第3幕
明くる次の日。ジャックとロンは昨日と同じ人目のつかない場所でリハーサルも含めた打ち合わせをしていた。
ジャック「それで最後はこのような感じで…」
ロン「分かった。」
ジャック「それでは、あなたの晴れ舞台も兼ねた最高のショータイム参りましょう。」
ロン「よろしく頼む。」
ジャック「ええ。こちらこそ。」
そうして熱い握手を交わした2人はショーの場所へと歩を進める。その様はまさに裏方から舞台へと登場する演者のようであった。着くと、そこにはたくさんの人が今か今かと彼の登場を待ち望んでいた。登場してきた彼を盛大な拍手で観客たちは迎える。今日もいい天気だ。いや、むしろ昨日よりもいいかもしれない。ロンの晴れ舞台なのだ。天の気まぐれで祝福してくれているのだろうか。そして、ジャックは両手を掲げ、宣言する。
ジャック「皆様!今日も私のショーを観に来ていただき、誠にありがとうございます!」
観客の群れの中から歓声が巻き起こる。この場にいる誰もが日差しというスポットライトを受けた彼のオープニングに釘付けである。
ジャック「今日は、いつにも増して天のご機嫌は上々のようです。それもそのはず…。なにせ、今日は私の新たな仲間ロンの晴れ舞台なのですから!」
その言葉を聞いた途端、ジャックの近くにいたロンへ観客の視線が向く。するとロンは手を胸に添え、紳士のような一礼をする。その様に、観客はまた歓喜の声を上げる。ジャックの仲間という彼に期待の眼差しが激しく向けられる。それは喜ばしいことでもあるが、同時に期待に添えなかっければ失望されるという重圧にさえも感られる。これはショーなのだ。言ってしまえば、観客は舞台において予測もできない強大な障壁。その期待に添えなければ、即ゲームオーバーである。故に演者は、常にその命を燃やし、すり減らし、一生懸命に戦うのだ。そのことをロンは舞台に立つことで深々と実感する。それでも彼は前を向く。ジャックと舞台に立つため今日まで地獄とも言えるほどの修練を重ねて来たのだ。だからこそ、その経験が彼を奮い立たせる。
その様子を見たジャックは再びここに宣言する。
ジャック「それでは皆様お待ちかね…ショーの始まりです!」
そうしてジャックは打ち合わせ通りクラブを数本取り出し、ジャグリングをする。いつものように惹きつけるトークスキルと変則的なジャグリングをもって。するとロンが彼の横に立つ。
ジャック「それでは、ただいまからロンさんとジャグリングをします。皆様、成功すれば拍手をお願いします。それでは…参りましょう!」
ジャックに合わせて、観客が一斉にカウントダウンをする。
3…2…1…
そうしてジャックはロンに向かってクラブを投げる。するとロンはリハーサル通りキャッチし、ジャックに投げ返す。間髪入れずに飛来してくるそれらを途絶えることなく、次々と投げ返す。それを見た観客は大喝采を放つ。初めて見るそれに驚嘆し、思わず拍手してしまう。するとジャックが突然、
ジャック「ありがとうございます。ロンさんのすばらしいジャグリングがご覧いただけました。しかし…彼はまだまだこの程度ではございません。」
そう懐から数本のナイフを取り出す。観客はそれを見て心臓が飛び跳ねる。太陽に当てられ、切先が光り輝くそれは誰がどう見ても本物だと分かる。それで一体何をしようというのだろう…。しかし、観客はその可能性に気づいている。さっきのジャックの口ぶりからしてやることは一つなのだ。それでも、観客の中では“危険”という言葉がその可能性を掻き乱していた。だが、それもジャックの言葉で現実となる。
ジャック「皆様お察しの通り、これは本物のナイフです。当たればもちろん切れます。今からこれで彼と再びジャグリングをします!」
一瞬にして歓声が静寂に、静寂が響めきへと変化する。
ジャック「ご安心を…。皆様に当てることなど絶対にさせませんし、彼のジャグリングはこのナイフをもってこそなのです。皆様…心の準備はよろしいですか?それでは参りましょう!」
カウントダウンが始まる。観客たちは息を呑む。
3…2…1…
そして、ジャックがロンに向かって手に持ったナイフを投げた。誰もが目を覆い隠したその瞬間、ロンは投げられたそれを容易くキャッチし、先ほどと同じようにジャックに投げ返す。ジャックもまた容易に投げ返す。そうして、ナイフでのジャグリングは成功してしまった。すると、観客は一瞬目の前の光景に言葉を失ったが、次の瞬間には今までとは比べ物にならないほどの大歓声が巻き起こる。それは周囲だけでなく遠くの方まで響き渡り、思わず日常を送る人たちの心の臓を跳ね上げさせた。彼らは何の騒ぎだとそこへ向かう。すると、そこにはナイフを投げ合う二人組がいたものであるから、それに見惚れてしまう人もいれば、顔を真っ青にして目も当てられない人もいた。そうして気づけばこの大通りを通行することができないほどの人だかりができていた。そのことに気付かず、ジャックとロンはジャグリングを続けていた。すると突然、ナイフの軌道が変則的になった。ジャックは不敵な笑みを仮面の下に浮かべながら、ナイフを投げ返す。それに対してロンは表情ひとつ変えず投げ返すどころか、彼もまた変則的に投げ返す。容易くやってのける彼らに観客はとうに言葉を忘れてしまった。その様子に、もはや恐怖さえ感じたことだろう。そうしてジャグリングはジャックの手にナイフが収まったことで終わりを迎えた。すると、辺りは人だかりに見合わないほどの静寂で満ち溢れいた。しかし、終わりを迎えた彼らを見て、観客たちは言葉にならない声で叫んでいた。彼らの顔にはとてつもなく喜ばしい表情が浮かんでいた。聞き取ることもできないそれらは確かに歓声だと2人は理解していた。
ジャック「皆様、誠にありがとうございます!いかがでしたでしょうか?私の言った通りでしょう?彼のジャグリングはナイフを持ってこそなのです!もう一度…彼に大きな拍手を!」
拍手喝采は止めることを知らなかった。終わりも知らずに、ただ道を見失わず、まっすぐ彼らに向けられたそれらに彼らはこの上ない幸せを感じていた。ロンは初めて舞台に立っている。だからこそ、彼はやっと知ることができた。ジャックが人々に与えたいものはこれだということに。幸せがどういうものか。喜びがどういうものか。それをやっと知ることができたような気がした。
ジャック「皆様、お忘れですかな?ショーはまだ始まったばかり…。さらにここからたくさんのものをお見せしましょう!」
そうして彼らは次の演目に移る。玉乗り,火吹き,ローラーバランス,…。いつも通りの演目。しかし、今回はロンという変わり種がいる。それにより、いつもとは違うスパイスが観客たちのムードをさらに上げる。そうして、ショーは終わりを迎える。
ジャック「これにて、ショーは閉幕です。ご覧いただき誠にありがとうございます。皆様が今日を幸せに生きられますように…。それではまた、次のショーでお会いしましょう。」
騒ぎを聞きつけた警備警備でさえ、このショーに魅入ってしまった。だからこそ、とめどなく溢れた観客は街中にも響き渡るほどに彼らを称賛した。雄叫びにも捉えられるほどの地を響く拍手喝采が彼らの体を、辺り一帯に溢れる朗らかな表情が彼らの心を震わせた。観客たちはしばらくの間、日常へ戻ることをせず、この場でただただ2人に称賛を送り続けた。しばらくして、片付けも終えていつも通りの大通りへと姿を戻したこの場所で2人は余韻に浸っていた。
ジャック「ククッ…クックックッ…。やはり…やはり…。」
そう笑うとロンへと向き直る。
ジャック「やはり私の目に狂いはなかった!すばらしい…大変すばらしいですよ、ロンさん!あなたと組めばさらに人々に喜びを届けられる。これほど嬉しいことはないですよ。ありがとうございます。」
ロンもまたジャックへ向き直る。
ロン「それをいうのはこっちのセリフだ。あんたと組めたから、俺はあんたのやりたいことってのがよくわかった。それに、かねてからあんたと組むのが夢だったんだ。それが叶った今、あんたには感謝しかねぇよ。」
ジャック「クックックッ…。ロンさん、いかがいたしましょう?」
その質問にロンは首を傾げた。
ロン「何がだ?」
ジャックは不適な笑みを浮かべながら尋ねる。
ジャック「これからも私と組みますか?」
その問いにロンもまた不適な笑みを浮かべてさも当然かのように答える。
ロン「当たり前だ。これからもよろしく頼む。」
ジャック「ええ。こちらこそ。」
そうして、彼らは互いに日常へと戻っていくのであった。
その夜、彼はゆらゆらとゆりかご椅子に揺られていた。
ジャック「ロン…これから先、もっと面白くなっていくよ。」
よっと椅子から立ち上がった彼はさてとナイフを取り出す。
ジャック「さらに磨き上げなきゃ…。とても険しい道のりになりそうだからね。」