終幕の花火 2
表彰式が終わると、そのまま後夜祭。 空はすっかり暗くなり、グラウンドには屋台の光とステージ照明が浮かび上がる。
音楽が流れ、人が笑い、
「陽華祭、最後の夜」が始まった。
「翔!柊!こっちこっち!」
クラスメイトたちが手を振る。 俺と柊はチャイナのまま合流した。
「受賞おめでとーー!!」
「スピーチ良かったぞ!」
「翔、ちょっとだけカッコよかった」
「ちょっとだけってなんだよ響」
わちゃわちゃと肩を叩かれ、頭をぐしゃぐしゃにされる。 菜々がタオルを差し出してくれた。
「汗、すごいですよ翔さん。はい、拭いてください」
「ありがとな」
結衣は、少し離れたところで、 クラス全体を見渡すようにして笑っていた。
「……なんかさ」
俺が隣に立つと、結衣は小さく呟いた。
「ほんとに、取っちゃったね。“最優秀企画賞”」
「だな」
「翔がスピーチしてるときさ、なんか、胸が苦しくなった」
「なんで」
「分かんない。嬉しいのと、誇らしいのと、ちょっと、怖いのと──色々ごちゃ混ぜ」
視線は俺を見ていない。 けど、横顔はどこか泣きそうで、でも笑っていた。
「……でも、今はちゃんと、嬉しい」
そう言って、結衣は俺の肩を小突いた。
「お疲れ、代表」
「おう」
その瞬間、アナウンスが入る。
『このあと、陽華祭最後のイベント、打ち上げ花火を行います。
皆さん、グラウンド中央に集まって空を見上げてください』
ざわっと人が動き始める。 俺たちも、皆でシートを広げて腰を下ろした。
◆
ドンッ──。
夜空に、大輪の花が咲いた。
赤、青、金、白。
光が広がって、消えて、また咲く。
「うわぁ……すげぇ」
響が子どもみたいな声を出す。 菜々は両手を胸の前で組んで
「綺麗ですね、翔さん……」
とぽつり。
夏樹はスマホを構えながらも、時々目でちゃんと花火を追っていた。
「写真も撮りたいし、でも生でも見たいし……あー忙しい!」
「欲張りかよ」
柊は腕を組み、静かに空を見上げていた。
俺も、ただ、見上げる。
光が一つ咲くたびに──
この三日間の光景が頭の中でフラッシュバックする。
喫茶の行列。
チャイナでの呼び込み。
厨房の甘い匂い。
クラスの笑い声。
ステージの光。
みんなの顔。
(……ああ、終わるんだな)
嬉しくて、さみしくて。 変な気分だった。
最後の連発が終わり、
大きな光が夜空いっぱいに広がって、
やがて、ゆっくりと闇が戻っていく。
拍手と歓声。 そして、少しずつ人の波が動き始める。
「じゃ、俺ら片付け手伝ってくるわ」
柊が立ち上がる。 響も一緒に。
「テントの方、力仕事いるだろうからさ」
「おう、頼んだ」
菜々はPTAの手伝いに呼ばれ、
夏樹は装飾の回収チェックに走っていった。
気付けば──
グラウンドの隅、俺と結衣だけが取り残された形になっていた。
◆
「……静かになったな」
さっきまでうるさかったのが嘘みたいに、夜風の音だけが耳に残る。
グラウンドの隅、少し暗い場所。
ステージの残光だけが遠くで揺れている。
「翔」
不意に、結衣が俺の名前を呼んだ。
振り向いた瞬間──
ふわり、と。
結衣の身体が、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
「──っ!?」
反射的に一歩下がりつつ、
倒れないように彼女の肩を支える。
胸に、結衣の頭があたる。 制服越しに、彼女の体温が直に伝わってきた。
「お、おい結衣……?」
「……ごめん」
小さな声。 震えている。
「ちょっとだけ、こうさせて」
腕が、俺の背中に回る。 ぎゅっと、しがみついてくる。
息が止まりそうになる。 花火の音はもうないのに、
心臓の音だけが、やけに大きく響いた。
「な、何があった」
「……なんにも、ないよ」
結衣は、そう言いながら、
胸元に顔を押しつけるようにして、続けた。
「ただ……三日間、頑張ったらさ。
なんか、急に怖くなった」
「怖い?」
「うん」
声が、少しだけ涙を含む。
「この時間が終わっちゃうのも、翔がどっか行っちゃいそうなのも、何も言わないまま、全部流れてくのも──」
息を飲む。
「……そうなったら、絶対後悔するって思った」
腕の力が、少し強くなる。
「だから今だけ、誰にも見られてないってことにして……翔を、独り占めさせて」
言葉が喉につっかえる。
(……誰にも見られて、ないか)
遠くでまだクラスメイトの笑い声が聞こえる。 ステージ撤収のガヤガヤも。 でも、この暗がりだけは、二人だけの箱庭みたいだった。
俺は、ゆっくりと息を吐いて、
結衣の頭にそっと手を置いた。
「……しょうがねぇな」
自分でも驚くくらい、自然な言葉だった。
「今日くらいは、してやるよ。三日間、頑張ったご褒美な」
結衣の肩が、小さく震える。
「ずるい……そういう言い方、一番ずるい……」
声だけは涙混じりなのに、
胸元から伝わる体温は、どこまでもあたたかかった。
少しの間、そのまま黙って立っていた。 夜風が頬を撫でる。 遠くのライトが、ぼんやりと揺れている。
「なぁ、結衣」
「……ん」
「俺、たぶん……この陽華祭、死ぬほど楽しかったわ」
「……知ってる」
「知ってるのかよ」
「翔の顔見てたら分かる」
くすり、と小さな笑い声。
「だからいいの。この先どうなるか分かんなくても、
今日くらいは、ちゃんと欲張る」
そう言って、結衣はようやく顔を上げた。 目元は少し赤いけど、笑っている。
「ありがと。……これでまた、頑張れる」
「なにに」
「全部」
よう分からないまま、
けどそれ以上は聞けなかった。
◆
少し離れた場所。
グラウンドの片隅の、暗がり。
その光景を、じっと見ている影が二つあった。
◆
──side 菜々
(あ)
暗がりで、ふと目に入った。
翔さんの胸に飛び込む、結衣さんの姿。 背中に回される腕。 そっと、頭に置かれる翔さんの手。
「……」
声が、出なかった。
喉の奥がキュッと締め付けられる感じ。 胸の真ん中が、熱いのに冷たい。
(良かった、ですね……)
心の中で呟く。
結衣さんのことは、好きだ。
一緒に厨房を回して、たくさん助けてもらった。
翔さんの昔からの幼馴染で、
何を考えているか、誰よりも分かっている人。
「……うん」
ぎゅっと、自分の両手を握り締める。
「良かった、です」
笑おうとした。 ちゃんと、“友達として”喜ぼうとした。
でも──頬の筋肉がうまく動かなくて、
代わりに、胸の奥がズキズキした。
(ずるいなぁ……)
自分の心に向かって、そう思う。
翔さんの笑顔が好きで。
翔さんが楽しそうにしているのを見ているのが好きで。
翔さんが自分の作ったスイーツを食べて「美味しい」って言ってくれるのが嬉しくて。
それだけだったはずなのに。
(なんで、こんなに苦しいんだろ)
喉の奥に、何かがせり上がってくる。 けど、ここで泣くのは違う。
「……負けたく、ないなぁ」
自分の胸に、小さく呟いた。
結衣さんも好き。
夏樹ちゃんも好き。
みんな、好き。
でも──
(翔さんの“隣”は、簡単に譲れない)
笑顔も、涙も、
全部、誰かのものになってしまうなんて……耐えられない。
「私も、もっと頑張らないと、ですね」
ぽつりとそう言って、
菜々は夜空を見上げた。
暗くなった空には、さっきの花火の残り香が、まだ少しだけ漂っている気がした。
「翔さん……」
名前を呼んで、
自分の胸の奥に刻みつける。
(次は、絶対)
そこまで思って、慌てて頭を振った。
「……今は、まだダメです」
翔さんが笑っている間は。
この陽華祭の余韻が残っている間だけは。
「ちゃんと、いい子でいますから」
そう言い聞かせるように微笑んでから、
菜々は他のクラスメイトのもとへと戻っていった。
◆
──side 夏樹
「……うわ」
少し離れたところで、夏樹は口の端を引きつらせた。
暗がりの中、はっきり見えたわけじゃない。 でも、シルエットだけで分かる。
翔と結衣が、抱き合ってる。
「やるじゃん、結衣」
自分で言って、自分で胸がチクリとした。
(そりゃそうだよね)
結衣は幼馴染。
キッチンで一緒に戦った相棒。
勝気で、でも誰よりも翔のことを見てて。
自分はどうだ。
場を盛り上げるのは得意だし、
チャイナだのポスターだの、好き勝手に引っ掻き回した。
「陽華祭の裏方総監督〜!」とか言って、
ワイワイ騒いで。
……でも。
(結局、“一番大事な場所”は、いつも誰かに先に取られるんだよな)
昔から、そんな感じだった。
グループの中心にはいるけど、
「ヒロイン」の位置には立たない。
冗談っぽく「私も混ぜろー」と笑っていれば、
傷つかずに済む。
「……はず、だったんだけど」
さっきの花火。
翔のスピーチ。
クラスの笑顔。
全部が眩しくて、好きで、
羨ましくて。
(いいなぁ、結衣)
素直に飛び込めて。
ちゃんと「欲しい」って顔ができて。
自分には、まだできない。
だって、そんなことしたら──
このバランスが壊れてしまいそうで怖いから。
「……でもさ」
夜風に、髪を揺らされながら、
夏樹は小さく笑った。
「もしさ。本当に、全部奪われそうになったら──」
喉の奥で言葉が絡まる。
(その時、笑っていられるかな)
自分でも分からない。 ただひとつだけ、はっきりしていることは。
胸の奥に、
黒くて、ねっとりした何かが、
ゆっくりと溜まり始めているということ。
「だから今は、ちゃんと“いい友達”やっとくよ」
そう口に出してみる。
「その方が、きっと楽しいから。──今のところは、ね」
最後の一言は、誰にも聞こえないように、
夜の中に溶かした。
◆
グラウンドの隅で交錯する想いがあることを、
その時の俺は何も知らない。
ただ、陽華祭が終わったんだという現実と、
胸の奥に残る温かさと、
どうしようもない寂しさだけを抱えて、空を見上げていた。
花火はもう上がらない。
それでも、俺の視界には、
さっきまで咲いていた光の残像が、
はっきりと焼き付いていた。
──陽華祭は、こうして幕を閉じた。
けれど、その花火が落とした影が、
この先の俺たちの日常を、
少しずつ変えていくことになるなんて。
この時の俺は、まだ知らない。




