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告白

陽菜に腕を掴まれたまま、俺は夕暮れの道を引きずられていた。

抵抗はした。声も上げた。

でも相手が悪い。


副部長――桜 陽菜。


いつも淡々としていて、無駄がなくて、距離感が正確な人。

そんな人が、今日に限っては距離感をぶん投げていた。


「……副部長、あの、すみません」


歩きながら俺は言う。


「今の流れ、俺だけ連行っていうか……その……」


「連行じゃない」


即答。


「優勝祝い。私がしたいだけ」


「俺の意思は……」


「あるでしょ。ちゃんと歩いてる」


理屈が強い。

ぐうの音も出ないやつだ。


気づけばファミレスの看板が見えてきた。

俺の頭の中では、さっきの場面が何度も再生されていた。


部活終わり。

陽菜が俺を呼んで。

ファミレス行こ、って言って。

菜々、結衣、夏樹、響、柊が固まって。


そして――


(あいつら、絶対何かする)


その予感は、外れない。そんな確信があった。



店に入ると、冷房の風が肌を撫でた。

夕飯どきには早い時間帯なのに、思ったより客は多い。

部活帰りっぽい制服の集団もいる。


案内された席は、窓際の二人席。


「……あの」


椅子に座る前に俺は改めて言った。


「本当に、いいんですか。俺なんかに優勝祝いって」


「いいよ」


メニューを開きながら陽菜が言う。


「優勝はすごい。部としても嬉しい」


「ありがとうございます……」


敬語が抜けない。

俺の中で、陽菜は“部活の上の人”で、簡単に崩せない壁がある。


陽菜は俺をちらっと見た。


「固いね」


「すみません」


「謝るのも固い」


「……すみません」


「謝るな」


(詰んだ)


妙に会話がかみ合わない。

でも、それが不快かと言われると違う。

陽菜は無表情に見えるけど、目はちゃんと俺を見ていた。


距離を取りたい俺と、距離を詰めたい陽菜。

その綱引きの真ん中に、メニューがある。


「何食べる?」


「えっと……」


俺がメニューを見ていると、陽菜がさらっと言った。


「今日は奢る」


「え、いや、それは……」


「優勝祝い」


「……ありがとうございます。でも……」


「でも?」


「……奢られるの、慣れてなくて」


「慣れたらいい」


(強い)


反論を封じる圧がある。

淡々としているのに、強制力が高い。

俺が迷っている間に、陽菜は店員を呼んだ。


「ドリンクバー二つ」


「えっ」


「優勝祝い。乾杯しよ」


「いや、ドリンクバーで乾杯って……」


「いいでしょ」


(副部長、意外と可愛いとこあるな)


そんなことを考えた瞬間。


ガラス越しに――見覚えのある影が動いた。


(……いる)


俺は窓の外を見ないようにして、目線だけを泳がせた。

店内の奥、観葉植物の陰。仕切りの向こう。

そこに、なぜか“妙に不自然な五人”が見えた気がした。


いや、見えた。


(やっぱりか……)



五人は、少し遅れて同じ店に入っていた。


結衣が先頭。

顔が笑ってない。

夏樹は平静を装っているけど、目が鋭い。

菜々は静かで、表情が読みづらい。

響はワクワクしてる。

柊は眠そうで、でも興味はある顔をしている。


「……どこ座る?」


結衣が小声で言う。

視線だけで店内をスキャンしている。狙いが怖い。


夏樹が即答した。


「二つ離れた席。仕切り越しで声が拾えるとこ」


「そんな席あるの?」


柊が素直に聞く。


「ある。今ある」


結衣が指先でそこを示した。


「ここなら“見えない”のに“聞こえる”」


「怖っ……」


柊が引いた。


「スパイ映画みたいだな」


響が目を輝かせる。


「映画じゃない。尾行の続き」


夏樹が淡々と言う。


菜々は一言も言わずに頷き、席に座った。

逃げない。

ただ、呼吸が少し浅い。


観葉植物と仕切りで視線は切れる。

けれど――声は、注意すれば届く距離。


「……聞こえる?」


小声で響が言う。


「全部は無理。でも断片なら」


夏樹がドリンクバーのグラスを手にして答える。


「副部長ってどんな人?」


柊が素直に聞いた。


「知らないの?」


結衣が低い声で返す。


「いや、ほぼ喋ったことない。クールで近寄りがたい人、くらい」


「私も深くは知らない」


夏樹も言う。


「でも、今の感じは……“近寄りがたい”で済まないかも」


菜々は、黙って席に座っていた。


逃げない。

ただ、呼吸が少し浅い。



俺は席を立ってドリンクバーに向かった。

陽菜が先に行っていて、氷を入れたグラスを二つ持って戻ってくる。


「はい」


渡されたグラスには、透明な炭酸が入っていた。

多分ジンジャーエール。


「ありがとうございます……」


「乾杯」


陽菜がグラスを軽く持ち上げる。


「……乾杯」


カツン、と小さな音。


その瞬間、少し離れた席で――


「今、乾杯って言った?」


響の声が聞こえた気がした。


「静かに」


結衣が即座に叱る声。


(聞こえてるじゃん……)


最悪だ。


「……副部長、あの」


「陽菜でいい」


「……いえ、すみません。癖で」


「癖なら直せる」


「すみません」


「謝らない」


(会話のループ)


陽菜は一口飲んで、少しだけ目を細めた。

美味いとか不味いとかの顔じゃない。

考えてる顔。


「大会、見てたよ」


「え?」


「決勝。ちゃんと」


俺は思わず姿勢が正しくなる。


「……ありがとうございます」


「叫んでた」


「……はい。すみません」


「すごく良かった」


短く、でもはっきり言った。


「走り終わった後の顔、嘘がなかった」


(嘘がない、か)


胸の奥が少しだけ熱くなる。

部活の上の人に褒められるのって、単純に嬉しい。


「……ありがとうございます」


「その顔、今もできる?」


「え」


「文化祭終わってから、少し変わった」


陽菜の視線が、俺を正面から捉える。


「笑ってるのに、どこか固い」


(……見られてたのか)


俺は言葉に詰まった。


「……すみません。自分でもよく分からなくて」


「分からないなら、分かるまで付き合う」


淡々と言われて、背筋がぞくっとした。


(……危ない言い回し)



仕切り越しの五人は、必死だった。


「今の、何?」


結衣が小さく呟く。


「付き合うって……付き合う?」


響が目を輝かせる。


「付き合うの“付き合う”!?」


「バカ、声」


柊が慌てて制する。


「でもさ」


夏樹が静かに言った。


「副部長って、あんな人の事褒めたりする人だったっけ」


「知らねぇよ」


柊が困惑しながら返す。


「俺、怖い」


響は怖いって言いながら楽しそうだった。


菜々は、何も言わない。

ただ、テーブルの端を指先でそっと押していた。

押して、離して、また押して。

自分の心を落ち着かせる癖みたいに。



「……副部長」


俺は慎重に言葉を選んだ。


「今日は、ありがとうございます。奢ってもらって」


「いい」


「ただ……」


「ただ?」


「……俺、正直、こういうの慣れてなくて」


「慣れたらいい」


「それ、さっきも言いました」


「同じ答えしか出ない」


陽菜が少しだけ口元を緩めた。

笑った――と言うほどじゃないけど、確実に柔らかくなった。


「翔は、面白い」


「……俺ですか」


「真面目なところが」


「それは、褒めてます?」


「褒めてる」


即答。


「誰かのために走るとか言いながら、誰かを置いていかない走り方する」


「……それ、どういう」


「私、そういうの好き」


言葉が、胸に落ちた。


(好き……?)


まだ確定じゃない。

でも、その匂いがした瞬間、胃がきゅっとなる。


「……副部長」


「陽菜」


「……陽菜先輩」


呼び方を変えるのが、精一杯だった。

陽菜は小さく頷く。


「言いやすいならそれでいい」


俺は息を吸う。


「俺、今……」


「うん」


「……ちょっと、複雑で」


陽菜は急かさない。

ただ聞いている。


「俺の周り、色々あって」


「知ってる」


「え」


「全部は知らない。でも、見てたら分かる」


陽菜の視線がぶれない。


そして、陽菜は――珍しく一拍、黙った。

グラスの氷を、指先で小さく揺らす。

カラ、と音が鳴る。

その一瞬だけ、迷いが混ざった気がした。


次の瞬間。


「だから言う」


陽菜は真っ直ぐに言った。


「私、翔が好き」


(……来た)


心臓が一瞬止まった。

背中に冷たい汗が出る。

言葉が、喉に引っかかる。


陽菜は続けた。


「異性として」


(……終わった)


いや、終わってない。

終わってないのに、終わった気がする。


「……」


俺は、何も言えなかった。



仕切りの向こう。


「……今、聞こえた?」


結衣の声が震えていた。


「好きって……言った」


響が目を見開く。


「異性として、も言った」


夏樹は笑ってない。


「あ〜…終わった」


柊は青ざめていた。


「副部長さん、とんでもない爆弾だな」


菜々は、息を吸ったまま止まっていた。

指先が、テーブルの端を掴んでいる。

爪が白くなるほど。



「……陽菜先輩」


ようやく俺は声を出した。


「ありがとうございます。そう言っていただけるのは……」


言葉が硬い。

でも、ふざけられない。


「ただ……俺、今すぐ返事は……」


「うん」


陽菜は、それを当たり前みたいに受け止めた。


「今すぐじゃなくていい」


「……すみません」


「謝らないで」


「……はい」


俺は視線を落として言った。


「軽く答えたくないです」


「それがいい」


陽菜は、炭酸を一口飲んでから言った。


「私は、ちゃんと欲しい」


「……ちゃんと?」


「翔の本音」


胸が苦しくなる。

正しいことを言われているのに、逃げ道が消えていく感じ。


「今の翔は、まだ整理できてない」


「……はい」


「だから待つ」


陽菜は淡々と言う。


「でも、引かない」


「……」


「優勝した翔、かっこよかった」


その言葉が、妙に刺さった。


「私は、あれを見た」


「……」


「だから、好きになった」


直球すぎて、息が詰まる。


「……陽菜先輩」


俺は、頭を下げた。


「ありがとうございます」


「礼はいらない」


「でも……」


「私は言いたかっただけ」


陽菜は机の上の伝票を軽く指で押した。


「今日はここまで。話せて良かった」


終わり方まで淡々としている。

でも、内容が内容すぎて、俺の頭は全然追いついていない。


(これ、どうなるんだ……)



会計を済ませて、店を出る。

外の空気は少し冷えていた。

陽菜は歩き出しながら言う。


「送らなくていい」


「……いえ。せめて、駅まで」


「じゃあ駅まで」


それだけ。


俺は横を歩きながら、背中に視線を感じた。

店の方から。


絶対あいつらだ。


(……帰ったら地獄だな)


駅前で陽菜が立ち止まる。


「また、部活で」


「……はい」


「今日の返事は、急がない」


「……ありがとうございます」


陽菜は小さく頷いて、踵を返した。

去り際、振り返りもせずに言う。


「翔」


「はい」


「逃げないで」


「……逃げません」


自分でも驚くほど、はっきり言えた。

陽菜はそれだけで満足したみたいに、ふふと笑うと歩いていった。



その瞬間、背後から足音の大群。


「……翔」


結衣の声。

低い。


「翔くん」


夏樹の声。

笑ってない。


「翔さん」


菜々の声。

静かすぎて怖い。


「翔ー!」


響の声。

なぜか楽しそう。


「おーい翔ー」


柊の声。

諦め混じり。


俺はゆっくり振り返った。

五人が、並んでいた。

顔が全員、違う意味で怖い。


「……えっと」


まずい。

言い訳が浮かばない。


結衣が一歩近づく。


「聞こえた」


短く言った。


「……はい」


夏樹も一歩。


「全部じゃないけど、致命的なところは」


「……はい」


菜々は、俺の目を見たまま言う。


「異性として、って」


(やめてください)


声に出したら死ぬ。

響が口を挟む。


「三角関係が四角になったな」


「お前黙れ」


柊が即座に押さえる。

俺は覚悟を決めて言った。


「……その、誤解は……」


結衣が即答。


「誤解できる要素ある?」


「ないです」


菜々が静かに追撃。


夏樹が息を吐いた。


「……ねえ翔くん」


「はい」


「私副部長に取られるのだけは無理」


「私も無理」


結衣が言い切った。


菜々が小さく頷く。


「……私も」


夕焼けの下。

俺の周りの“日常”は戻ったはずだった。


でも――


戻ったのは、平穏じゃない。

火が消えないまま、場所だけ変えて燃え続ける。

そんな感覚がした。


そして俺は悟った。

この先、もっと面倒になる。


――たぶん、もう逃げ場はない。

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