開幕 期末テスト!
やがて無情にもその日はやってきた。
皆の嫌われ役期末テストさんが来た。
……いや、正確には「来た」っていうより、
日常がそのまま無慈悲に押し寄せてきた。
朝の教室は、いつもより静かだった。
誰かがふざける余裕も、ツッコミを入れる気力もない。
机の上に並ぶ筆箱と、消しゴムと、シャーペンの芯。
それだけで、空気が重くなる。
俺は席に座って、深く息を吐いた。
(……やるしかねぇ)
横を見ると、菜々がもうノートを閉じていた。
「最後の確認」をするタイプじゃない。
やることはやった、って顔をしてる。
結衣は腕を組んで前を見て、目が鋭い。
夏樹は軽く笑ってるけど、目がギラついてる。
響は死んだ顔。
柊はもう既に死んでる。
「……お前ら、顔やばいな」
俺が小声で言うと、響が机に突っ伏したまま返した。
「俺、昨日から遺書書いてる。提出先、担任でいいかな?」
「やめろ」
柊がゆっくり顔を上げて言う。
「遺書書くなら、数学の範囲見てからにしろ。絶望の質が上がる」
「上げんな」
結衣がぼそっと言う。
「うるさい。集中切れる」
夏樹がすぐ乗る。
「はいはい、静粛に。みんな、今日だけは大人になろう」
「1番焦ってる奴がなんか言ってら〜」
笑いながら茶化す響。
こいつら、こういう時でも平和だ。
でも。
(……平和、か)
陽菜の告白から、何日経ったんだっけ。
数えてない。数えたくない。
数えたら、現実が近くなる気がする。
「はい、席つけー」
担任の声で教室が一斉に静まった。
「期末テスト一日目な。カンニングしたら人生終わるぞ。ちなみに俺が終わらせる」
脅し方が雑すぎる。それ故に強烈だ。
プリントが配られ、紙の擦れる音だけが教室を満たす。
「じゃあ、始め」
◆
問題用紙をめくった瞬間。
(……あ)
目が勝手に必要な情報を拾った。
関係代名詞。
仮定法。
文法の穴埋め。
(これ……)
菜々の声が、頭の中で再生される。
『関係代名詞は出ます。例文で確認します』
『ここ、選択肢で迷うなら“主語”見てください』
『この問題は、罠が“語順”です』
(……うるせぇくらい聞こえる)
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ――
迷いが消える。
ペンがスラスラ走った。
「……」
自分で自分に驚く。
いつもなら一回止まって考えるところで、止まらない。
(俺、今……ちゃんと書けてる)
問題は難しい。
でも、怖くない。
「……」
ページを進める。
次の大問。
(……これも)
頭の中で、菜々のノートの途中式が浮かぶ。
自分が書いてないのに、書ける気がする。
(……すげぇな)
一度だけ、横を見そうになって、やめた。
見たら、菜々の顔を見たら、
「ありがとう」って言いたくなる。
(……けど今は)
カリカリとペンの音。
机のきしむ音。
誰かの小さなため息。
それだけの世界で、俺は必死に書き続けた。
◆
二日目。
朝の教室は、さらに静かだった。
一日目を終えたことで、皆「戦場に慣れた顔」になっている。
慣れたというより、諦めた顔とも言う。
響が机に突っ伏したまま言う。
「昨日終わった瞬間、魂抜けた」
「抜けたまま戻ってきたの偉い」
柊が言うと、響が泣きそうな声で返す。
「もっと褒めてくれ……」
夏樹が伸びをして言った。
「みんな、今日終わったら半分だからね。頑張ろ」
結衣が淡々と返す。
「まだ半分あるってことか〜きっつい」
「現実の圧が強い」
菜々が小さく息を吐いた。
「……でも、やりましょう」
その声が、妙に背中を押した。
二日目も、ペンは止まらなかった。
完璧じゃない。
でも、迷わない。
(……これが、“勉強した”って感覚か)
三日目。
最後の教科を終えた瞬間、
教室の空気が一気に崩れた。
「終わったぁぁぁぁ!!」
響が叫び、先生に怒られた。
「うるせぇ!」
「すいません!でも終わったんすよ!!」
「だからうるせぇ!」
結衣が机に突っ伏して言う。
「……しんど」
夏樹が笑う。
「しんどいのに、なんか元気あるじゃん」
柊が遠い目をして呟いた。
「俺、今日から生まれ変わる」
「それ毎回言ってない?」
菜々がノートを閉じて、静かに言った。
「お疲れ様でした皆さん」
その一言だけで、胸の奥が少し温かくなる。
三日間に渡った期末テストは、
気づいたら、終わっていた。
◆
放課後。
俺たちは、気づけばファミレスにいた。
「うおおおおお!!!!生き返ったぁぁぁ!!」
響が椅子に倒れ込む。
「お前、うるさい」
結衣が即ツッコミを入れる。
「うるさいのはお前もだろ」
「私は正しい」
「その理屈やめろ」
夏樹がメニューを開いて言った。
「はいはい。まずドリンクバーね。糖分は正義」
柊が死んだ顔で頷く。
「俺、糖分取らないと目が開かない」
菜々が小さく笑った。
「柊さん、それ常にじゃないですか?」
「やめろ、刺さる」
俺は息を吐きながら、椅子にもたれる。
(……なんか、久しぶりだな)
この感じ。
わちゃわちゃして、くだらなくて、
ちゃんと「俺たちの日常」って感じがする。
店員が来て注文を取り始める。
「えっと、俺、ハンバーグで」
「私も」
結衣が即答。
「私はパフェも」
夏樹が追加。
「響は?」
俺が聞くと、響が即答した。
「唐揚げ定食!俺は今日だけで三年分のカロリーを補給する!」
柊がぼそっと言う。
「俺、胃が拒否してる。軽めでいい」
菜々がメニューを閉じて言う。
「じゃあ私は、翔さんと同じので」
結衣がすぐ反応する。
「出た。自然に寄せてくるやつ」
「別に、いいじゃないですか」
菜々は落ち着いてる。
逆にそれが強い。
夏樹が笑って言う。
「はいはい。テスト終わったんだし、今日は平和に行こ」
響が手を叩いた。
「そうだ!平和が一番!」
柊が遠い目で呟く。
「平和って、今日みたいなことを言うんだろうな……」
俺は笑いながら、ふと気づいた。
(……俺、ちゃんと笑ってる)
この数日、ずっと頭の中が落ち着かなかったのに。
今は、少しだけ、楽しい。
「なぁ翔」
響が身を乗り出して言う。
「テストどうだった?」
「……普通」
「普通って何点帯だよ」
「知らねぇ」
「逃げた!」
「逃げたんじゃない、尊厳を守ったんだ」
夏樹がニヤッとする。
「明日には結果が出ちゃうね」
結衣が腕を組む。
「どうせ菜々が一位だろ」
菜々がさらっと返す。
「それは、まだ分かりませんよ」
(いや、お前の顔はもう勝ってる)
柊がぼそっと言う。
「俺、勝負とかどうでもいい……赤点さえ回避出来れば…」
響が肩を叩く。
「柊!生きろ!俺らはチームだ!」
「チームって何……」
このくだらない会話が、妙に落ち着く。
――その時。
スマホが、震えた。
「……」
画面を見る。
表示された名前。
【副部長】
(……おい)
俺は一瞬だけ固まった。
メッセージは短い。
『今どこにいる?』
それだけ。
短いのに、心臓が跳ねた。
(なんでこのタイミング)
いや、陽菜はそういう人だ。
タイミングとか、空気とか、たぶん考えてない。
でも、だからこそ強い。
「……翔くん?」
夏樹が、俺の顔を覗き込む。
「誰から?」
結衣も、視線が鋭くなる。
菜々は、黙って俺の手元を見ていた。
俺は息を吸って、正直に言った。
「……副部長」
空気が一瞬止まる。
響が、状況を理解してないまま言う。
「え、副部長って陽菜先輩?なんで?」
「黙れ」
柊が即座に押さえる。
夏樹がゆっくり言った。
「……返すの?」
「返さないと終わらないだろ」
結衣が低い声で言う。
「……どこにいるって、答えるの?」
「……答える」
菜々が、小さく息を吸った。
「……」
俺はスマホを打つ。
『ファミレス。みんなといる』
送信。
既読がつくのが、妙に早かった。
そして、返信。
『わかった。行く』
(行くって何)
いや、行くって言ったな、今。
俺が固まってると、響が目を輝かせる。
「やば。イベント始まる?」
「始まんなくていい」
結衣が即答する。
夏樹が笑ってない笑顔で言った。
「……平和、どこ行った」
柊が遠い目で呟く。
「平和って、幻なんだな……」
◆
数分後。
店の入り口のベルが鳴った。
「……」
俺は反射でそっちを見る。
結衣も。夏樹も。菜々も。
そして――入ってきた。
桜 陽菜。
制服のまま。
無駄のない歩き方。
表情はいつも通り淡々。
なのに――
空気が変わる。
陽菜は迷いなくこっちへ歩いてきて、
俺たちのテーブルの前で立ち止まった。
「こんばんは」
普通に言う。
「……こんばんは」
俺が返すと、陽菜は小さく頷いた。
「期末、お疲れさま」
その言い方が、あまりにも自然で、
逆に誰も否定できない。
結衣が口を開く。
「……お疲れっす」
夏樹も続ける。
「……お疲れ様です」
菜々は静かに頭を下げた。
「……こんばんは」
陽菜は全員を一度だけ見て、
それから、何事もないように言った。
「近くにいたから」
(近くにいたからで来るな)
って言いたかったけど、言えない。
陽菜は店員を呼んで、さらっと言う。
「ドリンクバー一つ」
「えっ」
響が小さく声を漏らす。
柊が呟く。
「馴染むのが速い……」
陽菜は席に座る。
位置は、俺の斜め前。
露骨に隣じゃない。
でも、距離は近い。
(計算してんのか、してないのか分からん)
陽菜は俺を見る。
「翔」
「……はい」
敬語が出る自分が腹立つ。
「テスト、ちゃんと寝た?」
「寝ました」
「ちゃんと食べた?」
「食べました」
「じゃあ良い」
それだけで、話が終わる。
なのに、妙に落ち着くのが怖い。
結衣が耐えきれずに言う。
「……先輩、なんで来たんですか」
陽菜は一拍置いて答えた。
「翔がどこにいるか聞いたら、ここだった」
「……それだけ?」
「それだけ」
(強い)
夏樹が笑ってない笑顔で言う。
「先輩、空気読まないの強すぎません?」
陽菜は首を傾げる。
「空気は読んでる」
「読んでてこれ?」
「読んでるから、これ」
(最悪の答えだ)
菜々が静かに言った。
「……陽菜先輩は、翔さんに用事が?」
陽菜は菜々を見る。
「用事というか、確認」
「確認……?」
「翔が元気かどうか」
淡々と言う。
なのに、その言葉が刺さる。
俺は、笑うしかなかった。
「……元気ですよ」
「なら良い」
陽菜が、それで満足したみたいにドリンクを一口飲む。
そして、何でもない風に続けた。
「夏休み、勝負あるんでしょ」
「……!」
三人の顔が同時に動いた。
結衣が声を荒げる。
「なんで知ってるんですか!」
陽菜は淡々と返す。
「聞こえた」
「どこで!」
「教室」
(聞こえてたのかよ)
夏樹が頭を抱える。
「ほんと、この人……」
菜々が静かに言う。
「……期末の合計点勝負です」
陽菜が頷く。
「うん。勝った人が翔とデート」
結衣が即座に言う。
「そう!だから先輩は関係ないです!」
陽菜は首を傾げる。
「関係あるよ」
「は?」
陽菜は俺を見る。
「翔、私も予定立てるって言った」
空気が凍る。
響が小声で言う。
「……え、今の、宣戦布告?」
柊がぼそっと言う。
「宣戦布告っていうか、核落とした」
夏樹がゆっくり息を吸って、吐いた。
「……ねえ翔くん」
「……はい」
「今日、平和って言ったの誰?」
「柊です」
「終く〜ん、歯を食いしばってください」
結衣が机を軽く叩く。
「なんでこの人、こんな堂々としてんだよ!!」
菜々は、何も言わない。
ただ、手元のストローを指で押して、戻して、押して。
俺は思った。
(……終わった)
いや、終わってない。
終わってないのに、また始まった。
期末テストは終わった。
なのに、俺の周りの空気は全然終わる気配がない。
テーブルの上には、パフェとハンバーグと、唐揚げと、
「いつもの平和」が並んでいるのに。
その平和の中心に、
新しい火種が、当たり前みたいに座っている。
(……どうなるんだ、これ)
答えは出ない。
出ないけど、一つだけ分かる。
ここから先は、
「何も起きない日常」には戻れない。
――そして、次に来るのは。
期末の結果発表。
勝負の決着。
夏休みの主導権。
俺の胃が、嫌な予感で締まった。
とりあえず今は――
「……飯、食いますか」
響が即答した。
「食う!!俺はもう戦った!!」
「戦ったのはテストだけだろ」
「いや人生だよ人生!」
柊が遠い目をする。
「人生は常にしんどい……」
結衣と夏樹と菜々の視線が、また同時に刺さった。
(……はい、地獄確定)
期末は終わった。
でも。
俺の周りの勝負は、今からだ。




