匂い
とある休日の朝の話。
休日の朝は、いつもより少し遅く起きてコーヒーを淹れる。
産地も分からない豆をミルで挽いて、ドリッパーに付けたフィルターに入れて、やかんから注いだお湯がこぼれ落ちていくのを無心で待った。
今度はお湯が細く出るコーヒー用のポットを買おうか。
カップを手に狭いベランダに無理やり置いた椅子に座れば、冷たい空気が身体にまとわりつく。
コーヒーを一口、また一口と飲み込めば、熱とカフェインが身体に染み込んでいく。
自宅のアパートの前にある脇道を、バイクが一つ通り抜けた。
鳥は鳴いて、桜の花がひらき始めた。
春が来てしまうのだ。
少し前に祖母が亡くなった。おばあちゃん子な同僚には大層いたわられた。
結局飲みに行った先では、彼のおばあちゃんの話ばかりを聞いていた。話し下手な自分にとっては、マシンガントークを聞き流すだけで済み、さらに奢ってもらえるとくれば最高の会だった。
特に話すこともないのだ。祖母といっても、大した関わりはなかった。
小さい頃はそれなりにおばあちゃんの家に遊びに行ったはずだ。あまり記憶はないが。それがだんだんと疎遠になり、もう10年も会っていないとなれば、思い入れもそんなにない。
母親は、実母の死に泣いていた。あまりいい関係ではなかったはずなのに。
あんなに文句を言っていても、やはり親の死は悲しいものらしい。これが人間というものなのかと目の当たりにした。
人の亡くなった姿を見て、人が焼ける匂いを知って、人だったものが骨になって、そこまで見届けても、自分の心は少しも動かなかった。近しい親族の死で、こんなにも心は動かないものかと自分に呆れた。
自分は人間味のない人だと思っていたが、こうして突きつけられると少し落ち込んだ。同僚の彼はおばあちゃんの思い出に朗らかに笑い、死に静かに泣いた。ああなれればよかったのかもしれない。ああはなれないのが自分だから仕方がない。
思考に耽っていると、隣の部屋の方から煙草の匂いがした。
お隣さんも、朝の煙草が日課なのかもしれない。同じ時間に、よく同じ匂いがする。
煙草の匂いはあまり好かれないが、自分は嫌いではない。
同じように思考に耽っているのだろうか。それとも至福のひとときを楽しんでいるのだろうか。お隣さんにも、コーヒーの匂いが届いているのかもしれない。
休日の日課に入ってしまっているこの時間を、ただゆるやかに過ごす。
一つだけ息を吐く。
あと一口のコーヒーは、まだ飲まないでいよう。