瞬、言葉が消える。
「1000点」
翔。
「一万点」
柊。
「結婚して下さい」
響。
次の瞬間、
翔は女子三人から同時に叩かれていた。
「これは反則ですって!」
「勝てる気しないんだけど!」
「なんでそんな余裕あるんですか!」
陽菜はサングラスを少しずらし、
翔を見て、にこっと笑う。
「翔、どう?かわいい?」
その一言で、空気が一気に騒がしくなる。
「翔さん!誰が一番ですか!」
「翔くん!」
「はっきりしろよ!」
「そうだそうだ!」
「早くしろよ翔!」
便乗する男子二人。
(……地獄だ)
翔は深く息を吸って叫んだ。
「……ほら!はやく海入るぞ!!」
翔がそう叫ぶと同時に、砂浜を蹴って走り出す。
「待て!!」
背後から一斉に声が上がる。
「逃げたぞあの野郎!」
「一番最初に追いついた人の勝ちね」
陽菜の声が、余裕たっぷりに響いた。
「やってやる!」
「今日の陽菜さん強くない!?」
「喋ってる場合じゃありません!翔さん足だけは速いんですから!」
裸足で砂を蹴るたび、足裏に熱が伝わる。
粒の粗い砂が、容赦なく感覚を刺激してくる。
背後から聞こえるのは、足音と、息の上がった声と、笑い声。
うるさい。
騒がしい。
でも――
(……悪くない)
振り返らなくても分かる。
全員、いる。
誰一人欠けずに、同じ方向へ走っている。
最初に足に触れた波は、思ったより冷たかった。
「冷たっ!」
誰かの声が上がる。
次の瞬間、全員が一斉に海へ踏み込んだ。
水音が跳ね、歓声が重なり、
夏の音が、一気に完成する。
翔は波の中で立ち止まり、ふっと息をついた。
その少し後ろ。
陽菜が、波打ち際に立っている。
麦わら帽子を押さえながら、こちらを見て、楽しそうに笑った。
「……ね」
波に紛れそうな声で、でも確かに届く。
「やっぱり、来て正解だった」
翔は答えなかった。
ただ、海の向こうに広がる水平線を見つめた。
太陽は高く、
夏はまだ、終わらないふりをしている。
こうして――
夏休み終盤。
七人で迎える、特別な一日が、
静かに、そして確かに、動き出した。




