厨房チーフの本気
今回少し長めの回となっております。
朝。いつものようにインターホンが鳴り、玄関を開けると――
「おはようございます翔さん!」
「おっはー翔!」
「おはよ、翔くん!」
朝早くから皆と会議があるからと急いで家を出た菜々を含め、安定のヤンデレ3人セット+笑顔フルスロットルで登場である。
まだ眠気でボケてる頭に、テンションMAXの3人のキラキラと眩しい笑顔が突き刺さる。すんごい嬉しいけどちょっとキツイもんがあるな。
「お、おはよう。なんか今日テンション高くない?」
そう言うと、3人は顔を見合わせてからニヤッと笑った。
「そりゃもちろん、文化祭準備本格始動の日ですから!」
菜々が胸を張ってそう宣言する。
制服の袖からメモ帳がチラっと覗いてる。絶対今日の段取りとか書いてあるやつだ。
「今日はメニュー案決めと仕込みの役割分担だよ?厨房チーフとしては気合い入るでしょ?」
結衣は自分の胸をポンっと叩いてから、俺をじろっと見る。
「翔、ちゃんと働けよ?厨房に顔出したら追い返すからな。あそこは私の城だ」
「いや俺の担当接客だからな?元々入る予定ないし」
「じゃあ、味見役としてだけ許可する」
「結局入るんだな」
やれやれと肩をすくめていると、最後に夏樹がニヤっと俺の襟をつまむ。
「翔はチャイナドレス担当だからね。ちゃんと体絞っときなよ?」
「だからなんで俺だけチャイナなんだよ!」
朝からツッコミフル稼働のまま、俺達は学校へ向かって歩き出した。
♦
ホームルームが終わると同時に、担任が黒板の前に立った。
「よーし、朝日ヶ丘高校一年二組、文化祭準備を開始する! 出し物はメイド喫茶。みんなもう覚悟はいいな?」
「「「おーーーー!」」」
クラスのテンションは高い。
黒板にはすでに「厨房」「接客」「装飾」「会計・仕入れ」「宣伝」の文字が並び、それぞれ名前が書き込まれていた。
「じゃあ、細かいとこは担当ごとに決めてけ。厨房は――黒瀬と如月が中心な」
「はい!」
立ち上がった菜々と結衣は、同じタイミングで返事をした。
すかさず、クラスの何人かから「うわぁ…」「ガチなやつだ…」と小声が漏れる。
うん、俺もそう思う。
「厨房班のメンバーは、黒瀬と如月のところ集まれ〜」
数人の女子と、数少ない料理好き男子が菜々たちの席周辺に集まる。
結衣はノートを開き、さらさらとペンを走らせながら段取りの確認を始めた。
「えっと、アレルギーとか材料のコストとかも考えないとだし……
うちのクラス、甘いの苦手な人が何人かいるから軽食もほしいな」
「流石結衣さん、視野が広いです!」
菜々が素で感心してる。
普段はバチバチなのに、こういうとこはちゃんと認め合うのな、こいつら。
「じゃあさ、スイーツ組と軽食組で分けようよ。
パンケーキとかクッキーとか甘いのは菜々が得意でしょ? 私、パスタとかキッシュ作れるし」
「いいですね! じゃあ甘い担当、私が責任持ってやります!」
あれ? なんかちゃんと会議してる…?
いつもみたいに「翔さんに食べてもらう前提」で言い合いしたりしないの…?
そんな事を思いつつ見守っていたら――
「……と、いうわけで。翔さんが最初に食べるのは私のパンケーキです」
「早かったな本音出るの」
「じゃあ私は“二回目と三回目”狙いでいい。最後に残る味が私のってことで」
いやどこで張り合ってんだよ。
その瞬間、厨房班の女子たちは「はぁ〜〜」とため息をついていた。
「はいはい、そういうのはあとでやれ〜」
向こうから柊が手をひらひらさせて俺の方へ来る。
「翔、お前さ。今日の放課後、買い出しメンバーだからな」
「買い出し?」
「厨房の材料の見積もり。スーパーでどれくらいかかるか、一回見に行くんだとよ。
で、菜々は仕切りとリスト作り。結衣はレシピ調整。
お前は……」
柊がニヤッと笑う。
「結衣と一緒にスーパー巡りな」
「は?」
「荷物持ち&味のイメージ確認だとよ。厨房チーフ直々の指名」
そう言って、柊は結衣の方を親指でさす。
視線を向けると、結衣はわざとらしく目をそらした。
「べ、別に翔じゃなくても良かったけど!? …最初から知ってる人の方が頼みやすいだけで! 変な意味はないから!」
「誰も何も言ってねぇよ」
顔真っ赤にするなよ…。逆に意識するだろ。
♦
放課後。
黒板に書かれた「文化祭準備」の文字の下、各担当ごとに移動が始まる。文化祭期間は部活は自主練となる為、しばらく部活はお休みだ。
装飾組は教室の後ろで折り紙と画用紙を広げ、
宣伝組は廊下でポスターのラフを描いてる。
そんな中、俺と結衣はスーパー用のリストを受け取り、昇降口へ向かっていた。
「響は?」
「なんか先生に呼ばれてた。運動部代表で何か手伝い頼まれてるっぽい」
俺の説得により買い出しメンバーに半ば強引にぶち込まれた響は、体育教師に捕まり、運動部の雑用に駆り出されていった。
そんなわけで、今日の買い出しはまさかの二人きりである。
柊の野郎…絶対なんか仕組みやがったな…。
「……なんか、久々だな。翔と二人で帰り道行くの」
並んで歩く歩幅が、少しだけゆっくりになる。
「毎日誰かしらいるからな。だいたいヤンデレセットか、柊と響付き」
「ヤンデレセットて言うな。それ私も入ってるんだが?」
「自覚はあるんだな」
「もちろん」
胸を張るな。
そんな他愛ないやり取りをしていると、駅前のスーパーが見えてきた。
♦
自動ドアが開くと、冷房の風と一緒に、どこか油と惣菜の香りが鼻をくすぐる。
「うわぁ……なんか一気に“主婦感”する場所来ちゃったな」
「こういうところでテンション上がるようになったら、もう戻れないって感じするな」
俺がそう言うと、結衣はクスッと笑った。
「じゃあ、私もう戻れないかも。
この棚の配置とか、特売シールとか見るの普通に楽しいもん」
「お前……」
なんか、嫁力高くない?
カゴを二つ取り、一つを結衣に渡す。
「じゃあ行くか。とりあえず粉とバターと卵と牛乳と……」
「バターは有塩と無塩どっちにする?」
「無塩じゃね? 焼き菓子用って書いてあるし」
「正解」
ちょっと嬉しそうに言う結衣。
なんだこの小テストみたいなやり取り。
「砂糖はグラニュー糖と上白糖、どっちメインにする?」
「パンケーキなら上白糖メインかな。グラニュー糖だけだと甘さが軽すぎるっていうか、ふわっとしないっていうか」
「お、詳しいじゃん」
「……まぁな」
口元だけニッと上げて、ちょっとだけ得意そうな横顔。
こういうところ、前の人生の結衣には見せてもらえなかった気がする。
もしくは、俺が気づいてなかっただけか。
「ね、翔」
砂糖コーナーを離れようとしたとき、不意に結衣が立ち止まった。
「文化祭さ。絶対成功させような」
「当然だろ。ここまで準備して失敗したら泣くわ」
「いや、そうじゃなくて」
結衣は少し俯き、カゴの取っ手をぎゅっと握りしめた。
「……普通じゃない私たちのクラスだけどさ。
翔が、“楽しかった”って笑える文化祭にしたい」
いつもの勢いはない。
けど、言葉の中身はやたらと重い。
「なんだよそれ。俺、そんなに笑ってないように見えるか?」
「時々、ね」
そう言って結衣は前を向いた。
「だから、厨房チーフとして宣言しとく。
私が作るの、全部――翔が笑って食べてくれるやつにするから」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
それと同時に始めてみる結衣の新たな一面に心臓の音が加速する。
「……じゃあ、こっちも宣言しとくわ」
買い物リストをひらひらと振ってみせる。
「当日、結衣が作ったやつ全部完売させる。
看板係っていうか、接客係としてな」
「っ……!」
結衣の肩がビクッと震えた。
「な、何それ。そんなこと言われたらさ……
……頑張るしかないじゃんか」
耳まで真っ赤にしながら、けど口元は笑っている。
その笑顔を見て、俺も知らないうちに笑っていた。
♦
買い物を終えて外に出ると、空は少しオレンジ色を帯び始めていた。
「このあと時間ある?」
袋を持ち替えながら結衣が聞いてくる。
「あるけど。なんか用事?」
「今日買った材料で、試作作りたい。
厨房チーフとしては、ちゃんと一回練習しておきたいし」
「おー、いいじゃん。手伝おうか?」
「翔は……食べる係」
即答である。
「試食専門ってことね。悪くないな」
「でしょ? ……その、さ」
少し言いづらそうにしてから、結衣は続けた。
「ウチ、来る? 台所、少し使わせて欲しいってお母さんに言っとくから」
心臓の鼓動が一瞬だけ加速した。
結衣の家に行くのは、たぶんこれが人生二回目だ。
前の人生を含めても、ほぼ初めてのようなものだ。
「……邪魔じゃなきゃ、行く」
「邪魔なら誘ってないっつの」
少しだけ嬉しそうな、でも照れも混ざった笑い顔。
それだけで、さっきまでの疲れがどこかへ消えていく気がした。
♦
如月家の玄関をくぐると、ふわっと甘い匂いと柔らかい空気が出迎えてくれた。
「お邪魔します」
「お邪魔します、じゃないだろ〜?もっと自然にしていいのに」
「いや、友達の家だぞここ」
「幼馴染の家でしょ」
結衣のお母さんも顔を出し、「いらっしゃい翔くん」と笑って迎えてくれた。
俺のことは小さい頃から知っているからか、妙に安心する。
「台所使っていいですか?」
「いいわよ〜。二人とも火傷だけはしないでね」
「気を付けます」
台所に立つ結衣は、制服の上にエプロンをつけていた。
淡いクリーム色の、そのエプロン姿が妙に似合ってる。
「何ニヤニヤしてんの」
「いや、似合ってるなって」
「っ……///」
分かりやすく固まるな。
耳まで真っ赤になった結衣は、慌ててボウルとホイッパーを取り出した。
「ほら、さっさと生地混ぜるよ! ボーっとしてると叩くよ!」
「暴力で軌道修正すな」
レシピを横に置き、小麦粉と卵と牛乳、砂糖を順番にボウルに入れていく。
結衣の手付きは慣れたもので、卵を片手で割る動作もスムーズだった。
「おー、かっけーな」
「女の子ポイント稼いでる?」
「まぁ、プラス二十点ってとこだな」
「満点いくまでやってやろうか」
ニヤッと笑いながら、今度は俺にホイッパーを渡してきた。
「混ぜるのは翔の番」
「え、俺?」
「さっき“試食専門”って言ったけど撤回。
手伝ってくれた方が嬉しいから」
その一言に、変なところをぐっと掴まれる感じがした。
なんだよその言い方。
「……了解っす」
ボウルを抑える結衣の手と、ホイッパーを握る俺の手が近づく。
ふと、指先が触れて、結衣の肩がビクっと跳ねた。
「ご、ごめん」
「い、いや……全然。……ちょっと冷たかったからビックリしただけ」
うそつけ。
お互い顔をそらしたまま、生地を混ぜる音だけがキッチンに響いた。
やがて、フライパンにバターの香りが広がり、丸い生地が焼けていく。
こんがりとしたきつね色、ふんわりとした膨らみ。
「うまそ……」
「まだ味見しちゃダメ。全部焼いてから」
何枚か重ねて、ベリーソースと粉糖をトッピングする。
皿の上には、さっきスーパーで買った苺とブルーベリーが綺麗に並べられていった。
「よし。試食タイム」
小さなフォークを二本用意して、一つを俺に渡す結衣。
「いただきます」
一口サイズに切って口に運ぶと、ふんわりした生地とベリーの酸味、そしてほんのり甘いクリームが混ざり合った。
「……うまっ」
思わず素の感想が口から漏れた。
「お、いい反応」
「普通に店で出せるレベルだろ、これ。
ってか俺の人生で食ったパンケーキの中でもかなり上位だわ」
「……そっか」
結衣はほんの少しだけ目を細めて、息を吐くように笑った。
「じゃあ、当日もこれ出そうかな」
「出すべきだろ。菜々に負けないくらいの看板メニューになるんじゃね?」
「……菜々」
その名前を出した瞬間、結衣の表情がほんの僅かに揺れた。
「どうした?」
「いや……なんでも」
フォークをくるくると回しながら、結衣は少し黙り込む。
そして、覚悟を決めたように口を開いた。
「翔」
「ん?」
「私さ。負けたくないんだよ」
「誰に?」
「誰にって……バカ。言わせんな」
きゅっと皿の端を掴んで、結衣は続けた。
「菜々にも。夏樹にも。
あんたの周りの、全部の“特別”に」
言葉が、まっすぐ俺の胸に刺さった。
「翔にとって……私が、“幼馴染だから”って枠で終わるの、やだ」
そこまで言って、結衣は自分でハッとしたように口を押さえた。
「……あー! 今の無し! 忘れて! パンケーキうまいねって話!」
「いや無理だろそれは」
「忘れろって言ってんのに!」
フォークで俺の腕をつついてくる結衣。
だけど、その瞳はどこか不安そうだった。
「結衣」
俺は深く息を吸い、言葉を選ぶ。
「今すぐ答え出せるようなやつじゃないけどさ」
「……」
「少なくとも、“幼馴染だから”で雑に扱うつもりはない。
だから、そんな顔すんな」
結衣の肩が、少しだけ震えた。
「……ずるいな。そういう言い方」
「そっちもだろ。急に爆弾投げてきて」
お互い変な顔になって、ふっと笑いが漏れる。
緊張が解けた空気の中で、皿の上のパンケーキはあっという間に消えていった。
♦
帰り道。
空はすっかり暗くなり、街灯がぽつぽつと灯っていた。
「送ってくれてありがと」
家の角まで来たところで、結衣が立ち止まる。
「なんだよ急に他人行儀だな。いつもは勝手に入ってくるくせに」
「今日は……なんか、特別扱いされた気がするから」
「パンケーキ試食? あれ厨房チーフの仕事だろ」
「違うっての」
そう言って、結衣は前を向いたまま言う。
「ありがとね翔。
今日のことがあるから、多分私、文化祭全力で頑張れる」
「おう。期待してる」
「当日、私の作ったやつ完売させてよ」
「任せとけ。看板チャイナとしてな」
「最後の一言いらない!」
笑いながら、結衣はひらひらと手を振って住宅街の街並みへと消えていった。
♦
家に帰ると、リビングからいい匂いがした。
どうやら母さんと菜々が一緒に夕飯を作ってくれていたらしい。
「おかえり翔さん!」
「あら、遅かったじゃない」
二人に迎えられながら、俺は買い出しの袋をテーブルに置く。
「結衣ちゃんとこで試作してたんでしょ?」
母さんがニヤニヤしながら言う。
どこまで筒抜けなんだ情報網…。
「う、うん。パンケーキの試食してた」
「あらいいじゃない。文化祭楽しみね〜」
母さんはご機嫌で鼻歌交じりにキッチンへ戻っていった。
問題は――
「……どんなパンケーキだったんですか?」
菜々が笑顔で聞いてくることである。
笑顔なんだけど、目が全然笑ってない。
「ふ、ふわふわで、ベリーがのってて……」
「へぇ……それはそれは、美味しそうですねぇ……
“翔さんが人生で食べたパンケーキの中でも上位”って感じでした?」
「聞いてたのかよ!」
どこまで情報漏れてんだよ結衣。
「ふふふ。厨房チーフも本気のようですね。
なら、こちらも本気で行きますか……」
「な、菜々さん? なんか怖いんですけど?」
「いえいえ? ただ、翔さんの“笑顔の数”は、私も負けたくないなぁ〜って思っただけですよ?」
サラッと言うなそんなことを。
完全にさっきの結衣と同じこと言ってるぞこの子。
あー……
ほんと、俺の周りはどうしてこうも全力なんだろう。
「……ま、いっか」
文化祭まであと少し。
ドタバタと、甘くて、ちょっと怖くて。
それでも、今はこの賑やかな日常の中に浸かっていたかった。




