近寄る期末テスト
陽菜の告白から、数日。
世界がひっくり返ったわけでも、 空の色が変わったわけでもない。
朝は来るし、授業は始まるし、腹も減る。
ただ――
俺の中だけが、ずっと落ち着かなかった。
それなのに。
結衣も、夏樹も、菜々も。
何事もなかったみたいに、いつも通りだった。
それが一番、怖い。
◆
朝。
教室に入るなり、響の声が飛んでくる。
「翔ー!優勝者ー!」
「うるせぇ。いつまで言うんだよ」
「え、だってまだ五日くらいしか経ってないし」
「五日も経ってんだよ」
柊が机に突っ伏したまま、死んだ声で言った。
「お前ら、元気すぎ。朝から声出すのしんどい」
「いや柊、お前最近ずっとしんどそうじゃん」
「人生が常にしんどい」
「重っ」
結衣が横から口を挟む。
「柊、今日の一発目それでいいの?」
「いいんだよ……どうせもーすぐ期末だろ?」
菜々が俺の隣の席に荷物を置いて、淡々と言った。
「柊さん、期末テストの範囲、見ました?」
「見た。見た瞬間、見なかったことにした」
「すんごいじゃん」
夏樹がくすっと笑って、俺の机の横にストンと腰をかける。
「ねえ翔、期末の勉強してる?」
「……してるような、してないような」
「してないね」
「決めつけるな」
「してる人の目じゃない」
俺が反論しようとしたところで、担任が入ってきて教室が落ち着く。
ホームルーム。
担任が、いつもの調子で黒板を叩いた。
「はいはい、朝の連絡なー」
嫌な予感しかしない。
「来週から期末テストです」
一斉に「うわぁ……」が漏れる。
「あと、テスト期間に入るので部活停止な」
さらに大きい「うわぁ……」。
響が机に突っ伏す。
「部活停止って……終わった」
「お前、部活じゃなくて人生が停止しそうだな」
柊のツッコミが冴えてるのが逆に怖い。
結衣は腕を組んで淡々と言った。
「テストはまあ、やるしかない」
「強い」
夏樹が頷く。
「ねー。結衣こういうとこだけ真面目」
「“だけ”って何」
菜々はいつも通り、ノートを開いて小さく息を吐いた。
「……範囲広いですね」
その声だけが、妙にリアルだった。
◆
昼休み。
いつもの六人で、空き教室に机をくっつけて昼飯を広げる。
購買パンの匂い、コンビニの弁当、カップスープの湯気。
なんでもない昼。
響が唐突に言い出した。
「なあ。期末ってさ、やる意味ある?」
「あります」
菜々が即答した。
「現実として、内申に関わります」
「現実の圧が強い……」
柊が箸を止めてぼそっと言う。
「俺、数学の範囲見て死んだ。葬式していい?」
「セルフ葬式すんな」
俺が言うと、夏樹が楽しそうに笑う。
「じゃあさ」
嫌な予感第二弾。
夏樹が、指を一本立てた。
「期末の合計点で勝負しよ」
結衣が目を細める。
「中間でやったやつか?」
「うん。第2回、合計点いちばん高かった人」
夏樹は、さらっと言った。
「夏休みデートの主導権ゲット」
空気が一瞬止まる。
俺は思わず、口を開けた。
「……ん?」
結衣が、普通に頷いた。
「リベンジマッチだな」
菜々も、あっさり。
「2連覇目指しましょうか」
響が手を挙げる。
「ちょっと待て待て待て!」
そして一気に畳みかける。
「それ男性陣にメリットなくねー!?」
菜々が、さらっと反論する。
「知りませんよ、翔さんにハンバーガーでも奢ってもらったらどうです?」
「おい待て」
俺が反射で言った。
「デジャブ……」
夏樹が笑う。
「何が?」
「いや……前に似た流れが……」
「気のせいじゃない?」
結衣が平然と言う。
「翔、こんだけの美人達がお前とのデートを奪い合うんだ。光栄だろ?」
「やかましいな」
菜々が俺の目を見ながら言った。
「翔さん、私次は動物園行ってみたいです」
「あ、すっごい流石第一回王者、もう勝った提で話進めてらっしゃる」
「当然です」
結衣が、さらっと刺す。
「男性陣が優勝したら女性陣が飯奢ってやるよ。逆も然りな!もしかして、逃げるの?」
響が机を叩いた。
「逃げねぇよ!」
柊がぼそっと続ける。
「俺たちの民主主義どこ行った」
夏樹が、にっこり笑って言った。
「民主主義って、数が多い方が勝つでしょ?」
「人数同じでは?」
「気持ちの数はこっちが多い」
「あ、もういいです…」
結衣がパンをちぎりながら、さらっと言った。
「じゃあ決まりね。やる」
「飛んだ巻き添いくらっちまった」
柊が遠い目をする。
響が俺の肩をバンバン叩きながら言った。
「翔!俺ら勝つぞ!金欠だから奢りはキツい!」
「世知辛いなお前」
菜々が小さく笑った。
「頑張ってください」
その笑顔がいつも通りなのが、逆に胸に刺さる。
結衣も、夏樹も、同じだ。
いつも通りの何も変わらない平和な日常。
◆
放課後。
帰りの準備をしていると、教室は「期末だるい」の空気で満たされていた。
響が机に突っ伏したまま叫ぶ。
「帰って寝たい!!」
「はい、奢り確定ですね。ありがとうございます」
菜々が淡々と言う。
「マジでキツイなぁ…」
柊がうめく。
結衣は教科書を鞄に突っ込みながら言った。
「とりあえず、今日から範囲潰す」
「真面目」
夏樹が頷きながら、俺の顔を覗き込む。
「翔は?」
「……やる」
「うさんくさ」
「やるって!」
笑いが起きる。
――本当に、いつも通りだ。
その時。
教室のドアが開いた。
空気が、ほんの一瞬だけ固まる。
入ってきたのは――陽菜だった。
副部長。
いつも冷静で、距離感が正確で、無駄のない人。
その人が、まっすぐこちらに歩いてくる。
俺は反射で背筋が伸びた。
「翔 」
「はい」
敬語が口から出る。
陽菜は、俺の前で立ち止まった。
「期末、始まるね」
「はい」
「ちゃんと寝て、ちゃんと食べて」
「……はい」
周りの視線が痛い。
陽菜は気にしない。
いつも通り淡々と、でも――
そのまま、とんでもないことを言う。
「頑張れ」
一拍。
「夏休み、二人でどこ行くか」
一切ためらわず。
「また予定、立てよ」
言い切って、踵を返す。
そしてそのまま去っていった。
教室のドアが閉まる音が、 やけに大きく響いた。
◆
沈黙。
誰も、声が出ない。
……出ないはずだった。
「は?」
最初に動いたのは結衣だった。
顔が引きつりすぎて、逆に笑いそうになる。
「今の、聞いた?」
夏樹が、ゆっくり息を吸った。
「……聞いた」
菜々は、無言で手を握りしめている。
響が、空気を読めずに言った。
「え、なに?副部長ってああいう人なん?」
柊も同じ顔で頷く。
「悪意が無いのがあの人のズルいところだな」
結衣が地面にカバンを叩きつけて叫ぶ。
「なんであの人、そんなストレートに言えるんだよ!」
夏樹が、笑ってない笑顔で続ける。
「ズルくない!?
私たち、どんだけ回り道してると思ってんの!!」
「回り道って言うな!」
結衣がツッコむけど、ツッコミが弱い。
菜々が、小さく呟いた。
「……羨ましいです」
その一言で、空気が変わる。
夏樹が、菜々を見る。
結衣も、菜々を見る。
そして――
三人の視線が、同時に俺に刺さった。
「……翔」
「……翔くん」
「……翔さん」
響が面白がって口を挟む。
「久しぶりの三人同時詠唱だ」
「黙っとけお前は」
柊が即座に口を塞ぐ。
俺は、言葉が出なかった。
いつも通りの一日。
いつも通りの昼休み。
いつも通りの帰り支度。
なのに最後に落ちた爆弾が、全部を変えていく。
期末テストは、もう逃げない。
夏休みも、もう逃げない。
そして――
俺の周りの「いつも通り」が、いつまで保つかも分からない。
変わらないふりをしてるだけで、 ちゃんと、動き始めてる。
とりあえず今は――勉強しますかぁ!!!




