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始まりはおもしろおかしく

初めまして、ご覧いただきありがとうございます!

この作品は別サイトにて6年前ほどに連載していて僕が失踪してしまったものをリメイクした物になります

流石に覚えてる人は居ないと思いますが、前とは話の流れが違ったりしますのでご了承下さい




「……んー」


朝。


カーテン越しに差し込む光が、閉じた瞼の向こうまで容赦なく入り込んでくる。


鳥のさえずり。

近所の家から響く、布団を叩く乾いた音。


どこにでもある、平凡な朝。


――ただし。


「ゴラァ!! いつまで寝とんじゃ!!」


玄関の向こうから響いた怒号を除けば。


「……っ!?」


翔は勢いよく目を開けた。

心臓が、嫌な跳ね方をする。


枕元のスマホを掴み、時間を見る。


十一時。


「……終わった」


今日――いや、今日もだ。

借金取りが来る日。


約束は十時半。


会社の遅刻とは訳が違う。

怒られて済む話じゃない。


下手をすれば、本当に命がなくなる。


翔は布団を蹴飛ばし、転げ落ちる勢いでベッドから立ち上がった。


途中、窓が目に入る。


ここは二階。


(窓から逃げる?)


下はコンクリート。


飛ぶ。

足が折れる。

入院。

その間に人生終了。


(……ダメだな)


残る選択肢は一つ。


――土下座。


三十二歳。


いい歳した大人が、朝から借金取りに怯えて、最後に選ぶ答えが土下座。

我ながら、笑えない人生だった。


「ゴラァ!!とっとと開けんか!!」


「は、はいっ!い、今開けます!!」


震える手でドアを開ける。

その瞬間、翔は理解した。


ああ。


これは土下座じゃ足りないやつだ、と。


金髪。

黒いスーツ。

濃いサングラス。

無駄に鍛えられた身体。


何より、人を殴ることにも脅すことにも慣れている顔。


「何しとったんじゃゴラァ!!」


「す、すみません……寝てました」


嘘をつく意味はない。


「寝てただとォ? 十時半言うたよなァ?」


次の瞬間、胸ぐらを掴まれた。


「ぐっ……!」


身体が持ち上がり、足先が床から浮く。


「余裕ぶっこいとるみたいやなァ。例の三千万、用意できとるんやろ?」


あるわけがない。


今の翔の所持金は――三百円だ。


「……ないです」


「は?」


空気が止まる。


「お前、舐めとんのか。いい加減にせんと、ほんまに売り捌くぞ」


その時、隣の部屋のドアが僅かに開いた。

誰かがこちらを見ている気配。


(……やめてくれ)


哀れむような目も、怖がるような目も。

全部、嫌だった。

自分が一番、自分の惨めさを分かっている。


「……木下さんよ」


低い声で名前を呼ばれる。


「借金、いくら残っとるか分かっとるか?」


忘れたことなんて、一度もない。


「……一億、ですよね」


「そうじゃ。父親の借金、丸々な」


父親。


その言葉だけで、嫌な記憶が蘇る。


酒臭い息。

荒い足音。

怒鳴り声。

母親が自分を庇ってくれた背中。


ギャンブル中毒で、家族に手を上げる最低な男だった。


だから父親が死んだ時、翔は少しだけ安心した。


――その直後。


一億円もの借金が残されていると知るまでは。


しかも闇金。


母親は必死に働いた。

翔を高校まで育ててくれた。


けれど、その母親ももういない。


残ったのは、翔一人と借金だけだった。


「明日までに五千万用意しとけ」


「……は?」


「できんかったら、分かっとるな」


乱暴に胸ぐらを離され、翔は床に転がった。


「昨日は三千万って……」


「知らん」


男は玄関先に唾を吐き、そのまま去っていった。


明日までに五千万。

昨日より増えている。


「……無理だろ」


声が震えた。

涙が勝手に頬を伝う。

本当に、終わった。


そう思った、その時。


「木下さん」


別の声がした。


ドアを開けると、立っていたのは大家だった。


白髪の年配の女性。


「悪いけどね。出てってもらうよ」


「……」


理由を聞く必要もなかった。


「明後日までに。修理費と今月分の領収書、後で持ってくるから」


返事を待たず、大家は去っていった。


翔は玄関の床に座り込む。


「あはは……」


借金一億。

明日までに五千万。

家も追い出される。

所持金三百円。


「……あはは」


もう、笑うしかなかった。


気づけば、そのまま意識が飛んでいた。


◆


目を覚ました時、翔は玄関の床に転がっていた。


目の前には一枚の紙。


領収書。

十五万円。


「……腹減ったな」


人生が終わっていても、腹は減る。


翔は財布を掴む。

百円玉が三枚。


「……三百円」


コンビニに行こう。


パン一個くらいなら買える。

それくらいしか、もうできない。


外は何も知らないみたいに晴れていた。


青い空。

蝉の声。

普通に歩く人たち。


翔一人の人生が終わりかけていることなんて、誰も知らない。


道路を渡ろうとした、その時。


――クラクション。


「……え?」


振り向く。

視界いっぱいに迫る車体。


次の瞬間。


強い衝撃。

身体が宙を舞った。

誰かの悲鳴が響く。


「大丈夫ですか!?」


声が遠い。

身体の感覚も、急速に消えていく。


(ああ……)


翔はぼんやりと思った。


(死んだな)


不思議と、怖くなかった。


借金も。

父親も。

家も。


もう、何も考えなくていい。


木下 翔(きのした かける)、三十二歳。


人生は――もう、とっくに終わっていた。


◆


「……っ……うあ……」


頭が痛い。

目を開けた瞬間、強い光が差し込み、反射的に瞼を閉じる。


「……どこだ、ここ……」


ゆっくり目を開ける。


勉強机。

タンス。

小さな本棚。

ベッド。


「……」


見覚えがある。


いや。


忘れていただけだ。


ここは――昔の自分の部屋。


「……たしか俺、コンビニ行って……」


事故。


車に轢かれて。


死んだ。


はずだった。


「……生きてる?」


身体を確かめる。


怪我はない。

それどころか、妙に身体が軽い。


その時。


階下から声が響いた。


「翔ーー!! ご飯食べなさい!!」


「……」


全身が固まった。


ありえない。


その声を、忘れるはずがない。


「……母さん?」


心臓が痛いほど鳴る。

翔は部屋を見回した。


壁。

机。

カーテン。


ここは間違いなく、母親がまだ生きていた頃の自分の部屋だった。


「……嘘だろ」


頬をつねる。


痛い。


自分で思いきり叩く。


「痛っ!」


夢じゃない。


机の上に置かれていた学生証を掴む。


木下翔。

十五歳。

高校一年三組。


「……は?」


理解が追いつかない。


部屋を飛び出し、洗面所へ向かう。


鏡を見る。


「……えぇえええええ!?」


そこに映っていたのは、ヒゲもなく、疲れ切った顔でもない。


十五歳の自分だった。


「なにこれ……転生?タイムリープ?」


意味が分からない。


「いや、転生なら異世界だろ……」


頭がパンクしかけた、その時。


「何騒いでんの!」


振り返る。


母親がいた。


「早くご飯食べなさい!」


「……っ」


息が止まる。


記憶の最後に残っていた母親より若い。


白髪も少ない。

頬も痩せていない。


元気だ。

生きている。


「……母さん」


「なに?」


普通に返事が返ってくる。


その一言だけで、泣きそうになった。


「朝から大丈夫?ほら、早く降りてきなさい」


そう言って母親は階段を降りていく。


翔はしばらく、その背中を見つめていた。


(……生きてる)


本当に。


母さんが、生きてる。


◆


階段を降りると、懐かしい匂いが鼻を突いた。


味噌汁。

白米。

目玉焼き。


豪華な料理じゃない。


昔なら何も思わず食べていた朝飯。


でも今は、見るだけで胸が苦しい。


「いただきます……」


味噌汁を口に運ぶ。


「……っ」


懐かしい味。

熱くて、少し濃い。

母親の味。


「……うま……」


「そんなに?」


「……すっげぇ、うまい」


死ぬ直前まで、コンビニ飯ばかりだった。


パン一個。

おにぎり一個。


誰かが自分のために作ってくれた温かい飯なんて、もう何年も食べていなかった。


翔は涙を誤魔化すように、もう一口食べる。


(今度は、忘れない)


この味も。


この声も。


全部。


「食べ終わったら学校よ。もうすぐ迎え来るでしょ?」


「……迎え?」


翔の記憶では、高校時代は一人で登校していたはずだ。


でも。


十五歳に戻ったこと以上の違和感なんて、もうどうでもよかった。


◆


制服に着替え、鞄を持つ。

時計は七時五十分。


ソワソワしているとインターホンが鳴った。


「翔ー、来たわよー」


玄関を開ける。


そこにいたのは――。


「おはよ、翔くん」


黒髪ロングの、見知らぬ少女。


整った顔立ち。

柔らかく笑う目。


素直に可愛いと思った。


でも。


知らない。


「……お、おはよう」


(誰だ?)


「行こー」


そう言って、少女は当たり前みたいに翔の手を掴んだ。


「……っ」


近い。


(いや誰!?なんで朝からこんなリア充イベント発生してんの!?)


「あ、あのさ」


「ん?」


「君……誰だっけ?」


我ながら最悪の質問だ。


少女は一瞬目を丸くして、それから笑った。


「もー、冗談きついよー。私だよ、高橋 夏樹(たかはし なつき)!」


(……知らない)


名前を聞いても記憶にない。


「そ、そうだな。ごめんごめん」


「もう!」


頬を膨らませる。


可愛い。


でも。


どこか引っかかる。


「……行こ、高橋さん」


「……え?」


空気が変わった。


夏樹の笑顔が消える。


「……なんで、苗字なの?」


背筋が冷える。


「ご、ごめん。冗談。夏樹」


数秒。


そして夏樹は、何事もなかったように笑った。


「……ほんと、やめてよ」


(……情緒どうなってんだ、この子)


◆


学校へ向かって歩く。


「翔くん、部活何入るの?」


「まだ決めてない」


「私、吹奏楽入るんだけど。一緒にどう?」


吹奏楽。


翔の記憶では、自分は陸上部だった。


(……そうか)


高校一年。

まだ何も決まっていない。


部活も。

友人関係も。

進路も。


全部。


これから選べる。


(……人生、変えられるのか)


胸の奥が、小さく震えた。

もし本当にやり直せるなら。


父親も。

母親も。

借金も。


自分の人生も。


何かを変えられるかもしれない。


「考えとく」


「えへへ。翔くんと一緒なら楽しいのに」


学校が見えてくる。


校門。

制服姿の生徒たち。


人生二度目の高校生活。


どうして戻ったのか。

なぜ十五歳なのか。

夏樹という、記憶にない少女は何者なのか。


何も分からない。


それでも。


一つだけ、はっきりしていた。


――今度は、間違えない。


母親を。


自分を。


人生を。


二度と、あんな終わり方はしない。


翔は校門を見上げながら、静かに心へ刻み込んだ。


これは――。


終わったはずの人生に与えられた。


二度目の始まりだった。

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